賢者の死

第137話 家族②

 学び舎の各部屋で子供達の寝息が聞こえ始めたころ、その親たちは三十四層にあるサラの家に集合した。サラの横にはリベカが座り、決意を固めた親達を頼もしげに見つめている。


「サラ様、お久しゅうございます。ギデオンの子、セトの父のガムドです。昔はギデオンと共にお世話になりました。セト達に関してラバンから聞いておりますが、改めてサラ様、貴女にお尋ねしたい」

「勿論だとも、その権利がそなたらにはある」

「一つ、和平を約したハドルメ国と戦争になるのでしょうか?」

「然り。遅くとも二年の内に戦争は起きるだろう。早ければ一年以内だ」

「一つ、ハドルメと神殿の争いに、アスタルトの家は勝利できるのでしょうか」

「戦争での勝利は得られぬ。しかし、ギルドの技術、バルアダンの兵力、そして市民の支持を得て、新たなクルケアンを築く。それを勝利と言い換えたい」

「一つ、祝福を捨て去ることは可能でしょうか?」

「できる。祝福は神が世を去った時に残したもの。神代に戻ろうとしている今、神が再び現れるだろう。そうなれば神がその祝福を回収する」

「最後に、イルモート神に我らは勝てますでしょうか?」

「……まとをついた質問だな、ガムド。流石は西方諸都市との交易を担う隊商カールヴァーンの長よの。幼い頃からのギデオンとの旅は、あの洟垂れ小僧をこうまでも成長させたか。よし、最後の質問に答えよう。今のままでは勝てぬ。そのために奥の院の調査が必要なのだ。……神殿が奥の院の調査を許可したのは、罠かも知れぬ。或いは知られても、もう誰も止められないのかも知れぬ。いずれにせよ、幸運は勇者を好むという。我々は前に飛び込んでいくしかあるまい」

「ありがとうございます。サラ様。ラバン、メシェク、歴史の真実とやらは、未来あるあの子達に任せよう。俺たちは今を守るぞ。魔人や神と戦う為の力を用意することが俺たちの仕事だ」


 ガムドの決意に応えるようにエルシャの父メシェクは頷く。


「私は口入れ屋として、市民の組織化を行おう。総評議会の行政機関を実質はこちらで運営するよう動いておく、だが武器はどうする、ガムドの方で調達できるか」

「あぁ、西方都市からの軍需物資を車輪のギルドに供給しよう。そして武器の開発を急がせ、できるだけ早くラバンに渡す。また、隊商カールヴァーンを北東のイズレエル城まで送り、バルアダンの物資輸送を確実に行うつもりだ」


 ガムドとメシェクが物資と組織を揃えれば、後は兵の問題である。飛竜騎士団の長となり、クルケアン軍の責任者であるラバンが一つの提案をする。


「私は新造の武器をもって魔人狩りの部隊を編成する。その後は飛竜騎士団を率いてハドルメとの前線に立とう。ガムド、魔人狩りについては、お前がその部隊の長だ。メシェク、お前は行政の長となれ。私にだけ公的な職責を被せておいて、お主らが知らぬ顔を決め込むのでは、友情の意義が問われるだろうよ」


 メシェクはため息をついて、友人に同意を示した。

 父親達が意気込む中、彼らを押しのけて母親達もサラとリベカに要求をする。子供のために環境を作ることこそが彼女らの戦いだった。


「夫達だけにあの子たちへいい顔をさせるわけにはいきません。サラ導師、私達は母として子の仕事を見守りたいと思います。総評議会への参加を推薦願えませんか? 下層に設置される総評議会は規模が拡大し、評議員枠も拡大すると伺っております。ザイン家の貴族への復帰は無理でも、ユディさんであれば評議員になる資格は十二分にございましょう。また、リベカ様、私とツェルアを、糸の宝石ポワン・クペのギルドの代表として、同じく評議員への推薦を願います」


 リベカは母親たちの願いに笑顔をもって答えた。


「ザイン家の貴族への復帰、そしてユディさんを評議員にすることは大丈夫です。あのザハグリム殿とは先の会談ですっかり打ち解けました。ハンナさん、ツェルアさんの件は糸の宝石ポワン・クペのギルド長に伝えておきます。美しい刺繍技術で、クルケアン中の女性の支持を集める貴方達の願いを、どうして無下にできましょう、ねぇ、サラ」

