第268話 獣の王と悪童達

 〈アサグと老人と若者たち、廃墟のクルケアンにて〉


 廃墟のクルケアンで大蛇が崩れた階段を這い上る。その蛇が通った後は瘴気で爛れ、道は黒く汚されていた。ギデオンは遥か頭上にいるラメドが狼狽しているのを見て大声を上げる。

 

「ラメド、何があった!」

「大蛇がくるぞ、作戦は中止だ!」

「蛇如き、どうとでもなる!」

「五アスク(約三十六メートル)もあるのだ。敵うはずもない」

 

 ギデオンはその巨大さに驚くが、だからこそラメドに作戦の継続を求めた。大蛇だろうと、この神殿跡の空間そのものを石や木材で埋め尽くし、封じるだけだ。ラメドはその返答を聞くと飛竜に飛び乗り、覚悟を決めて蛇の前にことさらに姿を見せつけた。

 

「そこにいましたか、ラメド殿。兄の大願の為、ここで死んでもらいましょう」

「その声はアサグか! 何とおぞましい姿よ」

「おぞましいといったな、この体を! 主神の恩寵でその似姿を得ているに過ぎんヒトの分際で何を言うか」

 

 怒りと恨みを瘴気として身に纏い、アサグは階段を恐るべき速さで這い上がっていく。ラメドは十分に引き付けておいて、飛竜と共に穴に飛び込むようにその身を隠した。

 

「神殿跡に逃げ込むつもりですか? 自分から逃げ場をなくすとは……」

 

 アサグは穴を覗き込み、眼下にヒルキヤとギデオンの慌てふためく姿を認めた。自分達を上に引き付けておいて下から逃げるつもりかと冷笑する。もはや現世に戻れぬラメド達が逃げたところでどこへ行けるものでもない。対して自分達はシルリの石像なり、タダイの命なりを使って戻ればいいのだから。

 

「アサグ連隊長、突入の許可を」

 

 アサグは魔人となった部下の言いぐさを可笑しく思う。自分の今の姿は蛇神のモレクという名こそふさわしい。しかし何故かこのアサグという名を部下には呼ばせている。その名を使っていた四百年で多少の愛着が湧いたとでもいうのだろうか。

 

「愛着? そんなヒトのような……」

「アサグ殿?」

「なんでもありません、さぁ、奴らを殺して現世に帰るとしましょう。第二連隊、突入しなさい」

「は!」

 

 帰る、か。アサグはその言葉を噛みしめるように心の内で反芻する。自分はどこへ帰るというのだ。広寒宮か、それともクルケアンの神殿か、それとも獣であった、いや獣からも仲間外れにされていた原始の時代なのか……。

 

「それにしても、あのラメド元老ともあろうものが自ら死地に飛び込むとは、これがヒトの老いというものですか」

 

 アサグはラメドを軽蔑しつつも、本能が穴へ飛び込む行為を止めようとするのを感じ、部下達を先行させ自分は縁にとぐろを巻いて様子を見る。そして眼下でギデオンが舌打ちを答えるかのような表情を見てこれは罠だと気づいたのである。

 四百年前、思えばサリーヌ王妃らに忘却の呪いを反転させられたのはこの大神殿であった。内壁で囲まれた空間を包むように呪いを反転させられたのである。ならば敵は空洞の外側にいるはずであった。

 

「うまく隠れたようですが、匂いや体温までは消せるはずはない。……その大塔にいる三人、出てきなさい」

 

 大塔の陰から飛竜に乗ったラメド、シャマール、ガルディメルが苦み走った表情を浮かべて現れる。若く勇猛なシャマールが二人を制し、敵から奪った鉄槍を握りアサグの顎へ向けて突進する。

 

「シャマール! お主ら兄弟は四百年前といい、現世といい私達の邪魔をする。そろそろこの縁も切るべきでしょう」

「そうか、四百年前もお主と戦っているのだな」

「ええ、王妃と共にあり、戦ったハドルメの英雄よ。その強さは認めてあげましょう。そして今は魔人として力も増している。なればこそ私はこの姿で貴殿と戦おう」

「……冷血な男だと思っていたが、存外と矜持があるではないか」

「矜持? 男? くだらない。私は獣の王としてシャマール、貴殿を殺す」

 

