第177話 大廊下の戦い⑤ 我が名を捨てて②
〈祝福者達、クルケアン百層大廊下にて〉
「賢者ヤム! サラ導師の師にしてレビの養父よ、そして
飛竜にのってタファトは叫んだ。左右にはサリーヌとイグアルがヤムにその魔力を叩きつけようと権能杖を構えている。
「太陽の女神タフェレトの眷属か。あの偉大なるナンナ様を巻き込み、天より地を選んだ裏切り者よ。お主に我を
ヤムは何を言っているのだろうか?まるで自分をタフェレトと同一視しているかのような口ぶりに疑問を持つ。そして、ヤムはあの偉大なるナンナ、と言ったのだ。この老人は神と会ったことがある、少なくとも神が消えた五百年以上前の人物ということになるのだ。ヤムは天才といわれたサラに匹敵するほどの月の祝福の持ち主だ。神と人が近かった時代の生き残りであるならば……。タファトの脳裏で点在する事実が結ばれて線となり、ヤムの存在を一言で言い表した。
「神人!」
ヤムは、ほう、と頷き、それを否定しなかった。むしろ自らの存在を高らかに祝福者達に宣言したのだ。
「そうだ、我こそは月の女神ナンナの従者ヤム。我が悲願であるナンナ様の復活の為、お主らには死んでもらう」
クルケアンの大廊下の上空で、神人は人を見下ろしながらそう告げた。
「神の復活だと?五百年前に神は消え失せ、その祝福のみを残されたのだ。今更復活して何の意味がある?」
「イグアル、お主はエルシードの眷属であるのに、神の存在に気づかないのか、この愚か者め。ヒトがかくも愚かだから神は世界に溶けたのだ。そこまでしてお主らを守ろうとした神の御心が分からんとは、やはりヒトはこの地上に住む資格はない」
ヤムの権能杖が古めかしい鉄槍へと変化する。人が操るには長大すぎ、また重すぎるその鉄槍を老人は軽々と扱い、そしてその鉄槍に雷撃を纏わせてタファトに向けて突き出した。
雷鳴と共に収縮された光の槍がタファトに向かって
「させない!」
サリーヌがタファトの前に進み出て、自らの権能杖を雷撃に向かって投げつけた。月の祝福で強化されたその杖と、同じ祝福で生み出されたヤムの雷撃はお互いにその存在を打ち消し合う。
「サリーヌ、丁度良い。お主を殺して我が祝福を強めるとしよう」
ヤムは鉄槍を天に掲げ、サリーヌに向けて小さくはあるが無数の雷光が放たれた。サリーヌは大廊下の魔獣石を以って数十本もの巨大な円柱を出現させる。乗騎であるタニンはその間隙を縫うように飛び、また円柱の側面を蹴り上げて、その方向を急激に変えながら雷撃を避け、ヤムに迫り、その爪を振りかざした。ヤムは鉄槍を振るってその爪を弾き飛ばし、タニンの胴に雷撃ごと槍の穂先を突き入れた。
「何?」
驚愕の声が老人から洩れる。鉄槍はタニンの皮膚をすら刺すことができず、また雷撃は竜の咆哮によって霧散してしまったのだ。
「バァルの加護を受けた鉄塔兵の槍が効かぬというのか!」
サリーヌがヤムに迫り、タニンの鞍上から叫ぶ。この男は孫として育てたレビを魔人としたのだ。それは情であるのか、それとも打算であったのか。
「ヤム、なぜレビを魔人化した!」
「……丁度良く死にかけの人間を魔人にしたに過ぎん。表の魔獣工房はお主らによって破壊されたからな」
「嘘をつかないで! 貴方はレビの命を救ったんだわ。そうでなければ、どうしてレビは記憶を持っているの、どうして元の人格を持つ魔人でありながら人血を求めないの。ヤム、貴方は瀕死のレビを助けようと、自分の魂を分け与えて魔人化させたのよ」
サリーヌはイズレエル城でのニーナとの会話を思い出す。
「ニーナ、少し遠乗りしない?アナト連隊長やバルアダン隊長ばかり野駆けをするのはずるいわ」
ハドルメとの国交樹立式典に向けて、城を出立する前日にサリーヌはニーナに声を掛けた。出立にあたって、サリーヌはギルアド城に居るバルアダンにタニンを借り受けており、ニーナと同乗してティムガの草原の上空を飛び回る。
草原にはリベカの手配で簡易の物資集積所がつくられており、これから家や工房、神殿など多くの建物が出来上がり、そして人が集まっていくのだろう。この草原は、魔獣の魂の記憶によって、再現したものだ。せめて美しい風景と共に賑やかな人の声でその魂を癒してほしい。
「ハドルメとの式典の警護に関して、バルアダン中隊からは私がアナト連隊長に同行することになったわ。道中、よろしくお願いね。うちの隊長はギルアド城に残留なので残念がっていたけれど」
「ふふっ、あなたと離れるのが寂しいんじゃない?兄さんはしばらくバルアダン隊長と離れてしまって不機嫌になるだろうから、バルアダン隊長の話をしてくれたら嬉しいわ。きっと喜んで耳を傾けてくれると思う」
「隊長たち、最近特に仲がいいもんね。昨日はこの編成中の旅団を強くするんだ、と言って、アナト連隊長がうちの中隊に訓練をつけに来たわ。ザハグリムのしごかれようといったら!」
「……ごめんなさい。大人げない兄で」
「ううん、安心しているの。こういう日常が続けばいいなぁって」
「いいな?」
「そう、いつかこの安定した日々が一気に崩れるかもしれない。それが不安といえば不安かな」
