第251話 王の帰還③ 王と魔神

〈地下の回廊にて〉


「オシール、敵の数を報告せよ。概数でよい」

「魔人五百、魔獣千!」


 北伐において数万の魔獣に立ち向かったバルアダンであるが、獣と知性ある魔人とは勝手は違う。こちらの兵力は約二千人であり、相手の数より多いものの、こちらがやや不利かとバルアダンは判断し、魔獣工房への突入を断念しようとした。


「父さん!」


 場違いに元気な声が空から聞こえ、バルアダンは赤く染め上げられた夜空を見上げた。


「アドニバル?」


 ロトが手綱を握るハミルカルの鞍上でアドニバルが大きく手を振っていた。そしてその脇でトゥグラトとシルリとエリシェを伴ったシャマールがバルアダンに一礼をする。

 トゥグラトが地上に飛び降りて、王に跪いた。


「バルアダン王、神殿の不始末は前神殿長である私の不始末でもあります。タニンをお借りし、魔人への対処をおまかせあれたし」

「トゥグラト殿お立ち下され。魔人のこと、一切お任せしたい。……ロト!」

「はっ!」

「ロトはトゥグラト殿、エリシェ殿の護衛だ。お二人がその祝福を十全に発揮できるよう、近づく敵を排除せよ!」

「父上と同行する事は叶いませんでしょうか」

「そうしたいが、私に何かあればお前が頼りだ。戦士として別々の戦場に向かうことにしよう」

「了解です。アドニバル、邪魔はするんじゃないぞ」


 ロトは尊敬する王に戦士として認められたことが嬉しく、弟に上機嫌で注意した。工房への侵入経験があるシャマールとシルリは王に同行し、一同はその場で別れる。


 祭壇の封印を解き、バルアダン達が工房前の地下大回廊へになだれ込む。魔道具の灯りで赤く照らされた回廊には一人の男が佇んでおり、恍惚とした表情で侵入者を出迎えていた。


「ようこそ、魔獣工房へ。いやはや、魔人と魔獣の軍勢に囲まれながらここに来るとは、やはりバルアダン王、貴方は豪胆な方ですね」


 一同は驚いた。それはその男が敵に回るはずはないという思い込みがあったためと、現実に遠く離れた場所にいるはずの男だったからだ。一同の驚愕を代表してシャマールが叫ぶ。


「アサグ神殿長!なぜ貴方がここにおられるのか。クルケアンにいるはずのあなたが!」

「簡単なことです。ここがクルケアンの地下だからです。ここは天と地の結び目(ドゥル・アン・キ)の境界線。空間の歪にできた場所なのです」

「貴方は敵でしょうか、神殿長」

「はい。いや、これから味方となるでしょう。貴方達をとらえ、記憶を改ざんし、我らの下僕とするのですから」

「別人か、いや違うな。魔人と同じく別の魂が中に入り込んでいるな?」

「ほう、分かりますか、バルアダン王。その通り私の名はモレク。偉大なるラシャプ神の弟です」

「ダゴンと同じ悪神か」

「ヒトの価値観で神の善悪を測るものではないが、愚かなヒトには分からぬか。王よ、我が兄の復活のために、その血をいただくとしよう」

「神とはいえ、この人数で勝てるとでも?」

「そうですね。私は力のほとんどを兄に捧げた故、神としての力は弱い。あなたたちにも負けるかもしれません」


 アサグの体を借りたモレクは回廊の中央部、巨大な穴の底を見て愉悦の声を上げる。巨だな何かが這い上がってくる音が聞こえ、同時に獣のようなにおいが漂ってくる。


「だが知識は持っております。イルモートの力を使って魔人を作り出したり、怪物を兄であるラシャプの仮の憑代とすることも。おや、兄が挨拶をしたいとのこと、失礼のないように対応していただきたい」


 回廊の中央部、巨大な穴の底から全身がただれ異臭を放つ醜悪な怪物が這い上がった。それはこの世界にくる直前にバルアダン旅団に襲い掛かってきた怪物であり、共に穴に落ちて狭間に漂っていたのである。その存在に貴族の精神と魂をいれ、ラシャプが乗り移ることで仮初めの体としていたのである。


「バルアダン、ヒトの王よ。我が祝福を受け入れよ。そして広寒宮に攻め入る先兵としてその価値を示すがいい」

「ラシャプ、天を追われた哀れな神よ。お前がこの世界を乱す元凶である以上、打ち倒すのみだ」

「ふむ、不敬ではあるが許して遣わそう。愚かなヒトは我ら神が導かねばならぬのでな。しかしその強靭な肉体と精神は我の真の器として素晴らしい。我の肉体となる栄誉を与えよう」

