第252話 王の帰還④ ありがとう

〈トゥグラト、魔人と戦いながら〉


 神官兵が魔獣になってしまった。きっとそれは月の祝福だけでなく、地下に封じ込められた僕の体の力によるものだろう。ラシャプ、モレク、ダゴン達に利用されていることを悔しく思う。


「トゥグラト、危ない!」


 エリシェの声を受けて、タニンが急上昇した。どうやら魔人からの投槍から逃れたらしい


「考え事をするのは後! 今はあの人たちを何とかしないと」

「大丈夫、僕の印の祝福ならもとの状態に戻せるかもしれない」

「流石はトゥグラトね」

「オシール、ロト、少しの間時間を稼いで欲しい。その隙に彼らを元の状態に戻す。王の帰還の為の魔力を少しだけ使わせてもらおう」

「トゥグラトさん、僕を忘れていない?」


 ロト君の鞍上にいるアドニバルが口を尖らせて抗議した。そのかわいらしい様子に、凄惨な戦場にもかかわらず笑顔になる。彼を僕の家で預かった数週間はとても楽しいものだった。僕とエリシェに子供ができればきっとこんな感じだったのだろう。


「あはは、勿論期待しているよ、アドニバル。君が僕からこっそり奪ったおやつに、見合う分の働きはしてもらうからね」

「あ、あれは、半分はエリシェ姉ちゃんと共犯だからね!」

「……アドニバル、かっこいい男性って秘密を守るものなのよ」

「だそうだ、可哀そうなアドニバル、しばらくおやつはお預けだ。少なくとも太ったエリシェが元に戻るまではね」

「トゥグラト!」


 エリシェの抗議とアドニバルの笑い声に、オシールとロトの苦笑が重なった。僕は権能杖に魔力を込め、眼下の魔人に解き放つ機を狙うため、エリシェにタニンの手綱を任そうと振り向く。


「ちょっと、何よ、わたしは太ってないわよ」

「いや、しばらくの間手綱を頼めるかなと思って」

「そ、そう。すこし自意識過剰だったみたいね」

「もう少しふっくらとした方がいいかもね。痩せすぎだよ、君は」

「トゥグラト!」


 抗議したエリシェが背中を叩くのを無視しながら、密かに唇をかむ。僕と違い精神を広寒宮の外宮殿においている彼女、いや水の神であるエルシードは成長しないのだ。多少の外見を魔力で変えて誤魔化しているだけで、太りもしなければ痩せもしない。そして子供を産むこともできないまま生き続けるのだ。階段都市が外宮に届けば、僕はエルシードの精神を破壊し、神から人に堕とすだろう。そうなれば彼女は独りで生き続ける地獄から自由になるはずだ。しかしそのためには大量の魔獣石を必要とし、多くの人々に死を求めなければならない……。


「おや、トゥグラト殿ではありませんか。前神殿長、なぜ王の味方をするのです」

「タダイ、神殿に仕える身でよくも神官兵を魔人に変えたな。反体制派の貴族との陰謀といい、もはや言い逃れはできないと知れ!」

「おや、心外です。魂だけとはいえイルモート様にそのようなことを言われるとは。ほら、この状況、貴方にとって都合がいいのではないですか? 天に上がる階段の材料が満ちておりますぞ」

「な、何を!」


 背後でエリシェが固まるのが気配で分かる。知られてしまった。彼女の気遣いを、彼女の優しさを無下にしないよう、イルモートの記憶が戻っていることは内緒にしていたのだ。


「おや、エルシード様は知らなかったご様子。これは失礼を致しました」


 愉悦の表情を浮かべたタダイが恭しく頭を下げる。怒りと悔しさで目が真っ赤に光るのを感じた。……だめだ、ここで力を解放すればみんな死んでしまう。


「……モート、イルモート」

「うん、聞こえているよ、エルシード」

「悪戯好きなあなたでもひどいよ。なぜ記憶が戻ったことを黙っていたの」

「前のダゴンとの戦いで思い出した。人として愛してくれようとする君の想いに応えたかった……」

「馬鹿、馬鹿、イルモートの馬鹿、あなたが記憶を取り戻してもいなくてもわたしの愛は変わらない!」

「ごめん、エルシード」

「もしかして、階段都市を造り始めたのは広寒宮に帰るため? ……嘘はなしよ。こっちを向いてイルモート!」


 僕は必死に自分の気持ちを隠そうと淡々と話し続ける。少し顔が引きつるのを必死に抑えて、その場しのぎの嘘を言う。だって外宮にある君の精神を殺すだなんて言えるわけがない。……永遠を生きる呪いから解放するためだとしても。