 巨蛇と飛竜が穴の淵で激突した。アサグはシャマールの槍をその牙で受け止め、毒液を吐きかけると、シャマールは斗篷(マント)を翻してそれを受け、ぶつかったその反動を利用して鉄槍を蛇の首に叩きつける。強力な一撃はアサグの頭部を弾き飛ばすものの、筋肉の塊である長い胴体が衝撃を吸収した。

 

「奴を殺すにはもっと力が必要か」

 

 渾身の一撃のはずが、鱗にわずかに傷をつけただけに終わったシャマールは舌打ちをする。ならば飛竜の体重を活かした上空からの一撃しかない。しかし乗騎である飛竜はアサグの毒をその身に受けて空に留まるのがやっとの様子だった。

 

「覚悟はよろしいでしょうか?」

「そうだな、ただ決着をつける前に聞きたい。蛇の王よ。お主がその体であった頃は他にも王がいたのか?」

「ええ、飛竜の王、翼無き竜の王、獣の王、水竜の王、あの時、私達は互いに覇を競い合った」

「ほう、それはお主の後ろにいる竜のことか?」

 

 巨蛇は背後から原始の時代に時には怖れ、時には凌駕しようとした圧倒的な力の存在を感じ、首をもたげた。そこにバァルの変化した巨竜が牙を突き立てようと空から舞い降りたのだ。

 

「バァル!」

「モレク、覚悟せよ!」

 

 巨大な質量同士がぶつかり、巨蛇は穴の淵にめり込んだ。シャマールはその隙を縫って飛竜の王に問いかける。ハドルメの民である自分ならば竜との会話が可能だと思ったのだ。

 

「飛竜の王よ、恐らくはバァルよ、私の言葉が聞こえますでしょうか?」

「シャマール、確かに聞こえているぞ」

「有難い、ではあの巨蛇めを下に落とすための御助力を頂きたい」

「よかろう、だがもうじき我の意識も消え、獣となる。見事乗りこなすがよいぞ」

「感謝する!」

「アドニバル」

「何と?」

「我が友人アドニバルからの伝言だ。オシールとシャマ―ル、そしてロトの三人がハドルメ最強らしい。だから負けるな、と言っている」

「ロト、ロト……。そしてアドニバル」

「現世に還れば月の祝福者を介してこの竜の精神の内に入るがよい。待っておるぞ」

 

 竜は目を細めると、やがて唸り声をあげてシャマールを威嚇しだした。

 

「やれやれ、竜の王を乗りこなせとは。バァルも無理をおっしゃる」

 

 飛竜から手綱を切り落とし、首を絞めるように巨竜に巻きつけ、意志を伝える。轡(くつわ)もない竜を御するには到底可能な事ではないが、従順さを求めてはいない。ただ空に上がって落ちてくればいいのだ。

 

「そら、竜の王よ、私が憎いのであれば振り落として見せるがよい!」

 

 巨竜が怒りの咆哮と共に空に舞い上がり、高所からヒトを地上に叩きつけようと身をよじる。月に辿り着くかのような勢いと風圧の中、シャマールは手綱を握りしめ懸命に耐え抜いた。やがて竜は雲よりも高い場所で静止する。安堵の息をついたシャマールはこのまま急降下しようと再び手綱を引こうとした時に、空に浮かぶ荘厳な宮殿を見たのだ。

 

「こ、これは人の手によるものではない」

 

 地上のクルケアンと同じく、大きく崩れた宮殿はその中心部に大きな穴が開いていた。クルケアンの中央部が大きく陥没していることもあり、もしかするとクルケアンを破壊せしめたのは天からの巨大な一撃なのだろうかとシャマールは思い至った。

やがて竜が憎しみを込めた唸り声をあげ、錐もみしながら急速に高度を下げていく。シャマールは視野が狭くなり、意識が遠くなる中でただ一点を目指して手綱を操った。

 

「アサグ、覚悟!」

「……お、おのれ、バァル、シャマール!」

 

