第102話 神の鉄槌⑤ 背中合わせの英雄

〈騎士達、砦にて〉


 陽が落ちる頃、魔獣はその数を二割までに減らしていた。理性無き魔獣たちは組織だった抵抗をすることもなく次々と狩られるか、逃亡を開始していった。クルケアンの兵たちは明朝の決戦に備え、砦に戻ってその体を休めていた。


 空に月はなく、砦の篝火と、その南方にあって天に向かって屹立するクルケアンのみが世界が黒く染まるのを拒否している。

 夜番の兵以外は寝静まる中、バルアダンはアナトと共に城壁にあった。


「ハドルメ騎士団はなぜ先の戦いでは魔獣を率いていなかったのか、どう思うアナト?」

「全ての魔獣を完全に支配しているわけではないのだろう。オシールはその乗騎を撫でていた。一部の魔獣にしか主従の繋がりがないと見える」

「なるほど、制御のきかぬ魔獣の大群でこちらを疲弊させるのが目的かもしれない」

「誰を疑っている、教えてくれないか、バルアダン」

「今回の件だけでいうのなら、フェルネスだ。あの騎士団は南西に向かって飛び去って行ったのだからな。大きく旋回したとしても南からきたフェルネスが気付かないのはおかしい。北からなら七百を超える飛竜騎士団が見落とすはずはない。東のアサグ殿の連隊は方向的に飛び立ったのなら邂逅するはずがない」

「私もあの人のことは尊敬はしているが、同僚となってから日が浅い。君の元上司だったはずだ。何かこれまでに含むところがあるのか」


 バルアダンは水筒を取り出し、少しだけ蒸留酒を口に含んだ。アナトは無言で手を差し出し、バルアダンは量を気にしながら水筒を渡す。


「私もあの人を尊敬している。私をここまで鍛えてくれたのもフェルネスだ。しかし、彼は神殿や軍とは別のところで動いている」

「何だと?」

「あぁ、彼の忠誠は別の何かに向けられている。ただそれは分からない。教えてもくれないだろう」

「……ハミルカルに騎乗したフェルネス殿に勝ったと聞いたぞ。模擬試合でか?」

「対立し、殺し合いの果てに引き分けただけだ。技量ではあの人が完全に上だった」

「軍で何があったのか教えてはくれないだろうか?」


 バルアダンは困惑した。全てをこの友に伝えたい。しかし失われた記憶を取り戻せないのなら、ただ彼を苦しめることになろう。迷いは戦地において死に直結する。今はまだ……。

 バルアダンの沈黙と表情を見て、苦笑を浮かべたアナトは水筒の酒を飲み干した。


「お、おい、それは最後の……」

「ふん、何も教えてくれない輩に遠慮などするものか。まぁいい。いずれにしても敵は打ち滅ぼすのみだ。バルアダン、軍で出世しろ。神殿は私がまとめてみせる。クルケアンの内紛を収めるにはそれが一番だろう? それでも私が神殿の指導者になれば、それでもお前は神殿を憎むのか?」

「あぁ、そうだな。わだかまりは無くなるだろうが、酒を取られた恨みは残るだろうよ」


 二人は笑い合った。


 アナトには気になることがあった。最初にバルアダンが自分に声をかけた時、ダレト、と呼んだことを、そしてニーナをレビと呼んだことを。しかしそれもこの男は困った顔をして何も喋らないだろう。少し時間を置こう。まだまだ戦いは続くのだ。


「私達が出世したら、会って欲しい人がいる。私の弟と妹だ」

「ほうバルアダン、君は兄だったのか」

「あぁ、本当の家族ではないが、私にとっては大切な弟と妹だ。彼らはクルケアンを魔力ではなく技術で以って豊かな都市にしようとしている。軍でもなく、神殿でもなく、だ。私達の一つの方向性として、いつの日か彼らに一度会ってほしい」


 アナトは了承すると、酒のためか気分よく城壁内の私室に向かった。どうやら自分は酒に強いわけではないらしい、そう思いながら戸を開けると、部屋には妹がいて彼のための薬を準備していた。いつもは溌溂とした彼女は、この時だけは自分の体調を気遣ってか暗い表情をする。アナトはその表情を見るのが辛かった。妹に心配をかけさせる兄など、情けないではないか。


