第149話 神代⑥ ランプの光
〈ハドルメの廃城にて〉
エルシードはハドルメの廃城にてイルモートに詰問する。兄とも慕うバァルと戦う無意味さ、そして天界の知識をヒトについた愚かさを必死に説くものの、イルモートは耳を貸さなかった。エルシードは必死だった。前の神々の戦いでは、ヒトの世界に降りたイルモートはその祝福をヒトにばら撒いて、怒るバァルとナンナ、タフェレトといった神々に敗れ、精神を破壊され、肉体を地下深くに封印されたのだ。穴の底で泣いて叫ぶイルモートの姿はエルシードの心の傷となっていた。そんな肉体無きイルモートが、神の記憶をそのままにヒトとして生まれ変わったのだ。せっかく願いが叶いヒトとなったのだから、その生を全うして欲しい。エルシードはそう考えていた。
「エルシード、和平を望むのであればバァルの方ではないか? 僕達は手を出されなければここで静かに生きていく」
「祝福の在り方を変えなさい。私とバァルは広く民衆に祝福を授けています。貴方はヒト個人に祝福を与えている。そのために魂を分け続けると貴方はただのヒトになってしまう。そして広寒宮の知識をヒトに与えるなど、禁忌を神が破ってどうするの」
「僕はヒトになりたい。そう望んでいるのだ。エルシード」
「わたしはそう望んでいない。バァルもよ」
「バァルは神の力を受け継ぐ人の存在を望んでいないのだろう?」
「……そうかもしれない。だから、バァルは貴方と、そちらの魔人全てを殺しつくすわ。神の座にヒトは入るべきではないと怒っていた」
「彼らは僕の祝福と、知恵を少しばかり持っているだけだ。それを魔人と呼称するのは、エルシード、君でもやめてほしい」
「ヒトには寿命がある。今ならバァルに、貴方たちをこの城内での幽閉を条件に和平を提案することができる」
「籠の鳥は生きていると言えるのかい? 広寒宮の暮らしは生きていると言えないだろう。僕達はこの北方の地を開拓し、豊かな国家を作りたいのだ」
「ヒトと共に在りたいというのね。わたし達の事はどうでもいいということ?」
「エルシード、君も人にならないか。永遠ではなく、限られた時間の中で共に生きよう。神の力を失えば、君と本当の意味で家族になれる」
「神であることがわたし達の存在意義よ。それを捨てることなんてできない」
「残念だ。エルシード」
「待って!」
「今日は部屋で休むがいい。明日は君らが魔人と呼ぶ民に声を掛けてやってくれ。その上で明後日の戦いに臨むことを願う。殺し合で、互いの事情を知らぬほど悲惨なものはない。憎しみも苦しみも人のものだ。さもなくば、殺すという処理を繰り返すだけの戦いになるだろうからな」
エルシードは悄然としてハドルメの廃城を歩いていく。月明りが彼女の半身を照らし、エルシードはその光の元に向かって語りかける。
「ナンナ、貴方が正しかったのかしら。全ての力を世界に振りまいて消滅してしまうことが」
月の神ナンナと太陽の神であるタフェレトは百十二年前にその力を全て世界に分け与え消滅していた。そして太陽も月もこの大地に変わらぬ祝福を与え続けている。エルシードは、神と言われる自分たちが、実はヒトに対して力を伝えやすくするための装置ではないのかと考えていた。ナンナとタフェレトがいなくなっても月や太陽がなくなることはない。ヒトの想いを拠り所として存在する私達こそが、不要な存在ではないのか……。
「エルシード様、夜風は体に障ります。自室へお戻りください」
「いいのよ。アッタル。今日明日のうちにこの廃城を見ておきたいの」
「……それではお供します」
エルシードは屋根が崩れた詰所で、自らの護衛隊が天幕を張って夜に備えているのに気付いた。
「アッタル、彼らには兵舎の割り当てはなかったのですか?」
「この廃城は崩壊する寸前です。エルシード様の部屋がある城壁の区域はともかく、城内で一番安全なのは天井がない場所となります」
「そう、可哀そうに。……どうしたの、アッタル?」
「いえ、ヒトに対して憐憫の情をお持ちの様で驚きました。あまりヒトに関心を寄せられますな。いつイルモートのように堕落してしまうかわかりませんぞ」
「そう、そうよね。でも今日と明日はヒトを知りたく思うの」
エルシードはガド達の天幕に近づき、手招きをした。ガドとミキトは苦虫を噛み潰したような表情で立ち上がった。
「エルシード様のお声がかかったのに、そのような無礼な態度は何だ?」
「アッタル。良いのです。しかし、貴方達は神を前に、そのような表情ができるのですね。その感情は何故でしょうか?」
「正直に申し上げてもよろしいか」
「よろしい」
「なぁ、神様はそんなに偉いのか?」
アッタルが唇を噛みしめてガドの胸ぐらをつかんだ。その手は短剣を持ち、神への無礼をその命で償おうとする。ミキト、ゼノビア、シャンマがアッタルの腕を取り押さえようと飛び出した。
「止まれ」
エルシードによって全員の脚と手が氷柱によって固定され、その動きを止められた。
「アッタル、あなたもよ。控えなさい」
不承不承とした表情ながらも神の命令に従ったアッタルを確認すると、エルシードはガドに続きを促した。
「俺は友人を神に奪われた。依り代だか何だか知らないが、神にその体を乗っ取られたんだ。それも二人だ! 友人を、家族を奪われて神に感謝することはできないな」
