第188話 上官と部下と

 魂無き疫神がクルケアンの兵達を襲っていく。その振り下ろした爪の一撃も脅威であるが、厄介な事は疫神の吐く息を吸った兵が次々に倒れ伏していくことだ。バルアダンは集団で相手取るのは不利と考え、旅団を後方に下げるべく指示をしていく。


「オシール殿、あの禍々しい獣をお願いしてもよろしいか。私はフェルネスとの決着をつける」

「本来ならば私が相手をしなければならない男だ。両親を失ったあの男の面倒を見たのは私とシャマールであったのだから」

「あの疫神と敵兵を相手取るのは貴方の飛竜騎士団しかありませぬ。それに……」

「それに?」

「私も挑戦したいのですよ。尊敬していた上官に」

「……分かった。しかしお主の中隊を借り受けるぞ、それにガムドの部隊もだ」


 頷いて了承の意を示したバルアダンは、タニンを駆ってフェルネスの正面に位置付けた。彼らは天と地の結び目ドゥル・アン・キの穴の上に在って、しばしの間睨み合う。


「フェルネス、久しぶりです」

「バルアダンか、この時を待ちかねたぞ!」

「フェルネス?」


 バルアダンは敬愛していた元上官が、いつもの冷静さと余裕を失っていることに気付いた。彼の乗騎であるハミルカルを御すのも力づくであり、前に施薬院で戦った時のような信頼関係を見ることができないのだ。そしてハミルカルは主人の意に沿おうと悲しげな声で鳴いていた。変わったのはフェルネスだったのだ。


「貴方の目的はなんだ、フェルネス」

「ふん、この世界を全て無にするのだ。そして、そして……」


 フェルネスは手を震わせながら右肩を抑えた。トゥグラトが癒着させたべリアの右腕から赤い光が漏れ出し、全身を覆う。数瞬の後、再びバルアダンを睨みつけたその眼には狂気の色が宿っていた。


「ただ一柱の神が支配する世を創るのだ」

「フェルネス……」


 誰が彼をこうまでも変質せしめたのか、バルアダンは疑問に思う。ヤムの魂はすでになく、アバカスはアスタルトの家に与した。つまり設計者オグドアドではない。そう言えば、フェルネスの部下も彼と同じように目が赤く光っていた。赤光はイルモートの象徴であり、それ祀っているのは……。


「やはり神殿か!」

「問答は無用だ。バルアダン! 俺はお前を倒し、べリアをも倒す」


 バルアダンは、サリーヌからの報告でフェルネスはべリアの右腕をつけているはずだと聞いていた。フェルネスの右肩からは疫神と同じような腐臭が漂い、異様な魔力が漏れ出でている。彼が技と力において以前よりも強くなっている事は疑いようもない。しかし、それは強さと言えるのだろうか?


 竜達がお互いに背後を取ろうと穴の上で旋回を始める。やがて竜は回転しながら竜巻のように上昇していった。わずかにハミルカルの方が早く上昇し、そのまま宙返りを行い急降下する。タニンも続いて急降下を行い、バルアダンは下方のフェルネスに向けて槍を投擲するための狙いをつけた。


「易々と狙いをつけられると思うな!」


 フェルネスはハミルカルの手綱を引き締め、左右にぶれながら回転をしていく。バルアダンが躊躇う間に、ハミルカルは下降中に閉じていた翼を一気に広げて速度を落とし、タニンに自らを追い越させたのだ。今度はフェルネスがバルアダンの背後を狙う番だった。しかしタニンは背後を意に介せず落下速度を上げていく。遂に穴の中に入った瞬間、タニンがちらりとバルアダンを睨んだ。


「何か無茶をしようって目だな。できるだけ上品にしてくれよ」


 タニンは、ため息をついたバルアダンの様子を了承と受けとめた。終端速度に近い速さのまま、半回転をして上昇に転じようとする。しかし、急上昇は敵わず、そのまま壁に向かって突き進んでいったのだ。


「愚かな、穴の横壁に激突するつもりか」


 如何に武の祝福者とはいえ、この速度で壁にぶつかれば命を失う。何とも興ざめな結末だ、そうフェルネスは考え、唇を噛みしめた。


「行け、タニン!」


 タニンが激突の寸前、翼を大きく羽ばたかせて姿勢を変えると、その強い四肢で力強く壁を蹴り上げたのだ。虚を突かれたフェルネスに対し、上昇するバルアダンはすれ違いざまにその槍で薙ぎ払う。フェルネスの腹部の甲冑が割け、赤い血がハミルカルの背中を濡らしていく。主人の危機にハミルカルは危険を承知でタニンと同じ方法で急上昇し、その後を追っていく。


 穴から飛び出た二匹の竜は遥か上空において反対方向に大きく一回転を始めた。その軌道が交わる円の下方の一点で、竜達は最高速度でぶつかるつもりであった。その一点において、鞍上の主人がその技と力を凝縮した一撃をもって勝敗を決めるために。


「べリアに宿りし、武の祝福よ、今こそその力を俺に!」

「フェルネス、私は貴方を超える!」


 二人は互いの体をぶつけるように槍を突き出した。フェルネスの槍がバルアダンの腹部を貫き、バルアダンの槍はフェルネスの肩を穿った。人も竜も身を抱き合うように再び穴に向けて落下していく中で、フェルネスは歓喜の声を上げていた。


「勝ったぞ、バルアダン!」

「まだだ、フェルネス!」


 重傷を負ったバルアダンが左手で剣を抜き、それに気圧されたフェルネスも左手で剣を構えた。それぞれが喉元に剣を突き刺そうとした瞬間、黒い大きな影が頭上の陽光を遮った。


「そこまでだ、二人とも」


 もう一体の竜がタニンとハミルカルの脚を掴み、もう一人の人間が片手で二人を掻っ攫うように抱きとめた。

 衝撃から立ち直ったタニンとハミルカルに向けてその人物はそれぞれの主人を投げつけた。タニンは重症のバルアダンの治療をすべく、地上で戦っているはずのサリーヌの姿を求めて飛び去っていく。


「べリア!」

「バルアダンを破ったか。それは武の祝福によるものか、お主の力か?」

「……お前の祝福を取り込んだ俺の力だ、そしてここでお前も倒そう、べリアよ」

「既にバルアダンに右肩を吹き飛ばされているではないか。それに腐り落ちそうなその腕で私に勝てるつもりか?」

「無論」

「戦場の指揮はどうする? 戦うのは良いが、お主、将としての務めを疎かにしてはおらぬか」


 フェルネスははっと周囲を見渡した。そういえば何故べリアがここにきているのだ。そして彼はべリアの背後に神獣の姿を認めたのである。アナト率いる神獣騎士団第三連隊の七十余騎がそこに在った。

 シャヘルは、そしてトゥグラトはなぜ第三連隊の出兵を止めなかったのだと、フェルネスの心中に疑惑の黒い炎が上がっていく。


「べリア殿、ヤムの亡獣をしとめてまいります。ご武運を」

「アナト、この坊主は私が引き受けた。さぁ、どうする、フェルネス? 戦況はこちらに有利に傾いたぞ」

「簡単なことだ。お前を殺してアナトも殺す」

「ふむ、戦意が高いのは結構なことだ」


 フェルネスとバルアダン、そして、べリアとフェルネス。元上官と部下の戦いは、バルアダンの退場とフェルネスの立場を変えて継続されたのである。


 両者は槍を構え、拍車を竜に叩きつけて上空で激突した。

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