第250話 王の帰還② 未来との対話

〈バルアダン、天文台に向かう〉


 オシールの報告を受けて、バルアダンは大規模な魔獣討伐をすべく王妃と近衛の兵と共に天文台に向けて出発した。王が騎乗するタニンを追ってアスタルトの軍が順次進軍を開始する。草原の国の王に相応しく、先陣を切るのは常に王であるバルアダンだった。


「ルガル、ご苦労だった。次の満月で発生する魔獣はアスタルトの軍が打ち倒す」

「いえ、アバカスの観測によるものです。褒賞がわりに後で声を掛けて下され」

「そうか、アバカス殿か……」


 ルガルは、アバカスの名前を聞いて言葉を濁した王を咎めるように目を向けた。この未来から来た王が、未来の真実の一部しか話してくれないことに不満をもっていたのである。人の営みを尊重し、未来の情報で生き方を変えたくないのは分かる。しかし真実を言えない苦しみを王とその兵が背負うのも辛いのではないか。偉大な王よ、私や天文台の職員は分かち合いたいのです――。老いたルガルはその大きくくぼんだ目で王にそう訴えた。


「ルガル、偉大なる観測者の長よ。私とてあなたに話したい。しかし長い苦しみを共にすることになる」


 ルガルは笑いながらバルアダンの過ちを指摘する。


「王よ、喜んで苦しみを共にしましょう。観測官の悪弊でしてな。知ることができるのなら世界の全てを知りたいのです。それに、王の軍勢の中にもクルケアン、ハドルメの民と婚姻した者も多い。もうあなたは我々と同じ歴史を歩んでいるのです」

「……わかった、ルガル殿。私の知る限りの真実を話そう」


 バルアダンは未来の世界の事を話し始める。ルガルは未来にハドルメの国はなく、全て魔獣となり果てていたことに衝撃を受ける。アバカスの仮説は正しかったのだ。正確な時期は分からぬが、ハドルメの民十万が歴史から消え去るのだ。そして王は過去であるこの世界を調べ、未来において全ての魔獣を解放し、共に生きる国を創るというのだ。また、アバカスが未来において魔人となっていると知り、先ほど王が苦渋の表情をした理由を知ったのである。


「今のこの世界で魔獣化を止められれば、未来はどうなるのでしょう」

「それこそ、先ほど館長が言ったことだ。止めようとしたが、未来は変わらなかったということだろう。その行為も含めて歴史なのだ。無論、お伝えした情報から救う手段をとっても構わない」

「王の力があればそれも可能だと思われますが」

「帰還する時期が迫っているのだ。だができるだけのことはすると約束しよう」


 印の祝福者である元神殿長のトゥグラトは王とその軍勢を帰還させるための力をこの十年蓄えていた。その魔力は堤防を越えて襲い来る洪水ともなりかねず、近日中に儀式をしたいと申し出ていた。状況が差し迫る中、ルガルは遅くまで王と密談をし、今後の方針を決めた。魔獣討伐と工房の調査で答えをだす、そう彼らは覚悟を決めるものの、一つだけ不安なことがあった。それは未来の世において魔獣化について触れられた書物がないことである。トゥグラトや、エリシェ、そしてクルケアンの人々が残さないわけはない。そこに災害の謎があるとバルアダンは踏んでいた。

 

 王とルガルの密談から十日後、バルアダンは天文台前の広場に集結したアスタルト、ハドルメ、クルケアンの兵を整列させ、魔獣討伐を宣言した。


「この世界を脅かす魔獣、それは人間が成ったものである。いや、魔に属する者達によって成されたものである。今から我らは魔獣とその首謀者を倒し、そのおぞましい技術を解明し、犠牲者を救うのだ!」


 そしてバルアダンはハドルメの老将であるシャプシュに命じて、軍の編成を発表する。


「オシール! お主はハドルメ騎士団二百騎と天文台の職員を率いて先陣を切れ」

「仰せのままに」


 オシールは先駆けは武人の栄誉であると破願して応えた。


「クルケアンのタダイ殿は神官兵五百を率いて湖の西方の魔獣を掃討していただきたい。よろしいな」

「異存はありません」

「……アサグ神殿長によい成果を報告できるよう願っている」

「勿論です。何かご不安な点でも?」

「いや、クルケアンの神官兵に期待するところが大きいのです」


 シャプシュは苦み走った顔で返答をぼかした。彼は反王政派の貴族との結びつきが強いタダイを疑っている。しかし、他国ゆえ疑いだけで拘束をすることもできず、彼は密かにクルケアンの将軍であるハガルに監視を依頼していたのである。


