第175話 大廊下の戦い③ 血の縁でなくとも

〈クルケアン百層大廊下にて〉


「第三連隊第二、第三中隊は魔人五体ずつを屠れ。第一中隊はラバン殿の護衛としてその火力を保持しつつ戦局を待つのだ」

「兄さんは?」

「俺は単騎で先敵を切り崩す」

「兄さん、私も!」

「ニーナ、お前は第一中隊を率いろ。ラバン殿の隊と共に援護だ。こちらが十体も屠れば一気に攻勢をかけられる。そのためにも犠牲者を最小限にとどめるんだ。……それにあの少年達を守ることも必要だ」

「……わかりました。ご武運を」


 ニーナはアナトの指示を了承しつつも、違和感を覚えていた。意図的にアスタルトの家の護衛に回された感があったからだ。兄は私のことで何か気付いているのだろうか。そしてヤムを見る目つきに怒りを覚えているようなのだ。


「第一中隊、副官のニーナが預かる、私に続け!」


 守らねばならない人がいる。自分の出した手紙によってエラム達がこの場にいるのであれば、私の優先事項は決まっているのだ。ニーナはそう決心するとラバンと合流すべく神獣の手綱を引き締めた。


「さて、魔人よ。人の意識があるならばよし。それさえも失うのであれば俺が引導を渡してやろう」


 三体の魔人がその魔爪を振り上げてアナトに襲い掛かった。その動きは俊敏ではあるが、獣に近い。アナトは憐憫の表情を浮かべると自らの騎獣を立ち上がらせ、槍を高く掲げる。神獣がその爪を魔人に振り下ろし、アナトもまた神獣の重みを活かして槍を突き立てた。間を置かず引き抜いた槍を振り回し、残る二体の魔人を牽制する。神獣がその隙にその牙を魔人に突き立て、アナトは鞍上から槍を投擲して魔人の頭部を粉砕した。


「哀れな。普通の魂が魔人化を耐えられるはずもない。せめて死して眠るがよい」


 アナトの長剣が一閃し、魔人の首を跳ね飛ばした。三体の魔人を瞬時に討取り、アナトの部下の士気が上がっていく。連隊長に続けとばかりに、五人一組の小隊が一体の魔獣にその槍を次々に投擲していく。魔人が倒れると隣の隊を援護し、次々と魔人はその命の灯を消していった。


「よい兵達だ」


 ラバンはアナト連隊がよく訓練され、上官の命令に忠実に従っているのを見て頷いた。バルアダン然り、このアナト然り。クルケアンの未来を担う若者の姿を見ることができただけでも騎士団に復帰した甲斐があったというものだ。


「しかし、それでも大人たちが見本を示さねばな。若い者が増長すると私達が肩身が狭い思いをするだろうて」

「ラバン、そういうのを年寄りの冷や水というのではないか。なぁ、メシェク?」

「お前もそうだ。ガムド。そうみてもお前たち二人とも若者をみて舞い上がっているぞ。早く援護に移れ。部隊を側面に展開、火力で神獣をアナトの騎士団の前に押しやるぞ」


 ラバンとガムドは苦笑した。どう見てもメシェクの方が若者にあてられているのだ。そしてラバンは一番近いアナトの部隊に声を掛ける。


「士官殿! これより我らが部隊は神獣の側面を抑える。貴官の名は?」

「アナト連隊長の副官ニーナと申します。我らはラバン殿の壁となりましょう。第一、第二小隊はラバン殿を側面で援護、第三小隊は後衛として援護しつつ、私と共に少年らの護衛をするぞ!」


 ニーナは背後に視線を感じた。振り返るとエラムとトゥイが自分を見つめているのだ。トゥイが何か言いたそうにするのをエラムが引き留め、ただ黙って頷いた。その眼は信頼と友愛に満ちたものであり、ニーナは申し訳なさで心が軋むのを感じた。


 ラバンの部隊が左翼から魔人を牽制していく。魔弾は魔人の臓腑までは届かなかったが、腕や足の神経を焼き切られ、再生が追いつけないのだ。足を引きずるようにして騎士団の正面に追いやられ、その数を減らしていく。

 しかし、その時、フェルネスの部下、テトス、サウル、メルキゼデク、エドナが魔人と化して、ニーナ率いる小隊に襲い掛かったのだ。ニーナをかばった騎士が神獣と共に血しぶきを上げながら倒れていく。テトス達はアバカスが漏らしたであろう情報を秘匿すべくエラム達の殺害に執着した。ニーナ率いる騎士との戦力は共に四騎で差はないが、しかし実践経験の差からテトス達が有利のはずだった。怯えるトゥイにニーナは鞍上から声を掛ける。


