第269話 神々の言い分② 従者タダイ

〈タダイ、半壊したクルケアンにて〉

 

 さて、そろそろモレクに止めを刺しましょう。魂の力が弱まった今ならば印の祝福で滅ぼすことができるはず。しかしまぁ、懐かしいものが見れました。飛竜の王と蛇の王の戦いは原始の時代を見るようでした。バァルとモレク、浅ましい獣の王達の戦いはいつの時代でも醜い。

 

 そう、醜いのだ。

 主神は戦うことしかできない獣の長に王の祝福を与えて、争いをなくそうとした。

 だが、神の恩寵を奴らは己の種族をまとめ上げるのに使い、相手を集団で殺し始めたのだ。


「主よ、あの愚かな獣の王達を殺すべきかと。神の慈悲に気づかず、肉を喰らい血を飲むことに酔いしれている獣なぞ地上には必要ありません」

「タダイ、我が従者よ。これは私の過ちなのだ。彼らに咎はない」

「過ちなどと! 獣を気遣うとは、まったく我が主はお優しい」

「しかし、放置することもできぬ。王達をこの広寒宮に上げよう。彼らを神とし、その眷属も神人として地上の管理をさせるつもりだ」

 

 主の決定に否やはない。しかし、私は内心で湧き上がる不満を抑えるのにかなりの労力を必要とした。あの獣たちをこの天の宮殿に上げるということは、主と私の楽園を汚される思いであったのだ。

 そんな内心を読み取ったのか、主は少し困ったような顔をして私にこう言った。

 

「タダイ、この宮殿も賑やかになる。そうなれば楽しいとは思わんか?」

「主さえいれば私には十分でございます」

「そうか、そうであろうな。しかし少なくともこれからの宮殿では孤独にはなることはない」

 

 ……今思えば、それは主の私への優しさであった。地上の管理だけでなく、主がいなくなったときに私が孤独にならないようにするためでもあったのだ。

 バァルらの神々が小宮殿を構え、それに仕える神人が広大な広寒宮をせわしなく歩き回る。やがて主は神人の中からナンナ、タフェレト、エルシードなど特に力の強い者を神に引き上げた。

 

「エルシード神、神聖な宮殿でかくれんぼをしたり、かけっこをしたりしないでください!」


 我が儘なエルシードによって、また広寒宮は賑やかになる。大声で窘めていると、自分でもこんな声が出せるのかと驚いたくらいだ。いつの頃か、このまま多忙の内に日々が流れていくのだろうと思うようになった。


 あの神が宮殿に現れたのはそんな時だ。

 少年が広場で悄然と黒い空を見上げていた。

 その神は幼い姿をしており、魂の強さから神人ではなく神だと判断する。

 

「卒爾ながらお尋ねします。新たに神になった御方ですか?」

「……申し訳ない、何も分からないんだ。気付けばここにいたのです」

「何と? しかしその力、尋常のものではありません。主の許へ案内をする故、同行下され」

 

 年の頃はエルシードと同じくらいか。どこか頼りなげな、それでいて危うげな少年神を主に引き合わせる。自然に発生する神など、主くらいのものだ。いったいどのような背景が彼にはあるのだろうか。

 

「……来たか、獣の子よ」

「僕が獣の子?」

「私は地上に残った獣達の、その争いの本能を押さえるべくそれらを取り出し空に放った。恐らくその大量の魔力が自然に形をなしたのがお主だ。故に全ての獣の子供であるのだ」

「本能って?」

「獣が発生した時から持つ、破壊の衝動だ」

「なら、僕ができるのは壊すことだけなのですか?」

「いや、それだけではない。破壊の衝動は元の完全な状態に戻りたいという願いでもある。あるべきものに戻し、やり直す力でもあるのだ」

「なら僕は地上に戻りたい。獣のみんなと共に行きたいんだ」

「……それはできぬ。これから破壊衝動を減じた地上の獣たちは人へと転じるのだ。争いをなくすためにな。お主が戻っては達せられぬのだ」

「邪魔をするの?」

 

 主の宮殿がたちまちに赤い光りに染め上げられていく。少年神が虚ろな目をしながら手を主に差し伸べる。それは友好を示したのではなく、殺意だった。黒い炎が指先から迸り、瞬時に業火となって主を襲う。

 

「お逃げ下さい!」

 

 私の絶叫をよそに、主はそのまま炎に歩みよった。

 

 轟音と衝撃が宮殿を破壊する。

 気がつけば瓦礫と化した宮殿で、主と少年神のみが立っていた。

 

