第237話 クルケアン動乱④ 血泥
〈ザハグリム、イズレエル城前方の戦場にて〉
「さぁ、みんな、生きている者は助けるんだ。敵味方なんて気にしないで。クルケアンの兵のみんな、これはそういう戦いだよ!」
ウェルが馬上で高らかにそう叫び、彼女の親衛隊である「ウェルのぼろもうけ団」を引き連れて戦場を駆け回る。大貴族として、先祖伝来の鎧を華やかに着こなしていた騎士たちは彼女の指揮の下、地と泥で汚れていった。平民よ、喰いつめ者の神官よと嘲っていた私の旧友たちは、初めて見る悲惨な戦場で涙を流しながら倒れた兵士を担ぎ上げていく。
「おい、生きているか、しっかりしろ、神に祈るんじゃない。家族の事を思い出せ!」
「ハドルメの民は野蛮でしぶといのだろう、クルケアンが憎いのなら生きろ!」
「神獣の下に二人いるぞ、手の空いた奴はこっちへ来てくれ!」
泣き顔のはずなのに団員の声は力強く、使命感に満ちている。どうやら戦場で動転しているわけではないらしい。ではなぜ泣いているのだろうか?
「……ザハグリム」
「どうした、アジル」
幼馴染の顔にも、やはり涙の後が見て取れた。
「ハドルメの兵がな、俺に感謝の言葉を残して息絶えたんだ。俺はな、ここにきて団長の指示を受けるまではハドルメの兵に剣を叩きつけるつもりだったんだぞ。そんな俺にありがとうって、奴らは呟いたんだ」
それは私が通ってきた道だった。先輩とはいえ、内心、庇護すべき平民として下に見ていたウェルに私は魔獣の牙から救われたのだ。アジルに感謝を述べて死んでいったハドルメの兵の気持ちがよくわかる。自分の死を前にして、必死に手を差し伸べ、助けてくれようとする人の顔ほど眩しいものはない。アジルの肩を叩き、ウェルの声が響く戦場を指し示す。
「さぁ、まだ助けを求める人がいる。いこう、アジル。できるだけ多くの命を拾い上げるんだ。拾えば拾うだけ、ぼろもうけだ」
「ぼろもうけ?」
「あぁ、ぼろもうけだ。アジルよ、感謝されるほど価値の高いものはない」
「反論できないのが悔しいな」
血と泥に塗れた友の顔に笑顔が浮かぶ。そしてウェルが私たちを呼ぶ声が聞こえ、その声の方に馬首を巡らせた。
「先輩、イズレエル城の周辺の兵はあらかた回収しました。アジルの部隊もこちらに向かっています。先輩は一旦城内にお下がりください」
「……あたしはあの丘にいってくる。フェルネスがオシール将軍を追い詰めているんだ。助けに行かなくちゃ」
「失礼ですが先輩が一人で行っても戦局に変化はありません。イズレエル城の兵を率いれば別ですが、それでも城外で神獣と戦うのは犠牲も大きく無理です。私たちは城に籠るしかないのですよ」
「オシールのおじさんには賭金の支払いがまだでね。ほら、あんたが模擬戦で戦った時のことさ。胴元としてはちゃんとお金を支払わないとね」
分かっていた。ウェルは蓮っ葉にみえて、実は優しい娘であることを私は分かっていたのだ。部下にした馬鹿な貴族を、身を挺して魔獣から守る程の娘だ。共に戦い、共に笑ったハドルメの民を見捨てられるはずがない。彼女を独占できない自分の器のなさを嘆きながら、せめて私はこういうのだ。
「分かりました。でも条件が一つあります。私もついていきますから」
「……うん。ザハグリムはどこまでついてきてくれる?」
「地の涯てでも、天の涯てでも。貴女のいくとこならどこでも」
彼女の深緑の瞳が笑うように揺れる。馬を走らせようとした時、傷ついた竜の群れが私たちの前に舞い降りた。竜たちは低く嘶くと、長い首を振りながら主人のいない鞍を指し示す。