「あぁ、必ずその態勢を整える。さぁ、皆の覚悟はよくわかった。この私も自分の命を懸けるつもりだ。ラメド!」

「はい、サラ前元老プロ・ナギ

「どうせ、元老院が立ち上がるまで暇であろう。ギデオンと共に調査団に加われ。奥の院ではセトたちと別行動をとり、裏から探るぞ」

「分かりました」


 こうして子供達の支援をすべく大人たちの分担が決まっていった。対抗勢力から見ればクルケアンの支配を企む不遜な集まりと言われても仕方がなかったであろう。ガムド達が興奮する妻達を宥めながら家に帰ると、部屋にはサラ、リベカ、タファト、ラメド、イグアルが残り、サラ曰く、ささやかな酒宴が始まった。


「ほう、ラメド、これはいい酒ではないか。やはり歳をとると人は成長するものだな」

「さぁさ、リベカ殿、それにタファトも。ガムドが西方から仕入れた逸品だ。そうそう飲めるものではありませんぞ」

「タファト、無理はするなよ。サラ様は底なしだ。付き合うと翌日地獄を見るぞ」

「おや、イグアル。私は淑女として酒を嗜んでいるだけだぞ。量より質だ。この芳香こそ、人生にとって必要なのさ、酒精なぞ二の次だ。……何をしているラメド。今日は元老になったお主が主賓だぞ。さぁ、酌をしてやる、存分に飲め」

「い、いや明日の公務がありますので」

「私の酌は嫌だと?」

「勿論、いただきます」

「あぁ、ラメド殿、私からも一献差し上げましょう」

「リベカ殿、まだこの杯を飲み干していないのだが?」

「さぁさ、どうぞ」

「……わかりました」

「ラメド様、いつもイグアルを見ていてくれてありがとうございます」

「タファト、こちらこそイグアルの支えとなってくれてありがとう。あいつはいい男だ。私こそが彼に助けられているのだよ」

「私からもお酌してよろしいでしょうか?」

「勿論だとも!」

「おい、ラメド。若い娘から酌をされて嬉しがるとは、まったく自分の年齢を考えろ。ほれ、次の一杯だ」

「サ、サラ、その辺で……」


 酔いのせいか、皆の前でサラと呼び捨てたことに気づいてラメドは視線を泳がした。そんな様子を見てリベカはくすりと笑い、場をごまかすように酒瓶を差し出した。


「私もギルド本部から秘蔵の酒を持ってきましたわ。さぁ、皆さん味わってください」

「おお、流石はリベカ。いい酒を持っておるではないか、さぁ、ラメド、この酒はうまいぞ」


 ラメドは若い時分、飛竜に酔って天と地の区別がつかなくなった感覚を思い出していた。四十年と少し前、貴族として飛竜騎士団の士官となった彼は意気揚々とその任務に就いた。身分ある客人に対応するのも彼の役割であり、ある日、神殿から出向してきた美しい女性神官の付き人を命じられても疑問に思わなかった。先輩達が引きつった顔で、自分にその任務を申し付けたときは小首を傾げたものだが、まぁ、対立している神殿の貴人を煙たがっての事なのだろうと思ったのだ。


「サラという。神殿と軍の交流の一環で出向してきた。貴様が付き人か、よろしく頼む」


 尊大な物言いに不快感を覚えたが、それよりもその美しさに、ラメドは茫然自失となっていた。こやつ、目を開けて寝ているのか、と顔を至近距離で覗かれ、慌ててラメドは敬礼をする。相手は高位の神官であり、三十歳手前ですでに賢者と称されるほどの女性であり、非礼は許されるものではなかった。


「飛竜に一回乗ってみたかったのだ。すまぬが、クルケアンを一周してみたい。手綱を取ってくれるか?」


 ラメドは少し緊張しながら、飛竜を呼び寄せ、サラの後ろに座って手綱を取る。


「ほう、飛竜はすごいな! 人も、港も、中層までが小さく見えるではないか。ほら、ラメド、見えるか? 南門の森に狐がいるぞ」


 そう後ろを振り向いて、白い歯を見せながら満面の笑みを見せたサラに、あいまいな表情で頷いた。狐よりもサラの笑顔から目が離せなかったのだ。そのため、サラが手綱を持たせてくれ、といった時も生返事をして、彼女の目を見ていたのだ。


