第222話 ウェルとザハグリム③ 月夜の舞踏会

〈ウェル、大広間にて貴族を見下ろしながら〉


「誰だ、お前は」

「あたしはウェル、このザハグリムの婚約者だ!」

「その下品な態度、貴族ではないな? ザハグリムも焼きが回ったもんだ。こんなあばずれを妻にするとはな」

「お前らにはこの人の美しさが分からないのか!」

「お、おう、そうだ、あたしの美にひれ伏すがいい!」


 静寂の後、貴族の哄笑が大広間に響いた。むぅ、少しいい過ぎたかもしれない。こんなきれいな服を着ているから少しは効果があると思ったのだが。


「あんたら、貴族、貴族っていうけれど、一体何ができるというんだい? 神殿を利用してクルケアンを支配する? 自分の力で成り上がろうって気はないのかい!」

「小娘こそ何ができる。さぁ、さっさと降りてこい山猿め」

「そうだね、あんた達を叩きのめすことはできるさ! それともあんたらは山猿一匹引きずり下ろすこともできないのかい? あぁ、まったく情けない。貴族の男共は神殿や軍に守られないと何もできないお姫様か!」


 大柄の男が怒りに満ちた表情で円卓に上がり、拳を握る。そうそう、それでいいんだ。分かりやすい方が楽しいだろう?

 相手の振り下ろした拳を、しゃがみ込むように勢いをつけて掻い潜り懐に潜り込む。そして円卓が軋むくらいの踏み込みから相手の顎を打ち抜いた。何故かザハグリムが相手に対して同情の目を向けている。


「よーし、よく向かってきたな。では次、根性のある奴からかかってこい! いいか最後に挑んだ奴が男として一番の役立たずだ! 挑まない奴は羊か豚さ!」


 分かりやすく顔に血を上らせた貴族共が我先にと円卓に登ってくる。一人を蹴倒し、二人目の顔に肘をいれて昏倒させる。軽く息をついて、ザハグリムと背中を合わせた。


「ザハグリム、後ろは任せたよ。戦場を知らない貴族の二十人や三十人、もう敵じゃないだろう?」

「勿論、ハドルメの兵達との模擬戦に比べれば遊びのようなものです」

「よくいった。じゃ、いくよ!」


 背後で小気味よい音が鳴り響き、怨嗟の声と円卓から放り投げる音が聞こえる。頼もしくなったじゃないか、ザハグリム。

 負けじと次の相手を待っていると、貴族たちの間で大きく歓声が上がり、最初に叩きのめした男が再び目の前に立ちはだかった。


「その気概や良し! それはそうと、お前ら、こいつがあたしに勝てると思うのかい!」


 半数の賛同と半数の落胆の声が下から湧き上がる。


「だってさ、半分はあたしに勝てないってよ」

「ふん、勝てるまでやるさ」

「おう、挑むがいいさ、あんた、名前は?」

「アジル、ピエリアス家のアジルだ。ウェルよ、貴様の家名は何という」


 後ろでザハグリムが固まる気配を感じた。ごめんね、ここで嘘はいえないや。だって私は貧民街の生まれを辛いとは思っても後悔はしていないんだからさ。


「みんな、よく聞け、あたしの名はウェル! 家名も一門名もない、ただのウェルだ!」

「貴様、平民か! よくもこの上層に忍び込んだものよ、その細腕を叩き折って貧民街に落としてくれ……」


 アジルの言葉が終わらないうちに、あたしは回し蹴りをその腹に見舞った。そして、アジルが身をかがめた隙を逃さず股間を蹴り上げる。アジルは泡を吹いて崩れ落ち、男たちの同情の悲鳴を受けながら、数人を巻き込んで倒れていった。


「平民の女は貴族のお嬢様と違って蹴りを嗜んでおります。以後、お気をつけあそばせ」

「……先輩、平民の女性も足技なんてしないものです。貴族に誤解を与えないでください。それに、一応その服を着ているので、そのう、裾に気を付けてください」

「仕方ないじゃないか。戦いにくいんだから」

「心配です。先輩は舞踏会でも相手を捻りそうですから」

「心外だな、なら一度踊りの相手をしてやるよ、その時になって後悔するなよ」

「ええ、楽しみにしてますよ」

「よし、次だ! さぁ、上がってこい!」


 貴族たちの雰囲気が少し変わってきた、怒りや見下しなどではなく、純粋な喧嘩を楽しんでいる感じだ。次は俺が挑戦するぞ、いやこちらが先だ、と争って私やザハグリムの前に立つ。いつの間にか競技のように規則ができ、一対一で戦うこと、円卓から落ちれば交代することなどが決められていく。全く残念だ。当事者でなければ賭け試合にして胴元になるものを……。夢中になって叩きのめしていると、いつの間にか眼下には青痣だらけの貴族が体を重ねて呻いていた。その中で一人の男がよろめきながら立ち上がり、這うようにして円卓に登ってきた。


「お、アジルじゃあないか。待ちわびたよ」

「おのれ、始まりの八家であるピエリアス家を愚弄しおって……」

「家を馬鹿にしたんじゃないよ。あんたを馬鹿にしたんだ。ただのウェルが、ただのアジルをね。家もいいだろう、一門もいいだろう。だが、この場において必要なのは個人の矜持だけさ。ザハグリム、この男が最後だ。あんたの矜持を見せておくれ!」


 こちらもぼろぼろになったザハグリムがアジルと向き合う。あたしの負担を軽くするためだろう、六割ほどの貴族を引き受けてくれたのだ。無理をさせるが、それでも最後はあんたが締めなきゃいけない。ただのザハグリムの強さを見せるんだ。そしてその上で在るべき貴族の矜持を背負って欲しい。


