第238話 クルケアン動乱⑤ 甘露

〈ティムガの草原にて、兵士達〉


 水源が戻ったカルブ河の恩恵を受け、ティムガの草原では旧来の美しい光景が戻ろうとしていた。小動物の姿も見え始め、のどかさと共に豊かさの象徴になるはずであった。しかし現在において、ティムガの丘陵地帯では二つの軍隊が双方を睨み合って対峙している。四百年前と変わらぬ光景が、自然の回復と共に再現されたのは人の業か、神の悪意であったのだろうか。

 丘の頂上部にオシール率いるハドルメ騎士団と竜達、彼らと合流したウェルとぼろもうけ団の団員併せて四百騎が陣を構え、その上空には帰還したアナト率いる神獣騎士団第三連隊七十騎が布陣している。対するクルケアン勢力は東側にフェルネス率いる神獣騎士団第一連隊五十騎、西側にタダイ率いる鉄塔兵四百と数の上では互角であった。



「俺たちは誰と戦っているんだ、いったい誰が敵で味方なんだ?」


 ぼろもうけ団の貴族たちは自陣や相手の兵を見て天を仰ぎ嘆いていた。敵国であるハドルメ兵と共に、自分たち貴族が、神官アナト率いる部隊と共にフェルネスら神殿勢力と戦うのだ。疑問を抱かぬような者はよほどの楽天家か、少数の事情を知り尽くした者たちだけであっただろう。


「簡単な事さ、あたしに敵対する者が敵で、あんたらは仲間。それでいいじゃないか。あたしの勘を信じなさい」


 恐らく楽天家に属するウェルに、深緑の瞳を向けられてそう断言された貴族たちは器用にため息と苦笑を同時に漏らしながら槍を握った。そうだ、事態を複雑に考える事はない。自らの団長を信じてここまで来たのだ。それにこれまで彼女は嘘はいっていないではないか。目の前の光景を見る限り、自分たちに退屈をさせないといった言葉は真実だった。そして彼らはウェルを見て安心もしていた。ザハグリムの負傷で明らかに気落ちしてた彼女がどうやら調子を取り戻したようであったからだ。


「アナト神官、戻ってきたの! あぁ、ザハグリムが、あいつの意識が戻らないんだ。月の祝福で治療してやってよ。そう、バルアダン隊長だ、隊長は何処!」


 アナトの姿を見るや、ウェルは団長の立場を忘れて彼に縋りついた。相変わらず女性の扱いに疎いアナトは慌てて手を振って妹のニーナに一任する。ニーナは将にあるまじき敵前逃亡をしたアナトを横目で睨みつつ、涙目のウェルに事情を説明すべく幕営に促した。


「あぁ、ニーナさん、ザハグリムの治療をお願いします」

「呼び捨てでいいわ。だってあたいたちは同郷じゃない。でもレビではなくニーナと呼んでね」

「……分かった、ニーナ」

「うん、じゃぁまずはあなたの大事な人の治療をしましょう。少しだけだけど月の祝福が使えるんだ。治療をしながらこれまでの事を話してあげる」


 そういってニーナは祖父のヤム譲りの祝福を以ってザハグリムの治療を始めた。傷が塞がった後、ニーナは眉間に皺を寄せて訝しむ。失血については魂の波長が合うウェルの血を輸血し、ほどなく目が覚めるはずなのにその兆候が見られないのだ。薬で眠らされているようだが、それでも反応が薄い。まるで魂が地下に引きつけられているように、魂が精神の器から地面に向かってずれているのだ。そして目を凝らしてみればザハグリムの魂を手繰るかのように赤くおぞましい糸がまとわりついている。


「これはイルモートの呪い!」


 ニーナの悲鳴に、目の前が真っ白になったウェルは手探るようにしてザハグリムの体を抱きしめる。


「ウェル、私の祝福で何とか彼の魂をここに引き留める。でも治すには彼に呪いをかけた奴に方法を問いただすしかない。心当たりは?」

「あの神官、タダイといっていた……」

「タダイ!」


 ニーナは過去で対面した神官と同じ名を持つ男がいることを知って寒気を覚えた。これは偶然だろうか、それとも必然なのであろうか。

 その時、入り口の幕が揺れ、夕日の光を背にアジルが幕営に入ってきた。


「話は聞かせてもらった。団長、タダイには俺も貴族として話がある。ザハグリムの為にも先鋒に任じてくれ」

「アジル!」

「これは貴族にかけられた呪いだ。貴族、特に始まりの八家は神の憑代として、また、地下に眠るイルモートの肉体に精神とその魂を注ぎ、意のままに操るために存在していた。恐らくタダイがザハグリムの血を使ってこいつの魂とイルモートの肉体を繋げたんだろう」