「そんな表情をするな、さぁ、薬湯をくれ、ニーナ。今日は気分がいい。バルアダンと城壁で酒を飲んできたんだ」

「まぁ、バルアダン隊長と。……やはりバルアダン様と友人となられたのですね」

「やはり?」

「兄さんたら、試合からずっと気にしていたでしょう。私、少し嫉妬していたの気付いていて?」

「そうか、顔に出ていたか。いやあいつはすごい男だ。それにな、今すぐではないが、あの男の弟たちに会うことになったぞ」


 ニーナの顔が少し俯いた。


「……バルアダン様は他に何か言っていて?」

「軍務以外は特に何も、あぁ、私の方から提案したことがあったんだが、内緒にしておいてくれよ、ニーナ」

「ええ、兄さん」

「私とバルアダンで、それぞれが偉くなって、神殿と軍双方から歩み寄りをさせようといった。なぁ、ニーナ。私達にできると思うかい?」

「それだけ?」

「ん?」

「いや、何でもないの。素敵な話だわ。兄さんとバルアダン様ならきっとできる。ただし、私も一緒に連れて行って下さいね」

「勿論だ。さぁ、この苦い薬湯を飲んだぞ」


 そう言ってアナトは褒められたい子供のように笑顔を作った。ニーナは呆れながら兄の口についている薬湯の残りを拭ったのであった。


 その時、城壁の外の厩舎では、フェルネスが相棒のハミルカルの世話をしていた。


「ハミルカルよ、久々の仲間にあえて嬉しいか」


 竜は主人の声に応えて鳴いた。


「明日は多くの仲間と別れることになる。だが、お前だけは私のもとにいてもらうぞ。いつもすまないな、ハミルカル」


 ハミルカルは主人の気遣いを無用とばかりに首を寄せ、喉を鳴らした。フェルネスは優しく竜を撫でながら近くに不機嫌そうに横たわっているタニンにも声をかける。


「タニン、バルアダンの小僧にはまだまだ支える者が必要だ。君が望むなら強制はしない。行きたい道を選ぶがいい」


 タニンは不機嫌そうに、一声唸ると、そのまま寝始めた。


「ははっ、流石は五百年以上も生きた最古の竜だ。私のことも小僧扱いか。分かったよタニン、私もまだまだ精進するとしよう」


 やがて空が白み始め、兵たちが夢から目覚め始める。彼らはクルケアンに平和が訪れる幸せな夢を見ていたのだ。そして今日はその夢が実現するはずの日であった。朝餉の準備も騒がしく、疲れた様子を微塵も見せず、急いで食事を終えると彼らは城壁に整列した。


 シャムガル亡き後、軍の最高位となったラメド将軍が演説をする。


「今日を魔獣との最終決戦とする。シャムガル騎士団、歩兵、弓兵は前進し、黒き大地前に布陣せよ。飛竜と神獣騎士団は先行し、敵の根拠地と思われる祭壇を叩く。皆の者、油断をするな。もしかすると魔獣を率いた人間がいるのかもしれぬのだ。数を減らしたとはいえ、今日の戦いは理性なき獣が相手ではない可能性をしかと心せよ」


 兵たちの間に動揺が広がる。魔獣に味方する人がいるというのか、そのざわめきは次第に大きくなった。ラメドとしても苦渋の決断だった。しかし、魔獣の騎士団が現れた場合を考え、予めその衝撃に備えておく必要があったのだ。


「心配するな、兵士たちよ。我らはあの魔獣の軍勢に対し、見事勝利を勝ち取ったのだ。我らを救った若き英雄達がいる限り、負けはせん。それはお主たちが一番分かっているであろう」


 兵士たちの動揺が潮のように退いていった。残るは昨日の戦いの高揚感だけだ。やがて彼らの英雄が城壁に立つと、もはや信仰の対象のようにその名前を連呼するのであった。


「アナト、神殿の勇者よ、神と共に我らを守り給え!」

「バルアダン、クルケアン最強の戦士よ、御身の力によりクルケアンに平和を!」


 兵たちの声を受けて、アナトはバルアダンに歩み寄り、小声で話しかける。


「こういう役回りは好かないのだがな」

「私もだ、アナト。道化を演じるのは好きではない」

「君の演技は、確かに下手だろうな」

「……お互い様だ」


 バルアダンはアナトの手を取ると、共に高くその手を掲げた。兵たちの一際大きい喊声がそれに続いた。

 兵士たちの声に囲まれてバルアダンは自問する。クルケアンの兵士たちは平和を夢見て戦いに赴く。対する魔獣は、ハドルメ騎士団は何を夢見て私達と矛を交えるのだろうか、と。


 朝日を浴びながらクルケアン軍は行軍を開始した。それは作戦「神の鉄槌」の最後である第五段の始まりでもあった。

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