第138話 形なき信仰

〈若かりし頃のラメドとサラ、クルケアンにて〉


 ラメドはサラを追いかけながら、三十日ほどの付き人の期間を振り返っていく。サラは特に子供との時間を大切にしていた。巡回と称して街を歩き回り、学び舎に寄っては子供達と遊んでいくのだ。


「さぁ、この問題が解けた人に、このお兄ちゃんが飛竜に乗せてくれるからね」


 ラメドの飛竜を呼び水に、多くの子供がサラとラメドの許へ集まってくる。自身の存在をうまく使われているような気がしないでもないが、楽しんでいる自分に気づき、案外と自分は子供好きなのだな、と自分の知らなかった一面を知って苦笑する。しばらく教師の真似事をしていると、少女が花を差し出してきた。


「お姉ちゃん、これあげる」

「ありがとう、きれいなお花だね」

「はい、お兄ちゃん、お姉ちゃんにつけてあげて」

「え、俺が?」

「こういうのは男の役目だって、母さんが言っていたよ!」

「うんうん、その通りだね。さぁ、ラメド、私に花を贈るがよい!」

「なんでそんなに偉そうなんですか……」


 サラは椅子に腰かけ、目を瞑ってラメドが髪に花をつけてくれるのを待つ。ラメドは不器用ながらもサラの髪を手で梳きながら、髪飾りに赤い花をつけた。


「お姉ちゃん綺麗!」


 子供達が二人の周りに集まって囃し立て、サラはゆっくりと目を開けた。そして子供達の頭を撫でながらこぼれるような笑顔をラメドに向ける。


「似合っているか?」

「はい、似合っていますとも」

「よし、では次はお主の番だ。この椅子に座って目を瞑るがよい」

「私もですか?」


 サラは目を瞑ったラメドを確認すると、口に人差し指をあてて子供達に花を渡していく。ラメドは近寄ってくる多くの小さな気配と、忍び笑いが気になったが、律儀にサラの指示に従っている。


「ようし、飛び掛かれ!」

「何と?」


 子供達が歓声を上げて騎士に飛び掛かった。小さな手に握った様々な花を、思い思いの場所に飾り付けていく。男の抵抗する声が消えた後は、頭だけでなく鎧までも花で飾られた騎士が出来上がった。憮然としたラメドの周りを子供達は走り回り、その手をつないで全員で輪を作って踊りだした。サラの不器用な踊り方にラメドと子供達が笑い、むすっとしたサラにラメドが手を差し添えて、共に踊りだす。跳ね回る子供達の歌声を背にしながら、神殿の美姫と騎士団の俊英は優雅に踊る。下町の学び舎前の舞踏会が終わり、拍手を受けて二人は手を取ったまま子供達に一礼をした。舞台役者のような気持になり、二人は意気揚々と飛竜騎士団がある百九十層に戻っていった。しかし花を取り忘れていたラメドはその後しばらく花の騎士として仲間内からからかわれることになる。

 ラメドがサラとそんな日々を過ごしているうち、やがて共に酒杯を傾ける中となっていく。


「私はな、五十年先、子供達が魔獣に襲われないようなクルケアンにしたいのだ」

「飛竜騎士団がいます。私が子供たちを守りましょう」

「しかし、それでは後手だ。魔獣そのものを何とかせねばならない」

「黒き大地への北伐さえできれば、それも叶うでしょう」

「教皇も神殿長も、皆反対している。貴族もだ」

「元老の後押しがあればそれも可能なのでは?」

「……そうだな、元老の後押しで何とかするしかないか。」

「北伐の機会があれば、この飛竜騎士団のラメドの活躍で魔獣どもを滅ぼしてくれましょう。大いに期待してくだされ」

「ふふ、そうだな、花の騎士の英雄譚を楽しみにしているぞ」


 ……そう、あの時のサラは根本から問題を解決するために黒き大地への北伐を考えていた。そして今、彼女は所属する神殿の意に反して、一人で強行偵察をしようとしている。その覚悟を感じたラメドは彼女の意思に寄り添おうと、飛竜で追いかけていく。


