第232話 神の存在証明① 魔獣と人を分かつもの

〈ティドアル、クルケアンの頂上にて〉


 クルケアンの頂上に続く階段をティドアルはゆっくりと登っていた。その頂からは月のような光が輝き、また、彼を導くように一筋の光を注いでいる。あそこに待ち人がいるはずだ、予感ではなく確信をもってティドアルは頂上に立った。


「サラ導師、お久しぶりでござます」

「……なぜ私を神の名であるナンナと呼ばぬ。エルシードの従者アッタルよ。お主がサラと呼ぶのは私が分離した魂だ。もっとも、ここにいる私は肉体もなく、魂もなく、元の魂の思考を再現することしかできない精神の器に過ぎぬ」

「サラ導師、私が人間であるがゆえにあなた様をそう呼ぶのです。人としてのあなた様に会えなければ、あの仲間たちと出会わなければ、私は悪神となって世界を呪ったでしょう」


 ティドアルは深々と頭を下げた。サラ導師、そしてガドたちによって自分はヒトを人として見ることができるようになったのだ。そして因果が巡り、四百年前には大切な家族を手に入れることができた。全ては月の女神ナンナの化身であったサラ導師の導きであったのかと今では考えているほどである。


「私はアッタルの名前は捨てました」

「ならばアサグと呼ぶべきかの」

「……いえ、四百年前にモレク神に肉体を奪われ、魂のみが転生し今はティドアルと名乗っております」

「そうであったな。クルケアンの墓場ともいうべきこの階段都市はヒトの想いで作られている。お主がその肉体を奪われた事はこの都市が囁いてくれた」


 暗い世界においてクルケアンがぼうっと瞬くのを見てティドアルは思う。この偽りの都市はなぜ存在するのだろうか、もしかすると、螺旋のように繰り返しそして弾け飛ぶこの世界に救いの道を残そうとしているのか、それとも、世界の果てに在って誰かに自分たちが生きていた証を残しておきたかったのだろうか。暗闇に浮かぶこの都市は、神人であった彼に似たような世界を想起させた。


「広寒宮! この階段都市の在り方は月の宮殿と同じではないか」


 アッタルは自分の想いが正しいと直感すると、ひざを折って戦慄いた。神と神人が住まう広寒宮こそ、世界の終わりというべき墓場であった。暗い闇に覆われた世界の中で、広寒宮のみがこの世界と同じように淡く光っていたのだ。そしてそこに在って自分たちはもう一つの明るい世界を羨まし気に見ていたではないか。人が住まう、太陽に照らされた明るいあの大地を。


「成程、広寒宮やそれに住まう者は人の想いが形を成したものであったか。サラ導師よ、月の神ナンナも、太陽の神タフェレトも、武の神バァルも、あのダゴンやモレクすらもそうなのでしょうか」

「然り」

「ならば本当の意味での神や神人はいないと? 神から人が産まれたのではなく、人から神が産まれたのでしょうか」

「我らのような神はそうだ。しかし、それが全てではない。そうであろう?」

「勿論です。サラ導師。原初の神は確かに存在します。神はその愛ゆえに獣を人たらしめたのです」

「そうだ、それが何故か、私もタフェレトも、そしてそこにいるヒトも探し求め、この都市に辿り着いたのだ」


 ティドアルは、ナンナが目を向けた先に、ぼろぼろの神官衣を着た男が本を読んでいる姿を認めた。その魂は今にも溶けそうなくらいに淡い。しかし、彼の両眼だけは力強く輝き、分厚い本をめくりながら熱心に頷いているのだ。


「サラ導師、あの御仁は一体?」

「神の探究者とでもいうべき者よ。これまでの全ての真実や人の想いを本にしてここで読み漁っておる。呆れたことにこれまでに滅んだ四度の歴史においてもこの者は神の存在を追い求めておった。挙句にはその研究成果を五度目の本人がまとめておるのだからな。人の執着というか、業というか、神とはいえ敬服するしかない」

「なんと……。そこの神官殿、ならば原初の神はいま何処におわす?」


 男は研究の邪魔をされたことに若干の不満を表情に表しつつも、ティドアルの質問に答えるべく漫然と振り返った。偉大なる神の愛を人に説くことは、この男の本望でもあったのであろう。


