第126話 帰るべき場所

〈ガド、小隊と共に魔獣に向かう〉


「ガド、ティドアル、牽制は成功だ、こっちへ突っ込んでくるぞ!」

「あぁ、ミキト、引き続き騎射を! そのまま北東へ抜けろ、俺たちは魔獣と並走して攻撃を仕掛ける」

「おう、囮は任せておけ!」


 サリーヌが第一小隊の先頭に立って魔獣へ向かっていった頃、俺達も違う魔獣を相手にしていた。幸い、魔獣はこちらに気をとられてリベカ様に気付いていない。あと四半刻ほど時間を稼げば城門へ逃げのびてくれる。そして、その後はバルアダン中隊全員で必ず無事に帰るのだ。


 ミキトが魔獣の前を横切るように馬を走らせる。弓弦が高く鳴り響き、鋭い一条の銀線が魔獣の右前脚を射貫いた。


「さぁ、こっちだ。のろまな魔獣め、このミキト様に追いつけると思うのか!」


 魔獣はミキトを追って俺とティドアルの前を横切った。


「いくぞ、ティドアル、それぞれ斜め後方から槍を突き刺せ!」

「了解!」


 ミキトの一撃のおかげで、魔獣よりも俺たちの方が足が速い。魔獣の左右から背後から追いついた俺達は、その後ろ脚を狙って馬ごと飛び込み、槍を突き刺した。

 俺はサリーヌのように一撃で致命傷を与えられるような猛者ではない。正面から叩くより、相手の力を削ぐことこそが生き残るために必要だった。


 魔獣が転がるように地に倒れ、砂埃の中、怒りの形相で俺たちを睨みつける。


「悪く思うなよ、魔獣」


 ミキトが再び矢を放ち、魔獣の左前脚に命中する。四肢に傷を負った魔獣はもはや這いよってくるしかない。それでも長剣で挑むには危険だった。その振り下ろされた魔爪に掠るだけで、人の首は持っていかれるだろう。持っていた槍は全て魔獣に突き刺さり、後を第一小隊に任せようと、馬の速度を落として周囲の状況を観察する。その時、馬影が俺の前を過ぎ去った。


「クルケアンに仇なす魔獣、覚悟するがよい!」

「ザハグリム、なぜここに!」

「は、はぁっ! わ、私とて貴族、魔獣相手に勝利してこその貴族よ!」

「馬鹿野郎、正面から突っ込むな! まだ魔獣の目は死んでいない!」


 ザハグリムを追うために馬に鞭を入れるが、速度を落としていたために加速が遅い。


「間に合わない!」


 その時、ウェルが全速力で馬を走らせ、ザハグリムを追いかけていった。

 俺の目の前でザハグリムの馬がその頭を魔獣によって叩き潰された。魔獣は嘲笑いながら、へたり込むザハグリムにその牙を向ける。


「い、嫌だ、私はクルケアンのき、貴族だぞ……」

「ザハグリム!」


 ウェルが馬ごとぶつかり、その勢いのまま双剣で魔獣の首を貫いた。魔獣はよろけ、ウェルを抱きかかえるように倒れこむ。


「……離れろ、ザハグリム。先輩のあたしが時間を稼ぐ」

「ウェル殿!」

「いつまでも抱き着いているんじゃないよ、色男。そんなにあたしの剣が欲しいのかい!」


 ウェルが喉元に刺した剣を掴んだまま手首を捻る。魔獣は血を吹き出しながら立ち上がり、ウェルをその爪で掻き抱いた。


「ウェル!」


 俺は馬で駆けぬけざまにその頭を長剣で薙ぎ払った。衝撃で手首が折れる音がするが、痛みで叫ぶのは後だ。魔獣が再び地に倒れこんだのを確認しながら、仲間に声を掛ける。リベカ様を預けたらしいゼノビアも駆け寄ってくるのが見えた。


「ミキト、ティドアル、膾切りにしろ!」


 馬を飛び降りて砂塵の中にいるウェルを探す。のたうち回る魔獣の爪をかいくぐって人影に辿り着く。そこにはザハグリムがウェルに覆いかぶさるように彼女を守っていた。


「ウェル、ウェル、しっかりしろ」

「お、おう、ガド隊長、リベカ婆ちゃんは兵士に保護してもらったよ。ザハグリムを止められなかったのはあたいの所為だから、責めてやら、な、いでね」

「ザハグリム、立て! ウェルに肩を貸すんだ!」

「だ、だめだ立てない」

「馬鹿野郎、泣き言をいうな! 貴族の誇りはそんなものか。さぁ、命を張った仲間に対して一歩を踏み出してみろ。一歩踏み出せたなら次の一歩だ。諦めるな、俺たちの勝利は生き残ることだ!」


 無理やりにザハグリムにウェルの片方の肩を担がせて魔獣から離れる。追いついたゼノビアに彼らを任せ、再び魔獣に対峙すべく左手で剣を握った。魔獣はミキトとティドアルの一撃を意に介することもなく、ゆっくりと起き上がり北東へ走り出した。もはや走れるはずのないその体で、一歩ごとに大地に鮮血をまき散らし、骨が砕ける音を響かせながら、何処かへ向けて駆けていくのだ。


「あぁぁ!」


 それは哀しい咆哮だった。人の泣き声のようにも聞こえた。ミキトたちが思わず剣を引くいたのも同じ理由からだろう。魔獣はやがて歩き出し、次に倒れこむようにして一つ所を目指して這いよって行く。


「サリーヌ!」


 魔獣の行き先はサリーヌがいる草原だった。……草原だと? そんなものはなかったはずだ。


「サリーヌ、早く逃げろ!」


 美しい草原に、兜を脱いだサリーヌが膝をついて花を愛でている。彼女の周りは青く光り輝き、神官が礼拝日の時に話してくれる天国のような光景が広がっていた。


 サリーヌは両手を拡げて魔獣を迎えた。それを受けて魔獣は赤ん坊のように泣きながら彼女の膝元に倒れこむ。あぁ、魔獣は帰るべき場所にたどり着いたのだ。


 ……俺は何の光景を見ている?

 魔獣は俺の敵だ、父さんを、母さんを、妹を、タファトおばさんの右腕を、工房の皆を奪った敵だ。あの時、俺とタファトおばさん以外は帰れなかった。それなのに!


 悔しくて、情けなくて、それでも胸が締め付けられるくらいに悲しくて、四つん這いになって拳を地面にたたきつける。手首が嫌な音を立てる。それでも叩きつけることを止めることができなかった。


「畜生、お前らは敵なのに、なんで同情なんかしてしまうんだ」


 次に顔を上げた時、草原にはハドルメの飛竜とその騎士団がいた。彼らはサリーヌに跪き、頭を垂れて慟哭していた。

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