第130話 鳥仮面の男

〈ガド、イズレエル城にて〉


 ウェルが寝息を立てたころ、ガドは寝台の上で、ハドルメの青年シャマールのことを考えていた。敵の指導者の弟であり、北伐でバルアダン隊長と互角に戦った男でもある。果たして自分達はあの青年やハドルメ騎士団に勝てるのだろうか。

 魔獣と人とは違う。そしてハドルメの民の幾人かは魔人のはずだ。施薬院の時も、バルアダンとダレトの個人の力で魔人を抑えつけることができた。しかし、魔人が飛竜を操り、集団で襲ってきたらどう抗すればいいのか?

 バルアダン混成旅団が結成されたとして、ガドは頭の中でハドルメとの戦いを想像していく。砲の威力を以って飛竜への牽制が出来るだろうか? いや、相手が城塞や密集している地上ならともかく、空の点でしかない飛竜には効果はない。残りの飛竜騎士団をぶつけるしかないが、三倍以上の敵に対抗できるはずがない。空を制圧され、上空から入れ替わりに槍を投げつけられたら勝つ手段がないのだ。ならば飛竜騎士団の在り方を変えるべきか?

 そこまで考えてガドは苦笑する。神獣騎士団を味方の数に入れていないのだ。勢力を拡張する神獣騎士団を考えれば、十分にハドルメ騎士団と勝負できるはずだった。


「……いや、違う。バルアダン旅団だけで生き残る方法を考えるんだ」


 クルケアンの北壁に拠って砲列を敷き、階段都市のその構造を活かして歩兵・騎兵・弓兵が立体的な陣を作ることができれば空の敵に対して戦える。ハドルメも神殿も潜在的な敵として、こちらが生きる道を考えるのだ。

 ガドは思いついた構想を、ランプの灯りの下で手紙にしたためていた。彼自身は敬愛する叔母のタファトを巻き込むことは本意ではなかったのだが、一蓮托生とばかりに協力を求めたのだ。叔母や仲間を守るためにはクルケアンの城壁を防御用に変えていく必要があった。好都合なことにアスタルトの家は新たな都市施設を作り始めている。バルアダン旅団がそれを利用できるように裏で手を回すには理想的な状況であった。手紙の送り先としてサラ導師やセトやエル達は関係者からの目が厳しいだろう、彼としては叔母しか送り先がなかったのだ。


「ごめん、タファト叔母さん」


 廊下に足音が聞こえ、医務室の前で止まった。ガドは慌ててランプを消して、毛布をかぶり寝たふりをする。扉が開く音が聞こえ、ウェルの枕元でその歩みは止まった。


 ガドは薄目を開けて隣の寝台に腰掛けている人物を観察した。


 ……男? 医者なのか? しかしあの面妖な仮面は何だ?


 男は鳥の嘴のような突起物をつけた、顔を覆う仮面をつけていた。ウェルの額に手を当て、首の腫れなどを触診している。しばし考えるそぶりを見せた後、薬瓶を机の上に置いて、水の入った椀に垂らしていく。

 そして優しい声で、しかしウェルを起こさぬように静かな声でこう囁いたのだ。これで熱が冷めるであろう、と。そしてウェルの頭を持ち上げ、椀を口元に寄せていく。ウェルは熱でうなされながらも水を求め、薬を飲み干した。


 やはり医者か。患者の見回りとはありがたいが、なぜこの夜更けなのだろう。ガドは声を掛けようとしてためらった。医者は振り向いて、自分の骨折をした手を取り、再び触診をし始めたのだ。


 医者が何かに気づいたようにガドの喉の動きを暫し見つめ、手首に薬膏を塗った後に少量の香を焚いた。ガドは眠気に襲われそのまま意識を失った。


 次にガドが目を覚ました時、ザハグリムが自分とウェルの間に座っていて、いびきをかいて寝ている光景を目にしていた。ウェルの頭には氷嚢が置かれており、感心なことにこの傲慢な貴族は命の恩人に対して看病をしに来たらしかった。

 ガドは苦笑をして、もうひと眠りすべく目を瞑った。彼の閉じた瞼の中で、ザハグリムの先日の姿が映し出される。魔獣になすすべもなく、へたり込んだ後ろ姿と、砂塵の中、ウェルに覆いかぶさり、魔爪から必死に彼女を守ろうとしていたザハグリムの姿をガドは思い出していた。


「鍛えてやるとするか。俺もお前もまだまだ弱い」


 不器用ながらに誰かを守ろうとするこの青年を、ガドは認め始めていた。


 やがてイズレエル城は白み始め、厩舎から馬の嘶きが聞こえてくる。


「あ~良く寝た。あれ、ザハグリムじゃないか、何で椅子に?」

「起きたか、ウェル。ザハグリムはお前の看病をしていたんだよ」

「まったく、素直というか、怖がりというか」

「怖がり?」

「ん、そう。目の前で仲間が死ぬのは怖いでしょう。あたしも怖い。でもそうなら、ザハグリムのやつ、うちらを仲間として見てくれているのかな?」

「きっとそうさ。何せ、命を賭して魔獣に立ちはだかった先輩がいるんだからな」

「ふふ、あ、あれ、何か熱が下がっているみたい」

「医者が薬を飲ませていたぞ。きっとそれが聞いたんだろう」

「お礼を言わなくちゃ、どの隊付きの人だった?」

「わからん。鳥の仮面を被っていたからな」

「?」


 ウェルが首をかしげていると、ザハグリムが寝ぼけてガドの寝台に転がり込んできた。


「お、おい、仕方のない奴だな」


 ガドはザハグリムに毛布をかぶせ、軽く伸びをした。


「さて、無茶は禁物だが、心配をかけたバルアダン中隊長に報告に行こう。サリーヌも安心させないとな」

「そうだね。後、アナト連隊長にもお礼を言いたいし」


 二人は律動的な足取りでバルアダンの私室へ向かった。




〈鳥仮面の男、イズレエル城にて〉


 ガドとウェルが目覚める二刻ほど前、鳥の仮面を被った男がアナトの私室がある塔の階段を登っていた。彼は階段の途中でその緩慢な歩みを止める。夜が明ける前にアナトの私室から出てきたニーナと出くわしたのだ。仮面の男は静かにニーナを見つめ、ニーナも仮面の男に出会っても取り乱すことはなかった。むしろ縋るように、涙を溜めた目を男に向ける。男はため息をつき、遠くクルケアンのある方角を見ながら呟いた。


「エラムの薬草園へ。奇跡が起こればお主の望むものが手に入るであろう」


 そう言い残して、仮面の男は階段を下りていく。夜が一番深まる頃の、たった二刻だけが彼の医者としての時間であった。彼は他に治療が必要な者を探して夜の城を徘徊していく。

 廊下を走る音がして、彼はその方向に首を動かした。取り乱しているサリーヌがバルアダンの私室へ飛び込んでいく。そしてバルアダンが優しく彼女を抱きしめた瞬間、男は仮面の下で祝福の言葉を発した。誰が聞くわけでもない。誰かに聞かせたいわけでもない。それは神への感謝と祈りであったからだ。


「エルシード神よ、感謝します。願わくばシャヘルの望み通りに二人のニーナを守り給え」


 そう呟いて、鳥の仮面を被った男は再び月夜のイズレエル城を歩いていくのであった。

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