第150話 神代⑦ 箱庭の世界
〈ハドルメの廃城にて〉
柔らかいランプの光に照らされて、エルシードは見るはずもない夢を見る。幼いイルモートに手を引かれ、天に届くかと思うほど高い塔がある都市を走り回っているのだ。夕方になると多くの家族達と食卓を囲み、イルモートの頬をつねりながら高く笑い声をあげている。そこにはバァルもいて、自分とイルモートの頭を撫でてくれるのだ。
食事の後は屋上に登って星空を見る。三人で約束をしたようだが、夢の中のエルシードはその言葉を聞き取れず、慌ててイルモートとバァルに手を伸ばすが、陽炎のように掻き消えてしまった。
悲しくなってうずくまって泣いていた自分に他の子供達が声を掛けてきた。槍を持った少年、自分と同じく元気で口の悪い少女、物静かで透き通るように美しい少女、でも怒ると怖いことを何故か知っている。そして物語を愛する少女と、彼女が支える工作が得意な少年。彼らが自分の手を取って、遅刻するぞと焦るように学び舎まで連れていくのだ。息を切らせた彼らは、玄関で迎えた一人の綺麗な女性に叱られ、肩を落としつつ部屋に入る。そこには蜂蜜をかけた
先生もエラムもトゥイも、この美味しいカターフを食べればいいのに。私やレビ、サリーヌが全部食べちゃうよ、そうエルシードが考えていると、自分とそっくりな少女が現れ、こういうのだ。
「そこにいたのね、エル」
寝台から飛び起きるようにエルシードは夢から目覚めた。朝の光と鳥の声が彼女を包む中、頬に伝うものを手で拭う。
「涙?これが……」
夢とは、感情とはこんなにも胸を熱くするものなのか。やがて夢に出てきた槍を持った少年が、昨日のガドという兵であることに気づいた。
「アッタル、そこに控えていますか?」
「はい、こちらに。エルシード様」
隣接した従者の部屋からアッタルが入室する。跪く彼を立ち上がらせ、エルシードは喜色を浮かべて従者に指示をする。
「昨晩のガドとその仲間たちを呼びなさい。イルモートと最後の交渉を始めます」
「承知いたしました」
アッタルは内心首をかしげていた。お優しいエルシード様は最後までイルモートの説得に尽力されるであろうが、彼が見てもイルモートが受け入れるとは思わない。その困難な任を前にして、女神は笑っているのだ。
「おい、ガドとやら、エルシード様がお呼びだ。ついてこい」
「俺も礼儀正しいとは言えないが、もう少し言葉遣いに気を付けたらどうだ」
ガドは怒った様子もなく、むしろあきれた様子でアッタルに言葉を返した。
「おい、ゼノビア、聞いたか? 小隊長が礼儀を示せ、だなんて。こりゃ世界が崩壊するぞ」
「ミキト、今まさに世界がぐちゃぐちゃになっているんだけどね。冗談になっていないよ」
「え、世界の元凶はガド隊長なのですか?」
「そうなのよ。シャンマ君。だから君はきれいな言葉遣いでいてね」
「お主ら、明日は世界の命運が決まろうというのに、なぜそんなにのんびりできるのだ」
「明日はどうなるか分からないから、せめて今日は楽しく生きるんだ」
「ヒトらしいな。目の前の事しか見えていない」
「ちょっと、えーと、アッタル君!」
アッタルは自分の事かと驚いてゼノビアを見た。神の従者を子供扱いされたのだ。
「神の従者たる私に対し、無礼であろう。その呼び方を改めろ。まったくこれだからヒトという存在は……」
「いーや、やめません。あのねぇ、私達だって明日をちゃんと考えているよ。そのために今日を頑張るの。辛いことがあるならば明日はより楽しくできるように努力するのが人間なんだよ」
そう言って、ゼノビアはアッタルの服の
「ほら、今を疎かにしているじゃない。あー、髪も少しはねているね。シャンマ、荷物から櫛と香油を持ってきて」
「は、はい!」
「こ、こら、何をする」
アッタルを椅子に座らせ、ゼノビアが彼の身だしなみを整えていく。
「おい、ゼノビアがお母さん状態に入ったぞ」
「あぁ、あの状態のゼノビアには近づきたくない。前も、俺にはこの服が似合うはず、といってすごい子供っぽい服を押し付けられた」
「お前もか……」
