第131話 オシールとシャマール

〈ハドルメのギルアドの城にて〉


 イズレエル城の北には黒き大地が、そして北東にはハドルメ国のギルアドの城が他者を拒むようにその偉容を誇っている。

 そのギルアド城の城壁をオシールとシャマールの兄弟が歩いていた。彼らとすれ違うハドルメの兵士たちが手を胸にあて、頭を垂れて最大級の敬意を示していく。彼ら二人は戦士として卓越しているだけでなく、オシールは将軍として、シャマールは中書令として文武の官の頂点に立っていた。王が未だ復活していないこのハドルメ国で、実質の支配者であるこの兄弟は穏やかな様子で剣呑な内容を話し合う。


「イズレエル城にあってバルアダンが如何に指揮をしようとも、飛竜がこちらにある限りクルケアンを直接に攻撃できます。兄上なら一か月でクルケアンに城下の盟をなさしめることが出来るでしょう」

「クルケアンを潰すには全兵力で以って挑まねばならぬ。我らがイズレエル城を通過した後、あのバルアダンが我らの背後から襲い掛かってくるとすれば油断はできまい。補給を無視すれば可能だが、何か考えがあるのか?」

「北の大森林より切り出した木材で船を建設しております。クルケアン西方との貿易を表向きの理由として船団を整え、時が来れば軍用として用いるがよろしいでしょう」

「流石だな。大森林の木材はクルケアンのギルドとの良い取引材料となるだろう。そしてギルドの技術を我らに取り込めば、クルケアンなど鎧袖一触よ。しかし、バルアダンとの対決を避けたがるのには訳があるのか」

「賢者ヤムからの情報によると、彼の祖母ニンスンは王の祝福の候補者でありました。あの時はニンスンの魂の器が足りなかったようですが、バルアダンであれば不足はないはず。全面戦争になる前に、彼にはクルケアンの頂上に行ってもらわなければなりますまい」

「確かに、バルアダンは王の器に相応しい。ただ、今クルケアンの封印の地に行くのはまずい。事を荒立てて全面戦争をするにはまだ早いのだ。あと五千人はハドルメの民を解放せねばならん」


 オシールは思う、王がこちらに味方になれば勝敗は決したのと同じなのだ。思えば昔はあのティムガの草原に王がいて、自分達を助けてくれた……。絵画のような断片的な記憶を眺め、バルアダンはこちらの王になってくれないものかと期待をする。神を倒し、ハドルメを導くその王に……。


「兄上、クルケアンの神殿に協力者がいるかもしれません。恐らく魔人化したハドルメの民です。驚くことに、自我と記憶を持っているようです」

「ほう、しかし自我を持っているならば、人血を啜りたい欲求も強かろう。神殿にいてはいずれ露見する。こちらで引き取るか? その者の名前は何という?」

「教皇シャヘル」


 元老を除けば神殿の序列一位の名前を聞いてオシールは歩みを止めた。聡い弟ではあるが、冗談が好きな男ではない。教皇がハドルメの自我を持ち、魔人化しているのであれば、獅子身中の虫どころではないのだ。案外、終局は早く来そうだとオシールはほくそ笑む。


「先のティムガの草原の準備会談で、シャヘルは最後にこう結びました。王未だ戦いを止めず、神未だ蘇らず、と」

「ハドルメの神官達がよく使う言葉だ。我らは王命に従い、イルモート神との戦いに臨まねばならぬ。昔、神官共に、あの悪神が復活する時までその武を磨け、とよく説教されたものよ」

「私が派遣武官として教皇と接触を図ります。中書令たる我が身ですが、ハドルメ騎士団副団長としてならば問題ありますまい。その間、政治はアバカスに任せます」

「分かった。しかしシャマールよ、先から噂の聖女の事は話題に出ていないな、さては惚れたか?」

「兄上、からかわないでください。サリーヌ殿ですが、賢者ヤムより遥かに巨大な月の祝福を持っています。また、ティムガの草原を再現するほどに、我らの内面を、魔獣の魂を見通すことの出来る人材は他にいますまい。これは信仰というべきものです」


 先の奇跡を目の当たりにした兵士が、次々と城内のハドルメの民に伝えている。おかげでサリーヌへの聖女信仰は高まるばかりだった。明日の本会談では聖女見たさに警備の兵に志願する者が多いだろう。こちらに取り込まねば、いざ戦いとなれば彼らはその矛を向けられぬ。シャマールは理性ではそう考えていた。


「賢者ヤムは、手始めにサラを殺す、と言っていました。しかし、これではサラの月の祝福はアナトやサリーヌに移ってしまうかもしれません」

「ますますその聖女をこちらが手に入れねばな」

「彼女は派遣武官として貴族のザハグリムと共に来ることでしょう。その時に篭絡します、いや本心からお仕えすることができるでしょう」


 兄弟は再び廊下を歩き始め、やがて地下に設けられた広場に着いた。部下たちが大型の魔獣を十体、牢から連れ出してくる。


「シャヘル、アナト、アサグ、ヤム、そして我々兄弟。自我をそのまま残した魔人は哀れなものよ。自我を保つ引き換えに血を欲するのだからな。……アバカスが羨ましい。あれは取り込んだ魂の多くが望んで主導権をアバカスに譲渡したのだ。あいつだけがこの獣欲から無縁でいられる」