「バァル兄さんを探すためと、天界の様子を探るためだ。神と人が断絶すればその祝福は次第に弱くなる。ほら、今、天界には誰もいないだろう。君ならば外宮にある精神を取り戻し、広寒宮に戻ることも可能なはずだ。魂しかない僕はもう戻れないけどね」


 僕の作り笑顔を、エルシードは悲しい顔で見つめていた。


「……そう。イルモートはわたしが地上にいなくなってもいいの?」

「そんなのは嫌だ。例え世界が壊れたとしても、君だけは僕の側にいて欲しい」

「ねぇ、イルモート」


 エルシードが前に騎乗する僕に手を回して抱き着いてくる。


「……魂だけとなったあなたが生まれ変わっても、私は何度でも海底の神殿で眠りについてあなたを待ち続けるから。それでいいじゃない。魂が摩耗し、あなたの記憶が薄れたとしても、わたしだけはあなたの側にいるから」

「君だけが傷つく世界を見ていたくない」

「ちがうのよ、イルモート。わたしとあなたは永遠に出会い、恋をすることができるの。不幸も幸せも分かち合ってね。だから階段都市なんてなくてもいい。天に帰らなくてもいい。連絡が取れないバァル兄さんとだっていつか地上で再会できるかもよ。……だからわたしはこのままでいいのよ」


 僕はその言葉に肯定も否定もできなかった。人に憧れ、人になった今では愛というものがよくわかる。エルシードを愛し、彼女の為だけに生きていきたい自分の気持ち、エルシードの愛する世界を守りたいという気持ちそれらが違う方向に延びていき、両立できない。人は愛の数だけ悩み、衝突し、傷つくのだろう。


「……エルシード、今の僕ができることは神官兵を救うことだけだ。まずはそれに集中しよう。それには君の力がいる、いいね」

「分かったわ、でもわたしが言ったこと、ずっと忘れないでいてね」


 オシールとロトが海に突き出た灯台のように魔人と魔獣の中でその存在を示している。クルケアンの兵と王の軍隊がその灯火に誘われるように伸び、切れては再びつながっていく。アドニバルが弓でもってロトに襲い掛かる魔人を打ち倒せば、オシールら騎士団が竜の巨躯をもって魔獣を弾き飛ばす。そしてついにロトが後方のタダイに追いついて剣を突きつけていた。


「タダイ、ようやく尻尾を出してくれたな。魔神の哀れな雇われ狐め、あの戦いで死んだ父ヤバルの無念をはらしてやる!」

「まったくあなた方は優しい嘘ばかりつく。いや傷つくのを恐れて誰も真実を言わないともいえるでしょう」

「何のことだ?」

「ロト、ヤバルの死の真相について知りたくありませんか?」

「待て、タダイ、子供に何をいうつもりだ!」


 僕は慌ててタダイに向けて火の槍を投げ放つ。神を傷つけるはずのその槍は、タダイが持つ剣によって弾かれた。



「ロト、貴方の父ヤバルはね、我々と手を組んだのですよ。王を僭称したバルアダンを倒し、ハドルメの誇りを取り戻すために。さて、同志ヤバルを倒したのは魔神か、王か、あの混乱の中で何が真実か誰も知らないのでは?」

「違うぞ、ロト! ヤバルは魔神ダゴンと刺し違えたのだ。それは僕もエリシェも知っている!」


 空の上からロトに声を掛けるが、ロトは動かず剣を静かに降ろしていた。


「ヤバルが王を裏切り、クルケアンの貴族と手を組んでいたのは幹部ならご存じのはず。後で王妃に聞いてみなさい。父は誰と戦い、破れたのでしょうかとね。最強を目指すのなら、誰と戦うかおのずと見えてくるでしょうが」

「タダイ!」

「う、嘘だ。父はハドルメの英雄で、王も偉大な方で……」

「ロト、もう少し真実を教えてあげましょう」

「タニン、ロトの許へ急げ、あの人を惑わす男をロトから切り離す!」


 タニンの手綱を握ってタダイに向かって急降下する。大事なものが汚されてしまう悪寒が背中をはい回る。昨日までの世界が、平和な日常が力ではなくただの言葉で手から零れ落ちていくのだ。そう、つい三日ほど前までは家で楽しく笑い合っていたというのに。



