第127話 薬師の知識

〈イズレエル城にて〉


 魔獣の襲来を受け、バルアダンとアナトは城外の厩舎に駆け付けると、そこには兵に保護されたリベカがいた。


「リベカ様、御無事で」

「ええ、あの子たちが守ってくれたわ、あぁ、はやくあの子達の許へ行ってあげて」

「わかりました、皆、リベカ様を頼んだぞ」


 タニンに乗って空に上がると、ゼノビアがウェルを自分の体ごと縄で巻きつけ、馬を北門まで走らせているのをバルアダンは視界にとらえた。


「ウェル!」


 バルアダンはタニンをゼノビアの馬の前で下ろし、怪我の状況を確認していく。


「バルアダン中隊長、ウェルは魔獣の爪で背中を割かれてしまって……」


 バルアダンは、ウェルの服を小刀で割いて、出血が続く背中の傷の状態を確認する。そこは無残にも爪で引き裂かれ、その隙間から赤い肉が見て取れる。


「早く医務室に!」


 いや、間に合わない、そうバルアダンの理性は判断したのだが、感情がそれを拒否する。

 何か方法はないのか、気持ちばかりが焦り、効果的な対応が見い出せないでいると、神獣が目の前に降り立った。バルアダンは友に縋りつく。


「アナト! 月の祝福で血を、魔力で血を作ってくれ」

「全く月の祝福のことをよく知っている男だ。だが難しいことを言う。……出来る限りのことはしよう」


 バルアダンがゼノビアから気付け用の酒が入った水筒を受け取ると、自分の手とウェルの傷口を洗っていく。ウェルが激痛でのたうち回り、バルアダンはその手を強く握りしめた。


「ウェル、聞こえているか! 耐えるんだ、必ず助けてやる」

「バル、隊、長……」

「さぁ、アナト、やってくれ」


 その時、バルアダンとアナトを上空で一喝する声が響き渡る。


「未熟者! 魔力を血液に変えるなどと、拒絶される可能性を考えないのか。魔力は血液より他人との融合が難しい。家族や、強力な祝福者ならともかく、只の一兵士にするべきことではないわ。そのままでは魔力が体の中ではじけ飛ぶぞ」

「シャヘル様!」


 シャヘルが飛竜から降り立って、ウェルの血を数滴、腕に乗せる。そのまま鋭い眼光をもって治療の指示を出していく。そこには薬師で名をはせたシャヘルの面影があった。


「バルアダン、その小刀でお主の血を数滴ほど儂の腕に垂らせ。アナト、そこの女騎士、そして、ザハグリム、お主もだ」


 そこには肩で息をしながらウェルたちに追いついたザハグリムがいた。ウェルの血の気が失せた顔を見て、ザハグリムは気力を失い、膝をつく。


「バルアダン、すまない、私のせいでウェル殿は……」

「後だ、ザハグリム。いまはシャヘル様の指示に従え!」

「アナト、儂の腕についたそれぞれの血の一滴を、お主の魔力で、この娘の血と融合させよ。弾け飛ばなかった者の血をこの娘に注ぐのだ。血は魔力の劣化したものであり、融合できる血液はお主の魔力とも波長が合うはずだ」

「承知いたしました。シャヘル様」


 急いで各員が自分の血の一滴をシャヘルに垂らす。ウェルの血と適合したのはザハグリムのみであった。


「アナト、ザハグリムの血を触媒に使うぞ。奴の血に合わせてお主の魔力を変化させれば拒絶反応は起こらぬ」

「よし、ザハグリム、腕を斬れ」


 ザハグリムは小刀を握り逡巡する。しかし意を決してその刃を腕に滑らせた。血がしたたり落ち、それが地面に着く前にアナトの力によって、ザハグリムの血液がウェルのその血液に近いものに変化し、ウェルの体に吸い込まれていく。ザハグリムの血を触媒に自身の魔力で大量の血液を生成しているのだ。魔力を帯びたその血液はウェルの体を満たし始めた。傷口を包帯で圧迫し、出血は止まらないものの、顔に血色が戻ってくる。


「アナトよ、覚えておくがよい。血液はただ魔力で作れば良いというものではない。血液の種類の相性と、魔力の波長を同期できるか確認することよ。波長の合わない魔力を使って増幅した血は人に死をもたらすのだ。魔力がその者と同期しにくいのであれば、自分と波長の一番合う、別の者の血を用いてその仲立ちをさせなければならん。しかと覚えておけ」


 アナトは必死に魔力を操作して、ザハグリムの血液を増幅して送り込む。その横でシャヘルは赤い宝石のついた指輪を取り出し、ウェルの傷口に当てた。肉が盛り上がり、傷がたちまちのうちに塞がった。


「それはセトの力の……」

「セトに後で伝えるがよい。これはアスタルトの家に対する貸しだとな」


 シャヘルは指輪を懐にしまいながらアナトから顔を逸らす。


「シャヘル様、どこでそういった知識を得られたのですか?」

「薬師の経験よ。……知識だけは持っていたのでな」

「部下の命を助けてくれたこと、大変感謝いたします」


 一同が一息をついたとき、情けない悲鳴が上がった。


「シャ、シャヘル殿、ウェル殿の傷は塞がっているようだが、まだ必要なのか?」

「そうさの、血はこの水筒に入れておけ、娘の状態が悪ければまた輸血せねばならん」


 シャヘルは消毒で使った水筒にザハグリムの血を入れると、もうよかろう、といってザハグリムに血止めをするようアナトに指示をした。そしてそのまま飛竜の物陰に行き、隠れて水筒の血を飲み干す。それは浅ましい魔人の宿命だった。元の人格の純度が高いほど、魔人は人の血を求めて止まない。血液は魔力の劣化したものであり、魔人はそれを求めるのだ。


 ゼノビアがウェルを鞍に載せて城に戻っていくのを確認すると、ふとバルアダンは風に運ばれてくる草花の匂いを感じた。


「あそこを見ろ、草原が広がっている!」


 バルアダンの声で一同は振り返った。そこには美しい草原とそこに座す娘が魔獣を優しく撫でている光景があった。そして魔獣は光となり草原がさらに広がっていく……。


「月の祝福だと? あの娘はダレトの妹ではないか。成程、兄妹揃ってあれほどの祝福持ちとは、ヤムの力も衰えるはずだ。あぁ、シャヘルよ、お主の守ろうとした二人はつくづくクルケアンの崩壊の運命からは逃れられぬらしいな。しかし、ティムガの草原が再現されるとは……」


 物陰にいたシャヘルは目を閉じた。故郷の風景に心が躍れば、いつトゥグラトの呪いが降りかかるかも知れぬ、そう念じてハドルメの神官シャプシュとしての心情を押し殺し、教皇のシャヘルとして行動を開始する。


「皆の者、あの草原へ行くぞ。ハドルメの救援部隊もそこにいるようだ。丁度いい、会見の打合せを今、行おうではないか。これも巡り合わせというものだ」


 こうしてティムガの草原に、クルケアン側からはシャヘル、ザハグリム、バルアダン、アナトが揃い、ハドルメの代表としてシャマールが参加し、彼らは非公式に会談をすることになった。

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