「獣の破壊の衝動とはこれほどのものか。私でさえも受け止めることはできん。……これでは世界は滅ぶ。すまぬな、獣の子よ。お主にはここで滅んでもらう」

 

 主が一歩を踏み出し、権能杖を高く掲げた。雷光を纏った神の杖を振り下ろそうとした時、宮殿を見下ろす丘の上から小さな毬が転がり、神々の間に割って入ったのだ。

 

「ご、ごめんなさい、遊んでいたら大きな音がして、毬が転がってしまって……」

 

 エルシードが丘から走り寄ってくる。そして少年神は無感動に毬を拾い上げた。

 

「ありがとう! 私はエルシード、あなたの名前は?」

「な、まえ?」

「そう、名前よ。まだ名前がないのだったら主につけてもらわないと、ねぇ、そうでしょう?」

「そうだな。……お主にはイルモートという名を授けよう」

 

 あぁ、それは死の神という意味であるのだ。私と主だけがその意味を知っている。

 

「ところで、なぜ宮殿が壊れているの?」

「いや、エルシード、彼の力を試していたんだよ」

「ふふっ、まるでバァル兄さまやメルカルト叔父さんみたい。主も元気がいっぱいなのですね」

 

 笑顔で笑う彼女に主も私も毒気を抜かれてしまう。

 

「でもね、イルモート、壊したら駄目でしょう? 宮殿がかわいそうだわ」

「かわい、そう?」

「そうよ、あぁ、どうしよう、ナンナ神に戻してもらおうかしら」

「僕、多分、できる」

 

 イルモートから再び赤い光が発せられ、次の瞬間には宮殿は元通りになっていたのだ。

 

「すごい! イルモート、あなたってとても偉い神様に違いないわ。そうだ、実はタフェレトの鏡を壊してしまったの? こっそり直すのを手伝ってくれない」

「分かった……」

 

 罪を主の前で告白したことに気づきもせず、エルシードは喜んで飛び上がると、イルモートの手を取り走り出した。

 やれやれ、どうやらあの死の神はエルシードが御してくれるだろう。振り返れば主も優しいまなざしを二人に向けている。何にせよ、地上の獣がこれで大人しくなるのならめでたし、めでたしだ。

 


 ……しかしそうはならなかった。

 破壊の衝動の多くを取り除いたとはいえ、獣は争いを続けたのだ。そして主はその魂の全てを祝福として魔獣に注ぎ、ヒトへと変化させる。神の御姿に近くなり、子に名をつける文化をもつヒトは、しばらく争いをやめた。そう、しばらくの間だけだったのだ。ヒトは獣王達のそれぞれの祝福を利用し争いを始め、美しい大地は血で汚されていく。あまつさえ、獣王達も天界で争い始めたではないか。

 

 憎い、憎い。

 ヒトは主の祝福を、愛を理解しなかったというのか。

 騒がしい広寒宮で、独り怒りに震えて泣きわめく。

 こんな世界はいらぬ。私は主がいる世界を望むのだ。

 

 宮殿の外に目をやれば、エルシードの横で笑うようになったイルモートの姿を認めた。

 あぁ、そうだ。やり直せばいいのだ。主がいる世界に、さもなくば主の愛をヒトが理解する世界にするまでやり直すのだ。そのためにはあの力を私のものにしなければならない。

 または愚かな獣王共とヒトを殺し、魂から主の力を取り出せば復活するやもしれぬ……。

 時間は、時間だけはある。主の分魂ともいうべき私は、主がいる限り死ぬことがないのだ。ヒトがその魂に祝福を持ち続ける限り、死んでも私は世界のどこにでも復活するのだから。


 ……違う。

 死なないのではない。

 これは永遠に主の再臨を待ち続けるという呪いだ。

 永劫の闇に、孤独に耐えられるはずもない。

 世界のやり直しか、それともこの呪いからの脱却、すなわち死か。

 そのためならどんな犠牲も厭わない。

 主を汚した獣王も、ヒトも全て報いを受けてもらおうぞ……。

 

 

 

「タダイ、神たる私に歯向かうというのですか?」


 意識を過去から以下この瞬間に戻せば、眼下に傷だらけのモレクが血走った目で睨みつけていた。ふん、浅ましい獣王め。長年の準備でやっと貴様らを殺すことができる。

 

「モレク、主の情けで神に列しただけの蛇よ。貴様こそ分を知れ!」


 私は復讐ができる嬉しさに、弾んだ声でそう叫んだ。

 

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