 流星のように襲い掛かる竜を避けられるはずもなく、巨蛇はせめて衝突の瞬間に竜の喉笛に牙を突き立てようとその口を置きく開ける。

 轟音が鳴り響き、一瞬の静寂が辺りを圧した。そしてもつれ合った原始の王達のその巨躯はゆっくりと地上に落下していく。ギデオン達は自分達を討たんと殺到してくる神獣騎士団に対して、親切にも上空を指さした。

 

「どうした、命乞いをしたいのか、この老いぼれめ!」

「やれやれ、ヒルキヤよ。最近の若い者は落ち着きというものがない」

「……ギデオン、奴らもお前にだけは言われたくないだろうよ」

 

 騎士達はギデオン達が慌てて内壁に身を寄せたことに不審を持った。そして満月に照らされている彼らは、地上に向けた光が消え、黒い染みが広がっていくのを目にしたのだ。それは彼らにとってまるで何か巨大な物が自分達の背後、上空から降ってくるかのように思われ、恐る恐る空に視線を移し、そして絶叫を上げた。

 

「敵ながら同情するよ、しかもこれで終わりではないのだから」

 

 ヒルキヤは心からそう思う。巨竜と巨蛇が咬みついたまま瓦礫とともに落下し、騎士達を押しつぶしていく。半数ほどはその下敷きとなり、もう半数は瓦礫の下から上半身だけを晒して呻き声をあげている。

 ラメドは竜が羽ばたいて距離を取ったことを確認するとガルディメルと共に二十アスク(約百四十四メートル)の折れかけた大塔を爆破する。

 

「おのれ、クルケアンのヒトめ。悪辣な!」

 

 騎士達の怨嗟の声は、しかし現実に対して何の効果ももたらすことはなく、死の形をした巨大な影を見上げるしかなかった。そして獣の王達を超える質量が地上に落下したのである。

 

 ギデオンとヒルキヤが勝利を確信したその時、巨蛇から神官の姿に戻ったアサグが大塔を打ち砕くようにして立ち上がった。死んだ部下の血を啜り、アサグの神官服は赤く染まっている。

 

「何故だ、何故、最後には失敗するのだ。天の支配権をかけた戦い然り、四百年前然り、そして今回もだ!」

「モレク様。それは実力不足というものです」

 

 頭上から響く声に、アサグは嘲弄の意志を感じ取った。分を弁えず、神である自分を見下すとは不遜な神人めと睨みつける。如何な主神の従者と雖も許すべきことではなかった。

 

「タダイ、こうなることを知っていてわざと放置していたのか」

「所詮は獣王、いや獣にすらなれなかった蛇の王でしたか。罠であっても喰い破る力が他の獣王にはあった」

 

 神獣に乗ったタダイが全ての生者に対して酷薄な笑みを浮かべ、空に漂っていた。

 

「モレク、哀れな蛇の王よ。お主にはここで死んでもらおう」

 

 タダイは神獣に跨り、眼下のモレクにそう宣告する。

 

「神になれなかった神人の分際で何を言う。裏切るならここで殺すまで。……いや違いますね、タダイよ、ハドルメであれ、クルケアンであれ、神であれ、決着がつかないようにわざと均衡を保とうとしたのではないか?」

「その通り。何も変わらなければこの五度目の世界で全ては消え去る。よしんば変わったとしてもイルモートの力で消滅させればいいのだ」

 

 ラメドたちは、サラが語った螺旋状に繰り返される世界、そしてその限界が近いという意味を思い出す。クルケアンの賢者サラの考えは正しかった。しかしなぜ、タダイは設計者オグドアドのような世界の創造ではなく、消滅を願うのだろう。

 

「さて、モレクよ。クルケアンの名だたる戦士たちよ、武技を以って勝つことは難しいが、私はこの場で唯一の祝福者だ。さて、水責めか、瓦礫を石棘に変えての拷問か、それとも大人しく死を受け入れるか選ばせてあげましょう」

 

 その時、ラメドとガルディメルがタダイに近づき一撃を加えようとする。しかし、タダイはシルリの石像を神獣に空高く投げさせ、彼らの動きを牽制した。

 

「シルリの石像は現世に帰るための唯一の手段のはず。不用意に動かない方がいいですよ」

 