「トゥグラト兄ちゃん、僕に魔力の使い方を教えてくれない? 祝福はもっていないけれど、兄ちゃんやエリシェ姉ちゃんみたいになりたいんだ」

「アドニバル、祝福が欲しいのかい?」

「うん、かっこいいから」

「困ったな、そんなにかっこいいものではないんだが」

「エリシェ、教えてあげたらどうだ?」

「だめよトゥグラト。教えたら最後、ハドルメとクルケアンが未曽有の悪戯の災害に襲われるわよ。この前だって、お姉ちゃん、あの偉そうな神官の頭に、魔力の水鉄砲を撃ってよ、っていうくらいですもの」

「……いたずらも才能と思わない? 否定から始まるのは良くないと思うな」

「ははっ、その才能はエリシェだけで十分だ。君とエリシェがいたなら悪だくみで世界を支配してしまうからね。でも本当は悪戯に使うつもりはないんだろう」

「え!」

「兄を目指しているんだろう? いつもロト君の背中を見ているじゃないか」

「……うん。だって稽古でいつも負かされるんだもん。強くならないと一緒についていけないから」

「ねぇ、アド、あなたは今色々な才能を磨いているの。それを伸ばすのは、もう少し先よ。焦る必要はないわ。きっとわたし達が助けてあげるから、今できることを伸ばしなさい」

「今できる事……」

「そうね、まずはお勉強かしら。また前の授業も抜け出したよね。ってあれ、アド、逃げるな!」

「今できることは逃げる事!」


 笑顔のアドニバルが逃走を図り、エリシェが追いかけていく。玄関を出ようとした時、ロト君が戻ってきて、弟の頭に軽く拳骨を振り下ろす。そしてそのまま首を掴んでふくれっ面のアドニバルをエリシェに差し出した。


「いつもご迷惑をおかけしています。トゥグラト様」

「何を言っているんだ、楽しく過ごさせているとも。我が家が明るくなって嬉しい限りだ」

「……それで、またお願いしたいのですが」

「いいとも、では奥の部屋に来るといい」

「ロト兄さん、何を教わっているの?」

「あぁ、魔力の使い方を教わっている。トゥグラト様に拠れば筋がいいらしい」


 そしてアドニバルが裏切り者を見るようにエリシェと僕を睨んで、開口一番こう叫ぶのだ。


「ずっるーい!」


 結局根負けして、エリシェと共に兄弟を教えるはめになる。しかしそれは労苦ではなく、幸福だった。あぁ、僕は家族を得たのだ。人となってこんなに嬉しいことはない。そして今世の兄であるアサグが久しぶりに実家に顔を出す。


「アサグ兄さん、お帰り」

「あぁ、最近忙しくてな、ただいま、トゥグラト。エリシェ」


 そして兄は仕事の愚痴や最近疲れたのだのとりとめのないことをいいながら食卓に座り、皆と楽しい食事を始める。

 何のことはない、そんないつもの日常こそが僕の宝物だった。走馬灯のように巡る記憶をタダイの言葉が現実に引き戻す。



「そもそも魔神は呪われしイルモートの力を欲しているのです。ヒトというのは神と神の争いに巻き込まれる運命なのでしょう。ほら、あそこに二柱の神がいますよ」

「……あそこにいるのはトゥグラト殿とエリシェ殿だ。神などではない」

「ロトにアドニバル、覚えておきなさい。あれがイルモートとエルシード。神々の争いの真ん中にいて破壊をもたらす元凶です。うすうす気付いていたのでしょう? あの二人が常人ではない力を持っていることに」

「ち、違う、ロト、アドニバル。僕は、僕は……!」


 目にするのは虚脱したロトの顔。剣すら地に落とし、呆けたように僕を見上げていた。


「トゥグラト、エリシェ、あなたたちは味方なのか? それに王は父の仇……?」

「違う、君は、君達は僕の大事な……!」


 タニンから飛び降り、エリシェと共に二人を抱きしめようとしたその寸前、タダイが権能杖を兄弟に向けて振り下ろすのが見えた。その杖には赤い宝石が禍々しく光っていた。



 ……魔獣討伐が決まった時、ロトたちがクルケアンを離れると聞いて、寂しく思ったものだった。

 未練がましく、戦いが終わればまたおいで、といったものだ。それに一番言いたかった言葉をいえない自分に腹が立っていた。

 どうしてだろう?

 家族のように思う彼らにたったひとこと言うだけだ。

 人並な幸せをくれたことに対する感謝を、ただ、ありがとう、というだけなのに。


 それを伝えるべき相手は、今、僕の目の前で倒れている。僕は震える足で膝をつき、二人を抱き上げ、泣いていた。目の前が赤く光っているのは、僕の呪われた力のせいだろう。その赤くなった世界に、タダイが笑みを浮かべて立っていた。


「世界を憎みなさい、滅ぼしなさい、イルモート。それがあなたの権能でしょう?」


 

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