サリーヌはタニンを草原に着地させ、丘に向かってニーナを引っ張っていく。小高いその丘の南面からは大洋が広がっている。潮の香りをかすかに感じながらサリーヌはセト達のことを思う。この海の上を彼らと飛竜で飛び回れたらどんなに気持ちがいいだろう。彼らの護衛をするために先発したガド、ミキト、ゼノビアと合流できる時間があれば、休暇をもらうのもいいだろう。そう思った瞬間、サリーヌはセト達の姿を洋上に見たのだ。
「あれはセト?それにエルやガド達……」
友人達は楽しそうに笑い合って飛竜に乗っている。しかしその姿は一瞬で消えさり、陽光を反射する海だけが視線の先に残っていた。
「消えた……」
果たして自分の幻覚だったのだろうか。そう思ってニーナへと振り向いたとき、自分と同じく驚愕して海を見つめている彼女の顔がそこにあった。そして自分たちの周囲が揺らめきだし、目の前に巨大なくぼ地が現れたのだ。
ガド達や、見慣れぬ衣装を着たセトやエル達が鉄槍を持った兵士たちと戦っている。再び揺らぎが怒り、ガドがバルアダンらしき人物に剣を交えている光景へと変わっていった。
「ガド、バル! なぜあなた達が戦っているの?」
「あぁ、ガド! そんな血まみれに……」
共にガドの名前を叫んだサリーヌとニーナがくぼ地に駆け寄ろうとするが、そこには草原の感触があるだけだった。やがてサラによりガド達が光に包まれ、その姿を消した。そして天に向かうように槍で串刺しにされ、持ち上げられたサラの死体を最後にその幻影は消え去ったのだ。
「サラ導師!」
サリーヌは幻影に向かって必死に手を伸ばす。しかしそれは蜃気楼のように遠ざかり消え去っていった。しばし呆然としていた二人はサラの気配を感じて辺りを見回すが、周りには誰もいなかった。
「サリーヌ、あなたから光が!」
「ニーナ、あなただって……」
陽光の下、月の淡い光が二人を覆っていた。それは月の祝福であり、その祝福に彼女たちはサラの気配を感じていたのだ。
「ニーナ、あなたも月の祝福者だったの」
「そんなはずはない。私は普通の人間だった。どうして……」
サリーヌは意を決した。先ほど見た光景は恐らくこの時代のものではない。そして身を包む月の祝福が心配をしなくてもよい、と伝えているように感じていた。ガド達はきっと戻ってくる。ならば自分がするべきことは彼らの帰る家を守ることだ。しかしそれは一人ではできない。世界を変質させる月の祝福者達の助けが必要なのだ。先刻、ガドの名を叫んだニーナは震えながらサリーヌを見つめている。
「賢者ヤムの養子レビにして、神獣騎士団のニーナ、どうやら日常は終わったらしいわ。私はあなたの助けが欲しい。セトやガド達を助けるために、そして彼らが帰るべき場所を守るために」
「サリーヌ、私は! 私は……」
サリーヌはニーナを優しく抱きしめる。
「生きていてくれてありがとう、レビ。……早くこう言いたかったんだぞ」
「あたいはあなたの名を奪って、兄であるダレトすらも奪った。そしてアスタルトの家を離れ、一人、新しい環境に満足していたの。怖かった! 真実を知ったダレトがあたいの許から去っていくことが。……ただの卑怯者だ」
「馬鹿なレビ。それこそ大馬鹿よ。私は感謝しているの」
「感謝?」
「私のニーナの時の記憶なんて断片でしかない。だからあなたがダレトの妹として横にいて、しかも私の名前を受け継いでくれて、遠い日の夢を見れたかのように嬉しかった。勿論、寂しさもあったわ。それはバルが埋めてくれたから……。ねぇ、レビ、もう私達が不幸になる選択はよそうよ。幸せを勝ち取るために皆を守ろう」
そういってサリーヌはニーナの顔を上げさせて額をこつんとぶつけて笑顔を見せた。
「それにね、ニーナ。あなたの力はきっとヤムが与えてくれたものよ」
「!」
サリーヌは顕現したニーナの月の祝福についてある予測をしていた。瀕死の状態であったレビを魔人化するには多くの魂と強い魔力が必要だったはずだ。また、普通の少女であったレビには他の魂を押さえつける強さはない。彼女の魂を包み、守ることができるのはヤムだけなのだ。
「きっとヤムがあなたを救おうとして自分の魂を分けたに違いないわ」
「ヤム爺ちゃんが……」
サリーヌはニーナの手を取ってタニンの鞍へと引き上げる。
「行こう、クルケアンへ。そこできっとヤムに会える。敵でも味方でも、まずは私達は真実を知らないといけない」
タニンは翼を広げ二人を乗せて空に飛び立った。サリーヌは遠くクルケアンを眺めながら過去の名前に別れを告げる。
「さようなら、ニーナ。遠い日の私。私はサリーヌとしてバルと生きる」
そして今、サリーヌはクルケアンの大廊下にてヤムと対峙している。もしこの老人が家族の情を残しているならば、ニーナの為にも確認をしなければならないのだ。貴方はレビを本当の孫のように愛していたのではないか、と。それはクルケアンの未来と同じくらい重要な事であった。レビがニーナとして本当の意味で生まれ変わるために、家族の祝福は必要であったのだ。
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