「アジル、やっちまえ! 相手はもうボロボロだ」

「大したものだ、ザハグリム! 二十人はのしてしまったんだからな」

「ザハグリム、盟主面するなら勝って見せろ!」

「いいやアジル、俺達の仇を取ってくれ!」


 二人の名前が連呼され、貴族たちの拳が天井に突き上げられる。私は観客に徹しようと円卓を飛び降りた。気の利いた貴族が椅子を引き、あたしは足を組んでザハグリムの名を叫んで応援を始める。


「アジル、どうした? 笑っているじゃないか」

「ふん、半刻前と世界が変わったわ。下賤な者の真似をしての喧嘩騒ぎ、案外楽しかったぞ」

「……そういえば、幼い時にお前と喧嘩をしたっけな」

「あの時は俺が勝った。覚えているか、お前は泣いていたんだぞ?」

「今日、私が勝ってお前が泣けば引き分けだな、アジル」

「可哀そうに、婚約者の前で涙を見せることになるとは。同情するよ、ザハグリム!」


 双方、避ける体力もなく、ただ拳を互いの顔にぶつけていく。二人の顔は腫れあがり、まるで蛸のようになっている。可笑しくて笑い声をあげると、横にいる貴族が引きつった顔で笑った。


「そういや、ザハグリムよ、何で俺達はあの時に喧嘩をしたんだ?」

「お前が私の気になる女の子の手を引いて奪おうとしたからだろうが!」


 アジルの一撃をまともに顔面に受けて、口から血を吐きながらザハグリムがそう吐き捨てる。


「ならば、今回もあの娘を奪っていくぞ?」

「先輩は、先輩だけは奪われはせんぞ!」

「先輩?」


 貴族たちの声が大広間を圧し、二人の拳がそれぞれのこめかみを打ち抜いた。ずるりとアジルがザハグリムの胸に倒れこみ、ザハグリムはそれを支えるように肩を組む。


「勝者、ザハグリム!」


 あたしの声が大広間に響き、貴族たちは床にへたり込んだ。大きなため息とそれに続く笑い声の後、全員の視線があたしに集まった。息を思いっきり吸って大声を出す。


「お前たち、結構やるじゃないか、見直したよ。自分の力を出し切った感想はどうだい? 美食や美酒や美女よりも面白いだろう。それにザハグリムを見ろよ! たった月でこうも変わったんだ。それは貴族だからじゃない、個人としてのザハグリムが強くなったんだ」


 血と汗に塗れた顔がザハグリムの方に向き、貴族たちは納得を以って頷いた。良かったね、ザハグリム。あんたは家ではなく実力でこいつらの盟主になれたんだ。そしてあたしは椅子から立ち上がり、腰に手を当てて貴族たちを見下ろしてこういったのだ。


「だからあんたたちも強くなれ! 神殿を利用する? ちがう、神殿と喧嘩するんだよ。クルケアンを支配する? それでも老いぼれた大貴族の下じゃないか、今までと何が違うんだい。あたしとあんたらでクルケアンを創るんだよ。強くなりたい思う奴は十日後の夜に大廊下に来て欲しい。少なくとも面白くなることだけは貧民街のウェルと、このザハグリムが保証するよ」


 その時、入り口から警護の兵と貴族が抜剣してなだれ込んできた。


「ザハグリム殿、カフ家に問い合わせたが、貴方に婚約者などいないとのこと。我らを謀るのもいい加減にしてもらいましょう。娘よ、平民の分際で許可なく上層に侵入した罪、牢で後悔するがいい」


 あたしは裾をめくり、小ぶりの双剣を取り出した。ザハグリムが眉間に皺を寄せて苦言をいう。


「先輩、淑女は裙子スカートに剣を仕込んだりしないものですよ」

「そうか、そいつは知らなかった。次の喧嘩の時には気を付けるさ」


 あたしはザハグリムに片目を瞑り、彼に剣を一本放り投げると警備の兵に突入していく。拳もいいがやはり手になじんだ剣もいい。次々と警備の兵と貴族を打ち倒していくと背後から歓声が聞こえてくる。振り返らずに忍び笑いをして、あたし達はそのまま大塔まで駆け込んだのだ。


 三十三層、学び舎前の広場まで逃げ帰った時にはもう日が暮れて月の光が差していた。さて、何人の貴族が味方になってくれるだろうか。多少、やり方が間違ったような気がするが……。ぼろぼろになった服を見て深い溜息を吐く。せっかくユディさんが用意してくれた服なのに。後で謝りにいかなくちゃ。


「ザハグリムごめんね。服は台無しにするわ、貴族のふりはできないわ……。少しだけ憧れはあったのだけど、ほら一応女の子だしね」

「いえいえ、先輩、とてもお綺麗でした。それに貴族らしいふりをもうしばらく続けていただけますか?」

「どういうこと?」


 ザハグリムが胸に片手を当て、軽くひざを折って広場の前で手を差し出した。その意図を察して私は彼に自分の手を重ねる。月の光が彼の背中越しに差し込んで、その表情は影となってよく分からない。まったく不公平だ。こちらは光を正面に受けているのだから。

 少しだけ上気した顔に力をいれ、月明りの下で、彼の誘いのままに軽やかに踊る。


「どう、ザハグリム、あたしの踊りはなかなかのものでしょう?」


 わざと態勢を入れ替え、男の顔を月光にさらしてその表情を確認すると、私は今日一番の笑顔でそういったのだ。

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