第163話 天秤のメシェク

〈エラム、トゥイと共にアバカスを探す〉


 僕は百九十層の飛竜騎士団の騎士館に行き、アバカスさんとの面会を試みる。彼はこの別館に他のハドルメの駐在武官と共に業務をしているはずだ。

 

「ハドルメの外交大使への取次は受け付けてございません。和平定着に向けての大事な時期ですので外交上何も問題が起きないよう面会は不可です」

「……せめて手紙でもお渡し願えませんか」


 受付に無理を言って手紙を預かってもらうが、渡してくれないのは雰囲気で分かった。


「正攻法じゃだめか。……イグアルさんの紹介状も使えないなぁ」

「ラバンさんにお願いしてみたら?」

「騎士団長はそれこそ軍の再編成で連絡が取れないよ。まいったな」

「セトのお父さんのガムドさんはどうかしら。隊商をしていらっしゃるので顔は広いはずよ」


 物知りのソディさんにガムドさんの居場所を尋ねると、眉間に皺を寄せて反対された。


「エラム、君はクルケアンの都市計画に携わる身だ。いくつかの案件は評議会と関係ギルドの承認待ちで身動きが取れないとはいえ、政治に関わると命を狙われる可能性がある。タファトさんから勝手に面会をするなといわれているだろう。君はサリーヌやガドのように兵士ではないんだよ」

「はい。だから大人に頼りたいんです。僕にできる事、できないことは分かっているつもりです」

「……もう、素直すぎるのも若者に相応しくはないですよ、エラム。ガムドはラバンのところへの物資補給で多忙です。情報を得たいのならむしろメシェクでしょう。口入れ屋をしているのでリベカ殿よりも知人は多いはず。今は八十八層の天秤イオレペレーのギルドにいます。そのくらいならタファトさんは許してくれるでしょう」


 メシェクさん、つまりエルのお父さんは昔は漁師をしていたらしい。嵐の海で外洋に出られなくなった漁師は陸に上がり新たな職を求めた。そして面倒見のいいメシェクさんは同業者たちに職の渡りをつけていき、それがいつの間にかギルドとなったのだ。ギルド名の天秤は本人と相手が満足するように紹介しますよ、という意味を込めているのだとエルから聞いたことがある。


 クルケアンの八十八層はいうなれば変なところだ。壁が少ない。大きな魔獣石の柱が林立し、入り口は八十八層だが、その下の八十六層まで外周から階段状に降りていくように中央がくぼむ形で大きな広場を形成しているのだ。口入れ屋で情報を仕入れた後は広場で職人とギルドが話したり、商品や技術などの展覧会をしたりしている。僕たちが目指す天秤イオレペレーのギルドの事務所はその外周の南端側にあった。


「すみません、アスタルトの家のエラムと申しますが、メシェクさんはいらっしゃいますか」

「はい、ギルド長なら今そこで説教を受けています。お待ちください」

「「説教?」」


 隣室を除くとメシェクさんが事務員の人に怒られている姿があった。肩を落としてうな垂れるメシェクさんの後ろ姿が侘しい。

 僕たちの足音に気づいたのか、彼の背中がピン、と伸び、首だけをギギッと動かしてこちらを見た。半分泣いていた顔が瞬時に笑顔に変わり、また泣き顔に戻って事務員に向き直った。


「反省しています。もう二度と仕事をさぼりません。客人も来たようですし仕事に戻ります。戻らせてください。」

「本当ですね。もしさぼれば奥さんのツェルアさんに言いつけますからね!」


 大人が大人に言いつけますからね、といわれるのを初めて聞いた気がする。よろよろと立ち上がったメシェクさんは僕たちの肩を抱いてひそひそと囁く。


「君達、良いところに来てくれた。……逃げるぞ。三、二、一、さぁ、走れ!」

「ギルド長、この卑怯者! 今度は子供まで使って!」


 天秤イオレペレーのギルドの従業員十人ほどが追いかけてくる。メシェクさんは僕たちの手を引きながら障害物を避けながら駆けていく。広場に座る人達はその捕り物の光景を見てはやし立て、賭けの対象としているようだ。


