第184話 帰るべき国

〈サリーヌ、クルケアンの使者としてギルアドの城に赴く〉


 私はクルケアン評議会の正使としてハドルメのオシール将軍に会見を申し入れた。


「サリーヌ殿、会見などと堅苦しいことは不要だ。ギルアド城の門はバルアダンとサリーヌ殿に対していつも開いているというのに」

「し、しかし……」

「昨日、タニンと共に城門越えしたお主に言う権利はない。いや大したものだ。門衛も城壁の夜警の兵も皆、お主の顔を見て、喜んで出迎えたではないか」


 確かにそうだった。当直の兵がお帰りなさい、と言ってくれるものだから、ついそのままバルの私室へ直行したのだった。いくら駐在の身とはいえ、夜に城門を飛び越えるのはハドルメの兵士でも重罪だ。今更ながらに軽率な自分を恥じてうな垂れた。ここは私の家ではないのだ。


「すみません……」

「よいのだ。私も城壁にいて兵に許可を出しておる。お主に、ただいま、と言われて兵達は喜んでいた。しかし、あまり通い詰めると兵が妬くぞ」

「い、いえ! バルアダン隊長に報告に行っただけで、用が終われば直ぐに兵舎に……」

「全く兵が篭絡された事と言い、からかえばむきになる子供らしいところといい、王妃様に似ておる」

「王妃様?」

「バルアダンには話したのだがな。昔に仕えた王と王妃だ。私もシャマールも、あの方々を忘れることはできん。魔人となった者達もだ。魂が融合し、それまでの記憶が再現できなくなっても魂に銘打った強烈な経験はどこかに残る。兵がお主らを歓迎するのも根本にそれがあるからだ」

「……だとしても、私がオシール殿に甘える理由にはなりません。それに今から伝えることはハドルメにとって良くない報告ですから」


 私の辛そうな顔を見て、オシール将軍は襟を正して一国の為政者の顔となった。ヤムの件については予想していたような印象だ。だが、フェルネスの加担と大森林への逃亡を聞くや、肩を震わせてその怒りを表した。


「何ということだ。私ではあの男を正しく導けなかったのか」


 私はその言葉でやっとオシール将軍はフェルネスではなく自分に怒っていたことを知った。彼とフェルネスは十歳くらいにしか離れていない。恐らく兄替わりだったのだろう。報告が実の弟のシャマールに及んだ時、私は彼の暴発を心配したが、意外にも冷静であったのだ。


「オシール将軍、あの、クルケアンの兵としてどうお詫びを申し上げればよいか……」

「全てはトゥグラトが仕組んだことだ。お主やバルアダンの所為ではないことは分かっている。しかし、バルアダン、国家として代償は払ってもらうぞ」

「伺いましょう。しかしお聞かせ願いたい。オシール殿はなぜそのように落ち着いておられるのでしょう。昨晩、私は行方不明の中に弟妹がいることを知って恥ずかしいまでに狼狽いたした。士官ではなく、一人の兄としてお尋ねしたい」

「クルケアンの奥の院に行くことは、シャマールの意思だったからだ。あいつはあそこに自分の想い人がいること知っていた」

「想い人?」

「四百年前に石化したシルリという。月の祝福を受けた娘でな。神殿に利用される前に自ら石化したのだ。恐らく魔獣化の呪いを強制されたのであろう。バルアダン、シャマールはもう大人だ。自分の考えや仲間も持っている。愛する人もな。兄としては背を押してやるしかないのだ。例えあいつが死んだとしても、私は後悔せん。後悔すればそれはシャマールの生き様を否定したことになるのだ」


 バルはオシール将軍の言葉に頷きを一つ返すと、深く息を吸って、いつもの精悍な顔に戻っていった。ついに立ち直ってくれたのだ。それが私の言葉ではなく、オシール将軍の言葉だったことに少し嫉妬する。


「オシール将軍、クルケアンは如何に代償を払うべきでしょうか」


 オシール将軍は真っすぐにバルの目を見ていた。口がかすかに動き、そして目を閉じた。気のせいだろうか、私には彼が、王、と呟いたように感じた。


「バルアダン、お主だ。ハドルメの民となれ」


 私とザハグリムが席を立って抗議する。これは国家の賠償であって個人の責任ではない。私はバルをあの階段都市より貴重なものと思っているのだ。しかしザハグリムはどうだろうか?