 タダイは神獣に落下する石像を咥えさせ、愉悦の笑みを浮かべる。そして権能杖を振りかざし、大量の水をクルケアンの内壁で仕切られた空洞に注ぎ込み始めた。

 

「ふん、規模が大きいだけの水責めか。子供の悪戯のように芸のない事だ」

 

 罠を仕掛けることについて一家言あるギデオンは、事態をひっくり返せない悔しさをにじませて毒舌を吐く。

 

「いえ、ギデオン殿、私とて学びます。そちらが示してくれたように水で逃げ場をなくしてからの上層部の落下ということでは如何です?」

「……おい、ヒルキヤ、敵は儂の策を剽窃(ひょうせつ)しおった。評価されて嬉しいやら悔しいやら」

「ふん、子供同士、同じ発案が好きなのだろうよ。それよりどうやって抜け出す? 我らがいる限りラメド達も本気を出せん。こちらへ救出にくるやもしれん」

「ふむ、シルリの石像も助けねばな。なぁ、タダイを西側の穴の淵に寄せられるか?」

「ラメドと連携を取れればだが、流石に叫ぶわけにもいかぬ」

 

 既に水が膝まで迫り、タダイの力により上層部の大量の瓦礫が宙に浮かんでいる。これまでかと思った瞬間、ヒルキヤは自身の魂に語り掛けてくる声に気づいた。それは子供らしさを残した青年の声であった。

 

 誰だ?


 ……あれ、お爺さんだけには私の声が聞こえるんだね。私はアドニバル。バルアダン王の息子のアドニバルです。

 

 バルアダンの息子だと? そんなことはない。祖父である儂が知らぬ筈はないではないか。奇妙な声だが一応は聞こう。お主の母の名は何という?


 ……すごいや、ねぇバァル、聞いたかい? やっぱり生きていて正解だ。こんなにも素晴らしい出会いがあるのだから。初めまして、ひい爺ちゃん。私の母さんの名前はサリーヌ。今はこの竜の精神の内に棲んでいます。

 

 ヒルキヤは空を見上げた。タダイのはるか上空に飛ぶ黄金の竜がこちらをじっと見つめている。バルアダンとサリーヌの名、そしてその子供。普通であれば到底信じられないことだが、ヒルキヤ自身が時間を超えたクルケアンに立っているのだ。そうか、私にひ孫ができたのか。自分が急に老け込んだような、しかし若返ったような相反する感覚を得て、ヒルキヤは大笑する。

 

「お、おい、大丈夫か、気でも触れたのではないか」

「ギデオン、ひ孫が生まれたのは私の方が先であった。後で自慢してやる」

「ヒルキヤ、しっかりせんか!」

「そう怒鳴るな、ほら、私の手を握って見ろ」

「……」

 

 ギデオンは痛ましい目を友人に向けるが、ヒルキヤの瞳に力がこもっているのを知ると、その手を強く握りしめた。魔力が流れ、痺れるような感覚の後、青年の声が聞こえる。

 

 こんにちは、ギデオンさんですね。

 

 ……誰だ? 

 

 アドニバルです。ギデオンさんは悪だくみが得意だってヒルキヤ爺ちゃんから聞きました。何でもクルケアンで一番だとか。

 

 ……ふむふむ、まぁ、謙遜しても一番だわな。

 

 時代は違いますが、私はクルケアンで二番目なんですよ!

 一番はその道の師匠のエリシェ姉ちゃんでしたけどね。ギデオンさんとどっちが上かなぁ。

 

 ……エリシェ?


 はい、でも女神様でもあります。


 ……エルシードのことか。


 はい!


 ……なら儂が一番だ。エルシードに、いやエルシャに悪戯を仕込んだのは私なのだからな。


 すごいや、では私の師匠筋でもありますね。


 ……アドニバルよ、儂らであのタダイに悪戯をしかけてみんか?

 

 精神に響く青年の声が喜色を纏ったようにギデオンは感じた。

 こうして時代を超えた、クルケアンで一番目と二番目の悪童が手を組んだのである。当時のクルケアンの市民が見ていれば天を仰いだかもしれない。あるいは戸締りをするように家人に注意を促したかもしれない。ただし、その悪童達の片方は老人で、片方は竜であったのだが。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る