草の王冠

第181話 最強を目指して①

〈バルアダン達、ギルアドの城にて〉


「バルアダン、涸川となったが、草原に沿ったあの溝がカルブ河だ、貴公、何か思い出すことはないのか?」


 ハドルメのギルアドの城において、バルアダンはオシールと共に城壁に立っていた。彼と共に眼下に広がる美しい草原を見渡す。バルアダンは駐在武官としてハドルメの訓練を見学したり、イズレエル城の部下達との模擬戦を監督したり、それなりに平時の軍人としての日常を満喫しているのだが、事あるごとにオシールが自分を勧誘するのと、この地に愛着を持たせようと考えているのかハドルメの伝承や風景を説明してくるのには閉口していたのである。しかし、それも好意ではあるので笑顔で応対をせざるを得ない。


「兄も私もバルアダン殿のことが大好きなのです。昔、貴方によく似た人を知っておりまして、私達はその背中を見て育ったものですから。しつこく構ってくると思いますがお許しください」


 オシールの弟シャマールは、クルケアンへ出立する日、バルアダンを訪ねて苦笑と共にそう語った。儀礼的なものかと受け止めていたものだが、その言葉に偽りはなかったのをバルアダンは残念に思う。


 中庭が騒がしくなり、二人は何事かとそちらを見やる。彼らはザハグリムが剣を抜いてハドルメの騎士と向かい合っていたのを視界に捉えた。兵たちは歓声をあげ、ザハグリムの応援をしている者までいる。城壁の通路をウェルが走ってきて、止まるのと同時に器用に敬礼をした。


「隊長、ザハグリムがまたハドルメの人に対決を申し込んじゃった!」

「またか、やれやれ……オシール殿、毎回ご迷惑をかける」

「血気盛んなのはいいことではないか。それに知っておるぞ、ザハグリムの奴は毎晩、中庭で剣を振るって鍛錬に励んでいる。技量はともかく熱意については我らも認めていてな、それでこちらが煽ったのだろう」

「へへん、あたしが特訓してあげているからね。ザハグリムも腕を試したくてうずうずしているのかもね」

「こら、ウェル、お前も焚きつけたのか!」

「あ、やばい。じゃ、隊長、ザハグリムの応援に行ってきます!」


 バルアダンは剣を掲げるザハグリムを眺めた。最初は貴族であることを誇示し、高慢な青年であったが、どうやらそれは世間を知らなかっただけのようだ。奇矯な行動は収まらないが、幼児がいきなり家の外に出てはしゃぐようなものだ。今ではその子供っぽいところを含めて皆から愛されている。とはいえ、それはからかいの形で現れることが多いのだが。


「おい、またザハグリムが挑んできたぞ!」

「今日は何合もつか賭けようぜ」

「まったくギルアド城の最大の楽しみだ。みんな呼んで来い」


 ハドルメの兵の輪に飛び込んだウェルは、大勢の兵士の前で啖呵を切る。


「さぁさ、張った張った! 今日も懲りずにザハグリムが諸君らに挑む! 三日前は何と十合ももったぞ、今日は十五合もつかどうかだ!」

「いいぞ、ウェル、このクルケアン一の守銭奴!」

「おれはもつ方に賭けるぞ、何せ、この三日、毎日特訓の相手をしていたからな」

「おぉ、ならば俺もだ!」


 ウェルがいつの間にか同志扱いしているハドルメの兵が進み出て、たちまちのうちに賭金を回収し、その金額に応じて札を渡していく。先ほど特訓の相手をしていたと発言した兵はウェルの同志であり、兵の誘導に一役買っていた。

 兵士の歓声と値踏みの声に包まれてザハグリムが中庭の中央に進み出る。そして、模擬戦を取り仕切るウェルに対して困ったように文句を言った。


「ウェル先輩、私を何か利用していません?」

「ザハグリム。あたしを疑うのか?」

「い、いえ! そんなことは」

「いいかい、ザハグリム。私との特訓であんたがどこまで強くなったのか、皆の前で証明してやりたいんだよ」

「そ、そうですか。このザハグリム、嬉しく思いますぞ。しかしですな、賭博は騎士として品性に賭けるのでは……」


 ウェルはそんなことも分からないのか、といった態でため息をついた。


「あんたへの声援が聞こえるかい? そりゃあたしもこんな場末じみた場所で胴元をするなんざ嫌だけどね。でも、兵には娯楽が必要なんだ。それにあんたにこの大歓声を聞かせてやりたくてね。ほら、兵士たちに手を振ってごらん!」

