第204話 神々の廟堂

〈タダイと貴族たち、クルケアンにて〉


「アスタルトの王が婚姻し、ハドルメのお調子共が浮かれているらしい」

「バルアダンめ、口では和平を唱えながら、西からクルケアンに攻め入るつもりではないか」

「そうだ、流浪の草原の民など、我らの街並みを見れば涎を垂らして我が物にせんと思うに決まっている。文明の何たるかを知らぬ野蛮人に渡してたまるものか」


 バルアダンとサリーヌがギルアドの城で華燭の典を挙げた数日後、クルケアンでは貴族たちが酒の匂いをその身に漂わせ、互いの陰湿な顔を突き合わせていた。


「情けない貴族共よ、剣を取りバルアダンと戦おうという者はいないのか」


 只一人、素面であるタダイは彼らを挑発するように、貴族という言葉に悪意を込めていい放った。


「神官兵の分際で、我らを愚弄するか!」

「民が嘆いておるぞ、先のハドルメとの戦いでも先陣を切ったのは主戦派のお主らではなく、和平派のハガル将軍であった。怖気づいて逃げ出したのだと子供が街角で歌っておるわ」

「恩知らずの平民共め。誰のおかげでクルケアンに住めると思っているのか!」


 気勢を上げたその声は、しかし急速にしぼんでいく。何より彼らが一番分かっているのだ。力もなく、知恵もなく、崩れかけている足場に必死でしがみついている惨めな自分たちの姿を。


「魔人戦争でバァルと共に戦い、神が去った後にこのクルケアンを築いた英雄たちの子孫よ、民の尊敬の目を受けるのはバルアダンではない、その視線はお主たちが受けるべきであろう。英雄の子たらんと欲するのであれば、策を授けてやろう」


 タダイは貴族たちに時に貶め、時に甘く、その言葉を投げかけていく。そうだ、我らは英雄だ、英雄の子孫なのだ。出自さえ定かではないバルアダンを排除し、民に正当な支配者は誰か知らしめるべきなのだ……。数十対の暗い双眸が、タダイに向かう。


「神殿の奥の院には古き神々の力が眠っている。英雄の子孫であるお主らであれば、その力の一端を受け継ぐことができよう。それこそが神の血の受け皿である諸君の義務であり栄誉なのだ。神の力を以ってバルアダンに挑むがいい」


 貴族たちは天啓を受けたかのように席を立った。


「それにもう一つ策を教えてやろう。バルアダンとて人間。背後からの一刺しで殺せばいいのだ」

「しかし、クルケアンの人間なら疑われる可能性が高い。誰を暗殺者として向かわせるのだ?」


 敵中に身を置くのである。また信頼を得るまでバルアダンたちに阿り、屈辱に耐えねばならないのだ。相手を推薦する声が次々にあがり、タダイは家畜を見るような眼を彼らに向ける。


「すでに人選は済ませてある。紹介しよう、いや紹介する必要はないな、お主らもよく知っている御仁だ」


 扉の奥から長身の男が乱暴な足取りで現れた。一同はその男の姿を見て驚愕する。確かに見知った男である。そしてそれは味方ではなく敵陣でその姿を認めていた男なのだ。


「ヤバル将軍!」


 ハドルメの将軍ヤバルがそこに立っていた。苛立ちを鎮めるように剣の柄を握りしめ、敵対する貴族に対して休戦を申し出たのだ。


「貴様らクルケアンの臆病共と慣れ合うつもりはない。しかしあのバルアダンらを追い落とすまでは協力しよう。その後はクルケアン、ハドルメで雌雄を決しようではないか」

「ふん、ハドルメの狂狼めが、せいぜいあのバルアダンに尻尾を振って隙を見つけることだ。貴様が成功すれば良し、失敗すれば我らが神の力で落ち滅ぼすのみだ」


 ここにクルケアンとハドルメの偽りの同盟が結成された。問題があるとすれば彼らは国の代表ではなく、民から見放された有力者にすぎないという点であった。しかし彼らはアスタルトへの憎悪と、いずれ自らが国の頂点に立つと信じて疑わない点で共通していたのである。


「ではヤバル殿、私と共に」


 タダイはヤバルを伴い、奥の院へとその足を向けた。貴族に向けてその憎悪を向けたヤバルであったが、タダイに対してはやや遠慮がちに接している。


「タダイ殿、例の薬は手に入るのでしょうか」

「安心なされよ、もう少し時間がかかるものの、目途はつきました。かの薬であれば、必ず婚約者のイスカ様のお命を救うことができるでしょう。勿論、宿されている御子もです」

