第128話 神未だ甦らず

〈クルケアンとハドルメの代表、ティムガの草原にて〉


 美しい草原に男女が座って向かい合う。言葉の上では穏やかな野掛けのようだが、現実は敵対する将兵らが胡坐をかき、互いの安全の為に双方の武器が中央に放り投げられていた。もしこの会談が物別れとなれば、彼らは我先に武器を取り合って相手に襲いかかるだろう。


「ハドルメ国のシャマールです。この度は救援に間に合わず、誠に遺憾に思います」

「クルケアンのバルアダンだ。魔獣は撃退した。しかしこちらの領土内でのこと、お気になされぬな」

「その領土について、まだ我が国はクルケアンと協定を結んではおりませぬ。本会談の時では是非とも確定をしたいものです」

「領土のことはこちらも承知。なれば今日、たまさか一堂に会した縁をもって、諸条件の事前確認をしたいが如何?」

「承知。しかし、その前に伺いたい。その聖女と話させてはくれませぬか?」

「聖女? ……彼女は私の部下だ。また、一兵卒である。その必要は認めない」


 バルアダンはサリーヌの月の祝福の事を、出来ることならば隠しておきたかった。神殿やハドルメにおいてサリーヌがその標的になることを避けたかったからだ。しかしその淡い期待もシャヘルの言によって打ち砕かれた。


「バルアダン、もはや両陣営とも分かっておる。この奇跡を目の当たりにしたのだからな。サリーヌ、月の祝福者よ。逃げ隠れをするでない。お主は桟敷から覗き見る観客ではないのだ。このクルケアンの破局に向き合う当事者たらんと欲するならば、いや、当事者である者に寄り添っていきたいのであれば、その存在を示すがいい」


 サリーヌはバルアダンに顔を向ける。その眼は守られるだけの存在であることを拒否していた。


「私は貴方と共にいます。そのためにもここの一同に宣言させてください」

「……分かった、サリーヌ」

「私は月の祝福者サリーヌ。サラ導師の弟子にしてバルアダン中隊の第一隊長です。シャマール殿、私に聞きたい事とは如何なることでしょうや?」


 シャヘルの一言はサリーヌに一歩を踏み出させたのだ。サリーヌは立ち上がり、ハドルメの将兵に向かい合う。


「聖女よ、偉大なる月の祝福者よ。ただ、感謝の言葉を貴方様に伝えたかったのです。一つには魔獣を安らかに眠らせてくれたこと。魔獣石になるより遥かに彼らは幸せだったでしょう。そしてもう一つは、我らにこのティムガの草原を見せてくれたことです」


 シャマールが再び跪く。付き従うハドルメの兵士も次々に膝を折る。


「再び、故郷の草原を見れようとは……。亡国の兵としてこれほど嬉しいことはございません。聖女よ、感謝いたします」

「魔獣の魂に刻まれた思い出を、形にする手助けをしたのみです。それにこれは偽りの草原。記憶をもとにした絵にすぎませぬ。……本物ではないのです。故に、私は聖女ではなく、感謝の言葉は不要です」

「それでも、我らは故郷の風景に再会できたのです。聖女よ、我らはたとえクルケアンと矛を交えようとも、この感謝を忘れはしないでしょう」

「戦争を否定せぬか、ハドルメの将よ」


 シャヘルが嘲笑うように、シャマールの言質を確認する。対するシャマールは武人らしく虚言を弄せずに応える。


「如何にもそうだ。ハドルメは武を否定しません。しかし、平和をより貴重なものとし、それを求める民でもあります。それは本会談で明らかになるでしょう。そして、そのために一つの提案をしたいのです」

「提案とな?」

「この、恐らく両国の国境となるティムガの草原を、不可侵地域とすることを提案します。ここは我らにとっての聖地となった。血で汚すような真似は魂にかけてしないと誓おう」

「国境を不可侵地域とするのは分からぬではないが、その誓いをどう証明するのだ」

「魔獣でさえ、ここでは従容と死を迎えた。人である私たちがどうして戦えよう。なれば、平時には交易で賑わせ、戦時には両国の民の避難場所とすればよい。ここに強力な縛りを持った安全地帯ができるのだ。互いの民のためにも害はないはず」