ガドとミキトが遠い目をしている間に、アッタルは身なりを整えていた。ゼノビアは一仕事終わったかのように満足げにしている。
「ま、まぁ、良い。人に
「ちがーう。ありがとうございました、でしょ?」
「……感謝しよう」
「まぁ、いいか。さぁ、小隊長、神様とやらに会いに行こうか」
ガドはミキトと目を合わせ苦笑をする。そして一行はアッタルに連れられてエルシードの許へ向かった。
「エルシード、何度言っても僕の気持ちは変わらない。さぁ、バァルの許へ帰るがいい。そして明日の戦いに巻き込まれないよう、身を隠しておいてくれ」
「今日は、もうあなたを止めるつもりはないわ。ただ、話がしたかったのよ」
「エルシード……」
「それに、今日はね、貴方に私の友人を紹介したいと思っていたの」
「友人だと?」
イルモートは明日の戦いを忘れて、神であるエルシードの友人とは一体誰だ、と訝しがった。成程、話がしたいとは確かに妙案だ。彼自身、ここまで自分の心情が揺さぶられるとは思ってもみなかった。
「入ってきなさい、ガド」
アッタルに連れられて、ガド達が入室する。ガドは覚悟を決めていたものの、イルモートがセトを依り代としていることを確認し、肩を落とす。
「人よ、お前達は何者だ、どうしてエルシードの友人になれたのだ?」
「え、そんなことを言われてもだな、昨日、口論しただけだしなぁ」
「胸を張れ、ガド。お前とセトとエルはアスタルトの家の創立からの仲間だろう?」
「「アスタルトの家!」」
エルシードとイルモートが同時に叫ぶ。二人はその言葉を聞いて、魂が少し揺らぐのを感じていた。
アスタルトの家……、エルシードは何度も心中で繰り返し唱えながら、ガドに向かって夢のことを語りだした。そして、アッタルが取り違えて持ってきたタファトのランプをガドに差し出す。
「夢を見れるなんて思ってもみませんでした。この
「タファトおばさんの魔力で輝く角灯だ。きっと優しい夢をみれたのはおばさんのおかげさ」
セトとエルの想いが、この角灯を通じて夢を見せてくれたのだろうか、ガドはありえないと思うも、そうあってくれた方が素敵だなと思い直した。
「夢で出てきた、私が先生といった女性の事ですね。美しく、優しそうな方でしたよ。ふふっ、イルモート、貴方は私の幼馴染で一緒の家で暮らしていました」
「夢の中の君は、きっと僕に優しかったのだろうね」
「え、ええ。それは勿論。頬などつねってはいません。あと、バァルが私達の兄替わりでした。とても弟妹に甘いお兄さんでしたよ」
「素敵な夢だね、エルシードがいつになく感情が揺れ動いているのはそのせいなんだ。僕にもその角灯を使わせてもらいたいけれど、残念だ。明日の戦いの準備で忙しい。生き残れば貸してもらうとしよう」
「セト、いやイルモート。なぜお前たちは争っている、その原因は何だ? 俺達の目的は歴史の真実を知ること、そして俺たちの時代のセトとエルに元に戻って欲しいことだ。神々の争いに介入するのは正直怖いが、友人を救うきっかけとなるかもしれない。是非とも教えてほしい」
「僕が火の神として広寒宮の知識を、火を用いて鉄を加工する技術を民に伝えたからだ。鉄の加工は以前に比べて遥かに簡便となり、民はその力をもって自然を切り開き、また鋤や鍬を改良していった。……武器もだ。それがバァルを怒らせたのだ。神の火を、知識を人に与え、禁忌を破ったとしてね。増長した人が神に挑む前に、知識を持った民、全員を殺すと言ってきたのだ。すでに多くの町が破壊された。後はこの廃城に残る者がいるだけだ」
私は彼らと共に最後までここにいるつもりだ、そうイルモートはガドに伝えた。
「なら、逃げ出せばいいんじゃないか。なぜそうしない」
「世界が年々、小さくなっているのだ。神とはいえ、なぜそうなったのかは分からない」
「まるで箱庭のような世界、神もヒトも閉じ込めるかのよう」
エルシードがそう言ってため息をついた。
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