第224話 最強を目指して② フェルネスとメルカルト

〈フェルネス、夢の中で昔日を思う〉


「フェルネス! お前もたまには羽を伸ばしたらどうだ。明日、十五層の広場でダルダさんたちと野掛けをするんだ。酒と手料理を持ち寄ってな。アバカスも来るといっている。お前は料理なんて作れないだろうから、騎士団長の美酒をくすねて持ってきてくれ」

「イグアル、上機嫌なのは野掛けのためか? それとも他に理由があるのか」

「そ、そんなことはない。仕事仲間にお前を紹介したいだけだ。それに最近何か思いつめているだろう? 騎士団の仕事が大変なのも分かるが、たまには憂さを晴らしてくれよ」

「そのためにべリア騎士団長の酒をくすねろと? 失敗した時はお前が主犯として証言するからな」

「……アバカスを主犯にしよう。あいつは前にサラ導師の酒をくすねて私の所為にしやがったからな」


 アバカスに同情をしながら、嬉々として上官の部屋に潜入し秘蔵の美酒を手に取ると、中身を安酒に入れ変える。上々の戦果を手にして翌日の昼に広場に向かうと、イグアルが手を振って自分を迎え、嬉しそうに職場仲間を紹介していくのだ。


「こちらがダルダさん、クルケアンを変えるすごい技師で工房の代表だ。あぁ、アルルさんはそのダルダさんよりも強い。機嫌を損ねるとおいしい料理が食べられなくなるから気をつけろよ。……その横がタファトさんだ。アルルさんの妹で私たちの手伝いをしてくれている」

「初めまして、フェルネスさん。貴方のことはイグアルさんからよく聞いているわ。何でもイグアルさんとアバカスさんと共に真冬に浮遊床で競争をして、水路に落ちてしまったとか。そしてそのまま下着姿で警備の兵から逃げ回ったと」

「イグアル、ご婦人になんてことを話すんだ!」

「い、いや違うぞ。最初は友人の自慢をしていただけで、なぜかタファトさんと話していると、うまく促されて喋ってしまっただけだ」

「イグアルさんのお話は面白いですからね。続きをつい求めてしまうのです」


 新緑の香りと木漏れ日の中、そういって目を細めるタファトの顔に見惚れていたのだろう。からかうようにアバカスが肩を組み、耳元でささやくのだ。


「どうしたフェルネス、タファトに惚れたのかい?」

「馬鹿なことをいうな、アバカス。……俺たちの今後を考えれば色恋など不要だ」


 それよりも鼻の下を伸ばしながらも必死に平静を装っているイグアルをからかう方が大事だ。いつも人の事ばかりを考えているこの男が、ついに特別な相手を見つけたのだから。

 このお人好しの幸せな結末を見てみたい。魔人となり家族の記憶すらない自分には手の届かない、その結末を。何となくこの女性ならイグアルをそこまで導いてくれるはずだと思ったのだ。

 存分にイグアルをからかった後、上機嫌で夕刻に騎士館に戻る。そこではべリア団長が、こちらも珍しく上機嫌で幹部たちにささやかな酒宴をしようとしていた。


「フェルネス、丁度いいところに帰ってきたな。お前もこっちへ来い。たまの非番だ。うまい酒でも飲んでいけ」

「い、いや団長、俺はもう休もうと……」

「若い者が陽も沈まないうちに部屋にこもるんじゃない。さぁ、皆、乾杯だ!」


 次の瞬間、市民の憧れたる飛竜騎士団の幹部たちは盛大に酒を吹き出した。


「なんだこれは、酸っぱいぞ。出来損ないの安酒じゃないか」

「おかしいな、一昨日飲んだときには普通にうまい酒だったんだが……。誰か入れ替えたのか」


 べリア団長がとたんに不機嫌になり、一同を睥睨へいげいする。楽しいはずの酒宴がいつの間にか剣呑な戦場の雰囲気と化していた。


「……昨晩、団長が夜警に行かれた時、フェルネスが部屋に入るのを見ました」


 仲間想いの騎士団の美徳は何処へ行ったのか。同僚の証言と視線を受けて、俺は覚悟を決めて直立した。


渾天儀シャアマストのギルドのアバカスと評議員のイグアルが主犯です。俺は彼らに無理やり……」


 いい終わる前に目の前が暗くなり、次に気づくと私室の天井を見上げていた。どうやら意識を失っていたようだ。痛む体を擦りながら周囲を見ると青い痣を作ったイグアルとアバカスが横に伸びている。


