第101話 神の鉄槌④ 魔獣の軍勢の只中で
〈神の鉄槌、第三段、第四段〉
「シャムガル将軍!」
アナトの投槍が魔獣の心臓を貫く。魔獣はシャムガルに向けたその爪を翳したまま後ろに倒れた。
「アナトか。なぜ来たのだ。作戦通り砦の城壁で迎え撃たなければ……」
「シャムガル騎士団、方陣を組み槍を構えろ、守りに徹するんだ! 神獣騎士団、方陣の上段で攻撃を行え!」
シャムガルは体の中に熱を感じ、両腕からの出血が止まっているのに気付いた。シャムガルはサラの顔を思い出した。そうか、あの賢者にも後継者ができたのか、やはり老兵は去るべきだ。疲れで眼を閉じようとしたとき、いや、その生を放棄しようとした時に、アナトが言った言葉が頭の中でよぎった。シャムガル騎士団、と。もしやアナトは私の騎士団と共にいるのか?
シャムガルは死神に預けようとしていた意識を必死に奪い返すと、眼を開いて戦場を見た。
「なぜ、そなたたちがそこにいる……」
「将軍、何を寝ておられるのです! 早く下知をお願いします」
「一人十体の魔獣を斃すと言っておられました。将軍はまだそこまで斃されていないでしょう?」
「アナト殿が他の連隊の騎士を集めてくれました。まだ私達は戦えます。ここから我らの本領は発揮です。耐えることには慣れておりますゆえ」
シャムガルの部下たちが頑固な高齢者を窘めるように次々と話しかけてくる。飛竜騎士団と比較して口の悪い、相変わらずの困った部下達だ、シャムガルはそう思いながらアナトに抱きかかえられ、魔獣の鞍に座した。そのまま背後のアナトが手綱を握る。
「騎士団よ、儂が誇るクルケアンの盾よ! このまま砦に向けて南下する。防御を固めながら予定していた地点に進むのだ。誰一人欠けることは許さぬ!」
その命令に、騎士たちは笑って頷き、騎馬の体重を利用しながら、魔獣に向けてその槍を突き出していく。防御が薄い箇所は、方陣の上段から神獣が牽制し、被害を最小限にとどめていく。
シャムガルによる的確な指示の下、彼らは少しずつ砦に近づいていった。四方を黒く塗りつぶす二万の魔獣に囲まれながら、その中心の小さな白い一点は未だ健在だった。
「砦が見えたぞ、あと少しだ。あと半刻、力を振り絞って戦え!」
シャムガル達は満身創痍になりながら、予定の地点へとなだれ込んだ。馬も人も地へ崩れ落ちるかのように横たわる。魔獣達は勝利を確信し、涎を垂らしてその牙を湿らせたとき、爆音が一帯に響き渡った。
「シャムガル殿もまだまだしぶとい。だが武人とはかくあるべきだな。羨ましいことだ」
砦の城壁に立ってシャムガルの一団が到着したのを確認したフェルネスは砲撃の指示を下す。ここに第三段の作戦が開始された。
「砲兵、先日の演習の通り着弾地点の魔獣に向けて砲撃を開始せよ」
フェルネス隊が射弾観測を行い、砲兵はその角度と包囲を修正しつつ魔獣に向け次々に砲丸を発射する。魔獣の群れは上空からの鉄の塊に頭蓋を砕かれて次々と地に倒れていった。また、神獣騎士団により上空から油を撒かれ、そこに簡易の炉で熱した焼玉を撃ち込まれるのだ。炎の中で苦しむ魔獣たちの悲鳴が砦の城壁まで聞こえてくる。魔獣は逃げ出すために仲間を踏み、噛みつきながら我先にこの場から離れようとした。彼らがその砲弾の射程距離から離れようとした瞬間、休息を取り終えたラメド、アサグ隊が上空から襲撃をかけたのだ。シャムガルの時とは一転して、包囲され逃げ場を失ったのは魔獣の側となった。
「すべて打ち尽くして構わん。熱くなった青銅砲は捨て置き、砲弾を魔獣石で加工した砲台に集めろ」
どのみち、ここで砲弾を使い切る予定なのだ。もともと少ない輜重部隊で、短期間で運んだ砲弾は、半刻も立たないうちにその砲弾を失うだろう、そうフェルネスは考えていた。
「フェルネス隊は、城壁上空で迎撃態勢をとれ。砲兵は城壁に拠って防衛だ。さぁ、バルアダン、第四段だ。お前はただ真っすぐに進めよ。正面から打ち破る力がお前には備わっている。何より兵たちが安心するのでな」
元上官に肩を叩かれ、頷いたバルアダンは城壁の外に整列する歩兵を見下ろし、兵を鼓舞する。
「バルアダン中隊を先頭に歩兵を前線に展開する。敵はその数を三割にまで減らしている。ここが正念場だ! 皆、私に続け、クルケアンの加護があらんことを!」
兵は喊声をあげ、また、バルアダンの名を連呼する。バルアダンは柄ではないな、と自嘲しながらも飛竜に乗って兵の前に舞い降りた。サリーヌの小隊が彼の後ろに、ガドの小隊がそのやや後方から包み込むようにその隊列を敷いた。
「突撃!」
五千人の歩兵と五百の弓兵が隊列を組み、バルアダンに続いていった。それぞれの大隊は三列に別れ、前列・中列の歩兵が入れ替わりながら魔獣と戦い、後列の弓兵がそれを支援するのだ。
バルアダンはタニンを上空での自分の隊の支援と武器補給に回させ、槍を以って魔獣に挑みかかった。混乱しているとはいえ数で勝る魔獣に勝つには、その機動力を奪えばよい。強者が魔獣の脚を一つでも奪えば、後続の兵が止めを刺してくれるのだ。故にバルアダンは自分の隊に徹底して、魔獣の関節を狙うよう指示をしていた。