「よし、いっしょにオシールを助けに行こう。さぁ、ぼろもうけ団のみんな、竜に乗れ! 飛竜騎士団バルアダン中隊、第二小隊のこのウェルと共にハドルメの民を救うぞ!」
ウェルの名乗りにアジルがため息をつく。
「……なぁ、ザハグリム。うちの団長なんだが、飛竜騎士団の下っ端騎士だよな」
「そうだが?」
「飛竜騎士団はほぼ壊滅したと聞くが、その下っ端騎士が飛竜を百体も従えるなんてあるのか?」
「彼女の上司はあの最強のバルアダン中隊長だぞ。その部下である先輩がクルケアン最強の下っ端騎士として百騎程度の飛竜騎士団を率いてもおかしくはあるまい?」
幼馴染の肩を強く叩いて私は無理やり同意を促した。
竜に乗るというより、乗せられた貴族たちが、その背から振り落とされないよう手綱を必死に握りしめ、私たちは新たな戦場を目指して空を駆けていく。そしてそこで私は見たのだ。
「ぼろもうけ団、戦闘は飛竜に任せ、飛竜の目となって手綱を手繰れ! 最初の一撃で混乱させ、そのままオシールがいる本陣まで駆け抜ける。覚悟はいいね、ではあたしに続け!」
団長の言葉に貴族の喊声が続き、百体の飛竜そのものが巨大な槍となって敵を蹴散らしていく。そして敵の先頭にまでたどり着いた時、見知った神官がいることに私は気付いた。
「タダイ? 神官のタダイではないか! なぜ異形の軍隊を率いているのだ!」
「ザハグリム殿、始まりの八家である貴方がこの祭壇に来ているとは、何たる僥倖か」
ウェルと視線を交わし、タダイを挟み込むように、飛竜の軌道を変え、そして駆け抜きざまに左右から長剣の一撃を浴びせる。しかしそこには両断されたはずのタダイの姿はなく、かわりに地に叩きつけられたウェルと私が苦痛に呻いているのだ。ウェルは傷つきながらも後続の団員に丘を指し示し、その足を止めるなと叫んでいた。
「カフ家のザハグリム、あぁ、神の器たる始まりの八家よ! 神の贄として、今こそその役目を果たしてもらいましょう」
「神の器、神の贄だと?」
タダイの剣が私の手首を突き刺し地面に縫い付けた。たちまち大量の血が草原に染みこんでいく。そして何かに魂が吸い寄せられるような悪寒を感じて私は悲鳴を上げた。
「さぁ、カフ家のザハグリムよ、貴方に神の力を授けてあげましょう。喜びなさい、貴族として名誉なことではありませんか。地下に流れたその血が魂無きイルモート様の肉体と貴方の魂を結びつけるのですから」
「ザハグリムに何をする!」
「せ、先輩!」
「おや、ザハグリム、平民嫌いであったはずのお主が、その平民を妾として部下にするとは、何か心境の変化でもあったのですか」
「うるさい、ザハグリムから手を放せ!」
「さて、うるさいのはどちらでしょうか。邪魔をするなら彼と共に……」
タダイがウェルに剣を振り下ろす瞬間、轟音と共に飛竜がタダイを弾き飛ばしていた。気付けば私は竜の背にいて、タダイを見下ろしている。
「アジルか」
「意識はまだあるな、ザハグリム? あぁ、そんな目をするな。安心しろ、団長も無事だよ。仲間が拾って先に丘に向かった。それにしても失血がひどい。手当てはしたから、少し眠っておけ」
アジルが懐中から取り出した小瓶のふたを開け、甘い香りを私に嗅がせた。体がしびれ、薄れゆく意識の中、タダイがアジルに向かって何か叫んでいるのを感じていた。アジルは眉間に皺をよせ、何かタダイに対して怒鳴ったように聞こえる。私の気のせいだろうか? アジルはタダイに対して贄にはまだ早い、手出しは無用、といったような気がしたのだ。
きっとこれは性質の悪い幻聴だ。そう思いながら私の意識は闇に落ちていった。
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