「ありえん、団長自らが渾天儀のギルドに逮捕しにくるとは……」

「フェルネス、お前には自己犠牲という精神はないのか」

「少なくともお前らにはないな」


 結局、同等の美酒を用意することで許しを得て、三人でサラ導師の酒蔵に忍び込むことになった。そこでも痛い目を見ることになるのだが、今となっては笑い話なのだろう。


 あぁ、これは夢だ。ただのフェルネスとして過ごすことのできた幸せな時代の記憶なのだ。しかしそれもすぐ悪夢に変わる。タファトの家族を見殺しにしてしまったあの日の記憶は、必ず幸せな夢の最後に現れるのだ。友人とその美しい恋人の人生を黒く塗りつぶしてしまった、自分のおぞましい所業を見せられ続けるのだ。

 叶うことならばハドルメの民が魔獣にならない世界を作りたい。叶うことならば友人が笑って過ごせる世界にしたい。だからこそ設計者オグドアドの残党として世界をやりなおすべく剣を握るのだ。夢中で剣を振るい、多くの敵を倒していく。ふと倒れた敵の顔を見つめるとそこには恨めしそうな友の顔があった……。


「イグアル!」


 叫び声をあげながら、フェルネスは暗い牢屋のような私室で目を覚ました。神殿の奥の院の近くにあるこの部屋には死臭が常に漂っており、赤い蝋燭の灯がかろうじて暗闇の世界を一部分だけ否定している。フェルネスが汗をぬぐい取った時、風と共に炎が揺れ、赤と黒の世界がせめぎ合った。そしてその端境を歩むかのように一人の青年が現れた。


「お目覚めになりましたか、フェルネス殿」

「……タダイか、今日はその姿で現れるのだな」

「有難いことに我が分魂の回収が進み、往時の力を取り戻しつつあります。それはさておき、奥の院に侵入者が現れました。四人ですが、いずれも猛者ぞろい。神殿には貴殿のような強者はおらぬ故、仕留めていただけますでしょうか」

「お主がやればよかろう。反抗的な鉄塔兵や出来損ないの魔人共を叩きのめしていたではないか」

「仕方のない事です。驕り高ぶった鉄塔兵や、実験動物に過ぎない魔人共に誰が主人か知らしめる必要がありましたから。しかしまだ魔人の大量生産は見込めず、質も低いままです。私はしばらく工房にかかりきりになるでしょう」

「分かった、同盟に基づき手を貸してやろう。部下のガルディメル、テトス、サウル、メルキゼデク、エドナを廟堂前に呼び出しておいてくれ」

「テトス殿は大廊下の戦いで命を落としております。またガルディメル殿は私の分魂と共に奥の院の大穴に向かい、まだ戻っておられませぬが?」

「……そうだったな。では彼ら以外の三人を呼び出してくれ」


 フェルネスは目を閉じて部下を思う。彼らは自分を王の子といい、忠誠を誓ってくれていた。他の魂と混在した今では思い出すことは叶わないが、ハドルメには王はいないはずだ。しかしそれでも協力者の存在はありがたく、今まで共に戦ってきた大切な仲間だった。だが、力を求めてトゥグラトの呪いを受け入れた結果、その仲間を一人失ってしまった。


「必ず世界を変えて見せる。だからしばらく地獄で待っていてくれ、テトス」


 フェルネスは心中でそう呟くと、ふと思い至ってタダイに疑問を投げかけた。奥の院へ意図的に潜入するとは、ただの物盗りではあるまい。いったいどういう輩なのか。バルアダンやアナトらは天と地の結び目ドゥル・アン・キに突き落としたはずだ。


「裏切り者のべリア、水の祝福者イグアル、その護衛が一人です」

「べリアか、望むところだ。しかし四人ではなかったのか?」

「最後の一人は後で来ることになりましょう。彼らを追って太陽の祝福者タファトが今しがた水路に入り込みました。先日、魔人共が他の太陽の祝福者を殺したため、最後にして最大の祝福を受けた娘となります。そのタファトだけは神殿で利用するため、生かしたまま捉えて欲しいとの、トゥグラト様の御命令です」

