第97話 北伐④ 涙

〈バルアダン、威力偵察を終えて〉


「魔獣、多く見積もっても三万、少なく見積もって二万、魔獣の発生地に三人の人物。魔獣が襲わなかったのを見るとその使役をしている者たちと考えられる」


 威力偵察から帰ったフェルネスはシャムガル将軍に威力偵察の成果をそう報告した。

 続いてラメド飛竜騎士団長が自軍との比較を述べる。


「わが軍は、飛竜騎士団十個連隊七百五十騎、神獣騎士団三個連隊二百二十五騎、第一軍、第二軍の総数、三騎兵連隊千五百騎、十歩兵連隊五千人、弓兵五百人、砲兵五百人五十門、兵数おおよそ八千人」

「……四倍か。第二軍を防衛に割いているだけに実質は五倍か。如何に飛竜と神獣の騎士団が千騎いたとしても勝利は難しいな、どう思うラメド?」

「しかし我らが退いてクルケアンに攻め込まれても結果は同じ。殲滅か、殲滅させられるかのどちらかだ。また、空が飛べる魔獣は少ない。五百体といったところだ。これを初手で倒せば、空からの投槍などで有利に立てる」


「失礼、若輩ながら意見を具申してもよろしいか?」


 アナトが前に進み出る。彼はフェルネスに視線で許可を求め、それが得られるとシャムガル将軍に作戦を提案した。


「クルケアンの戦史にあった戦術だが……」

「ほう、アナト連隊長は戦術に詳しいのか」

「文献では。よって将軍に判断してほしい。飛竜騎士団ならいざ知らず、歩兵では三人で一匹にようやく抗することができる。通常の騎士であればその突進力を用いて一騎で一匹だ。よって、作戦の主眼を歩兵・工兵・砲兵でより多くの魔獣を斃す方法を提案する」


 アナトは戦場を五段階に分けて戦うことを提案した。その作戦は一同の驚きを以って了承される。経験も浅いアナト連隊長を、シャムガルが軍と神殿の対立を超えて素直に賞賛する。


「いや、素晴らしい作戦だ。一体アナト連隊長はどこで戦史を学ばれた? こちらでも戦史は学ぶのだが、そんな戦術は聞いたことがない」

「過分なお褒めを賜り恐縮です。一つは嵐の海がなかったころの舶来の書物、もう一つは伝承から分析しました」

「ほう、伝承か、そこから太古の戦術を復元するとは、まったく大したものだ」


 若いアナトは賞賛されて、興奮のためやや上気していた顔を引き締めた。ここでうぬぼれてはならない、そう彼は考え、深く一礼をして自分の席へと下がった。そこでアナトは気付く、自分はどこでその本を読んだのだろうか、と。頭痛がじわりと強くなり、彼は頭を押さえた。


「失礼、アナト連隊長は気分が優れぬようです。自室にて休ませてもよろしいでしょうか?」


 副官のニーナがそう発言し、アナトを将軍たちに見られないようそっと支えながら部屋を出た。シャムガルは一同を見渡し、作戦の指示を出す。


「払暁を期して戦を開始する。第一段はラメド団長、アサグ連隊長の指揮のもと飛竜・神獣騎士団によって敵の飛行戦力を叩く。儂は騎兵を率いて第二段を指揮する。フェルネスとバルアダンは第三・四段の指揮を任せる。アナト連隊長は遊撃として全ての段に関わってもらおう」

「私は一介の中隊長です。命令権はありませんが?」

「儂が与える。もうすでに兵たちは貴様が魔獣を二体屠ったことを知っておるぞ。お主らの中隊は口が軽い者が多いな。おかげで魔獣殺しの英雄がいる、と士気が高まっておるわ」


 ラメドはバルアダンに、兵の恐怖を抑えるために最前線で指揮を執る者が必要なのだ、と諭した。


「心配するな、バルアダン。現場の指示は歩兵の百人隊長どもにさせておく。飾りとはいえ、貴様はその後ろ姿を兵に見せておけばよい。ではそれぞれの段の責任者は詳細な戦術案を練っておいてくれ」