「では次、クルケアンのハガル将軍はクルケアンの兵八百を率い後方で布陣をお願いしたい」

「心得た、大局を見て兵を動かそう。何が起きても対応いたしましょうぞ」


 タダイが裏切った時は真っ先に斬りこむ、だから安心されるがよい、とハガルはシャプシュに暗に伝えた。


「そして東からはアスタルトの兵千名を王が率い、工房には王とその近衛が突入する。我らが湖に着いた時は満月となり、魔獣の大量発生が予想される。魔獣の進撃を食い止め、王が魔獣の秘密を暴いてくるまで持ちこたえるのだ」


 ハドルメ騎士団、クルケアンの神官兵と軍の兵士、アスタルトの兵が歓声をあげ、進軍を開始した。現地ではシャマールがトゥグラト、エリシェ、シルリ、ロト、アドニバルを率いて参陣する手筈である。バルアダンは進軍を号令し、空からタダイら神官兵を見下ろしてサリーヌに問いかける。


「サリーヌ、タダイは裏切ると思うか?」

「はい、そうなりましょう。タダイの手引きで神官兵の中に八家族出身の者が多く潜んでおります。彼にとっては王を殺害し、魔神を復活させる最後の機会でしょう。むしろここにきてわざと監視の前で公然と行動しているのが気になります」

「タダイの上司はクルケアンの支配者でもある神殿長のアサグ殿であり、我らの盟友だ。滅多なことにならないとよいが」

「もしタダイが裏切るとすればいつになりましょう」

「魔獣の工房に突入したその時だろう。その時にはいったん退却してタダイを討つ」

「……」

「サリーヌ、君が不安に思っている通りだ。タダイは我々の予想の上をいくだろう。そのために、シャマール達に現地での裁量権を与えたのだ。何があっても力で食い破るしかない」

「仰せの通りに。私はどんな時でもあなたの側にいますので」

「ありがとう、第一小隊隊長」

「ふふっ、ご期待ください。中隊長」


 月が上りはじめ、全軍が距離を保ちながら湖に到着した。それぞれが陣形を敷いて魔獣と対峙しているころ、バルアダンたちとオシールはルガル館長やアバカス、フェリシアを連れて、未来のクルケアンとの交信を試みていた。


「アバカス、前の子供たちは見えるか?」

「あぁ、見える、見えるぞ! 前みたいに信号で話すしかないのが残念だが……。ええと、子供たちが二人、そして黒い甲冑を来た男と、女性の神官が一人いる」


 アバカスの言葉を受けてサリーヌが急ぎ湖面を覗き込む。


「あぁ、バル! 兄さんとニーナが向こうにいるわ」

「アナト、アナトか! なんだ若いままじゃないか。それにニーナ、エラム、トゥイ……」

「アバカスさん、信号を送ってください。私とあの黒騎士は兄妹です、魔力の質が近いので直接言葉を伝えられるかもしれない。信号の光に魔力をのせて私に向けて伸ばすよう伝えてください」


 アバカスが慌てて信号を送ると、アナトとサリーヌから魔力の光が放たれ、二つの世界が細い黄金の光によって結ばれたのである。光は糸のようになり、それぞれの声を伝えていく。


「バルアダン、歳をとったな。これでは俺の方が強いのではないか」

「十二年ぶりに在ったのに変わらず減らず口を言う。帰った後に手合わせをするのが楽しみだよ。……どうした?アナト」


 一瞬目を伏せたアナトに、サリーヌは訝しむ。それは嘘がつけない兄の誤魔化しの仕草だったからだ。


「……いや、何でもない。時間もないので事情を説明するのは戻ってきてからだ。実はガド小隊とラメド達も次元の狭間に落ちていてな、同じ時期に呼び戻す手筈だ。ただ、お前達はそれだけの人数だ、トゥグラトの力でも全員は戻れまい。そちらから力を感じれば俺とニーナの魔力を天と地の狭間の途中まで伸ばしておく。それを辿って戻ってくるといい、そのためには……」

「アバカスさん、そのためにはその世界の日時とそこの場所を図る必要があるんです、そこの星の位置を教えてください」


 エラムとトゥイが湖面に大きく映り、アバカスに向かって叫んだ。アバカスは


「あぁ、勿論だ。すぐに教えるとも!でも先に紹介したい人がいるんだ。……フェリシア、さぁ、こっちに来て」

「フェリシアよ。ここまできたら君達の名を教えてもらってもいいわよね。未来を変えるのではなく、君達のいる未来に道を繋げるために」

「……分かりました。私は、私はトゥイといいます、そしてこっちはエラムです! 会いたかった、会いたかった……」


 フェリシアはアバカスの肩を抱き寄せ、泣くじゃくる二人の子供をあやすように挨拶をする。


「トゥイちゃんにエラムくんね。アバカスが君達に私を紹介したいって私の手を離さないもんだからついてきちゃった。うん、聞いていた通りかわいい子たちだわ」

「フェリシアさん、私、私……」

「言えないことは言わなくていいのよ。だから、私の魂に残る言葉を頂戴。いつの日かあなた達との縁が結ばれるように」


 エラムとトゥイは顔を見合わせ、頷き合う。アバカスが魔人となったとか、その精神の内でフェリシアと話したとか、そういう話よりも何より伝えたい、報告したいものがあるのだ。