「貴方はクルケアンの貴族ですね。貴族は全員そのことを知っているの?」

「神官殿、おそらく俺しか知らんことだ。この戦争が始まる前にタダイから接近してきた。誰ぞ貴族を生贄に捧げ、イルモートの力を得てクルケアンを支配しようとな。俺は喜び、でも怖くなり……。どうしようもなくて酒におぼれていた時にそこの団長に殴られたんだ」


 アジルはウェルの瞳を見ながら膝を折り、その手を取った。


「団長、貴女には涙は似合わない。ピエリアス家のアジル、一命を賭してザハグリムを助けると誓います。だから安心をしてください」

「だめだ、命を賭けるなんて。アジルもザハグリムも助かる道を選ぶんだよ。命があればこそ儲けることができるんだ」

「団長、貴女は乱暴に見えて優しすぎる。自分だけ命を捨てる覚悟で周りを守ろうとするつもりでしょう? 俺たちはそんなに頼りになりませんか。戦闘は飛竜に任せて自分の命を守れなんて、兵としてではなく、男としても俺たちは悔しい思いをしたのですよ」

「アジル、違う、あたしは!」


 ウェルはアジルのやや強い口調に衝撃を受け、寄りかかり弁解をしようとするが、男の正鵠を射た発言にただとまどい続ける。

 アジルは彼女の手を取ったまま、頬に流れる涙を穏やかに見つめ、やがてその手の甲に落ちた涙に口づけをした。


「我らが団長、貴族として俺たちには守るものができました。クルケアンの市民と貴女です。だから命じてください。仲間ととして共に助け、死地に赴くのだと。俺たちは守られたいんじゃない、守りたいのです。それは命よりも大事なことで、団長が気付かせてくれたんですよ。責任を取ってもらわないと、なぁ、みんな!」


 アジルにより幕が再びめくられると、そこにぼろもうけ団の貴族たちが整列していた。


「おいおい、団長が泣いているぞ!」

「やはり団長も乙女だったのか」

「団長にあんな顔をさせた罰として後でザハグリムを殴ってやらないとな!」

「準備はできていますよ、団長! あのタダイとかいう神官を痛めつけてここまで連れてくればいいのでしょう」

「おい、アジル、いつまで団長の手を握っているんだ。抜け駆けはなしと約束したじゃないか」

「みんな……」

「さぁ、団長、ぼろもうけをするのでしょう。ザハグリムを救うために俺たちを戦地に連れて行ってください」


「うん、分かった。少しだけ時間を頂戴。みんな飛竜に乗って待機をしていて……」

「了解です」


 幕が下り、少し暗くなった幕営でウェルはザハグリムに口づけをする。


「おとぎ話なら接吻は王子様からのはずなのにね。まったくあんたはいつまでも弱気なんだから。早く戦場に立ってかっこいいところを見せてよ。……じゃぁ、みんなといってくる。戻ってきたときに意識がなかったら承知しないから!」


 ウェルはニーナに後事を頼むと、仲間のもとへと駆け抜けていった。そして貴族たちがアナトやアジルから目の前の敵の事、貴族の存在意義の秘密を聞かされ動揺しているところに現れ叱咤激励をする。あたしを信じろ、という言葉だけで姿勢を正させ、その耳目を集める団長を見てアジルは満足げに頷いた。この高揚感は、タダイの口車に乗っていたら味わえないものだったのだろう。


「ザハグリム、もう一度お前と喧嘩するはずだったんだ。これまで一勝一敗、三戦目は団長を賭けて最後の殴り合いをしたかったのに、肝心なところで呪いにかかるとは情けない」


 ザハグリムを裏切ってタダイに与し、そして世界とウェルを手に入れようと考えたこともあった。いや実際悩んでいたのだ。それほど自分を叩きのめし、そして引っ張り上げた出会いは強烈だった。彼女についていくのか、奪うのか、しかしあの涙を見れば選択はただ一つだった。


「俺は友と愛する人のためにこの命を使う。だがな、ザハグリム、負け越しは悔しいので口づけは先んじてやったぞ、ざまぁみろ」


 アジルは思う、彼女の想いを守ろうと、その甲にした口づけのなんと甘かったことか。望むものを失う代わりに自分はこの世界で生きる意味を見出したのだ。


「さぁ、ウェルとぼろもうけ団、あたしたちとハドルメ騎士団は西のタダイ率いる部隊に突撃をするよ! あたしが先陣を切るけれど、悔しかったら追い抜いてごらん!」


 自分たちの団名を耳にして、アナトとオシールが唖然として口を開けているのを見てアジルは哄笑した。どうだ、これほど珍妙で士気の高い部隊は見たこともなかろう、あれが俺たちの団長なのだと胸を張って飛竜の手綱を引く。そして傷ついた飛竜たちが一斉に飛び上がり、眼下の敵に向かって突撃を敢行していった。

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