第271話 神々の言い分③ 獅子王ラシャプ
〈トゥグラト=ラシャプ、大神殿にて〉
「タダイよ、モレクはまだ戻らないのか」
「は、落ちた先の「私」と魔力を繋ぎ確認をしましたが、まだ戻られておらぬ由」
「それは確かなのであろうな?」
「申し訳ありません、流石に
タダイの心のこもらぬ謝罪を聞き流し、ラシャプは手を振って退室をさせる。モレクの安否は気がかりではあるが、それでも自分達は神であり、誇り高き獣王である。タダイ如きの姦計で殺されるならそれまでのことなのだ。
その時、手にしていた硝子の杯が割れて、床上にむせるような赤い液体がとび散った。侍従の神官が慌てて破片を拾い、生臭い葡萄酒だと不審に思いながらも床を吹く。
「我ながら埒もない……。帰ってくると分かり切っているものを」
「トゥグラト様?」
侍従がヒトの名でラシャプを呼ぶ。
「何でもない、それよりも二日後の元老院の準備はできておるのだな」
「は、はい。若い貴族共が造反していますが、それぞれの本家に圧力を変え、跡目を譲って引退した前当主に復帰をさせました。評議会を子供の遊びと考えて、子におもちゃを与えていた大貴族共ですが、流石に息子たちが平民と一緒に騒いでいることに思うところがあったようです」
「ハドルメへの正式な宣戦布告、賛成票はいかほどか」
侍従の神官は袖で汗を拭きながら数字を述べていく。
賛成は、神殿十二票、貴族二十七票、トゥグラト、シャヘルで四十一票、反対は、ザハグリムら造反貴族の三票、軍六票、ギルド六票にラバン将軍、アナトの二票を合わせて十七票しかない。そして元老のラメド、バルアダンは天と地の結び目に落ち、未だ帰還していないのだ。
「投票権を持つ現在行方不明の二人が間に合ったとしても十九票で、拒否権の発動はできませぬ」
「ふむ、貴族から他に造反する者がいるとも限らぬ。見せしめとしてカフ家のザハグリム以外の二名の元老議員を殺せ。我が子が同じように殺されたくなければ老いぼれの貴族も逆らう気は起こさんだろう」
「ザハグリム殿はよろしいので?」
「殺せるものなら殺してみるがいい。鼠の尾を踏んだつもりが、竜が出てくるだろうよ」
神官はトゥグラトの、ザハグリムに対する高い評価にとまどうも、タダイとは違い恭しく頭を下げて退出した。
「さて、ザハグリムの体からそろそろ目覚める時だ、ダゴン」
イルモートの肉体は復活した。しかし、生贄として最後に捧げたピエリアス家のアジルの魂により、その体は他の魂の侵入を拒否され続けていたのだ。だがそれも長くは続かない。いよいよイルモートの肉体に、自身か、モレク、ダゴンのいずれかが入り、その力を持って天へ攻め上るのだ。
「大地と天、その全てを支配してこそ獣王というもの」
ラシャプはクルケアンの上層にある執務室で独り、頬杖を突きながらそう想う。
主神から王の祝福を無理やりに与えられ、獣王たちはその本能を十全に出せなくなっていた。理性という箍が魂を縛り、力だけでなく、智を以って群れを統率するようにさせられたのだ。ヒトが支配を受け入れやすい権力者として振舞っているのもその為である。
「王の祝福とは果たして呪いであった」
この呪いさえなければ、獣の体のままにヒトを貪り、ただ一人の強者として君臨できたはずなのだ。ただ、その箍も外れることがある。それは対等である他の王へ挑む時なのだ。
「バァルとの戦いこそ我は望む。広寒宮にあるやつの真体と戦い、勝利してこそ世界の王となれるのだ」
バァルは慣例通り、天に肉体を外宮に精神を置いて、魂のみを地上に降ろしている。自身が天に攻め上れば、必ずバァルも前に立ちはだかるはずだ。だが、その前にもう一人の王と決着をつけねばならない。それはバァルが天の王だとすれば、地の王だ。それも下等なヒトの王……。
「バルアダン、ヒトの王よ。まずは貴様を殺し地上をもらう」
王となったバルアダンの帰還を疑うこともなく、ラシャプは低い笑い声をあげる。両手に割れた杯から漏れた人血がついていることに気づき、じっと見つめる。
ヒト、人、弱き獣。だがその血は甘露のごとく喉を潤すものである。血と魂は繋がっており、その美味は魂の味だともいう。ならばあのヒトの王妃の魂はどれほどうまいのだろうか。王妃は死を前にして、誰よりも美しかったのだ。赤光の中、王たる自分が膝をつき、届かないと知りながら手を差し伸べてしまったほどに。
あれが欲しいのかとラシャプは自問する。
あぁ、欲しい。
あの美しさに、あの力に我は屈したのだ。あれはバァルの力とも違う。何だ、何なのだ。
自分は月にある死の国を我が物とし、そこにある王妃の魂を喰らいたいのか?