「神に感謝できないと、それは興味深いですね。わたしの水の祝福がなくなったらヒトは生きていけないでしょうに」
「水は川にある。空からも降ってくる。目の前で流れを変えるとか、魔力で量を増やすとか、そういう芸当はできないかもしれない。でも生活はできる。技術があれば俺たちは生きていけるんだ」
「技術? どんなものですか」
「水道橋を作って川の流れを都市に引き込んだり、それを動力として製粉や輸送に用いたりだ。まぁ、これは友人たちと今からすることなのだがな。人の技術が発展すれば祝福に頼ることもない。自然の恵みだけで十分だ」
「自然の恵み……。神こそが不自然だと?」
「そうだ。人と、自然と共にいない存在は不自然だ。一緒に生活し、食事をとり、家族を作り、友人を作っていく。神は人の生活に関わっていない。時折、人が神に助けを求め、超常の力で奇跡を見るのだろう。しかしそれは日常ではない。…その時しか声を掛けてもらえない神様に同情はしている」
エルシードは衝撃を受けたように一歩後ずさった。下賤なヒトの兵が同情と言ったのだ。怒りで肩を震わすアッタルを手で制しながら、気になることを尋ねた。
「神の依り代に乗っ取られたといいましたね。その神は誰なのです」
「神の名を唱えるつもりはない。だが、友の名は言おう。セトとエルシャだ」
その若い兵は、畏れることなく、エルシードの目を見つめてそう言い放った。彼が唱えた二つの名によって、エルシードは魂が激しく揺さぶられるのを感じた。
「セト、エルシャ、セト、エルシャ……。見つけなきゃ、私、わたしがきっと…」
「エルシード様、戻りましょう! これ以上ここにいてはいけない」
アッタルがエルシードの手を引いて、寝所まで連れて行こうとする。エルシードは味わうことのないはずの頭痛に苛まれながら、ガドに問いかける。
「兵よ。貴方の名は?」
「クルケアンの衛士ガド」
「明日、私はイルモートに最後の交渉をする。ガド、貴方達も同席せよ」
「さぁ、エルシード様、早くこちらへ……」
アッタルはガド達を睨みつけ、半ば無理やりにエルシードを連れて行った。そしてその時に、ガドのランプをアッタルのそれと間違えて持って行ってしまった。
「ガド小隊長、怒ってるの?」
「俺が怒っているように見えるか?」
「俺は怒っているがな。エルと付き合いの長いお前だ。俺よりも怒っているだろうに」
「隊長、これを飲んでゆっくりしてください」
シャンマがガドを気遣って焚火の日で沸かした水を持ってきた。
「ありがとう。シャンマ。なぁ、シャンマ、聞いていいかどうか悩んだが、仲間になったことだし質問させてくれ」
「はい。隊長」
「シャンマ、君は複数の魂が溶け合った魔人なのか?」
「……はい。僕が意識を取り戻したのはクルケアンにくる直前でした。シャマール様が僕の姿を見て付き人として騎士団に加入させてくれたんです」
「溶け合った人格、そして知識というのは、やはり辛いものなのか?」
「ガド、こんな小さい子に聞くもんじゃないよ!」
「ゼノビア、すまん。だが、どうしても知りたかったんだ。くそったれな神に意識を乗っ取られたあいつらが、どんな思いでいるのか…」
「いいんですよ。隊長。実はそんなに辛くはないのです。意識が溶け合うことでまったく別の人なのですから。それよりも意識が残っている人の方が可哀そうなんです」
「どういうことだ」
シャンマは自分の顔を指し示した。
「僕の外見のみは、生前のハドルメのある子供に近いらしいのです。……シャマール様の知り合いだったのでしょう。人として再びこの世に出た時、シャマール様は私を抱きしめて泣いておられました。ただ、私にはそれに応えるだけの記憶はありません。辛い顔をされるシャマール様を見ていると、そう思うようになりました」
「その子供の意識が欲しいかい?」
「いえ、はっきりとした意識を持つということは、他の魂の意識を、魂の活動源である魔力を喰らうということです。そうなれば魔人は強い力と引き換えに人血を欲します。血は魔力に近いものですから」
「そうか、ありがとう。シャンマ。今後どうなろうとお前は俺たちの仲間だ。うちの中隊長ならきっとクルケアンとハドルメのために動いてくれる。シャンマの新しい人生のためにもな」
ゼノビアとミキトが、お兄ちゃんぶって、とガドをからかった。そしてシャンマを自分達の方に抱き寄せて、あれこれと世話を始める。シャンマはくすぐったそうに笑いながら、ガドに向けて敬礼をした。
アッタルによって部屋に押し込められたエルシードは、寝台の上でガドの言葉を考える。
「クルケアン、クルケアン。あの滅んだ都市で私の依り代は人として生活していた、そして友人に囲まれていたというの?」
ガドの目は自分を見据えていた。憎しみと悔しさ、そして気遣いがその眼から見て取れた。夢を見たい。彼女はそう思った。ヒトが見るというその夢を。
枕頭にはアッタルが置いたガドのランプが置かれている。ランプの小さな光は優しく夜の世界を拒んで彼女を照らし続けている。その光の揺らめきを見ながら、ヒトの儚さの様だ、とエルシードは考え、眠りについた。
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