「おぉ、ウェル先輩のご配慮、このザハグリム、一生忘れませぬ。ハドルメの兵よ、今日こそ俺は勝利を掴むぞ!」


 道化に対するに近い拍手喝采が巻き起こり、ザハグリムは高揚したように手を高く掲げた。


「……流石にやりすぎだ。オシール殿、止めてまいります」

「いいではないか、バルアダン。これも交流だ。それに……」

「それに?」

「私も今朝方、ウェルに金を渡したのでな。十五合持たない方に青銅貨一枚だ」

「オシール殿!」

「そんな顔をするな。一応、掛け金の上限を決めておる。兵にすれば負けても小遣いがなくなる程度の事だ」

 

 自分の説教対策の為か、ウェルが先にオシールを篭絡していたと知って、バルアダンは頭を抱えた。その様子を中庭から見上げていたウェルはにやりと笑う。そして片手を上げてそれを振り下ろした。


「始めっ!」


 ザハグリムはようやく様になってきた足さばきで、重心を落としたまま相手に近づいていった。相手の様子見の初撃を弾き、そのまま懐に入って剣の柄で顎を叩きつける。およそ騎士らしくない戦いは、ハドルメの兵を喜ばせた。


「いいぞ、お上品な剣なんぞいらねぇ」

「相手がよろめいたぞ、この隙に打ち込んでしまえ!」


 野卑ではあるが楽しそうな声援を受けてザハグリムの士気は高まった。相手の胴に一撃を入れようと大振りをするが、小兵な相手はとっさに距離を空けて一撃を躱した。

 相手は手数で以ってザハグリムを追い詰めていき、ウェルは増えていく撃ち合いを指を折りながら数えている。

 ザハグリムは同じような戦い方をするウェル相手に訓練をしたこともあって、落ち着いて効果的な一撃を狙っていた。相手の誘いの一手に過剰なまでに剣を叩きつけ隙を見せる。そしてわざと打ち込ませ、自分は力を抜いて相手の喉元に剣の切っ先を突きつけたのだ。


「ザ、ザハグリム、十四合で勝利!」


 ウェルの声を受けてザハグリムは虚脱したかのように中庭に座り込む。


「勝った!」

 

 拳を握り締め、諸手を挙げて叫ぶザハグリムにハドルメの兵たちは立ち上がってその甲冑に剣の柄を叩きつけ、褒めたたえた。


「おい、この場合、賭けはどうなるんだ?」


 誰かの冷静な一言が、盛り上がった兵たちの気分に水をかけていった。ザハグリムは十五合も打ち合っていない。十五合もつ方に賭けた者はその賭金を失った。ではもたなかった方はどうなるのか? 彼はもたなかったのではない、勝利したのだ。全員がウェルの方に目を向ける。彼女とその同志が身を寄せあって引きつった笑いを見せた。


「この勝負、全員はずれ! よって賭金は胴元のあたし達のものだ!」


 そう言い放つと脱兎のごとく駆け出したのである。


「この守銭奴!」


 兵たちは逃げるウェルらの背に次々と小石を投げつけていく。怒声と共に笑い声が上げる中、バルアダンとオシールは中庭に降り立った。流石に兵たちは雰囲気を一変させ、その場に起立し、胸に剣を掲げて敬礼をする。


「皆の者、賭けは残念であったな。この私も賭金を失ってしまった。可哀そうな兵の為に一つ余興といこうか」


 オシールは兵達を見渡してから、バルアダンに向き直る。


「クルケアン最強のこのバルアダンと私とで模擬戦を行う!」


 兵たちは敬礼を忘れて歓声を上げ、オシールとバルアダンの名を連呼していく。


「さて、こういうことだ。付き合ってくれるな?」


 バルアダンは顔をしかめたが、ウェルの事もありその模擬戦を受けざるを得なかった。


「お相手仕りましょう」


 ザハグリムの時とは打って変わって、兵達の間に緊張が走る。自分達との戦いにおいて最後まで屈せず、敗兵同然のクルケアン軍を立て直した男、そしてハドルメ最強の一角であるシャマールを打ち負かした男の本気が見られるのだ。


 バルアダンはオシールの大剣を見て、べリアの姿と重ねた。強さという点において偉大なあの男に自分は勝てるのだろうか。あの時はダレトと二人掛かりで勝利したのだ。そしてフェルネスだ。敬愛していた上官の剣技に自分はまだ届かない。では潜在的な敵ともいうべきこのハドルメの将軍には自分の剣は届くのだろうか?


 バルアダンは長剣の柄を握りしめ、自分の力を試すべくオシールに向けて一撃を放った。

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