「オシール将軍。評議会議員としてその対価は払えない。いや、評議員としてではない。クルケアンの民としてバルアダン隊長は渡せない。…国家を売り渡してもいいが、彼だけは絶対にだめだ」

「だ、そうだ。ずいぶんと熱を上げられておるな、バルアダン。お主ならとうに考えているはずだ、ギルドとの関係もできた今、ハドルメは神殿と決着をつける好機だということを。無論、民は極力巻き込まぬ。それもお主の返答次第だ」


 バルは静かに考え、やがてふっと笑った。


「オシール殿、ザハグリム、二人の意見に賛同しよう」

「!」

「どういうことですか!」

「神殿はいずれ改革をせねばならぬ。長年にわたって毒が溜まりすぎた。また彼らの本当の目的を知り、それを正してやらねばならぬ。アスタルトの家が中心となって新しいクルケアンを建設しているのだ。私は評議会でもなく、神殿でもなく、新しいクルケアンの街とその民につく」

「ならば、私の提案はどうなるのだ、バルアダン?」

「新しい都市にハドルメも加盟すればいい。クルケアン=ハドルメ都市国家連合でもいいだろう。大事なのはクルケアンとハドルメの民だ。私はその民の剣となる。障害となる者は私が武力で叩き潰す。ザハグリムよ、新設される総評議会、貴族が拒否権を発動できるはずだ。設置され次第、貴族代表として民の為にトゥグラトの思惑から守れ」


 ザハグリムが気負い立って、お任せあれ、と叫んだ。


「オシール将軍、ハドルメの民に味方する。しかし、それは私の判断によってだ。私を信じてもらうしかないが、よろしいか?」

「武力による反対勢力の制圧か、それは神殿も、私も対象となるな。今はお主を信じられる。しかし、あの旅団を率いてお主が悪事を働けば何とする。神殿とお主が入れ替わっただけでは歴史は変わらんぞ」


 歴史? オシール将軍は私達よりも俯瞰的な言葉を使う。今もそうだが、彼の言葉にはバルを疑うことも、言質を取ろうともしていない。彼が求めてるのはもっと別のことだ。それは過去だろうか、未来だろうか。


「そうなる前に、情勢が落ち着いたら私は……」

「そう言うと思ったわ。違う、バルアダン。お主が善であろうと悪であろうと民を率い続けろ。途中で逃げ出すことは許さん」


 オシールが強い言葉でバルを制した。そしてバルと私の肩を掴んで頭を下げたのだ。


「王だ、王になれバルアダン。歴史を変えるには強き王が必要なのだ。トゥグラトは実質の王かも知れぬ。しかし裏で陰謀をめぐらし、他人に邪魔者を排除させておきながら、自分だけが綺麗な椅子に座っておる。お前が悪となってもそうはなるまい。サリーヌ、バルアダンの側にいてやってくれ。この男は優しすぎる。その時に背中を叩くのはお主の役目だ」


 そういってオシールはバルと私の前に跪いたのだ。


「我が未来の王よ。あの時果たせなかった忠誠をバルアダン、お主にこそ捧げたい」

「顔をお上げください。一国の代表が何ということを!」

「そうです、オシール殿、兵の目もあります」

「……すまんな、過去の王を想ってすこし取り乱した。四百年も獣になっていたのだ、情緒が不安定なのは許せ。ではフェルネスの討伐に行くとしよう。黒き大地のその先へ、私が案内をしよう」


 あっけにとられた私達をよそに、将軍は兵に次々と下知をしていく。そして私達もイズレエル城に戻るべく、ギルアド城を後にした。


 バルと共にタニンの背に揺られながら、ふと、ティムガの草原を見下ろした。景色が滲み別の風景が見えていく。……また時の歪みか。しかしガド達のことが分かるかもしれないと身を乗り出して目を凝らす。しかしそこにはガド達はおらず、大勢の兵を率いた男が兵の歓呼に応えて剣を空に向けて掲げた光景だった。西日となって男の顔は見えないが、タニンが低く鳴いて向きを変えた瞬間、その横顔が一瞬だけ見えた。


「バル!」

「どうした、サリーヌ。何かあったのか?」


 鞍上のバルが後ろの私を振り返って、不思議そうな目で見ている。すでに時の揺らぎはなく、草原には点々と続く隊商の姿しか見えない。


「ううん、何でも。はやくイズレエル城に戻って皆と合流しよう」


 そう、あの城にはガムドさんやメシェクさんがいるのだ。セトとエルの事についてその父親達とも話さなければならない。彼らが持ってきた武器も受け取らねばならない。やらなければいけないことが多すぎる。まずは目の前の事から片づけて行こう。


 恐らく大森林でも多くの困難が、そして辛い選択が待ち受けているのだろう。もしバルが迷ったらその背中を叩いてびっくりさせてやろう。私には側にいることぐらいしかできない。だからこそ、この役目は私にしかできないのだ。


 ウェル達の声が聞こえる。あぁ、帰ってきた。国ではなく都市ではなく、大切な仲間が待つ場所に。今の私にとってその場所こそが国だった。



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