違う。……そうだ、いや、違う……。
時代を超えて幼いサリーヌに再開した時、バルアダンと共に過去へ送り込もうと決めたのはなぜだったか。
そして彼女の変化を自分は見続けていた。
失った兄の記憶を嘆いて泣いていた日々、
モレクの訓練に音を上げず、立ち上がり続けた日々、
バルアダンとダレトに出会ってからの日々、
次第に笑顔が増えていく彼女を、遠くから観察していた自分には奇跡のように映った。
しかしそれは奇跡ではあるが、強き力ではない。
その証拠に、自分は少女のサリーヌには脅威を感じないのだ。
その代わり、まだ弱かったサリーヌを命の危険にさらさぬよう、王たる自分がいちいちモレクや神官に彼女への任務を確認したり、様子を聞いたりせねばならないのが面倒だった。モレクの不機嫌な顔を前に、聞きだすのに苦労をしたものだ。
「兄よ、そんなに心配ならご自身で聞かれてはいかがですか?」
「何を馬鹿な。我は獣王、しかも今はこのクルケアンの王も同然なのだ。一神官に如きに構っているのでは、他の神々に笑われてしまう。そうではなくて、ただ知りたいだけだ」
「……この謁見の間にバァルやナンナが居なくてようございました」
「どうした、珍しく感情を出すではないか」
「力が戻りつつあるせいでしょう。原始の体はもう失ったとはいえ、魔獣の体を使えば昔とほぼ同じ姿で暴れることも可能です」
「そうか、またあの力強き姿が見られるのか」
「……ありがとうございます。それとサリーヌの件ですが、バルアダンと恋仲になりました。北伐の途中で様子を見てまいりましたが、間違いないかと」
「そうか、それでよい」
「世迷言をおっしゃる!」
「どうした、あのバルアダンであれば十分にサリーヌを守れように」
「そんなことは聞いていない! 兄よ、あなたは四百年前の記憶を失ってはおられませぬな」
「モレク?」
「記憶と名を奪う呪いは確かに王妃によって反転させられ、私達にも降りかかりました。存在は覚えていても顔や名を思い出すことはできないのです。だが、その呪いはあなたによるもの。獅子の王ラシャプたるものが自分の呪いに負けるとは思えない。バルアダンとは、そしてサリーヌとは何者か知っているのでしょう!」
「モレク――」
「失礼を、我が兄。昂ったのは戻りつつある力のせいでしょう。この不肖の弟をお許しください」
「いや、我こそらしくなかった。ただバルアダンもサリーヌも我が遠謀の内にある。時機を待て」
「はい、それでは失礼します」
弟か、モレクの言葉を反芻して眉間にしわを寄せる。
蛇の王として、またその強靭な肉体で他の王の脅威となったモレクは、戦うことに余分なものを切除していった、極限ともいうべき美しい姿をしていた。それなのに本人はその姿を醜いという。兄のように四肢がなく、共に草原を駆けることが叶わぬ醜いからだというのだ。
主神の祝福で神の似姿を得た時も、抗議をしたのがモレクだった。戦い以外の美醜など興味もないが、今のヒトの価値観では美しいと言われる容貌に悲鳴を上げたのである。
「主よ、このような姿では耐えられませぬ。手足は確かに欲しいのですが私が欲しいのは戦うための強き肉体です」
「モレクよ、もう戦う必要はないのですよ」
「では、この広寒宮を守るために相応しい肉体を。それならば問題はないでしょう」
こうしてモレクは男の姿を得たのである。
地上に降りてからも男の体を憑代とし、今日まで続けてきた。男性的であろうと、女性的であろうと気にするものではないが、モレクのこだわりは本来得たいものの裏返しではないのかと今では思う。
あの時、モレクが怒気を発したのも分かる。
事実、四百年前の記憶は自分だけが持っているのだ。
しかし何故かモレクに言うのは躊躇われた。
目を閉じると、四百年前のあの王妃の姿が鮮明に覆いだすことができる。
やはりあの力は過去で身につけたものであろう。
たった一人で数十万のヒトを守ろうと、自分の前に立ちはだかったあの美しい力は。
「広寒宮を落とした後で王妃には会わねばならんだろう」
いや、違う。
きっと、自分は彼女に会いたいのだ。
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