「ありがたい、感謝します」

「何、神殿からすればクルケアン、ハドルメの国がどうなろうと神を信仰する民がいればよいのです。その代わり、両国が戦争となっても民への被害は最小限にしていただきたい。貴族は全てを巻き込もうとするので困っているのですよ」

「お約束いたします。我らハドルメが憎むのはあの貴族の横暴さのみです。むしろ決着の後には、貴族を排し、神殿主導で政治を行っていただければ安心するというもの」

「お互いに貴族が邪魔というわけですな。さればヤバル殿、後ろめたいことは何もありませぬぞ。我らは同志です」

「かたじけない」


 ヤバルは前を歩くタダイの表情が分からないことに一抹の不安を抱きつつ、階段を下りていく。仕方ない、今は彼にすがるしかないのだ。魔力が強いがために体内で暴走し、いつ命を落とすかもしれないイスカを助けるためには遥か西方にあるという神の二つの杯イル=クシールと呼ばれる神薬を何としてでも手に入れなければならないのだ。ヤバルは不安を信頼に無理やりに塗り替えてタダイの後に従って歩いていく。


 やがて二人はところどころ赤く染まった鉄門を抜け、狭い回廊に入った。あの赤い色は血なのだろうか、ヤバルは漂う腐った血の匂いに辟易しながらそう考えた。


「魔人戦争の折、戦った神はバァル、イルモート、エルシードの三柱だけではなかったのです。ダゴン、モレク、メルカルト、ラシャプなどの神々も共に立ち上がりました」

「海の怪物のダゴン、人血を啜るモレク、死の象徴メルカルト、疫病のラシャプ、いずれも悪神ですぞ!」

「それは間違った伝承です。神々にも対立があったのです。天の広寒宮の支配をめぐり敗れた神々がその四柱でした。神は地上へと降り立ち、二度と天に帰らず、ヒトと共に生きようとしたのです。ダゴンは海に豊穣をもたらし、モレクは魂の穢れを血を浄めることで果たし、死を司るメルカルトは生の象徴でもあります。そしてラシャプは死と向き合い薬草の知識を伝えたのです」


 恐らく、バァルなど他の神々を信仰する人々が悪意を持って真実を捻じ曲げたのでしょうな、と肩をすくめてタダイは笑い飛ばした。


「魔人との戦いにおいてはヒトを守るべく、悪神とされた神々も立ち向かったそうです。そして次に魔人が出た時に備えてその御力をここに封印したのですよ」

「な、なぜそれをご存じなのですか、まるで見てきたかのようにタダイ殿はおっしゃる」

「代々の神殿長の言い伝えです。いや、すこし話に色をつけすぎたかもしれません。ご容赦を」

「タダイ殿も案外冗談がお好きですな」


 二人はやがて中央の大穴の縁をなぞるように回廊の奥へ進んでいく。その穴の底は見えず、またなにやら揺らぎが生じているようにも見える。


「あぁ、その穴を直視しないでいただきたい。この穴の底にはイルモート様の肉体が眠っておられる」

「それも言い伝えなのでしょうか」


 もはやタダイは何も答えず、権能杖を床に叩きつけながら、ヤバルには聞き取れない言葉で祈りを捧げている。暗い回廊に赤い灯が現れ彼らの道を示していく。それはゆらゆらと揺れて、侵入者を確かめるかのように、ヤバルの顔を撫で赤く染め上げていくのだ。


「タ、タダイ殿……」

「着きました。ここが歴代の神殿長の廟です」


 そこは大きな棺が並ぶ巨大な廟であった。神聖な、とは言い難い。なぜなら棺の周辺にはまるで動物の食事の後の様に、血が滴り骨が散らばっているのだ。


「神殿長の廟だと?ここが奥の院だというのですか」

「然り、さぁ、お主はそこで待っているがよい」


 口調が変わったタダイに気圧され、ヤバルは四つの棺の前に立ちつくした。タダイは権能杖を掲げ、月光が棺を照らしてく。


「月の祝福者……!」

「我が主よ、御身の魂の器を連れてまいりました、後日生贄を捧げます故、この者に力を与えたまえ」

「生贄だと、タダイ、何をいっている?」


 棺に覆いかぶさっている巨石が動き出し、床に鈍い音を響かせて落下した。ヤバルはそこに黒い手が出現するのを見た。見てしまったのだ。


「喜ぶがいい、偉大なる神の一柱、メルカルト様が力をお授けになる。器に足りうると思って連れてきたが、それは叶わぬようだ。しかしバルアダンを倒すくらいのことはできるだろう」


 ヤバルは既にタダイの声を聞いていなかった。目の前を歩いてくる黒い恐怖が、彼に他に意識を向けることを許さないのだ。やがて頭を鷲掴みにされたヤバルは絶叫をあげて意識を失った。

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