「トゥイ、ごめんね。きっと私が守るから」

「レビ?」


 トゥイの叫びには応じず、ニーナはテトスに向き合う。思えば先の魔獣工房の戦いでも彼らは自分達に刃を向けていたのだった。


「テトス、貴方達が子供を襲うのは二度目だな。あの時は迷いがあった。任務と情の間で揺れていたはずよ。魔道に落ちて人の情さえ失ったというの!」


 ニーナの叫びにテトスが嘲りの声を上げる。


「愚かな小娘よ、お主こそ人の情に縋るのか。偽りの記憶に偽りの家族。その生に何の意味がある。元の魂と記憶が残っているのだろう? 半端な魔人が我らに敵うと思うな!」

「それがどうした!」

「お主が生きているのはヤム様の情けがあってこそ。恩を受けてなおも我らに歯向かうのであればここで死ね!」

「ヤムが私を助けただと? 馬鹿な!」


 ニーナはテトスの剣を神獣の魔爪で受け止め、槍でその肩を貫いた。怒号を上げるテトスの兜に剣を叩きつけ、わずかに後退させる。周りを見ると小隊は全員押し切られるように後退していた。


「……同数では抗えないか」


 ニーナは後ろからの襲撃に備えるために大塔を背にして防御の隊形を取る。必死の防戦空しく、魔人達はニーナ以外の騎士を狙いだし、遂にその一角が崩れた。メルキゼデクがエラムを切り刻もうと魔爪を振りかざす。ニーナはエラムとトゥイを守るため、身を挺してその間に割って入った。


「レビ!」


 トゥイのあげた悲鳴は雷鳴によって打ち消された。サリーヌがヤムとの戦闘の間隙を縫って、小さな稲妻をメルキゼデクに浴びせたのだ。ニーナが笑みを浮かべ、背後に異変を感じたテトス達が後ろを振り返る。そこには敵を打ち倒したアナトとその部下が駆けつけていた。


「おのれ、アナト、ニーナ! イルモートに逆らう背教者め。そなたらの道に災いあれ!」


 テトスの身が赤く光り、周囲の大気が収縮していく。


「爆発だ、皆、神獣を盾にして伏せろ!」


 アナトの言葉に全員が地に伏せた。轟音と共に衝撃波がニーナたちを弾き飛ばす。一同が目を開けるとそこにはテトスの遺骸が残るのみだった。アナトはテトスだったものの残骸をみて嘆息する。


「逃げられたか、しかし理性ある魔人は実に厄介だ。仲間のために自死を選ぶとは……」

「レビ!」


 少女の声にアナトは振り向いた。そこにはエラムに抱きかかえられ、爆発で重傷を負ったニーナの姿を認めたのだ。目の前が真っ白になり、掴み取ろうとするかのように手を伸ばしてアナトは妹の側へ駆け寄っていく。


「ニーナ! あぁ、出血がひどい。早く止血を!」

「医術では間に合わない。私に任せて」


 戦況を見ていたサリーヌがアナトの前に降り立った。


「サリーヌ! ヤムとの戦いは終わったのか?」

「……いいえ、ヤムは先生が抑えてくれています」


 ヤムとの戦いの最中、タファトは迷いを見せるサリーヌに笑みを見せてこう言ったのだ。


「サリーヌ。為すべきことを成しなさい。私だって教え子の為に時間を稼ぐことはできるわ。あなたは大事な人を守るために、そのために強くなったんでしょう?」

「……ありがとうございます。先生」




 レビ、死んじゃだめ、

 あなたは私の在るべきだった未来。

 あなたが幸せにならないと兄さんはまた不幸になるじゃない。

 私の名前を、それに兄さんを渡したんだから、ここで死んだら私も不幸になるんだよ。

 だから、レビ、死なないで……。


「私の魔力で造血します」


 サリーヌは自分とニーナの魔力の相性を分析し、造血が可能であることに安堵した。しかしそれでも傷を同時に塞がねばならない。それができる月の祝福者は、兄であるダレト、今は記憶を失いアナトと名乗っている目の前の男だけだった。


「アナトさんはニーナの傷を祝福で塞いで」

「しかし、俺は祝福で傷の治療をしたことがない」

「月の祝福者アナト、私にその魔力を同調させるのです。私とあなたならきっとできる」


 サリーヌのなぜか怒ったような眼に、アナトは既視感を覚えた。言われるがままにレビの胸の傷に手を当てて、サリーヌの魔力に同調する。


「あぁ、あの時と一緒。兄さんが倒れてサラ導師と私で癒した時と……」


 アナトはサリーヌと、苦痛で顔をゆがめるニーナを交互に見ながら魔力を用いて傷を塞いでいく。サリーヌはサラのように人の祝福を導くことはできない。しかし、相手の魂が自分と波長の近い人物なら別であった。ニーナの血を魔力で補いながら、アナトを包み込むように彼の魔力を導いていくのだ。それは本当の兄妹でしかなしえない奇跡であった。


「……兄さん」

「ニーナ、気付いたか!」


 妹の無事に安堵したアナトがニーナに抱き着いた。そして何か言いたそうなニーナに対してエラムが口を開く。


「ニーナ、そう、君はニーナだ。今はいいんだ。生きていてくれたことが本当に嬉しい」


 エラムの言葉にただ涙を流すニーナの髪をアナトは優しく撫でる。

 サリーヌはそんな兄妹の光景を触れれば壊れる宝物のように離れて見守っていた。

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