第187話 ドゥル・アン・キの戦い


〈天と地の結び目にて〉


 フェルネス率いる兵団の馬蹄が戦場に轟いていく。

 鉄塔兵が騎乗する馬は人界のそれより二回りは大きく、彼らが所持する鉄槍は人の腕程大きい。バルアダンは数で勝るとはいえ、その質において自軍が不利なことを悟らざるを得なかった。この巨大なくぼ地の外側は石灰岩でできており、地上に突き出した岩と大小の穴が無数に存在し、小部隊や弓兵はともかく、歩兵と騎兵は外側に展開することができないのだ。敵味方共に巨大な穴である、天と地の結び目ドゥル・アン・キを横目に正面で戦うしかない状況だった。


 クルケアン軍の陣容は兵の総数約千二百、内、騎兵百、歩兵千、弓兵百で構成されている。そして別動隊としてガムド率いる魔人狩り部隊とオシールが率いるハドルメ飛竜騎士団の十騎が独断専行権を持ち、機を窺っていた。サリーヌはタニンを駆ってオシールと共にあり、その祝福の力を持って戦局を変える役割を任せられている。バルアダンは自らの中隊を周囲に配置し、短筒槍アルケビュス火槍マドファを装備させていた。

 バルアダンはくぼ地の縁に延びるように斜めに旅団を配置し、彼自身はその先頭にあって敵を迎え撃つことを決心する。


天と地の結び目ドゥル・アン・キに敵を追い落とせ!」


 バルアダンの指示に兵達の喊声が応えた。両軍の距離はたちまち十アスク(約七十二メートル)にまで近づき、無数の矢が鉄塔兵の頭上に降りかかる。彼らは夏に蚊を払うように小煩げに手で矢を払うと、クルケアンの兵を馬蹄で踏みにじるべく躍りかかった。


「ヒトよ、死んでこの世界の礎となるがいい」

「させるものか、クルケアンとハドルメは私達が守る!」


 敵兵の怒号にサリーヌが決然たる意志を持って叫び返す。横にいたオシールはそれを聞いて嬉しそうに笑う。サリーヌは権能杖を振り下げ、土槍を鉄塔兵の前に出現させた。フェルネスの連隊にしたように敵の勢いを減じようとするが、鉄塔兵がその槍を突き出すと、土槍はもろくも崩れ去っていくのだ。それは剛力でも技でもないことは明らかであった。


「敵、祝福を込めた武器を所持!」


 サリーヌの叫びにバルアダン中隊の面々は緊張して自らに与えられた武器を握りしめた。サリーヌは自らの術が破られながらも冷静に距離を測り、火槍マドファの有効距離圏に鉄塔兵が入る瞬間を狙って部下のラザロに指示を出す。


「第一小隊、火槍マドファ、斉射」


 四門の砲が、タファトの祝福を籠めた弾丸を射出する。その弾は一度に数人を貫き、轟音を立てて爆発していく。先駆けの十騎ほどの兵が落馬するが、後続の鉄塔兵は構わずに味方を踏み潰していき、遂にバルアダンの眼前に辿り着いたのだ。バルアダンは長剣を抜き、鉄塔兵に斬りかかった。


 鉄塔兵は馬上の優位を確信して槍を振り下ろす。武の神バァルの祝福を受けたこの槍にかかれば、ヒトの武器や甲冑など乾酪チーズよりも容易く貫き通せるはずだった。しかし彼らが次の瞬間上げた声は勝利の声ではなく、驚愕の声であった。


「何故だ、何故この鉄槍が通用せぬのだ!」


 バルアダンの長剣が鉄槍を両断していく。彼に迫る鉄塔兵の勢いは、むしろバルアダンの剣撃の威力を高め、槍と共に腕や足を斬り飛ばされるのだ。

 死を振りまく暴風のようにバルアダンは軍の最前線に在って鉄塔兵を屠っていく。無論、バルアダンとて後ろにまで目があるはずもなく、鉄塔兵は数騎で取り囲み、同時に突き刺そうとするのだが、第二小隊のウェル、ザハグリム、ティドアルの短筒槍アルケビュスに阻まれてしまうのだ。至近距離からの発砲に馬は驚き倒れ、体内を穿ったその弾丸は臓腑を焼き尽くす。既に十騎ほどが倒されると、鉄塔兵はバルアダンの護衛であるウェルに標的を定めた。


「小癪な小僧め、まずはお前から地獄に贈ってやろう」

「誰が小僧だ、こんな麗しいあたしに向かって!」


 一騎がバルアダンに捨て身で踊りかかり、その隙に三騎がウェルに迫った。ウェルは短筒槍アルケビュスで一騎を屠るものの、残った二騎に取り囲まれ、その鉄槍が迫るのを見て覚悟する。


「ウェル先輩、危ない!」


 ザハグリムが長剣を抜いて鉄槍を弾くが、乾いた音が聞こえたと同時に自らの剣が折れれたことに気づく。それでも彼はウェルの前に立って短筒槍アルケビュスを構えて鉄塔兵に向き合った。


