第166話 エラムとトゥイの婚礼② アバカス達の祝福
〈評議会にて〉
観衆と化したクルケアンとハドルメの代表者たちが、議場の中央での一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていた。まだ幼さの残る少年と少女が、ハドルメの大使に婚姻の証人を求めたのである。クルケアンとハドルメを問わず、男性は好奇心を少年に向け、女性は頬を赤く染めた少女に心中で声援を送っていた。彼らの視線の先には進行役のメシェクが慌てふためいて、少年と少女の周りを歩き続けている。
「ちょ、ちょっとエラム君、トゥイちゃん、勿論、婚姻は可能な年齢だけど、私から婚姻の真似事を言いだしたのもあるし、後日にちゃんとした式を挙げるということで……、ほ、ほら、親御さんも来ていないしね」
「昨晩話しました。挨拶もしています。ほら、両親はイグアルさんが連れて来てくれています」
「そ、そう? 誓約書とかの書類は?」
「ソディさんが準備してくれました」
「じゃ、じゃぁ、問題ない、ねぇ……。で、でもエルやセト、バルアダンとか、皆がいないじゃないか。これは困ったね。うん。困った、よね?」
「彼らは仲間です。内々で祝宴を開きます」
「……はい」
メシェクが肩を落としたのと同時に議場が歓声で満たされた。その雰囲気を受け、アナトは肩をすくめてアバカスに話しかける。
「最近の若い者は情熱があっていいな。まさか、婚姻の
「本当にこういう場所で式を挙げていいのか? 一生の大事だぞ?」
「おいおい、証人を求められているのだ。お主らは知己なのだろう? 俺こそ聞きたい、あの二人は好きあっていないのか?」
「……素晴らしい恋人達だ。それこそ羨ましいくらいにね」
「ならいいではないか。この佳き日に、未来を担う若者が結ばれるのだ。さぁ、これより婚姻の式を執り行うぞ!」
議場に座っていた人たちが我先にと中央に詰めかける。トゥイはニーナに、エラムはサリーヌに手を引かれて、改めて神官アナトの前に歩いていく。
アナトの祝詞と同時に、サリーヌとニーナが人々の前に立って、透き通った美しい声で歌い始めた。それに合わせてクルケアンの人々は歌いだしていく。
貴方の愛は葡萄酒に勝り、貴方の声は世界のだれよりも愛しい
世界に朝が来るように、そして夕べが来るように
貴方と共に永遠の日々を過ごしましょう
愛する人よ、麗しき人よ
貴女の唇は甘露のごとく、貴女の眼は鳩のように美しい
貴女が大地であるならば、私はそこに木を植えよう
貴方が家の戸であるならば、私は中で乳香を焚き染めましょう
愛しい貴方へ、その腕で私を包んでください
愛しい貴女へ、私は抱きしめ心からの言葉を贈りましょう
祝詞と歌が終わると同時に神官と証人、エラムとトゥイ以外の全員が片膝を落とした。ハドルメの人々もそれに倣って片膝をつく。
「さて、エラム、汝は果実を持ち、トゥイの家の戸口に立って、家人と湯浴みした花嫁に迎えられたか?」
「快く、迎えてくださりました」
「では、トゥイ、汝が夫を拒むときは、夫でないと宣言し銀貨百枚を婚家に支払うことに同意するか?」
「イルモート神に誓って同意します。ですが拒むことはありません」
「エラム、汝が妻を拒むときは、妻でないと宣言し金貨百枚を支払うことに同意するか?」
「イルモート神に誓って、同意します。ですが拒むことはありません」
「証人のアバカスよ、汝はエラムとトゥイを見守り、善き後見役になることを誓うか?」
「エルシード神に誓います。……やれやれ、これで私は君たちの後見役というわけか。まったくしてやられた」
トゥイのこぼれそうな笑顔を見て、吹っ切れたようにアバカスは笑った。
「よろしい、ではこの神への誓約書に証人と二人は署名するがよい」
二人は誓約書をアバカスに捧げた。アバカスは自分とフェリシアの名と共に署名する。その名を見た瞬間、エラムはアバカスの手を固く握った。
「イルモート神、エルシード神の前で婚姻の誓いはなされた! これで二人は夫婦となった!」
アナトの宣言を受けて、二人はぎこちなく接吻をする。万雷の拍手の中、サリーヌが感極まってトゥイに抱き着き、そして二人の家族が温かく若い夫婦を迎えていた。傍らには役目を終えたニーナがアナトの横に立ってじっと二人を見つめている。
「やはり憧れるか。ニーナ、好きな男がいればちゃんと紹介するんだぞ」
「残念、頼りない兄さんを支えなくちゃいけないから、紹介する予定はないわ」
「俺の所為か」
アナトは笑った。そして、彼はニーナが小さな声でおめでとう、と言ったのを聞き逃さなかった。
酒杯を片手にしたイグアルが、なぜか勝ち誇ったかのようにアバカスに話しかける。
「アバカス、いい加減あきらめたらどうだ」
「何をだ、イグアル」
「あの子達には俺も勝てん。そしてあの子達が大好きなお前には側で見守ってやって欲しいんだ」
「……しばらく時間をくれ。今日は迷いたくない。今はあの子たちの幸せだけを願いたいのでな」
「そうだな」
そう言ってイグアルは遠く離れた議場の上段にすわるトゥグラトと、その横に侍るフェルネスに目を向けた。フェルネスもその視線に気づき、イグアルに鋭い一瞥を投げかける。それはアバカスとは違い、殺気を込めた視線だった。それは正々堂々と命を懸けて戦う騎士の目ではなく、殺人者のそれであったのだ。
「馬鹿野郎、こんなに距離を空けやがって。いつか絶対ここまで引っ張り出してやる」
イグアルは離れた親友に向けて呟いた。
「なぁ、イグアル」
「何だ、アバカス、今日は雑念を入れたくないんだろ」
「ついでに聞きたい。何故、教え子に先を越されるんだ? 今日の婚姻の儀、タファトとお前でも良かったろうに」
「しまった、その手があったか!」
「やれやれ、どうしようもない奴だ。あと一年は待ってやる。それまでに婚礼の儀を上げておけ。……それまでは待てんぞ?」
「ん、アバカス? どういうことだ」
アバカスはその言葉を背に受けながら、振り返ることなく呟いた。
「エラムとトゥイに伝えてくれ、明日の晩、クルケアン百層の大廊下で待つと。そしてお前とタファトについては護衛をつけておけ。必ずだぞ」
アバカスの精神の内でフェリシアの魂が喜びに震えている。
そして、息をひそめるように動かない他の魂も同じ波動を出しているのだ。
「……あと一年、あと一年は彼らの側にいてやろう。それでいいな、フェリシア、天文台のみんな……」
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