「そうはいいながらも、隊長は正面から魔獣を斃していくんだもんな」
ウェルがミキトに苦笑しながら同意を求めた。
「まったくだ。まぁ、それで魔獣がびびってこちらも斬りこめやすくなるからな」
「ウェル、ミキト、サリーヌとリシアの支援に回ってくれ、俺はユバルにつく。ティドアルとゼノビアはアビガイルの側面を守れ!」
ガドの指示に小隊は従い、サリーヌ隊の隊列に穴ができないようその支援に回った。
「サリーヌ小隊長、前に出すぎです。もう少しお下がりください!」
「ラザロ、それは違うぞ、我々の両小隊にとって一番安全なところに行くの。さぁ、皆、バルアダン隊長の後ろに続け、そこが勝利と生存の為の最適な場所となる!」
サリーヌは、バルアダンの側面に回り込んだ魔獣を迎撃し、その後ろ脚を槍で地面に縫い付けた。動けず唸り声をあげる魔獣の首をウェルの一対の短剣が切り裂いた。サリーヌは槍を引き抜き、二人は別の魔獣へと意識を向けた。
バルアダンは敵の中央にある白い点に向かって突き進んでいく、そして先頭にあって魔獣の首や脚を斬り飛ばしていった。魔獣の軍勢はバルアダンが一歩進むごとに、そこに楔を撃ち込まれたかのように分断されていく。やがて細いが確かな一本の筋が中央まで届いたのだ。
「シャムガル将軍、アナト連隊長、よくぞ御無事で! さぁ、ここから押し返しますぞ」
老将軍はもはや手を差し伸べられぬ我が身を残念に思った。この若者の手を取り、その激励に応えられたらどんなに高揚するだろうか。老人はバルアダンの背後から次々に寄せてくる味方を見ながら、部下の安全が確保されたことに満足した。
鞍の上でよろめき、慌ててアナトがそれを支える。血止めをしたとはいえ、命をつなぎとめるための体力が限界に来たのだ。
「皆、よく聞け。儂の最後の命令を伝える」
既に多くの歩兵に守られていたシャムガルの騎士団が一斉に跪いた。神獣騎士団、バルアダン中隊もそれに続く。
「皆、ここまでついてきてくれて助かった。また楽しかったぞ。お主らの貢献と、このアナト連隊長、バルアダン中隊長により何とかなりそうだ。感謝する」
老人は持てるすべての命を振り絞ってその声に充てていく。
「神殿の兵よ、軍の兵よと我らは争っていたが、果たしてそれは間違いであった。お互いの指導者達のわだかまりを解くにはまだしばらくの時間が必要であろう。なればこそ、若者には老人の真似をして欲しくないのだ。この戦場にいる者たちはクルケアンの市民のためにこそ動いてほしい。組織は所属に過ぎぬ。結局は我らもまたクルケアンの市民なのだから」
シャムガルはそう言い切ると、部下たちや歩兵たちを見渡し、最後にバルアダンの眼を見据えた。
「バルアダン、武の祝福を受けた者よ」
そして、背中を支えるアナトに向かって語りかけた。
「アナト、神殿の若き英雄よ、この者達を、クルケアンを頼んだぞ」
そう言って、老将は遂に息絶えた。魔獣の只中にあって兵たちは静かに嗚咽する。鞍を空にした老馬がその遺体に鼻を寄せた。シャムガルの部下が遺体をその鞍に乗せ、自らが手綱を取りながら砦へと戻っていった。その後を生き残った騎兵が続いていく。やがて彼らは休息の後、再び魔獣と戦うために前線に戻ってくるだろう。
「ここからだ! 将軍の遺志を為すのだ。クルケアンを守るため魔獣を一気に分断する!」
バルアダンの声に、歩兵から次々と己を鼓舞する叫び声が上がった。
「アナト、我らは魔獣を正面から突き破る。上空からの支援を頼む」
「勿論だ、バルアダン。神獣騎士団、私に続け!」
二人の若者が、再び魔獣の軍勢に飛び込んでいった。それに呼応して兵たちも続けて前進を続ける。あれほどの力を持った若者が、自分たちを勝利に導いてくれるのだ。家族を守ってくれるのだ。いったい、恐怖を抱く必要があるのだろうか。二人を信じて兵は魔獣に剣を向けていった。
アナトは戦いながらも苦い表情をつくった。バルアダンが自分を呼び捨てにした。たったそれだけのことでなぜ私はこうも血が沸くような高揚感を持つのか。
彼はバルアダンの動きを予想し、またバルアダンもアナトの動きに合わせて次々と魔獣を屠っていく。彼らの力を知っている部下や兵たちからも驚きの声が上がる。しかし一番驚いていたのがアナトだった。かくもバルアダンとの連携はうまくいくのか。互いの呼吸でさえ分かるようだ、そう考えながらアナトは槍を持つ手に力を籠めた。
シャムガルが言うように神殿と軍のわだかまりがなくなれば、自分とバルアダンが手を握れば……。それは難しい事なのかもしれない。しかし、それはとても素晴らしい未来を描いているように彼には思えた。
同じころ、東の上空からアサグ連隊が魔獣と対峙していた。しかし、連隊長のアサグは戦闘は部下に任せ、中央を突き進むその先頭の二人を静かに睨み続けていた。
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