第223話 懐かしき抜け道

〈イグアル、べリア、ティドアル、奥の院への潜入を試みる〉


 貧民街の細い路地をイグアルは息も絶え絶えに走っていた。振り返れば無数の白刃が背中に迫り、彼の衣服を切り裂いていく。よろめきながら奥の路地へ逃げ込むが、そこは袋小路となっており、わざと追い込まれたことは明白だった。古めかしい衣服を着た男たちがイグアルを取り囲み剣を振り上げた。


「なぜ、祝福者狩りをする! クルケアンの都市そのものが機能しなくなるのだぞ」

「お主らも祝福に拠らない都市を造ろうとしているではないか。我らはそれを早めてやろうというのだ」

「貴様ら、設計者オグドアドの残党か」

「あの理想倒れの集団と同じにしてもらっては困る」

「……ならばお前らは何者だ。トゥグラトの手先か?」

「新しいクルケアンを治めるのはヒトではない。だが、我らの奴隷として生かしておいてやろう。もっとも食料としてでもあるがな。さぁ、水の祝福者イグアルよ、忌々しいエルシードの眷属よ、死んで我が神の力となるがいい!」


 背後の壁以外、全ての方向から剣が振り下ろされ、イグアルは周囲に魔力の水膜を張りめぐらしてこれを防いだ。刃が弾かれる音にイグアルは安堵するも、禍々しい爪が水膜を切り裂く光景を見て絶句する。


「魔爪! 魔人の部隊だと?」

「諦めろ、ラシャプ様の力を得た我々に勝てるはずもない」

「……残念だ。私の力ではここまでだ」

「観念したか」

「あぁ、私に限ってはな」


 その時、強風が路地に吹き込んだ。鈍い音と共に魔人の一人が壁に叩きつけられ、仲間の一人が助け起こそうとして絶句する。魔人が抱えた仲間の下半身は地面にあり、腰斬されて吹き飛ばされたことを理解したからであった。黒い甲冑を着込んだ隻腕の男が、血まみれの大剣を無造作に床に滑らせながら、彼らの横を悠然と通り過ぎる。そして路地の奥でへたり込んでいるイグアルを軽く軍靴で小突き、その無事を確認した。


「イグアル、もう少し粘ったらどうだ。情報を引き出すのもお前の役割だろう」

「べリア殿! 十二分に粘りましたとも。護衛というならもう少し早く助けに来て欲しいものです!」


 べリアは鼻を鳴らして魔人たちに振り返り、大剣の切っ先を魔人たちに向けた。


「生憎だが尋問は苦手でな、敵を切り殺すことしかできない普通の市民に過ぎん」

「おのれ、おのれ、魔人の成り損ないめが!」


 べリアは不敵に笑うと、迫りくる魔爪に対し、大剣を後方に引いて巻き込むように体を回転させ一撃を放った。魔人たちは大剣が自身の爪や顔に食い込んだその刹那、絶望と共に世の理不尽を嘆くのだ。如何な超常の力を得たとしても、どうして火山のような、生物を超えた圧倒的な暴力に抗しきれよう。剣風が鳴りやみ、べリアの周囲には鉄塊で吹き飛ばされたかのような魔人の遺骸が転がっていた。


「ほう、一人はまだ生きているか」

「ひ、ひぃい!」


 魔爪と顔の半分を削ぎ取られた魔人が、路地から抜け出そうと走り出す。血だ、血が足りない。大通りに行って人を襲い、人血を以って傷を治さねば……。追う者と追われるものが逆転し、魔人は助かりたい一心で大通りにつながる最後の曲がり角へ飛び出した。


「何?」


 おかしい、自分は逃げおおせたはずだ。しかしなぜ自分の視界は低くなったのだろう。そしてなぜ、自分の体が目の前をふらつきながら歩いているのだろう。やがて自身の体が石畳に倒れた時、魔人はその体に自分の首がないことを知った。


「なまじ生命力が強いのも考え物だな。死してなお、おぞましいものを見るか」


 大通りから一人の剣士が現れ、魔人の頭蓋を両断した。


「ご苦労だったなティドアル」

「いえ、べリア様こそ……。手負いで助かりました」

「流石はバルアダンの部下といいたいところだが、お主の技量なら生け捕りにすることもできたのではないか? ガド小隊として多くの激戦に臨んだとウェルやザハグリムから聞いているぞ」