 その言葉を受けて、アナトが軍を動かす上で必要な点を確認していく。


聖域アジールと言うわけか。それは兵士にとってもだな?」

「然り。しかし、武器を捨てることを条件にしましょう」

「上空はどうなる? 飛竜と神獣は軽く飛び越えるぞ」

「空は飛竜のものです。人が枷をはめるわけにも行きますまい。勿論、地上への攻撃はお互いに禁止とする」

「このティムガの草原にギルドなどの施設や工場を作ってもいいのか」

「草原に作る施設は、最小限が望ましい。お互いの神殿や礼拝堂、公会堂あたりで止めましょう。草原に隣接する施設については草原から二百歩までは自由に建設し、聖域の範囲とする」

「そこに互いが武器の貯蔵をする可能性については?」

「そのために武官を互いに派遣し、相互の監視を行う。武官の派遣は友好を続けるためでもあるのです」

「ではクルケアンがこの草原を突破・占領した場合は如何?」


 シャマールの穏やかな要望が一変し、目が赤く変わる。


「その時はハドルメとクルケアン、どちらの民が死に絶えるまでの戦いと知れ!」


 シャヘルはシャマールの言葉に深く頷いた。さすがはハドルメの騎士よ、と呟くのを自重する。


「よかろう。本会談での重要議案の一つとしようではないか。教皇として約束しよう。では武官の派遣だが、オシールの弟のシャマールよ、こちらはその方を希望する。部下を十人ほども受け入れよう」

「ハドルメの希望はバルアダンとその中隊、もしくはアナト連隊長とその部下達だ」

「ならばバルアダンをギルアドの城に派遣しよう」


 シャヘルの意外な言葉に、味方がざわめく。


「シャヘル様、バルアダンはイズレエル城の城主ですぞ! 城主が派遣されるなど聞いたことはありませぬ。それに私も神殿で奥の院の務めを果たさねばならない身。私とバルアダンが不在となれば誰がイズレエル城を守るのですか!」

「落ち着け、アナトよ。さて、シャマールよ、協定が安定するまでの三十日間、クルケアンはバルアダンとその部下を派遣する。しかし、その後は中級士官をその任に充てる。期間中は飛竜・神獣での行き来は自由だ。午前に派遣武官として赴き、夕方には帰ればよかろう。飛竜に乗ればそれほどに我々は近いのだから。ただし、その場合には、部下の一人は相手国に残るとし、派遣武官達は治外法権とする。無論、ティムガの草原においてもだ」


 シャヘルを好奇的に解釈すれば、ティムガの草原において派遣武官は武力行使をしてよい、ということだろうか、バルアダンは悩んだ。


「はて、バルアダン殿に匹敵する方がいるとは思えませぬが、サリーヌ殿ならともかく、余人にその代理の方がいらっしゃるので?」

「私がいる!」


 ザハグリムが立ち上がる。


「私が派遣武官となってハドルメに残ろう。私はバルアダン隊に所属しているし、何より私は評議会の貴族代表だ。ハドルメに留まる責任と価値が十二分にある。シャマール殿よ、覚えておくがいい。私が貴族代表ザハグリムである」


 貴族と聞いてシャマールの顔は凍り付く。手を固く握りしめたまま、笑顔を作ってザハグリムに言葉を返した。


「ほう、貴方は貴族でしたか。なるほど、それならばハドルメに異存はございません」

「そちらは誰が代わりに残るのだ」

「ハドルメ国二等書記官アバカスを」

「アバカスだと、奴はクルケアン評議員の裏切り者だ! 私の友も殺されかけたのだぞ?」

「我が国の代表として赴いたのに、そちらの対応が無道なものであったためでしょう。また彼はハドルメ国の主席書記官になる。今後は相応に扱ってもらいたい」

「良かろう、では本会談で良き協定が結ばれんことを願う」


 シャヘルはこの非公式の会談を労ってか、または両国の平和を願ってか、地に跪き神への祈りを捧げ、その後で即興の詩を口ずさむ。


北の地に嘗て花草在り

春流は南に流れ城壁を巡る

南城の人之をうらやみ、人血をもて供に捧ぐ

王未だ戦いを止めず、神未だ甦らず

我ら只、花を見て人を見ざるを得る

まさにす、君よ戻り来りて

春の陽光を共にせんことを

何れの日かまた共に歌わん


「……シャヘル殿、貴方のお気持ち、有難く受け取らせていただきます。そしてクルケアンの聖女よ、できれば貴方には兵より神殿がふさわしい。ハドルメの神殿は貴方をいつでも歓迎いたしますぞ」


 シャマールとその一行は飛竜に跨り、ハドルメの城に消えていった。

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