「お、またメシェクが逃げ出したぞ」

「さぁ、今日もいつまで逃げきれるのか賭けようじゃないか」

「お、今度は子供もいるぞ。相変わらずの悪党だ!」

「ギルド長、仕事をしてください!」


 しかし、遮蔽物のないこの階層では逃げ込む場所もなく、また、浮遊床の前には既に従業員がにらみを利かせている。


「さぁ、ギルド長、もう逃げられませんよ。そこの君達も説教です」

「えぇ、なんで?」

「エラム君、トゥイちゃん、追い込まれてからが人間の進化が発揮されるのだよ」


 メシェクさんは僕たちを両わきに抱えると、そのまま八十八層から飛び降りた。


「きゃぁぁ!」


 トゥイの叫び声がクルケアンの南側に反響する。そう思ったら、外壁に突き出た石段に降りただけだった。


「おのれ、いつの間に逃げ場を用意するとは!」

「まだまだだな、諸君。天秤イオレペレーのギルドの従業員たるもの、いついかなる時も逃走経路は確保しておくものだよ」


 憤怒の形相の従業員が次々と石段に降りてくる。再びメシェクさんは走り出し、外壁の色の違う煉瓦を押した。そこは機械仕掛けなのか壁が開いていき、中には鳥の羽のようなものが付いた籠があった。メシェクさんは迫る従業員の怒声を背に受けながら満面の笑みで僕たちの肩を叩く。


「……乗れ、ということですか?」


 この籠に乗る恐怖で足がすくんでいると、メシェクも子供も縄で吊るし上げてやる、というもはや従業員のものとは思えない声が近づいてくる気配を感じて、僕たちは目を閉じて覚悟を決めた。


「さあ、ギデオンさんからもらった秘蔵の滑空機アングウィス、クルケアンの市民にお披露目と行こう!」


 籠に乗った僕たちを確認すると、メシェクさんは滑空機アングウィスに乗り込み、足を使ってそのまま空へ躍り出た。


「ギルド長!」

「ちくしょう、あいつやりやがった! この日のために倉庫まで作っていたんだ」

「あれって、水車のギルドからの売り込み品でしょう。まぁ、広告にはなるけれど……」


 従業員が地団太を踏む中、メシェクさんは高笑いを上げて勝ち誇る。


「諸君、まだまだ甘いな。君達に隠れて日々私も努力していたのだよ。ツェルアに会いに行くのを妨害する者に災いあれ!」

「ギルド長、帰ったら覚悟してください」


 従業員が笑顔で手を振っていた。しかしその手は力強く握りしめられている。


「……すみません。調子に乗っていました。なるべく早く帰ります。また、この滑空機アングウィスを各ギルドに売り込んで給料上げるので勘弁してください」


 そういってメシェクさんは泣きそうな顔で、授業員に懇願した後、ツェルアさんのいる最下層の糸の宝石ポワン・クペのギルドを目指して鷹のように滑空していく。


「飛竜に乗ったことはあるかい?」

「いいえ、一度もありません」

「ふふ、技術があれば人の力で空を飛ぶことができるんだ。僕には作る力はないけどね。人を通して用意はできるし、有意義な使い方だって提案できる」

「どう使うんです?」

「愛する妻の許へ行くことさ!」

「時と場合によるのでは?」


 それ以外に何があるのかい、という純粋な目に、トゥイが冷たい目をして応えた。メシェクさんは肩をすくめて、トゥイちゃんは厳しいなぁ。私に会ったツェルアの顔を見ればきっと夫婦のきずながわかるよ、といって片目を瞑った。

 滑空機アングウィスは大きく南側を旋回し、人々の瞠目を集めている。下層の風景が広がり、海や空、そして草原が眼下に広がる。僕とトゥイはこれが鷹の視点なのかと驚き、そして興奮していた。


「いつか祝福がなくなった時に備えてなんだ。例えば浮遊床が止まった時にはそれに変わるものが必要だ。滑車を用いて床を動かすか、綱を用いて滑るように移動していくか、もしくは空を飛ぶかだ。本当なら飛竜を乗り物代わりにしたいのだけどね。流石に軍に取り込まれているので商業利用はできない」


 急に商売人の顔となったメシェクさんが僕にそう語った。できるだけ多くの人に新しいものを見せたい。そうすれば新しい商売が始まる。そして、口入れ屋の自分達も儲かるのだ。市場を作るのも仕事なんだよ、いわば絆で皆をつなげる商売なんだ、といって高笑いをする。……その高笑いがなければいい話で終わったのに。だが、それも彼の魅力なんだろう。そういう魅力にツェルアさんは惹かれ、大恋愛をして結ばれたのだとエルが苦笑しながら話していた。


「夫婦の絆、か」


 夫婦の絆、友人の絆、親子の絆、敵との絆。魂が引き寄せられるには時間と共に形成された絆が必要だ。ダレトさん、レビの魂を引き寄せるだけの絆を僕は持てるのだろうか?

 下層のツェルアさんがいるギルドに降り立って、メシェクさんがいそいそと工房に入る。


「この馬鹿亭主!」


 その瞬間、工房を揺るがすような大きな声が響き渡った。結局、糸の宝石ポワン・クペの公房で僕たちも連座させられ、危険な行動をしたことについて説教と拳骨を喰らったのだった。僕とトゥイは見つめ合ってため息をつく。


 絆って難しい。

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