「神は人の魂の中に在らせられる」


 神官はクルケアンの頂上をゆっくりと歩きながら滔々と語り始めた。


 主神は世界を作った。

 そこには美しい自然と動物たちが暮らす人のいない世界であった。

 しかし弱肉強食を本能とする動物たちは殺し合い、

 主神はその中から強きものを選んで神とした。

 強きものを神とすることで殺し合いを止めようとしたのだが、

 果たせず、世界は血に満ちて魔獣が現れた。

 神は心を痛め、魔獣にある感情を分け与えることにした。

 そしてその感情を与えられた獣は人となり今の世界が作られた……。


「人は、元は魔獣であったと、そう申されるか」

「その通り。我らを獣から人にならしめているのは、ひとえに神の祝福によるもの。しかしその祝福を人に与えたもうたばかりに神はその御姿を失ったのだ」

「その祝福とは一体?」

「愛にしか他ならぬ。獣と人の違いは只一点、愛によって家族や他人と結び付けられるかどうかなのです。我々の内にあるその感情こそ、全ての人が持つ祝福なのです」


 人は生きている限り神と共に在る、そういい終えると、神官はまた読書を続けたのであった。


「サラ導師、主神の祝福を持つ人であっても世界の崩壊は止められないのでしょうか。我が主人エルシードとその家族も助けられないのでしょうか」

「ティドアルよ。様々なヒトがこれまでに世界を救おうとして失敗してきた。しかしな、最後となるこの五度目の世界だけは少し違うのだ。お主はこれまでエルシードのみを救おうとした。しかし今は、弟を、そしてガド達たちのような仲間や世界をも救おうとしているな」

「はい」

「何故、そう思うとしたのだ?」

「両親が、家族が温かさをくれたからです」

「それが変化のはじまりであった。お主の養父母がお前を我が子と呼んだ時から、お前が両親を父と呼んだ時から世界は少しずつ変わっていったのだ。神人が愛に屈し、その様子を見た悪神たちにも変化が現れた」


 あぁ、父よ、母よ! ティドアルは思わず叫んでいた。

 四百年前に自分を温かく抱きしめてくれた父母の行為が世界を変えたのだと、まるで自慢するように頂上から叫んだのであった。自分は何と偉大な両親に出会えたのであろう。彼らは命を懸けて自分を守り、そして世界を変えたのだ。ならば子として世界を守るのは当然の務めであろう。

 そしてティドアルは、身に巣食っていたモレクに精神の支配権を奪われ、アサグの名と共に肉体を奪われた屈辱の光景を思い出し、拳を固く握りしめる。


「もう、誰も取りこぼしはしない」


 エルシードを守れず、弟のトゥグラトとして生まれてきたイルモートを失い、その体も奪われたのだ。神の奇跡か、ガド達の縁によるものか、自分はこの時代に生まれ落ちることができた。もしかしたら、自分はもう一度彼らの仲間として戦いたかったのかもしれない。ならば今度こそ彼らと共に魔神共を打ち倒そう。


「ティドアル、こんなところにおったのか」

「べリア殿!」

「あぁ、なんだ、皆ここにいるじゃないか。頂上がやけに光っているのでおかしいと思ったんだ。べリア殿、お呼びいただけるはずでは?結局、探すはめになりましたよ」

「こうして無事に集まったのだからいいではないか。なんだ、イグアル、タファトと手をつなぎおって、ここで祝言でも上げるつもりか」

「い、いや、これにはいろいろありまして」

「あら、イグアル、私はここでもかまわなくてよ」

「招待したい客がいっぱいいるんだ。サラ導師もそうだし、フェルネスも、アバカスもそうだ」

「ほう、ヒトである方の私を招待してくれるのか。女神を人が娶るとはお主は果報者よの」

「サラ導師? なぜここに!」


 急に賑やかになった雰囲気にティドアルは肩の力を抜いた。

 確かにこれまで悲惨ではあったが、悲観することはない。今そこにいる仲間、そしてもうすぐ戻ってくる仲間がいるのだ。あの時にはいなかった全員が集まり、共に戦えるのだから。


「クルケアンに生きた人々よ、その想いよ。きっと世界を救いましょう。父さん、母さん、見ていてください」


 その言葉を受けたかのように、クルケアンから発していた淡い光は、眩い一つ光の玉となって頂上に浮かび上がった。タファトに促され、イグアルがその光をランプに入れる。そして光は頂上から虚空を強く照らし出し、それを道とするかのように軍隊が現れたのだ。


「神獣騎士団……!」


 イグアルは最初、戦慄したように息をのんだが、やがては安堵のため息へと変わっていく。神獣の先頭にクルケアンの二人の英雄の片割れである、アナトの姿を見出したからであった。そしてその背後にはニーナが連隊の旗を振りかざしている。幾たびの戦場を乗り越えてきたアナトの神獣騎士団第三連隊がいよいよ現世のクルケアンに帰還するのであった。

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