「サラ殿、どこへ行かれるのか!」

「ラメド、止めないでくれ」

「はて、付き人としては貴方と共に行動するのみ。残念ながらあと三日はその任務となります。人生とは思うようにはいかないものですな」


 サラは哄笑した。よほど嬉しかったのか飛竜を寄せてラメドの肩を叩く。その力の強さに顔をしかめながらも、ラメドもまた声を上げて笑った。


 クルケアンからの追手がこないところまで飛んだ時、彼らは地上に降り立ち、火をおこして野営の準備を始めた。焚き木の炎が揺らめき、暖を取りながらサラは神殿への疑問を口にする。


「神殿長も、教皇も、その地位に就いたとたんに変化を望まなくなる。魔獣に関する調査は機関が行っているので手を出すな、と二言目にはそれだ。神代からいるという魔獣を神は滅ぼすことができなかった。ならば人がするのみだ。軍に出向してその希望が湧いたよ」

「サラ殿はこのクルケアンの未来を考えておられる。貴方が神殿の代表となれば、軍と神殿、良い関係が築けそうだ」

「……神殿の代表にはなれないさ。こんな暴れん坊が神の愛を説いても、誰も聞いてくれないだろう?」

「そうですな」


 間髪入れず同意したラメドに、サラは拳骨を見舞う。


「お主、少しは包み隠さないと女性から嫌われるぞ?」

「い、いや、そうではなくて、サラ殿は神の名を出さずとも貴方の言葉で人はついてきます。先日だって、子供達が懐いていたでしょう? 貴女は貴女の言葉で人を動かすべきです」


 サラは自分が何を言われたのか、すぐには理解できなかった。ただラメドの顔を驚いたように見つめた後、ゆっくりと焚火の炎にその視線を移した。不安定にゆらめくその火は、サラに師匠であるヤムの教えを思い出させる。


「師匠が、神は火と同じだといっていた。同じ形になることはなく、次々と新しい火が生まれては消える。水もそうだ。そういう形がなく、でも人に恩恵を与える存在を、私たちは神と呼んでいるらしい。イルモートは火の神、エルシードは水の神、バァルは力の神、ナンナは月の神、タフェレトは太陽の神……。手の届かないものだったり、形がなかったりするものを信仰して愛を語るなんて馬鹿げている。なぁ、ラメド、私の言葉には形があるのかい? 皆は私の言葉で安心してくれるのかい?」

「サラ殿、貴女の言葉で子供達は花を捧げてくれた。それは貴女の言葉に応えてくれたんです。言葉を思いにして受け継いだと思ってもいいでしょう。それぞれの個性で反応は違うかもしれない、思いは変容するかもしれない、それでも心を変えていく力が貴方にはある」

「……心を変えていく力」

「そう、変化こそが重要なのです」


 だから、形なきものを恐れないで欲しい。神の言葉が絶対だとしたら人はただの奴隷となる。人の心に灯した不安定な火を、心を強くしたり、大勢で集まったりすることで大きな篝火とすればよいのだ。サラにはその力がある、そうラメドは火に向かって語った。事実、サラは才能に酔って出世の事しか考えていない自分を変えてくれた。サラの着けてくれた火で、偏見や無駄な矜持を溶かしてくれたのだ。


「ありがとう。ラメド」

「こちらこそ、サラ」


 拳を突き合わせて二人は笑った。ラメドはこの時、自然とサラと呼び捨てにした自分に気づかなかった。大地に寝転がり、薄い毛布に包まりながら月を見上げる。


「ほら、サラ、月は変化するからこそ美しい、そう思わないか?」

「月が好きなのかい?」

「あぁ、満月も三日月も大好きだ。月の光は世界を美しく変えてくれるし、何か世界を別のものに作り変えるかのようで、とても惹かれる」

「……それは光栄だな」


 それは月にとって光栄ということだろうか。月光に照らされたサラは月の女神ナンナの様に美しい。もしそうであれば自分の先の賛辞は彼女に向けたのと同義である。

 何を馬鹿なことを、そう考えて、ラメドは眠りに落ちた。

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