「共に串刺しになるがいい」


 第二小隊のティドアルが彼らを助けんと長剣を振るい、すれ違いざまに一騎の首を打ち落とすものの、それと同時に残る一騎の鉄塔兵がザハグリムの胸に槍を突きつけようとしていた。間に合わないと知ったティドアルの叫びが響き渡る。しかし、血煙を上げて倒れたのは鉄塔兵の方であった。


「隊長……!」


 まともに打ち合っては救援に間に合わぬと知ったバルアダンが、力任せに馬ごと敵を叩き切ったのである。返り血を浴びながら、かつては人馬であったその物の中央から歩み出たバルアダンに鉄塔兵は恐怖する。


 最前線ではバルアダンが激流に逆らう川中の大岩のように敵の勢いを防いでいたが、それ以外の戦場では鉄塔兵が優位に進めていた。しかし彼らがクルケアンの軍を突破することはできなかった。先頭のバルアダンを点とし、後方に行くにつれて斜めに陣は分厚くなっていくクルケアンの陣に対して、鉄塔兵が弱兵とみなした後方に馬首を巡らせば、サリーヌの指示の下、第一小隊が火槍マドファを側面から打ち込むのだ。例え彼らが後方に達しても、歩兵が盾をかざして防御を固め、突破しきれぬうちに頭上からガムド率いる魔人狩り部隊に火槍マドファを撃ち込まれ、戦局は停滞したのである。

 しかし、それでもバァルの祝福を受けた鉄槍は、歩兵の盾を砕き、その陣を圧していく。クルケアンの死傷者が緩やかではあるが増加していく状況で、このままでは負けるのではないか、とサリーヌが考えた時、タニンが短く鳴いた。


「そう、あそこで押し留めてくれるというのね。ありがとう、タニン」


 サリーヌの返事に応えるように、タニンは彼女を咥えてオシールの竜に放り投げた。そして後方の戦場へとその身を投じ、敵兵に囲まれたその只中で、大地を圧するように咆哮を上げる。敵兵の注意が竜であるタニンに向き、クルケアンの歩兵への圧力が弱まった。

 竜とはいえ、一体では戦局を変えようもない、そう考えていた鉄塔兵達は、前方のバルアダンと相対している兵と同じ驚愕を受けることになる。バァルの祝福を受けた鉄槍は、タニンの皮膚すら突き刺すことができず、祝福を失いただの重い鉄の塊になっていくのだ。竜の爪と牙が彼らを襲い、自分たちが蹂躙される側となったことに気づき、バァル様の眷属か、と叫び声をあげる。


 オシールは戦局が有利になったとみて大穴の上を大きく迂回し、前方から飛竜による突撃を行った。普通の投擲槍といえども、上空から勢いを増して投下するその槍は、鉄塔兵の馬や甲冑を傷つけていく。そしてメシェクが手配した兵站によって、替えの槍はふんだんにあるのだ。そのうちに騎兵百騎が大穴の迂回に成功し、オシールと合流した。


 ここにおいて、バルアダンを中央として、右翼にタニンと歩兵、左翼に騎兵とオシールのハドルメ飛竜騎士団の戦列が出来上がり、鉄塔兵は三方を囲まれることになった。より正確に言えば彼らの後ろは底が見えぬほどの大穴であり、四方を取り囲まれたも同然であった。多くの兵がバルアダン、オシール、タニンの前に倒れ、また穴に落ちていった。


「狼狽えるな、鉄塔兵共!」


 陣の中央にいたフェルネスがそのよく届く声で兵を叱咤する。彼は自軍を陣容が薄いオシールに向けて編成し、突破を図る。


「お前たちは敵の包囲を突破し、天馬をもって穴を迂回し奴らの後背から襲撃をかけよ。突破後、俺と鉄塔兵百騎は挟撃の為にここに残る。疫神ラシャプをバルアダンにぶつければ、しばらくの間は持ちこたえられよう。お主達がここへ戻ってきたときが我らの勝利だ!」


 血塗られた長剣を掲げてフェルネスは鉄塔兵を鼓舞する。ヒトと侮り、その指揮下に入ることをがえんじなかった彼らは、今やその威に打たれて槍を掲げて応えたのだ。フェルネスを先頭に、彼らは天馬を駆ってオシールらに突撃していく。一騎が飛竜に正面からぶつかり、槍に串刺しになる中で、その側面を数騎の騎士が駆け抜けていくのだ。そしてクルケアンの騎兵を蹴散らして、三百騎以上が突破に成功した。フェルネスは乗騎であるハミルカルの手綱を引いて、殿しんがりとしてその場に留まった。彼の姿を認めたバルアダンがタニンに騎乗し、中央に進み出た。

 

「降伏せよ、フェルネス」

「そんなものに意味はない。意味があるとすればお主達をここで殺しつくすことのみだ」


 フェルネスは懐から赤い大きな宝玉を取り出し、長剣でそれを両断した。赤い瘴気と腐敗臭が漂い、巨大な獣がクルケアン軍の前に出現する。サリーヌが悲鳴を上げる。それは大廊下で対峙したヤムの変わり果てた姿であった。

 魂の抜けたその獣は魔獣の五倍はあろうかという巨躯をもってクルケアン軍に襲い掛かった。

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