「……サリーヌ、支援を頼むぞ」


 バルアダンは十二年前の戦いで、フェルネスや魔人、そして目の前の怪物に不覚を取ったことを悔いていた。しかし、日々怠ることのない訓練と実戦で、王としてだけでなく戦士として成長していたバルアダンは、巨大な怪物に恐れなく踏み込み強烈な一撃を浴びせる。長剣で魔神の人の体ほどもある指を切断すれば、次の瞬間にはシャプシュから受け取った槍でその目を穿つ。


「小癪なヒトよ。我が祝福をその身に浴びるがよい」


 ラシャプの体から一際大きい瘴気が発せられ、吸い込んだシャプシュらが床に這いつくばって震えだす。サリーヌら祝福者が強い横風を起こすも、瘴気は意志を持った蟲柱のようにまとわりついていた。サリーヌとシルリは小さな竜巻を仲間の周りに起こして、瘴気を上方へ飛ばしていく。


「やりおる。しかしいずれこの空洞に瘴気は満ちる。ナンナの眷属よ、どう対処する?」


 サリーヌは無数の竜巻をラシャプを中心に収束させた。そしてシルリにその中心で炎を出させたのである。轟音と共に火柱がラシャプを包み、同時に瘴気が浄化されていく。業火の中で魔神は笑い、月の祝福者たちを褒めたたえた。


「見事、見事だ。王よ、我が宿敵のナンナの眷属たちよ。奴が世界に溶けた今、復讐する相手の一人が消えて空しく思っていたところだ。お主達を敵と認めてやろうぞ」

「崩れかけた体で強がりをいう。ラシャプよ、覚悟はいいか」

「確かにこの体も、精神も死んだヒトの寄せ集めよ。我の力を十全に発揮することは能わぬ。バルアダン、今日はお主らと語り合いたく思ったのよ」

「何だと?」

「ヒトの王に問う。主神は既にこの世にはいない。その後継である太陽の神タフェレト、月の神ナンナも既に大地に溶けた。あとは我ら以外には武張ったバァル、水の神エルシード、破壊の神イルモートのみだ。すでに天に神はなく、ヒトを助けることもない。やがて祝福も消えていくだろう。どうだ、人を捨てた神を恨むか?」

「何をいう。神が消えても人は生きる。神々の争いは神々で行え、我らを巻き込まないでもらおう」


 バルアダンはそう言い切ってからラシャプの言葉の矛盾に気づいた。天に神はいないのなら何故、天に攻め込む先兵となれというのであろう。そこに誰がいるというのか。


「神が住まう月の広寒宮に何の用だ」

「ナンナは賢い奴よ、全ての神がいなくなり、天兵どもも外宮に降りてきて、宮殿を空にしたその隙に新たな広寒宮を出現させたのだ」

「何だと?」

「ナンナはそこに死者の都を創っている。魂と肉体を地に捧げ、その精神のみが生前の思考に従ってその作業を黙々と行っておる。いや、精神を極大化させ、ヒトの魂が住まう国としているのだ。我らは地上を支配し、死者の都も支配し、主神が愛したヒトを永久に蹂躙するつもりだ」

「……それは支配ではない、獣の征服欲だ」

「獣か、確かに我らは獣であった。他の獣を喰らい、弱ければ死ぬ世界にいた時に、主神は我らを天に上げたのだ」


 ラシャプは大空洞の天井を見上げ、其処がかつての楽園であるかのように目を細めた。


「しかしその主神も、下等な獣であるヒトに身を削って消えてしまった」

「人を獣というのか!」

「そうだ、知性なき獣よ。ヒトは我らよりもおぞましい同族喰らいの獣なのだ。神の姿に似る前も後もそれは変わらぬ」


 ラシャプはバルアダン達に視線を戻し、大事なものを奪った盗人のように睨みつけた。


 ……許せぬ

 ……許せぬ、ユルセヌ

 ……ダカラ、シネ


 ラシャプの体が巨大な獅子に変貌していく。無理な変化の為か、一歩進むたびに体が崩れて腐臭が大空洞に充満していく。溶けていく足の二本を犠牲にしながら巨大な獅子が飛び掛かり、バルアダンにその牙を突き立てようとした。


「バル!」


 サリーヌの叫び声にバルアダンは心配するなとばかりに目を向けて応え、手にした長剣で獅子の顎から腹までを切り裂いた。


「……今日のところは挨拶だ。バルアダン、ヒトの王よ。主神が我らを見捨てたように、王であるお主もヒトを見捨てるのだ。その時が楽しみでならぬ」


 ラシャプは笑い声をあげながら、瘴気と共に溶けて消え去った。バルアダンは心配する一同に笑顔で答え、モレクが待っているであろう工房に向けて歩を進めた。

 バルアダンは考える。悪神の思惑は知れた。ならば次は魔獣について知らねばならない。ラシャプは獣から神になったのだという。そして彼は人を下等な獣ともいっていた。祝福を受けない、人の本来の姿こそが魔獣であるとでもいうのだろうか。

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