第182話 凶報②

〈バルアダン、ハドルメのギルアド城にて〉


 バルアダンとオシールの剣が正面からぶつかり火花を発した。


「ほう、力勝負か! 意外だな」


 そうだ。なぜ自分はオシールの大剣に正面から打ち合ったのだろうか。バルアダンはオシールの力にわずかに半歩後退しながら心中で呟いた。べリアだ、オシールの大剣を見て自分はあの黒騎士を越えたいと無意識のうちに考えたのだろう。バルアダンは体の全身の力を籠め、押し返していく。途端にオシールの目が赤く光り、魔人化の兆候を示した。


「悪く思うなよ。こちらもお前に勝ちたいのだ。あの背中に届くのかどうか……」


 バルアダンはオシールの言葉に心中で首を傾げる。あの背中だと? シャマールも言っていたが、その人物は自分に似ているのだろうか。しかし自分にも超えたい背中はあるのだ。べリア然り、フェルネス然り、そして剣を教えてくれた父と祖父の背中を。

 バルアダンは武の祝福をさほど便利なものと考えてはいない。べリアとの戦いでは怒りに身を任せたときにその力の一端を発揮したように思うが、前提として自分自身が強くならねば意味がない。故に武の祝福の衝動を押さえつけ、個人としての力と技でオシールに挑むことを決意する。自分が模倣し、超えるべきはべリアの剛剣とフェルネスの柔剣、そして父と祖父の統率力だった。


 魔人の力で押しつぶそうとするオシールに対し、剣を噛み合わせたまま足を引いて態勢を変え、相手の剣の側面から長剣を打ち落とす。続けざまに、体を崩したオシールに向けて上段からの強い斬撃を加えるが、オシールは片膝をついてバルアダンの剣を横薙ぎに払いのけた。


「!」


 観衆である兵達に緊張が走った。オシールはそのまま立ち上がろうとはせず、獅子が獲物に飛び掛かるため力を籠めているかのように剣を横に大きく引いたのだ。並みの相手であればオシールが繰り出す次の一撃で腰斬されたであろう。模擬戦とはいえ、間違えればその命を失う。しかし誰も止めようとはしない。誰もが二人の戦いの結末を見たかったのだ。


 オシールの大剣からバルアダンは魔獣の牙を思い出していた。そしてダレトと共に貧民街で大型魔獣を屠った時の記憶に繋がっていく。そこには燃え上がる家屋、魔獣に組み伏せられた自分があった。あの時はダレトが魔獣の口中に、その牙に向けて槍を突き出していた……。

 自分とオシールの間を昼の強い陽光が照らしている。バルアダンにはそれがあの時の炎のように思えた。敗北を覚悟した魔獣との戦いが現実と重なり合う。

 その牙を打ち破る、そう考えてバルアダンは大上段に剣を構えた。オシールが剣を後ろに引いたままにじり寄り、一撃を放つ機を窺っている。彼が半歩踏み出すと同時にその剣は相手の体ごと吹き飛ばすであろう。

 常人では耐えられないその剣気と熱気の中、バルアダンは炎の中をゆっくりと歩いていく。あの時はダレトが自分を救ってくれたのだ。次は自分が救う番だ。畢竟、自分は剣を自分の為には振るえぬらしい。自分にとって最強とは、大切な人を守り切って勝つことだ。


 流水のように迷いなく近づくバルアダンを意識して、オシールの剣気がわずかに乱れた。彼は気圧された自分を奮い立たせるためにも、力強く一歩を踏み込み、同時に大剣を薙ぎ払う。


 大剣の形をした牙がバルアダンに襲い掛かる。バルアダンはその牙の先端に狙いを定め、自分に届く前に裂帛の気合と共にその大剣を斬り落としたのだ。大剣を両断するという力と技に、兵達は驚愕した。分厚い鉄の塊を斬れる男なぞいるはずがない、そのような観念が彼らの目の前で崩れ去っていったのだ。

 バルアダンは呆然とするオシールに向けて長剣を構える。その残心の見事さにオシールは折れた剣を投げ捨て、敗北を認めた。


「勝者、バルアダン!」


 ザハグリムが興奮した声でそう宣言し、兵達の歓呼がそれに続いた。


「流石だ。恐らく貴公は祝福を使っておるまい。まだまだ追いつけぬか」

「シャマール殿も言っておられたが、オシール殿達が目指す人物とはどのような御方なのですか?」

「名もなき王だ。クルケアンとハドルメの争いをその力でねじ伏せた草原の王よ。どうも貴公に雰囲気が似ておってな。その強さ、優しさに惹かれる子供は多かったものよ。ふふ、王の背中に追いつこうと私も必死だったが、まだまだだな」

「その王も魔獣になったのでしょうか?」

「その前に王は消えた。行方不明とか死んだわけではないのだ。恐らく消える事を知っておったのだろう。予言めいたことをその妃が言っておった。自分たちは消えてしまう仮初の存在、とな。その妃は美しく、それでいて庶民にも声を掛けてくださっていた。…まぁ、少年時代の思い出というやつだ」


 その後はそのまま酒宴となり、バルアダンとその部下たちは酒を薦められ、共に歌い、共に酩酊していった。ひょこりと戻ってきたウェルがばつが悪そうな顔をしながら恐る恐るバルアダンへ近づいていく。


「こら、ウェル! 裏でこそこそやる分には仕方がないが、あそこまでする奴があるか。外交問題になっても困る。今日お前がかっさらっていった賭金、皆に返すように」

「あ~やっぱり……」

「まぁまぁ、バルアダン、いいではないか。それにお主の部下は抜け目ないぞ。ほれ、その荷物はなんだ?」

「流石はハドルメの大将! 話が分かるね。あ、隊長、金は天下の回り物っていってね。生き物のように動いていくんだ。だから今お金はないんだ」

「何に使った!」

「ティムガの草原に来ていた隊商から女物の装飾品を買ってきたのさ。これを原価で兵達に配るとするよ。それでいいかい、隊長?」

「バルアダン隊長、私からもお願いする。ウェル先輩は私のためにあのような大舞台を用意して下さったのです。今日の勝利で自信がつきました! おかげで今後も精進できそうです」

「お、おう。ほら、ザハグリムもこう言ってくれているしね。今回は大目に、ってことで…」

「……兵に配るのは分かったが、なぜ女物なんだ?」

「隊長はサリーヌに何も送らないんですか?」


 酒を吹き出したバルアダンを見てオシールは高笑いを上げる。


「兵達が好きな女に気の利いたものを贈れるよう、見繕ってあげたんですよ。これで兵も、ハドルメの女も私に感謝するでしょう? ほら、こんなにも外交に役だっている!」

「流石はウェル先輩です!」

「バルアダン、生きているということは素晴らしいな。かくも愉快な事に巡りあえるとは」


 オシールがウェルに原価に色を付けて兵に売ってやると上機嫌で約束し、彼女の荷物を持って兵達の輪へ入っていった。その隙をみてウェルはバルアダンに懐中に隠していた手紙を差し出したのである。


「ラバン将軍とサリーヌからの手紙です。ギルドの物資を運んできた隊商長から預かりました。……セトの父君からです。自室にて御一読ください」


 ウェルの態度から容易ならぬ事態が発生したと判断したバルアダンは、深酒をしたように取り繕って自室へと戻った。ランプに光を灯し、書かれた文字を追っていく。


「セト達が行方不明……!」

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