「べリア様と同じ視点で若者を見ないでください。手加減ができるのは圧倒的な強者のみです」

「まぁ、イグアルに敵に手心を加えろといってもできんだろうしな、それと同じか」

「イグアル様と比較されるのも忸怩たるものがあります」

「……お二人は私の護衛なのですぞ、命の安全も勿論、心の平安にも気を配っていただきたい!」

「いいではないか、節度を守る限り、誰かをからかえばその場は明るくなる。イグアル、お主のおかげでこの殺伐とした任務にあたることができるというものだ」

「何かいいくるめられている気がするのですが……」

「いえ、イグアル様。ガド小隊長からよくイグアル様のお話を聞いておりました。おかげで戦地に在っても部隊が明るくなったものです」

「……どんな話かな」

「タファト様の前ではいえないことでございます」

「……すまんが誰の前でもいわないでおいてくれ」


 イグアルたちはタファトの指示を受けて神殿の奥の院への潜入路を探していた。タファトがガド、バルアダンらに持たせた魔道具の角灯ランプの導きが、神殿の地下、恐らく奥の院へと繋がっていたためである。そこに時間と空間を超えた何らかの道があるのではないかと彼女は考えたのだ。しかし、神殿の回廊から奥の院に入る道筋は神官兵と神獣騎士団の警護で固められている。何か回廊の外縁部に抜け道がないものかと、回廊の出口でもあるラシャプ門、モレク門のあたりを調査していたのだ。


「昔、セト君がいっていたんだ。歴史的文献から調べる限り、魔獣の襲撃はこの二つの門に集中していると。そして我々は神殿が魔獣を作っていたことを知っている。ならば魔獣はこの二門を襲ったのではなく、神殿内部からこの二門の近くの抜け道を通って出てきたのではないか」

「魔人の襲撃の手際の良さといい、可能性は高いな。しかしあれだけの巨体だぞ? そのような抜け道がそうそうあるとは思えん」


 べリアは貧民街からクルケアンの巨大な北壁を見上げた。あの北壁に拠って自分は多くの魔獣を撃退してきたのだ。それが北東の黒き大地からの襲撃ではなく足元からであるとしたら、自分は何と愚かな騎士団長であったことか。

 ラシャプ門の警護の兵の詰め所が見え、べリアはティドアルに魔獣や異変について聞いてくるように促した。べリアは公式には死亡と発表されており、死人が兵に会うのはまずいのだ。戦場でもあったこの地区では顔を知っている兵も多いだろう、そう思ってティドアルを送り出したはずのべリアは、様子がおかしいことに気づいた。何やら警護の兵が興奮しているようなのである。イグアルはべリアの視線を受けて、細い水の流れを束ね空中に糸を作り出し、詰所の脇に置かれてある盾にその水糸を伸ばした。振動が魔力によって増幅され、こちら側につないだべリアの大剣が震えてひび割れた音をもたらす。


「ディクラ! ディクラじゃないか。生きていたとはな。覚えていないか? 昔、モレク門の衛士であったバジだよ。あの時、ディクラは新米だった俺に稽古をつけてくれ、といって棒で立ち向かってきたもんだ。懐かしいなぁ」

「……失礼ですが、私は飛竜騎士団のティドアルと申します。ディクラという者ではありません」

「そうなのか? 十年前に多くの孤児が神殿に連れられていってな、君はその子の面影があって……。いや、すまない。願望を君に重ねてしまったようだ」

「いえ、誰にでも思い違いがあります。ところで魔獣の被害や情報について聞き込みを行っているのですが、何か気付いたことはありますか?」

「そうだな、黒き大地への北伐からは被害が少なくなると思ったが相変わらずだ。ラシャプ門はまだいいが、モレク門あたりは衛士の死傷も多い。貧民街の真ん中に魔獣が出現するんだ。まったく外壁の連中は何をしているのか文句の一つでもいいたいよ」

「ありがとうございます。また何かあれば飛竜騎士団まで」

「お、おい、これだけでいいのかい」

「はい、結構です」


 べリアとイグアルは顔を見合わせた。何故、ティドアルは形式的な質問で終えるのだろう。まるで質問をしたことそのものが目的であるかのようだ。


「べリア様、イグアル様、衛士に聞いたところによると、北東、モレク門よりの排水溝に被害が集中している様子。下水やごみの匂いに魔獣が惹かれているのかもしれませんが、神殿地下から魔獣が現れるのであれば、その場所こそ怪しいでしょう。……べリア様、いかがなされた?」

