第167話 エラムとトゥイの婚礼③ 在るべき未来へ
〈トゥイ、アスタルトの家の工房にて〉
エラムと婚礼をした翌日、私はいつもと同じようにアスタルトの家の工房に出勤する。受付のサルマとマルタさんが、びっくりしたように駆け寄ってきた。
「え、昨日が式だったんでしょう? 休んだ方がいいんじゃないの?」
「トゥイ、無理は良くない」
「今は忙しい時期だからね、頑張って働かないと」
「……エラムはまだ来ていないよ」
「え、そうなの、エラムの家によっていないから確かなことは分からないけれど、昨日の帰り際、設計図を書くとか言っていたから、学び舎の空き部屋で寝ているんじゃないかな」
「「?」」
「どうしたの二人とも?」
「婚姻してどちらかの家に住んでいるんじゃないの?」
私はここでやっと会話が妙に噛み合わない理由が分かった。
「婚姻の式は挙げたけれど、神殿に出す誓書には一年後の発効とすると記載していたの。婚姻を後回しにしたんじゃなくて、今どうしても大切な人に証人になって欲しい人がいて、式だけ先に挙げたのよ」
「……よく神殿が許可を出してくれたね」
「そこは、ほら、ソディさんが笑顔で神殿に交渉してくれたから」
「怖い。……でも確実な方法」
「一年後こそ、皆を招待して盛大な宴をするから、それまで待っててね」
「ねぇ、マルタ、何か悔しいなぁ、あなたもその時に婚姻してさ、宴の主役になりなよ」
「サルマこそ、それを目指したらどうですか?」
「トゥイみたいにいい男を見つけられたらね!」
二人の冷やかしを受けながら、私は工房の自分の部屋に入る。そこには車輪のギルドと共に行う事業の報告書や、設計図、資料など紙と顔料の匂いに溢れた場所だった。
そしてこの部屋にはクルケアンの様々な物語と共に、レビ達に関する様々な調査記録なども壁に貼られている。私はセトやエルのように特別な力はない。ガドやサリーヌのように力もないエラムみたいに頭もよくないし、恰好よくもない。だから文字だけは、皆の役に立って見せる。
私の机の横に、書見台に架けられた大きな本が置かれていた。これはバルアダンさんとダレトさんがスラム街の長老に託された本だという。その長老はレビの養父でもあり、今はアバカスさんと共にクルケアンに災いをもたらそうとしている、賢者ヤムという人だ。
王の書と呼ばれる本は表紙しか残ってなく、その表紙に書かれている古代語はセトに教えてもらって解読できている。それでもまだ、この本には不気味さがある。何かのきっかけでもっと真実がわかるのかもしれない。
王妃は王に告げる
魂の名は神に奪われた
ただし、想いは魂に刻みつけた
我らは北の地にて眠りにつく
死の神は地下に、死者の魂は月に
王によりその名を思い出すまで
死の神はイルモートの事だろうと今は見当がついている。だが、これを書いた人の立場が分からない。それさえ分かればもっと想像ができるのだけれど。それよりも王と王妃の事が気になった。記述によれば王妃たちは北の地で眠り、王によって目覚めるのだろう。昔話であれば簡単だ。愛する人の口づけでお姫様は目を覚ますのだ。王はちゃんと王妃様にできたのだろうか……。昨日のエラムとの口づけを思い出し、赤くなった顔を両手で押さえつけてはしゃいでいると、サリーヌが声を掛けづらそうに入り口に立っていたことに気付く。
「トゥイ、お邪魔していいかな?」
「サ、サリーヌ! 昨日は祝福してくれてありがとう」
飛竜騎士団の鎧に身を包んだサリーヌは近くにあった椅子にどかりと腰を下ろした。しばらく見ない間にずいぶんと豪快になったものだ。それでも取り澄ましたような昔の彼女よりよほど魅力的だ。
「明日の昼に出発してギルアドの城へ戻るわ。駐在武官なのであまりクルケアンにいる時間が取れなくて。それまではアスタルトの家でゆっくりするつもりよ」
「そんなすぐに戻れるの?」
「バルがタニンを貸してくれたから……」
片手で髪をいじりながら口ごもる彼女を見て、私はからかいたくなる衝動を抑えた。ふふっ、どうやらバルアダンさんとはうまくいっているらしい。
「飛竜がいるなら心強いわ、今日の夜、私とエラムと共に一緒に百層に来てくれない? アバカスさんと会うことになっているの」
「あなた達の婚姻の証人となった、あのハドルメのアバカスさんね。でもいったいどうして?」
「魔人化した人を救う手段を探すため。ニーナが兄を助けてほしいって手紙で伝えてきたの。恐らくその兄は魔人化の影響で苦しんでいる」
サリーヌが驚いたようにこちらを見た。あぁ、彼女もガドと同じ目をしている。つまりは知っているのだ。
「サリーヌ、私もエラムも覚悟はできてる。あの婚姻はその覚悟を固めるためでもあったの。思いを形にする前に死んで後悔しないように、最後まで二人で歩けるようにね。だから私達の安全の事は気にしないで欲しい」
「やっぱりエラムとトゥイは強いね。私達の中で一番強いと思ってた。でもニーナの事を話すのはもう少し時間を頂戴。……私も彼女と話をしたい」
私が強い?