 オシールとシャマールの体が膨れ上がり、魔人と化した。オシールは巨大な獅子の様であり、シャマールは翼のない飛竜に近い様相となる。


「さぁ、ハドルメの民の成れの果てよ、私が引導を渡してやろう」

「そしてその魂をもって、新たなハドルメの民として誕生させてあげましょう」


 オシールが魔獣の群れの先頭に向けて跳躍した。彼の魔爪の一振りで魔獣の肩から腰まで赤い裂け目が現れる。彼は返り血を全身に浴びて恍惚の表情を見せた。血しぶきの中、重い大剣を手に取ると、飛び上がって襲い掛かる二体の魔獣を叩き落とした。魔獣の顔はあらぬ方向に曲がり、残る仲間たちの眼前へと転がった。


「どうした、この程度で俺を恐れるのか? ハドルメの恨みはそんなものか! さぁ、魔獣よその仲間の遺骸を飛び越えてくるのだ。生をつかみ取る執念こそが、クルケアンを滅ぼす原動力となる!」


 オシールの叫びに、魔獣は咆哮を上げて応えた。残る全ての魔獣がオシールに向かって突進していく。魔人と化した男は臆することなく斜め前に一歩を踏み出し、一体を腰斬した。続けて前方に踏み出すとともに、目の前の魔獣の頭を骨ごと両断する。次の一歩、そして次の一歩ごとに魔獣の遺骸が増えていった。その時、仲間の死を利用して二体の魔獣がオシールの両碗に咬みついた。魔獣はそのまま首をひねって腕を捩じり切ろうとした瞬間、シャマールの鞘から発した閃光は魔獣の首を跳ね飛ばし、続けてもう一体を兄の腕ごとその首を切断した。


「おいおいシャマールよ、我が腕と魔獣を諸共に斬り飛ばすとは。全く兄想いの奴だ」

「兄上ならすぐに繋げましょう。それより兄上、最後の一体が戦意を失っておりますぞ」

「情けないハドルメの民よ。だが怯える必要はないのだ」


 オシールはむしろ優しげにそう言った。


「安心しろ、次に目覚めるときは人になっておる……」


 その言葉と共に、魔獣は心臓を大剣で貫かれ、噴血でオシールとシャマールの喉を潤すのだった。


「大型魔獣を十体、それを瞬殺か。恐ろしい男たちだ」

「……これは賢者ヤム。あれから力は戻られましたか」


 ギルアドの城の再現で、その力の殆どを使い果たした老人に、シャマールは問いかけた。


「もう完全には戻らぬ。今回の人化の儀式が終われば、いよいよ只の魔人よ」

「アナトとサリーヌを殺して力を回収せぬので?」

「アナトにはクルケアンの神殿ですることがある。今すぐには無理だ。それにサリーヌは私の後継として器になってもらうつもりだ。手出しするつもりはない」

「ヤム殿もそう思われるか」

「あぁ、あの力を目の当たりにすればな。イルモートに対抗するにはそれしかあるまい。儂は好きにさせてもらうさ。もう五百年近く生きてきた。最後くらい好きにしてもかまわんだろう?」


 シャマールはヤムに頭を下げた。ハドルメをクルケアンへの復讐に導いてきたこの男は、その役目の大半を終えたのだ。自らの後継者が誰か知った今、彼は自分の業に決着をつけるのだろう。


「ヤムよ、この魔獣達の魂を頼む」


 オシールの言を受けてヤムが権能杖を振りかざす。クルケアンの神殿では魔獣の工房で医学的に魔人化を行っていたが、ハドルメのそれは祝福の力を重んじる。十体の魔獣の遺骸からその魔力が抜け出して人の形をなしていく。それは赤い光の凝縮であり、血の凝縮でもあった。


「赤光は血に示される魂の記憶、さぁ、ハドルメの民よ、その記憶を思い出して再び人になるがよい」


 彼らの前に五人の人間が立っていた。二人分の魂で一人を生み出したその過程で、生前の人格がそのまま残っている者は誰一人としていない。性別や体格はその魂の力が最も強い者の形をとっている。そして溶け合った魂の、わずかな記憶を彼らは共有するのだ。


「良く戻ってきた。ハドルメの民よ。さぁ、共にクルケアンに復讐を果たそうぞ」


 五人の内、四人が一斉に跪いた。残りの幼い一人も周りを見て慌てて跪く。


 力を使いつくしたヤムは静かにギルアドの城を後にした。

 こうしてハドルメは五人の国民を手に入れ、一人の老人を失ったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る