第129話 魔人化の代償

〈サリーヌ、イズレエル城にて〉


「ウェル、ガド、おとなしく休んでいる?」


 ティムガの草原から帰って、私達バルアダン中隊がしたことはまずは彼らの治療だった。骨折にもかかわらずやせ我慢をしているガドを、ミキトがウェルの隣の寝台に無理やり縛り付け、私は発熱しているウェルのために氷嚢を準備する。


「ガド、手首を見せて、接合を試してみるわ」

「試すって、初めてなのか?」

「サラ導師との訓練では合格をもらったわ。早く現場復帰したいでしょう?」

「しかし、ウェルのように三日ほど安静にしなければならないんだろ?」

「血と骨は違うの。血は魂が形を成したものと言われるくらいその扱いや増血は難しい。でも骨折は大丈夫。再生ではなくてくっつけるだけだもの。すこし折れた断面を溶かして魔力で接合すれば大丈夫よ」

「……やってくれ」


 ガドの右手首に手を当てて、魔力を放って中の様子を確認する。てっきり綺麗な折れ方だと思っていたが、手首の骨が粉々になっていた。


「ガド、折れた手で何か殴ったりしたの?」

「地面を殴った」

「馬鹿!」

「魔獣をな、可哀そうと思ってしまったんだ。可笑しいよな、俺の家族の仇なのにさ」

「……馬鹿なガド。それで自分を傷つけないで。貴方の傷は、ウェルを守ったように名誉ある負傷であるべきよ。自傷の為じゃないわ」

「あぁ、分かっている。魔獣の次は戦争になるかもしれないし、バルアダンさんやサリーヌを見て、置いていかれそうな感じがしてな、焦っているんだ。まったく俺の敵だった魔獣まで、何か違う存在になってしまった」

「それこそ馬鹿よ。私の指揮では魔獣の恐怖に立ち向かうことはできなかった。初動が遅れたのもそのせい。なのに貴方の隊はたった三人で、迷うことなく戦いに臨めたじゃない」

「そうだぞ、馬鹿隊長。俺やティドアルが立ち向かえたのは、いつも生きて帰る作戦を立ててくれるからだ。いつまでもいじけていると、俺たちまで惨めになるというもんだ。いい加減に胸を張れよ、馬鹿隊長」

「お前ら、よってたかって馬鹿、馬鹿と!」


 少しだけガドは元気になったし、折れた骨は問題なく月の祝福で接合できた。でもきっと彼は私達を守るために今後も怪我をするだろう。本人の評価はどうであれ、私から見れば身を挺して助けてくれる頼りになる衛士だ。

 私達の声を聞いたのか、隣の寝台がごそごそと動き、ウェルが毛布から顔を出した。氷嚢を枕に満足げな声をあげる。


「ウェル! 意識が戻ったのね、よかった」

「まだ頭に靄がかかっている感じだけどね。はは、これは気持ちがいいや」

「熱が高いためよ。まだ安静にしていて。もう少し下がったら逆にしんどくなるから」

「ううん、もう少しだけ話させて。ガド?」

「あぁ、ここにいる。お前の横の寝台で縛り付けられているよ」

「わぁ、馬鹿みたい」

「……ミキトが縛り付けたんだ」

「ほうほう」

「もういい」

「あはは、ガドもしっかり治療を受けてね。ねぇ、ガド、ザハグリムの事、あまり叱らないでね、ちゃんと躾けておくから」

「あぁ、大丈夫だ。ただ、訓練で叩き直しはするぞ? だから安心しろ。お前は先輩として十分にあいつを守った。恰好よかったぞ、こう、馬ごと突っ込んで魔獣にぶつかっていくとはな」

「でしょう? あとね、サリーヌ」

「何?」

「ごめんね、バルアダン隊長に裸を見られちった」

「え!」

「傷の治療の時にね。ミキト、今のサリーヌの顔、覚えておいてよ。第一小隊にこの事をいえば酔いつぶれるまでお酒を飲ましてくれるからね」

「もう、ウェルったら、喋りすぎると疲れるわよ」

「その時にね、アナト連隊長が月の祝福を使ってくれて、ザハグリムの血を私の中に入れてくれたんだ。魔力の関係で体に馴染むまでもう少し時間がかかるんだって。だから、しばらく動けないんだ」