彼女は何を言っているのだろう。吹けば飛ぶような華奢な私であるのに。
「そのニーナという神官はあなたの昔の名前を名乗っているんだもの。サリーヌにはその権利があると思う」
「……ありがとう、トゥイ。夕方に迎えに来るわ。タニンで百層まで一気に送ってあげる。さあ、そろそろ上の学び舎で寝ているエラムを起こしておいでよ。寝言でトゥイ、トゥイと言っているんだから私からは起こせなかったわ」
「ふふっ、じゃぁ起こしてくるね。上の食堂で少しだけ待っていて。お茶を持っていくから」
「余裕だなぁ。降参、降参っと。あれ、この書見台の本って……」
サリーヌが立ち上がって本の側に駆け寄った。そういえば最初にこの本を調査、解読したのはサリーヌとセト、そしてダレトさんだったと聞いている。
「この本の言葉をね、ダレトは先生のように私とセトに教えてくれたの。いつもの不愛想な顔ではなく、本当に嬉しそうに教えてくれた。私にニーナの時の記憶がもっとあればきっと喜んだと思う。ニーナの兄であったダレトは先生に向いていたはずだから」
「記憶がなくてもサリーヌは楽しそうだったとセトが言っていたわ。私は、魂は記憶を手放していないと信じたい」
「ありがとう、トゥイ」
そういってサリーヌはこの本に手をかけ、魔力を流し込み始めた。
「サリーヌ?」
「前に月の祝福を流し込んだの。あの時は未熟だったので暴発するかもと中途半端に終わった。今なら解析も含めてできると思う」
サリーヌが月の光に包まれ、その光が王の書に移り、表紙に彫られた溝が光っていく。人の上半身よりも大きい古代の本の表紙は紐の様にその姿を変えたのち、黄金に光る矢となってサリーヌの手に落ちた。
「この本に魔力を込めたのは当時の月の祝福者! 恐らく後代の同じ祝福者が力を籠めることで本来の姿に戻る仕掛けとなっていたんだわ。でも変ね、ありえないことではないんだけれど、私の魔力とこの本に込められた魔力はその性質が近いみたい」
「サリーヌ、矢に文字が彫ってある。ちょっと見せて」
私は矢を手に取ると、おそらく古代語であろうその文字を読もうとする。しかし、その難解な文字はまだまだ私には難しい。サリーヌも同様で、二人でやっと三つの単語の意味を……それも予想の範囲でだが、王と愛する子へ、という意味だけを読み解くことができた。
「アバカスさんに古代語を教えてもらわなきゃ」
大切なものだからと、私は矢を丁寧に布に包んでサリーヌに渡す。大切に、との言葉はエラムを思いださせ、私は慌てて上階へ上がる。そこには設計図の上で寝ている彼の姿があった。
「がんばりすぎだよ、エラム」
言葉をかけながら、いつの間にか昔よりも大きくなっているその背をさする。
「うん、おはよう、トゥイ」
「おはよう、エラム」
このような会話がいつまでできるのだろう。
婚姻の誓書に一年後の発効としたのは私の希望だった。それは健康を取り戻したエラムと一年後には幸せな生活を築くための私の決意でもあり、手に入れるべき理想の未来でもあった。
エラムの頬についた顔料の後を拭きながら私は彼に声を掛ける。
「さぁ、まずは食事にしましょう、エラム。サリーヌが来ているの。食べて仕事をして、ついでに人助けもしましょう!」
大声で階下のサリーヌを呼んだあと、私は彼の背を押しながら食堂に連れて行った。
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