観測者たち

第161話 悪竜と英雄

〈トゥイ、アスタルトの工房にて〉


「トゥイ、玄関に封筒が落ちていました。お知り合いの方からでしょうか?」


 ガド達が出発した翌日、サルマは怪訝そうに私に封筒を持ってきた。何でも朝に掃除をしようと玄関を出ると、そこに一通の手紙が落ちているのを見つけたのだという。


「ありがとう、確認してみるわ。えーと、アスタルトの家の皆さんへ、ニーナ。……ニーナ?」


 私が首を傾げていると、下の作業場から設計図を片手にエラムがやってくる。


「どうした、トゥイ? 眉間に皺を寄せて」

「手紙が玄関に置いてあったの。送り主はニーナさんという人なんだけれど心当たりはない?」

「ニーナ……。確かサリーヌの記憶を失う前の名前だろう? でもサリーヌなら今の名前で手紙を寄越すだろうしなぁ。あぁ、この封蝋の意匠は神殿関係者だね。イルモートを示す炎の意匠だ」

「それだとますますサリーヌなのよね……。封蝋をとるわ。ええと、兄のためにザハの実とリドの葉が必要ですって」

「薬の調達依頼か、しかしまた神の二つの杯イル=クシールといわれる薬草とはね。薬師のギルドでも調達は難しいぞ。施薬院の件で薬師のシャドラパさんのところへ行く用があるから、ついでに聞いてみるよ。どのくらいの量が必要なんだい」

「ザハの実は籠に一杯、リドの葉は五十枚……」

「それだけで家が十軒は建つな! しかも南側の、日が当たる高級住宅区域にだ。いたずらだろうよ」

「ええと、手紙の続きは……。兄の為によろしくお願いします。エラムが引き継いだシャヘルの薬草園にて採取できるはずです、エラム、これって!」


 かつて神の二つの杯イル=クシールを使って、薬師のシャヘルさんはエラムの命を助けてくれた。そのシャヘルさんについての記述があるということは、私達と近い繋がりがある人に限られる。現教皇のシャヘル様に聞いたのかもしれないが、彼は魔人化し、別の人格がその身に宿っているはずだ。一体誰だろうか……。それに手紙で兄を救って欲しいとのことだが、私だってそうだ。体を蝕む魔障によって、エラムの体もあと一年はもたないはずだ。この薬さえあれば彼を救うことができる。


「シャヘルさん、ニーナ、お兄さん……、そして僕の名か。お兄さんの名前だけが分からないな」

「サリーヌ、つまりニーナのお兄さんはダレトさんでしょう?」


 ダレトさんはレビと共に光の中に消えていった。もし発見できたとしてもサリーヌがこのように凝った方法で助けを求めてくるとは思えない。だって私達は同じアスタルトの家の仲間なのだから。


「ねぇ、エラム。馬鹿な想像、というより期待なのだけど私の考えを聞いて」

「トゥイの話を馬鹿にしたことはないよ、いってごらん」


 エラムの自然な物言いに、受付で耳ざとく聞いていたサルマとマルタがにやにやと笑う。エラムは褒めてくれるにしても自然体だから時々反応に困るのだ。


「え、ええ、ダレトさんをサリーヌと同じように兄と慕っていた女の子を私達は知っているはずよ」

「そうだ、レビだ!」

「レビとダレトさんは一緒に消えていった。そのダレトさんが命の危機に瀕していたら、レビが助けを求めてくるのは私達しかいない」

「偽名を使っているのは?」

「表立って活動できないのかもしれない。ほら、お話でよくある、悪い人に追われて身分を隠しての逃避行、という感じの」

「……レビは僕たちと直接会うことができない。そして手紙を出した人物はシャヘルさんと直接話したことがある。あぁ、トゥイ、僕達は大事な人を探し出せるのかもしれない。その依頼、受けよう」


 仕事をソディさんに押し付けて、私達は三十四層の施薬院に急いで向かう。受付にいた薬師のシャドラパさんの袖を引っ張り、シャヘルさんの薬草園へと走っていく。


「ちょっと、エラム君、トゥイちゃん、いったいどうしたというんだ。話なら私の医局で……」

「ザハの実とリドの葉なんです!」

「はぁ、もう施薬院には尽きてしまったよ。残っていた分はイズレエル城へ運んだんだ。もっともその量も少ないけどね。西方の諸都市から来るのを待つしかない」

「もし、その薬草が手に入るとしたら、その栽培方法が見つかるとしたら?」

「大勢の民が救われるね。ん、エラム君、何か心当たりがあるのかい?」

「ええ、だからそこへに向けて走っているんです」


 少し太り気味で息を荒くして走っているシャドラパさんの背を押していき、私たちの希望の園へと到着する。荒れ果てた施薬院の一角で、エラムが受け継いだ薬草園は手つかずのままそこに残っていた。エラムとシャドラパさんが薬草園のうねを調べていく。そこには小さな、本当に小さな芽が見て取れたのだ。私達は期待を込めてシャドラパさんを見つめる。