「……うん、すごいね、アナト連隊長は」

「サリーヌのお兄さんなんでしょ? すっごい目が似ていた。あんな綺麗な目、世界に二人いるとしたらきっとそうだよ」


 ガドが私に目を向ける。仲間に嘘はなしだぞ、とその目は訴えていた。


 クルケアンの家には秘密にできない。私は自分やダレト、そしてレビの事を、そして恐らく魔人化したであろうアナトやニーナの事を皆に告げた。


「そんな! レビがニーナとなってサリーヌの代わりに……」

「いいの。ニーナの名は捨てた。今の私はサリーヌよ。ガド、死んだと思っていた家族と友人が生きていて、幸せそうに暮らしていたらどう思う?」

「嬉しいな。そして幸せになって欲しい。あぁ、サリーヌの選択は正しい。もし家族が別人となって幸せに生きていたら、俺は邪魔をしたくない」

「あたしとレビは貧民街での馴染みだ。でも、それなら声を掛けないほうがいいのかもね。でも、サリーヌは強いねぇ」

「あぁ、何といっても聖女様だからな」

「ちょっと、あれはハドルメの人が一方的に!」

「お、これはバルアダン隊長もうかうかしてられないかもね。ガド、ミキト、例の件、頼んだよ」

「任しておけ」

「な、何を企んでいるの? ねぇガド、ミキト!」


 少しだけ騒いだ後、ウェルは疲れたのか目を閉じて寝息を立て始めた。私とミキトは静かに廊下に出る。ミキトにおやすみ、と告げて別れた後、広場の岩に腰を掛けた。何をするわけでもなく淡い月の光を楽しんでいると、何かの影が私の目の前をよぎった。月と影の位置から塔をみる。あそこは神獣騎士団の管轄で、アナト連隊長の私室があったはずだ。そこにニーナがアナトを担いで部屋に入るのが見えた。アナトの苦しそうな表情を見ると、やはりダレト兄さんとして心配をしてしまう。そしてニーナの辛そうな顔も見てしまった。私は様子を確かめるべく塔に近づいた。

 月の祝福で壁の魔獣石を加工し、足場を作って塔の裏側に回った。足場に腰を掛け聞き耳を立てる。上には窓があり下は厩舎の屋根だ。夜警の兵士からも死角となり露見する恐れはない。

 まったく誰が私を聖女と呼んだのか。ハドルメの青年に少しだけ申し訳なく思う。やがて窓から二人の会話が聞こえてきた。


「誰もいない? 兄さん」

「あぁ、魔力を周囲に飛ばしたが付近には誰もいない」


 私とアナトは魔力の波長が近い。私と彼だけは魔力による識別はできないのだ。


 暫しの静寂の後、衣擦れの音と、兄さん、と呼ぶ声が聞こえてくる。私は赤面し、ここにいることを後悔した。少しだけ遠い目をして、もの思いに耽る。自室に戻ろうと決意した時、アナトの苦悶の声が窓から漏れ出でてきた。


「すまん、ニーナ、今日は魔力を使いすぎた」

「……ウェルというバルアダン様の部下の為でしょう。兄さんは何も謝る必要はないわ」

「謝罪はお前にだ、ニーナ、早くあの薬を手に入れなければ、俺はお前を殺してしまうかもしれぬ。魔人となる前に、バルアダンに止めを刺してもらった方がいいのかもしれない」

「諦めないで、せっかく兄さんは生きがいを見つけたんだから。兄さんの幸せは私が守る。クルケアンできっと薬を見つけてみせる。でも今は、早く私の血を吸って、楽になって……」


 足場だけは何とか元に戻したが、衝撃でまともな思考が出来ないまま私は城内を彷徨い、気付けば、バルの私室の扉を叩いていた。


「バル、バル、兄さんが、レビが……!」


 取り乱す私を、バルは優しく抱きしめてくれた。落ち着いた私に、温めた葡萄酒を注いでくれる。兄さんが理性無き魔人となるかもしれない、レビの身がもたないかもしれない、ぽつりぽつりと紡ぐ言葉にバルは急かすことなく、頷きながら聞いてくれた。

 リベカ様、ラメド様、セト達、ザハグリム、これまで私達が縁を結んできた全ての人たちの協力を得て、きっと薬草を探し出して見せる、そうバルは私に約束してくれた。

 そして、レビも辛いはずだ、今のあの子の友人となってくれ、と私に頼んだのだ。バルはニーナではなくレビ、と言ったのだ。きっと彼も気付いているんだろう。少なくとも彼女はレビの記憶を持っていることを。

 頷いた私に、バルは優しく頭を撫でてくれた。安心した私は、彼の手を握りながら次第に意識を夢の世界へ委ねていった。



「バルアダン隊長、なぜか熱が引いたよ!」

「こら、ウェル、まだ安静にしないと」

「いいんだよ、早く隊長に報告しないとな」


 朝の光で白ずんだ部屋の外からウェルとガドの声が聞こえる。あぁ、よかった。ウェルが元気になったんだ……。


「隊長、おおっ!」

「お早うございます、すみません、ウェルが……えぇ!」


 扉の前で二人が硬直しているのが見える。机の反対側でバルが困ったような顔で座っていて、私は彼の手を握っていて……。


「あぁぁ、こ、これは!」

 

 一瞬で私から睡魔が出ていった。一晩中私はバルの手を握って寝ていたことにようやく気付く。


「サリーヌ、いくら隊長が治療のためとはいえ、私の裸を見たからって、その日のうちに張り合わなくてもねぇ」

「サリーヌ、気持ちはわかるが風紀を乱すな。隊長、失礼しました。さぁ、ウェル、朝食だ、朝食に行くぞ、医務室で寝ているザハグリムも連れてこい!」

「了解、ガド隊長。あぁ、サリーヌ、流石に第一小隊には言わないでおくから、あとでお酒をよろしくね?」


 朝のイズレエル城に私の羞恥の悲鳴が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る