第176話 大廊下の戦い④ 超えたかった背中
〈べリアとフェルネス〉
大階段の中央で、剣戟の音が止むことなく続いている。フェルネスとべリアの戦いはほぼ互角であり、わずかに経験の差でべリアが、手数の多さでフェルネスが相手よりも優位に立っていた。既に両人とも魔人化しており、その剣気だけで人を跳ね飛ばすほどの禍々しさを身に
「思えば十五年前は手も足も出ず負けた。しかし此度は勝たせてもらう!」
「あの時はとんだあばれ猫を拾ったものよ、と思っていたが、まさか獅子ほどに強くなるとはな」
べリアの一撃がフェルネスの鍔を打ち砕き、その勢いのまま互いの兜がぶつかった。お互いの顔を至近に見ながらべリアはフェルネスの目を見る。時折呪いで赤く光るものの、その呪いを拒否し、自らの意思で抑え込むかのようにその光は弱まっていくのだ。その眼を見てべリアは懐かしく思う。傲岸で排他的な、他人を拒絶するその眼は十五年前の少年の時のままであった。いつの頃からだろう、その眼から敵意が消え、彼の周りに友人や部下が集まりだしたのは……。
「お主、いったい何があった? 世界のためとはいえ、部下に呪術をかけるのを許容する男ではなかったはずだ」
「世界の救済は全てに優先する、そのためには犠牲なぞ! ベリア、俺と勝負しろ」
ベリアはその言葉を聞いて戦いの最中にも関わらず笑みを浮かべる。フェルネスと初めて出会った時も、この男は勝負を挑んできたのだ。
「お前強そうだな、俺と勝負しろ!」
クルケアンの市街地を巡回している途中、突然現れたフェルネスに勝負を挑まれ、ベリアは返り討ちにしたのである。そしてそのまま面白い小僧がいる、飛竜騎士団で引き取りたい、とシャムガルやヒルキヤ、ラメドなど軍の重鎮に願い出たのだった。
「シャムガル将軍、すごい小僧を見つけました。
「べリア、まぁ落ち着け。恐らくその小僧というのはお前が腕に抱え、目を回している少年だな。まずは降ろしてやれ」
そして床に放り投げられたフェルネスはふてくされながら出された茶を勢いよく飲みほした。菓子をほおばり、顎を突き出してお代わりを要求する姿にシャムガルは笑いを誘われる。厳つい軍人に囲まれて、物怖じしないこの少年はきっと大物になるだろう。彼はそう考えてべリアにこの子の処遇を任せたのだった。
「べリア、訓練をつけてくれ。早いとこあんたに勝ちたいんだ」
「騎士を五人、模擬戦で勝つことができたら考えてやろう」
そしてフェルネスは翌日には騎士達を叩きのめしてべリアに挑むのである。日に日に成長していく彼をべリアは評価し、激しい訓練を施していた。そして数年後にはフェルネスはべリアと共に飛竜騎士団の両翼としてクルケアンの騎士の頂点に立っていた。同僚すらも避けていた粗暴な言動もよい友人と交わり、余裕らしきものが生まれてきた。人の輪の中心にいるフェルネスを見てシャムガルは安堵の息をついた。そしてべリアはフェルネスの指導を通して、戦士としてだけでなく指導者としての資質を伸ばし飛竜騎士団団長として就任する。それを一番喜んだのはフェルネスであった。
「団長、俺は最強を目指す」
「それは私もだ。こっちはクルケアンを守る為だが、お前は何の為だ」
「……もう会うこともないが、思い出の中の父と肩を並べたい。最強の称号を得ることは、俺があの人に認められるはずだった唯一の手段なんだ」
べリアはフェルネスが父親に対し抱いているであろう思いの
「馬鹿野郎、なぜ俺なんかをかばった!」
「部下をかばうことはおかしいか? 私をなじるより、お前の未熟を反省しろ」
「……その足ではもう最強とは言えないな。俺がその座を奪うぞ、それでいいのか?」
「あぁ、それでいい。フェルネス、お前は私より強い。自信を持て」
「俺はあんたに勝てなかった。気休めを言うな! 飛竜騎士団のべリアは誰よりも強いんだ!」