「そうれ、飛竜よ、空を自由に飛び回るぞ!」


 飛竜がサラの意を受けて大空を飛び回る。空で姿勢を変えながら何度も回転し、また、時には飛竜は羽ばたきを止めてぎりぎりまで自由落下する。サラは飛竜の首を叩いて、賞賛と喜びを示す。


「サ、サラ殿、その辺で……」


 サラを貴人用の宿舎に案内し、百九十層の厩舎に飛竜をつなぐと、疲労困憊のラメドはそのまま意識を失ったのだ。


「ラメド、今日は武技を試す。今度はお主と立ち合いたい」


 昨日の服装のまま、サラを迎えに行くと、彼女は三十五層の兵学校の広場で、学生や飛竜騎士団の数人と稽古をつけているという。慌てて広場に駆け込み、十人くらいが地にあって呻き声を発している中、笑顔でそう告げられた。

 サラの動きは全盛期の豹のようにしなやかで力強い。しかし、何度か撃ち込まれはするものの、ラメドの一撃はサラの長剣を地に叩き落した。


「流石は小隊長を務めるだけのことはあるな、ラメド。これならば大丈夫だ」


 何が大丈夫なのだろう? ラメドは疑問に思ったが、彼女が嬉しそうな様子を見るとそんな気持ちも霧散していた。

 翌日からサラは、冒険と称して西方の諸都市に飛竜に飛び乗って出かけたり、嵐の壁を見るのだといって小舟で外洋に出ようとしたり、貧民街で過ごそうとしたり、機会があるごとにラメドを連れ出していった。また、道行く市民のお願いを聞いて、様々な助けを施していったのだ。振り回されるラメドの襟首を、そして手を掴んで彼女はクルケアン中を冒険していったのだ。


「ラメド、大変だな。貧乏くじとはこのことだ。まぁしばらくの辛抱だ。出向といっても物見遊山と同じだ。あと一か月でその期間も終わる」


 困り果てたラメドをみて、同僚がそう慰めてくれた。しかしラメドには疑問があった。出向前のサラは、神殿の至宝にふさわしい態度と品格で有名であった。噂によれば神殿長の地位に一番近かったはずだ。こうも破天荒な性格ではなかったはずだ。


「しばらく前に、サラ殿は教皇と口論になったらしい。それで神殿は頭を冷やせと、出向を命じたそうだ。軍もその事情を知っているので、腫物扱いで引き取ったというわけさ。じゃじゃ馬らしいが、笑顔で対応すれば問題なかろう」


 大隊長からそう言われて彼は納得した。だから、騎士団員はサラの相手を若い自分に押し付けたのか、と。それでも彼はその押し付けに感謝していた。彼女は市井の生活すべてが新鮮に映るのか、街を歩いたり、買い食いをしただけでも上気した顔で、自分を質問攻めにするのだ。神殿の奥で本を読んだり、祈ったりするより、今のサラの方がよほど魅力的に感じる、そう彼は思い始めていた。


 出向が終わる数日前、サラはラメドを北方へ誘った。


「黒き大地を見てみたい。クルケアンの未来を考えるためにも魔獣について調べたいのだ」

「サラ殿、それは神殿にとっての禁忌ではありませぬか? 小官の一存では決められません」

「ラメド、申請しても断られるに決まっている。軍としても偵察の必要性はわかるだろう」

「……私は将軍ではありませぬ。権限がないのです」

「そうか、無理強いしてすまなかった。思えば、ラメドにはいつも苦労を掛けてしまった。出向が終わるまでおとなしく宿舎で寝ているとしよう」


 殊勝な返事をするサラに敬礼を返し、ラメドは一旦宿舎に帰った。そして日が暮れたころ、厩舎に赴いて飛竜の陰に隠れる。しばらくすると、厩舎の扉が開き、サラが飛竜の手綱を引いて空へ飛び立っていった。


 ラメドは苦笑して、別の飛竜に飛び乗って彼女を追いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る