「……いや、この段階では判断がつかないな」

「そうですか……。ザハの実とリドの葉はどういう形状をしているのでしょう?」

「ザハの実は野苺ぐらいの大きさでね、硬い外皮に覆われている。リドの葉は葉っぱというか、細く白い糸みたいなものなんだ。ただしクルケアンでは収穫済みの実と葉で運ばれるので植物全体の外観としては私も見たことはない。この状態ではわからないよ」


 私達は落胆した。でも、この芽が成長していけば、ザハやリドの薬草なのかわかるかもしれない。ただ、私には疑問に思うことがあった。


「シャドラパさん、物語で読んだのですが、竜を癒した薬草の話の中に変わった記述がありました。誰も見たことがないというのなら、もしかしたらその薬草と同じかもしれません」

「ほう、トゥイちゃんは物知りなんだね。よし、ここまで来たんだ。そこの壊れかけた長椅子でお茶を飲みながら聞こうじゃないか。あそこの小屋で水を沸かしてくるよ。ちょっと待っていてくれ」


 しばらくしてシャドラパさんの淹れてくれたお茶を飲む。エラムが少し前にこうやってシャヘルさんとお茶を飲んでいたと懐かしそうに話した。何か困ったことがあったらこの薬草園に来るといい、と言ってくれていたらしい。だからここにきっとある。だって薬師のシャヘルさんが困っている人を救わないはずがないもの。そう思いながら私は昔読んだ本の内容を口ずさんでいく。


 昔、悪竜が人々を襲っていた。猛り狂うその竜は、爪をもって獣を殺し、牙をもって人を喰らった。周りの竜がその非道を諫めるも言うことを聞かない。その竜はおさであり、またとても巨大で誰も勝てなかったからだ。


「なぜ、貴方は必要もなく人や獣を害するので?」

「怒りが収まらぬからだ。そして爪と牙があるからだ」

「なぜ我らに爪と牙があるのでしょう?」

「決まっている、力を示すためだ」

「なぜ長は力を示すので?」

「我こそが力だからだ」


 そして四人の英雄達、戦士と神官、麗しい乙女達が竜退治をすべく、北方の大森林へと赴いた。

 乙女たちの祈りの加護を受けた戦士と神官によってその竜は退治された。竜は死に臨んで自らの敗北を受け入れる。

 神官は森林の土の中から薬草を探し出して竜の傷口に塗り込んだ。傷の癒えた竜達は頭を垂れて英雄たちに忠誠を誓った。


「……そして竜は人の友となった」

「そうだ、クルケアンの民が好む英雄譚だ。その原点の話から色々と尾ひれはひれがついて、色々な物語が生まれたんだ。戦士と乙女の恋愛ものや、竜と戦士たちのその後の活躍などだ。王の伝説ともつながるね。私の小さい頃は飛竜騎士団に憧れた子供達が競ってその戦士になり切って道端で竜退治ごっこをしていたよ。私は竜の役だったなあ」


 あとは、神官と乙女の口喧嘩の話もあって、いつも神官が負けることからクルケアンでは夫は妻に口ごたえをしてはいけないという伝承が残ったのだと、シャドラパさんは笑った。


「でも、トゥイちゃん、それがどう関係あるんだい?」

「その話が事実なら、竜を癒した薬は土中に在るはずではないでしょうか。シャドラパさん、ちょっと畝を崩してくれませんか」


 顔を見合わせたエラムとシャドラパさんが畝を慎重に削っていく。そしてそこには小さな実と菌糸のように地下に根を張る白い葉があったのだ。


「あぁ、神よ、感謝します。人が神の神の二つの杯イル=クシールの栽培に成功していたとは!」

「シャドラパさん、では、ではこれがそうなのですね」

「あぁ、エラム君。そうだ、これがザハの実とリドの葉だよ。薬師シャヘルがどのように栽培していたかはこれからだが、それさえわかればきっと次の栽培もできるだろう」


 薬草の研究は薬師のギルドと共に内密に行うことにした。今の段階で公表すればきっとこの薬草園は荒らされてしまうためだ。シャドラパさんと今後の打ち合わせをした後、私達は工房に戻っていく。

 帰り道の途中、強い風が吹いて私はエラムに寄りかかった。砂塵が舞って目を瞑る。次に目を開けた時、私達の前に手紙が置かれていた。そして路地の奥へと遠ざかっていく女性の神官の姿があったのだ。


「レビ、貴女はレビなんでしょう?」


 私は叫んだ。神官の顔が少しだけこちらを向いた。

 

「レビ?」


 ……その顔には仮面がつけられていた。手を伸ばし、呼び止める私の声を背に仮面の神官は姿を消した。

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