 フェルネスが最後に質問をする。


「シャムガル将軍、兵に作戦を説明しますが、作戦名は何としましょう」

「そうさな、立案したアナト連隊長の顔を立てて、作戦名は神の鉄槌とする」


 そういってシャムガルは作戦開始を宣言した。


 各々が準備に取り掛かったころ、フェルネスは城壁内の回廊を歩きながら呟いた。


「神の鉄槌、だと。皮肉なものだ。果たして鉄槌を下されるのは一体どちらか。自分に味方する神の名前を取り違えないことだ」


 その言葉に込められた感情は憐憫か嘲笑か。いずれにしてもフェルネスは自分に任せられた任務を疎かにする男ではなく、勝利のために兵に指示を与えていく。彼は自身の生き方が愚かであったとしても、弱者との誹りを受けるわけにはいかなかったのだ。口では否定するものの、彼は強さにだけは執着していた。バルアダンやダレト、べリアよりも強く在るために、自分は最強であらねばならないのだ。あの人の背中を超えるためにも、そう考えながらフェルネスは自分の剣を磨き始めた。



 その日の夜、作戦の準備を終えたバルアダンは、サリーヌを城壁に呼び出した。サリーヌは身だしなみを整え、覚悟を決めて城壁への階段を登っていく。彼女に向けられた兵たちの好奇の視線は、彼女の行く先に立っている若い英雄の姿を捉えることで、慌てて逸らすことになる。その英雄はこれまで十体近くの魔獣を屠ったという。明日は自分たちを守ってくれるその英雄に敬意を払い、兵たちは持ち場を少し離れたのだ。


「サリーヌ、ダレトとレビは生きている」


 月の下でバルアダンはサリーヌに伝えた。彼女は正面から兄の親友の目を受け止める。


「恐らく魔人化によって命を取り留めた。それがアナトとニーナだ。そして彼らにもとの人格はない」

「はい。気付いておりました」


 サリーヌは行軍一日目のバルアダンとアナトの会話を、唇を読んで知ったのだと語った。


「私は兄が無事ならばいいのです。生きていてさえくれれば。私がニーナとしてではなく、サリーヌとしてダレトの前に現れたときも、兄はそう思ったでしょう」


 サリーヌとして生きろ、とダレトが自分に最後に残した言葉を思い出す。たとえニーナとしての記憶が完全に戻らなかったとしても、兄は自分に新たな人生を送って欲しかったのだろう、生きてくれさえすれば、そう兄は願ったのだ。だから私もそう願うのだ、そうサリーヌはバルアダンに語った。


「レビがニーナとして兄の側にいるのなら、兄にとってもレビにとっても幸せなことです。……レビは家族を求めていた」


 あの日、レビがアサグに殺されかけた時、彼女はサリーヌに告白したのだ。


「サリーヌ、ごめん。私はダレトが欲しい。貴方がいながらそう思った。私もあの人を兄と呼んでいい?」


 サリーヌは了承した。もとより記憶は断片でしかない。家族を、大事な人を求めているのはサリーヌも同じだったからだ。


「なら、私達は姉妹ね」


 そう応えると、レビは微笑んだ。


 その日、レビがダレトと共に死を選んだ時、

 彼女を突き放すのに、間に合わないと悟ったダレトがレビの手を握りしめたとき、

 彼女は置いていかれたような気がしたのだ。そしてそれは彼らを再び目の当たりにした今も変わらない。


「バル、私とダレトは家族です。レビも。だから、生きていて嬉しいはずなんです。でも、でも、もうそこに私の場所はない」


 ニーナという名前さえもレビは持って行ってしまった。本来あったはずの場所には大好きな友人が幸せそうな顔で立っているのだ。


 今日、アナトが体調の悪いニーナを抱き寄せていたとき、彼女の胸に大きな空洞が生まれたのだ。嫉妬ではない、それは大きな虚無だった。


「サリーヌ。ダレト達を元に戻す方法があるかもしれない。セトの力を借りれば可能性がある」

「いいえ、私は彼らの幸せを選びます。愛する兄と友の、恐らく一番幸せな今の時間を。だから、バル、私は大丈夫……」


 やがてサリーヌはバルアダンの胸に顔を寄せた。泣き声が、風に揺れる葉のように静かな音で、バルアダンの胸を打っていた。


 どれだけの時間が立ったのだろう。サリーヌは顔を挙げてバルアダンを見つめる。月の光が涙の跡を優しく照らす。バルアダンはその涙を指で拭った。

 やがて二つの影は合わさり、月はそれを闇で包むかのように雲にその身を隠した。

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