「僕たち、婚礼を挙げました! アバカスさんとフェリシアさんのおかげです」


 まだ少年と少女といってもいい年齢の二人の報告に、アバカスらだけでなく、バルアダンとサリーヌも仰天する。


「そ、そうか僕らのおかげなのか。やれやれ先を越されたな」

「でも幸せそうよ。ほら、未来の観測官に祝福の言葉を伝えなさい」

「エラム、トゥイ。いつか僕が会えるかもしれない子たち。いや、きっと会える。だって僕は観測官だからね。どこにいてもきっと君を見つけて見せる。だから僕を探しておくれ。そして出会えたその時に祝福させてもらうよ。例え魂が摩耗し、記憶が薄れようとも必ずだ」

「もう、カッコつけちゃって。さぁ、私たちは天文台の仕事を果たしましょう。ほら、あの子たちに星の位置を知らせなきゃ。あぁ、バルアダン王。この場所の位置などは別の光で信号を送ります。何か伝えることがあればどうぞ」


「……サリーヌ。兄と話すといい」

「ありがとう、バル。兄さん、聞こえていて」

「あぁ、聞こえているさ、サリーヌ。俺のもう一人の妹よ」

「話したいことがいっぱいあるの。でも変ね。こうして顔を見るとそういうのが全て消えちゃった。だからお願い事だけいうね」

「帰ってくれば、いくらでも話せるさ。ただ無事でいてくれればいい」

「兄さん、私はバルに幸せにしてもらった。ここにはいないけれど子供もできたわ。アドニバルというのよ。元気で、いたずら好きでセトとエルシャを足したかのよう。それはそれは毎日が賑やかで、明るくてね」

「そうか、そうか。幸せになったか……」


 アナトは肩を震わせて俯いた。ニーナが支えるように彼の腕をとる。不幸な妹が、ただ一人残された本当の家族が幸せになったと聞いて、アナトは人生の半分が満たされたような感覚を覚えた。自分にとって後の半分は世界を救うことだ。それさえ叶えば上々の人生というべきだろう、そう考え、涙を隠して妹と再度向き合った。


「だからね、兄さん。そろそろ覚悟を決めて欲しいの」

「何の覚悟だ? どんな敵とでも俺は戦う」

「私はもう十分に幸せよ。だからニーナを幸せにしてね。でないと一生許さないから」

「サリーヌ、あたいは今のままで十分に幸せだよ!」

「あぁ、ニーナ。あなたに兄を託します。白髪のお爺ちゃんお婆ちゃんになるまで寄り添ってあげてね。それが私の願い事。遠い遠い世界の月に願うわ」

「何を言っているサリーヌ。そんなことは帰ってから話そう。何やら不吉なことを言うな。直接会えるのを楽しみとしているぞ」

「私も。……じゃあね」


 それぞれの世界の月の魔力がぶつかり合い、励起した魔力はその質を爆発的に高めていく。高純度の魔力でやがて通信が途絶えようとする中、エラムの声が響き渡る。


「あと一つ! あと一つ何かその時代を特徴づける何かがあれば精度が増すんです!何かないでしょうか」

「うーん、そうだね。まだ空は見えるかい? 数日前から赤光オーロラが出ているんだ」

「赤光、それならば特定でき――」


 エラムの言葉を最後に通信は途絶えた。バルアダンは剣を鞘から抜き、近衛に呼びかける。


「さぁ、増大した魔力により魔獣が生成されるはずだ。我らは工房に突入して現場を押さえる。サリーヌは祭壇の封印を解いてついてきてくれ」


 サリーヌ達が頷いて王に同行しようとした時、ルガルが西の空を示して叫んだ。


赤光オーロラが地上に、そんなことが起きるはずはない!」


 やがてハガル将軍の伝令が口に泡を吹きながらバルアダンの元に駆け込んできて、凶報を一堂にもたらした。


「タダイ殿が率いていた神官兵が、神官兵が赤い光に包まれて全員、魔獣と化しました! それどころかお互いの肉を貪りあい、数は減らしたものの、体を倍ちかく膨れ上がらせた巨人となってハガル将軍の軍に向けて進軍を開始しております!」


 バルアダンは唇を噛んで赤い西の夜空を睨みつける。タダイが平然として討伐に参加したのはこの場所に誘い、神官兵を全て魔人として自分達を殲滅するつもりだったのだ。やがて祭壇から魔獣の叫び声が聞こえ、湖の外からは魔人、内からは魔獣が人間を襲い始めたのであった。

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