「……いや、何でもない。排水溝は地下の下水に繋がっている。なるほど魔獣の出入り口としては格好の場所だと思ったのだよ。早速案内してくれ」

「かしこまりました。衛生的に問題がある故、汚れをふき取るための水や布を調達してまいります。少々お待ちください」


 ティドアルの離れていく背中を眺めながら、イグアルは不安をごまかすかのようにべリアに語りかける。


「恐らく我々が聞き漏らしたのだ。気になれば今の隙にあの衛士に再度確認を取ればいいではないか。それだけのことだ」

「いや、それはせぬ方がよい。我らが疑いを持てばあの衛士は殺されるかもしれん。奴が神殿の間者であればだがな」

「それは考えすぎでしょう! 私が水糸の操作を誤ったのかもしれません」

「いや、あのティドアルは只者ではない。少なくとも剣の実力はかなり高いぞ」


 最後の魔人が逃げた時、べリアはティドアルに時間稼ぎをさせて、背後から昏倒させるつもりであった。しかし、予想に反してティドアルは一合で魔人の首を刎ねたのだ。あまつさえ、石畳の上に転がった、兜をつけたままの頭部を両断したのである。それも剣に刃こぼれもなく、また石畳に傷もつけずに。力はともかく技量において自分に匹敵するはずだ。そんな男がなぜ小隊の隊員に収まっているのだろうか。


「な、ならばティドアルは魔人……?」

「いや、違う。同じ魔人である私からみても奴は人間だ。複数の魂を束ねた魔人というのは常人よりも魂の波動を感じるものだが、ティドアルの精神の内に魂は一つしか感じない。だが、イグアルよ、そんなことどうでもいいではないか。罠であれば敵を打ち倒してその数を減らし、味方であれば潜入路が確保できるのだ」


 私たちはついているぞ、とべリアはイグアルの背中を叩いて喜んだが、叩かれた方は諦めたかのように肩を落とした。


「お待たせをしました。では参りましょう」


 ティドアルが指し示した、モレク門から少し離れた草むらに錆びた鉄格子で塞がれた大きな排水溝があった。本来の目的は雨水を取り入れ、下水を海へ流すための水量を確保するためのものであろう。開閉式の鉄格子の鎖が真新しく光を反射している。そしてその鎖は内側で閉じられているのだ


「……これは錆ではない、血の跡だ。それに草が不自然に鉄格子の前で踏み荒らされている」

「なるほど、ここが魔獣の出入り口というわけか」


 べリアは大剣を振り上げ、鉄格子を破壊しようとするが、慌てたティドアルによって制止された。壊すと魔獣が貧民街に現れかねず、また、敵が潜入に気づいてしまうという正論を認め、べリアは剣を下げた。


「ではどうすればいいのか」

「もう少し先に、この排水溝へ通じる抜け道がございます。何、子供が遊びで使うために石壁をくり抜いた場所で、少々狭いが何とかなるでしょう」

「……なぜそれを知っている?」

「私はこのあたりの孤児でして、貧民街ともなれば遊ぶ場所もなく、悪戯好きの弟妹と探検とばかりに遊び場としておりました。まぁ、多くは悪戯をして逃げ込んだ彼らを捕まえるためでしたが」


 ティドアルは少し南に離れた場所にある、建設当時の北壁の土台となった古い石壁を懐かしそうに叩いていく。やがて乾いた音がした箇所を古い意匠が施された短剣を利用してくり抜き始めた。


「長年使っていなかったので、時間を取らせました。子供心でしか覚えていないのですが、ある程度は案内できましょう。さぁ、お入りください」


 暗闇に足を踏み入れながらイグアルは考える。大都市クルケアンの地下水路はこの四百年手入れがされていない。それほどに月や水の祝福を用いて堅牢な上下水道を整備したと聞く。要塞のようなその水路の外壁に抜け道を作れるものだろうか。子供でも石壁をくり抜けるのであれば、このクルケアン自体、過去に崩れ去っているであろう。しかし、ティドアルが嘘を言っていたとは思えない。石壁を叩きながら浮かべたあの柔和な笑みは、間違いなく過去を思い出してのことだ。

 長年使っていなかったと彼はいった。いったいどのくらいなのだろう。短剣で石材の割れ目を切り出さねばならぬほどの時間が経っているのだろうか。十代後半の少年にしてはその表現はおかしいのだ。そして水の祝福者である自分が見間違う筈もない、あのエルシードの意匠の短剣……。


 敵ではない、それは直感的に感じている。だが、味方なのだろうか。イグアルは水路の縁に立ってティドアルの後ろ姿を見つめていた。

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