扉を荒々しく閉めて去っていくフェルネスを、ため息と共に見送る。隊長となったフェルネスは、一見変わらぬように見えて機関所属の神官や怪しい団体と接触し、身持ちを崩していった。……自分が超えるべき壁でなければいけなかったのだ。魔獣襲撃が増えていった時勢でもあり、べリアは再び戦士としての鍛錬を始める。そんな時、トゥグラトが甘言を弄して自分に魔人として力を得ることをそそのかし、その思惑に乗った結果、理性を引き換えにして全盛期を上回る力を手に入れたのだった。
そしてバルアダンが飛竜騎士団に入ってから、またフェルネスは変わった。バルアダンの強さもそうだが、他の何かに強い衝撃を受けたようなのだ。最初は良い後輩を得て喜んでいたのに、バルアダンの強さに次第に焦りを感じていたのだろう。華々しい騎士団ではなく、神殿の命令でクルケアンの裏で動くとき、フェルネスは神を呪い、世界を呪う発言が多くなった。
そして百二十層の魔獣工房で自分はバルアダンに敗れた。救出に現れたフェルネスは肩を貸しながら悔しそうに呟く。
「団長でさえ勝てなかったバルアダンだ。俺が技量で追い詰めることはできても、最後まで立っていられる姿を想像できない……」
ベリアは思う。
追い詰めたのは自分とバルアダンであったのだ。
そして決して追いつくことのできない彼の父の後ろ姿なのだと。
施薬院の戦いでもう一度バルアダン達と戦い、負けることで自分は楽になった。しかし、フェルネスはバルアダンと父に勝てぬ限り、全てを憎み、自分を傷つけていくだろう。せっかく生き返ったのだ、彼の父代わりとしてその前に立とう。その結果、どちらかが死ぬことになっても構わない。それがこの十五年、共に剣を振り続け、戦場を駆けぬけたフェルネスに向けるせめてもの情なのだ。
クルケアン百層、大廊下において、べリアは隻腕を以って大剣を大上段に構える。月を刺すかのように天に直立する大剣は、荒々しくも美しい。そしてべリアはそのまま魔人化を解いた。
「魔人化を解くだと? 気でも狂ったか!」
「フェルネスよ、最強とは力ではない。技でもない。今の貴様は人にも勝てぬ。……敗北をして一から出直すといい」
フェルネスが魔獣のような咆哮を上げながら床を蹴り、獅子が獲物に飛びつくようにべリアに斬りかかった。長剣がべリアの肩を半ばまで切り裂き、鮮血が床に広がっていく。フェルネスは刃が食い込んでも抵抗すらしないべリアの顔を、はっと見上げた。そこには今まで見せてくれたこともない、優しい眼をしている男がいた。
「なぁ、フェルネス、負けることは案外気持ちいいぞ」
そういってべリアは腕がちぎれることも厭わずにフェルネスに大剣を叩きつけた。フェルネスの右腕が切断され、彼は血を巻き上げながら空に舞う自分の腕を呆然と見上げる。そして視線を正面に移し、両腕をなくしたべリアを見た時に強烈な敗北感に襲われたのだ。
強さを求めた自分がただの人間に負けた。そして自分に敗北を認めさせたその男は、両腕をなくしながらも十五年前と同じく巨大な山のように厳然として立ちはだかっている。
「う、あ……」
フェルネスは言葉にならない声を上げ、存在しない右手をべリアに向けて突き出しながら、ふらふらと歩いていく。その彼を止めたのは部下であるはずのサウル、メルキゼデク、エドナだった。その眼は赤く光り、爬虫類のように冷たい表情をしていた。
「退却する。フェルネス、貴方は戦力としてまだ必要とであるとトゥグラト様はお考えだ。我らと来てもらおう」
サウル達は床に落ちていた長剣と腕を拾い、神獣に乗って闇に消え去った。フェルネスの乗騎であるハミルカルが破れた翼で後を追うように弱弱しく飛んでいく。
べリアはフェルネスが消えたその闇をじっと見続けていた。
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