「タファトだと!」

「おや、お知り合いでしたか。しかし情けは無用ですぞ、イルモート神の力を以って世界を変えるためには非情にならなければなりませぬ」


 皮肉めいた表情を浮かべてタダイはフェルネスに宣告する。フェルネスの鼓動と息遣いが荒くなり、蝋燭の炎が大きく揺れた。


「良かろう。ただし、タファトに対し侮辱するような扱いは許さん。トゥグラトとは後で話をつける故、身柄はこちらで抑える。異存はないな」

「騎士道か、或いは情欲であるかは存じませぬが、どうぞ、お好きなように」


 怒りに震える男の、射るような炯眼けいがんを冷然と受け止め、タダイは闇に消えた。

 部屋に残ったフェルネスはヒトの形をした化け物め、と床に唾を吐きながら毒づいた。自らの魂を切り刻み、天と地の結び目ドゥル・アン・キにて自分の分魂を放つことで、あらゆる時代に存在し、神の為に行動してきた男、悪神達の忠実な下僕、トゥグラトと並ぶ人類の災厄……。そのような男と手を組まねばならない我が身こそ滑稽であろう。しかしそんな男がトゥグラトの指示で奥の院の大穴にて自らの分魂を回収しだしたのだ。最後の戦いが近いのは疑いようもない。


「勝つのはトゥグラトでもない、バルアダンでもない、俺だ」


 長剣を鞘から抜き、その刃に向けてそういい放った時、刀身に映った自らの顔が笑いだし、フェルネスは驚愕した。魂の器たる精神がざわめき、その笑い声が自分の頭に直接響いていることをフェルネスは知った。


「フェルネスよ、それでお主は最強になるのか」

「……恐らくは魔人化の折に吸収し損なった魂の残滓よ。黙っているがいい」

「今のままではトゥグラトにも、タダイにすらも勝てぬ。これではお主の父の方がまだ強い。まったく残念な事よ」

「父だと? 貴様、何者だ」

「ほう、過去にすがるか。それでお前が強くなるのであれば話してやってもいいぞ」

「……俺に家族はいない、また、いらぬ。ただ個人として強くなるだけだ」

「ならば何故、あのタファトという女のことが魂に映し出されるのだ。我らは同じ精神に住む魂。隠し事なぞ意味はない」

「黙れ、黙れ、黙れ!」

「取引をしようではないか。貴様の願いを二回だけかなえてやろう。力でもいい、知識でもいいぞ。ただし代償としてその体は我のものとなる。喜ぶがいい、神であるメルカルトの力をヒトの身で行使できるのだから」

「神だと……。貴様、いつから俺の体に巣食っている」

「ほう、それが一つ目の願いか?」

「ふざけるな、お前の目的は何なのだ。なぜ俺と手を組もうとする」

「最強になるためよ。ヒトの力を理解した時、我は神で最も偉大な存在となろう」

「神ごときが面白いことをいうではないか。……よかろう貴様と手を組むことにするぞ。ただし、俺の野望の邪魔をしたときは決して許さぬ」

「神ごとき、か。やはり親子だな、父と同じことをいう」


 刀身に映ったフェルネスは愉快そうに笑い、やがてその存在は消えた。

 家族か、フェルネスは嘆息する。木石ではない以上、当然だが自分にも家族はいたのだ。イグアルとタファト、ダルダとアルルのような温かい家族だったのだろうか。部下がいうように王の子なのか? いや、そんなはずはない。魂に刻まれたわずかな記憶はみすぼらしい家に住み、子供たちとティムガの草原で遊んでいた光景だ。身を寄せ合って長老の昔話を聞くといった、寒村で育ったはずなのだ。あるいはそれは今のフェルネスの魂のもととなった無名の男の記憶の一つかもしれない。ヤムによって魔人となった時、彼は複数の魂を掛け合わせ、自分の人格のみが残ったのだといっていたのだから。

 ただ一つ、確かな記憶は巨大な敵に勝利した男の後ろ姿だ。その背中を超え、最強を目指すのは、世界を救うが故に万人の敵とならざるを得ない自分自身の、せめてもの生きる目的であった。


「べリアよ、今度こそ貴様に勝つ。そしてイグアル、俺は忠告をしたはずだぞ。それでも向かってくるのであれば殺してやろう」


 剣を鞘に納め、フェルネスは廟堂に足早に向かっていく。石畳に軍靴の音が鳴り響く中、暗闇からタダイがその様子をじっと睨みつけていた。

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