第94話 北伐① 兵舎の中で
〈バルアダン、兵舎にて〉
「明日、北伐を開始する」
飛竜騎士団の兵舎で、私は自分の隊にそう告げた。
「飛竜騎士団バルアダン中隊は先行し、軍の基地建設に最適な場所を報告しろ。また必要があれば威力偵察を行え」
そうシャムガル将軍からの命令があり、翌朝の出発に向けて準備を行う。私達の後に第一軍、第二軍が続き、輜重兵が続く。飛竜騎士団は進出先で拠点防御を行い、決戦で前線に立つのだ。神獣騎士団は黒き大地到着まで輜重兵の護衛を務め、同じく最後には前線に立つ。神殿側の戦力温存だとの不満もあるが、もともと軍の要求に基づいた戦いであり、飛竜騎士団をはじめとしてその戦意は高い。
「バルアダン中隊長、私たち両小隊はどのような編成で先行するのでしょうか?」
「サリーヌ、君の小隊は中短距離に特化した剣と槍の装備だ。突撃時の中核とするため、戦いとなれば中央に配置する。ガド、君の小隊はサリーヌ小隊の左右を固めておいてくれ。私が前で、君が後ろだ。装備は弓と投槍、そして短剣だ」
私の隊はまだ経験が浅い。私が先頭に立って魔獣の勢いを抑え、ガド小隊が飛び道具で牽制、サリーヌ隊の突進力で切り崩し、優位を確保したところで、乱戦になればガド小隊が近接戦で止めを刺す方針を取った。軍馬は一個小隊分しか用意されなかった。幸い小柄な訓練生なので軽装での二人乗りで行軍し、食料や槍などの重い荷物は飛竜のタニンに任せるしかないだろう。
「ガド、後方から的確に指示を出し、戦術的優位を確保し続けてほしい」
「はっ」
解散し、士官用の部屋で準備をしていると、躊躇うように戸を叩く音が聞こえた。
「中隊長、よろしいでしょうか?」
「サリーヌか、構わない、入ってくれ」
「神獣騎士団の事です。無用な疑いを持つのは良くないのですが、私やバルアダン隊長は神殿にいつ襲撃を受けるかわかりません。サラ導師のおかげでギルドの庇護を受ける形で守られていますが、戦場では話は別です。どうかお気を付けください」
出発前、セトとエルが車輪のギルドの下部組織に加盟したことを報告してくれた。そしてクルケアンの都市のために薬草園を整備する事業に参加できたということだ。弟たちの成長を嬉しく思いつつ、安全確認のためにサラ導師に問い合わせ、ギルド総長のリベカの保護を受けていることも聞いた。となれば現状、神殿が狙うのは私達しかないだろう。
「先のバルアダン中隊長とアナト連隊長の試合ですら、命を落とすところでした。フェルネスが止めに入らなければ相打ちでしたよ」
今回の行軍にあたってはアナトは兜をかぶり、その素顔を晒してはいない。もし晒せばサリーヌは平静ではいられないだろう。ましてレビがニーナと名乗り、妹の立場で副官として彼の側にいるとなれば。サラ導師からはセトの能力が向上すれば、身体に混じった魔獣の力を解放し、元に戻るかも知れない、とのことだ。……まだ時期を待たなければならない。彼女と秘密を共有すべきだろうか、私は悩んでいた。
「分かっているよ。サリーヌ。だが、今回の戦いはまずは君も含めて全員が生き残ることだ。訓練生で編成された部隊など、我々くらいのものだからね」
「そうですね。皆、浮足立っています。平常心なのは私やウェル、ミキトくらいです」
「ガドは違うのか」
「ガドこそ浮足立っています。ただ、それはいつものことです。色々な状況を考えているに違いありません。だから、彼に関して言えば浮足立っていて大丈夫です」
私達はガドを会話の肴にして笑った。
「その、そういうことでもありますし、今日は中隊長に私達の兵舎に来ていただくことは可能でしょうか」
「どういうことだい?」
「雑魚寝で申し訳ないのですが、皆が中隊長と一緒にいたいと」
「分かったサリーヌ。ところで大事なことを相談するのだが」
「はっ!」
「友人の妹から中隊長といわれると私も浮足立ってくる。ガドもそうだが私達だけの時はバルアダン、と言ってくれないか」
「……善処します」
そう言ってサリーヌは兵舎に戻っていった。中隊長か、私には分不相応だ。セトやエルが言うような、バル兄、が一番しっくりとくる。友人の妹に敬意を持たれるのは勘弁だ、そう思いながら兵舎に足を運ぶ。そこには兵舎とは名ばかりの、軍馬用の藁が敷かれた土間に寝転がっている隊員がいて、歓声を上げて私を迎えてくれた。やれやれまだまだ訓練生だ。早く休まないといけないというのに。サリーヌが自身の横の藁を敷き詰めてくれ、ガドはそそくさと私の横に位置取る。
「あ、小隊長達、ずっるい!」
「ガド小隊長、自分だけ美味しいところを取るのですか。これでは士気が下がります」
「サリーヌもだよ! 何よ、小隊長は中隊長の側にいるものですっ、ていう顔は!」
そうやって賑やかに軽口を交わしつつ、私達は眠りについた。兵舎の奥にいるタニンが呆れたかのように喉を鳴らしていた。
「さぁ、出発するぞ!」
行軍一日目。
払暁と共に出発する。本軍は準備が遅れており、三日のうちに合流できるか疑わしかった。
「第一小隊、手綱をとれ、第二小隊は同乗しろ。重いものはタニンに載せろ」
先行するとはいえ、二人乗りのため軍馬の負荷も大きく、休憩をはさみながらの行軍では順調に行っても三千アスク(約二十キロ)程度だろう。行軍の道のりと水補給地の探索をしながら進むので実際はそれより短くなるはずだ。
昼過ぎとなり大休憩を取る。タニンの荷物をおろして、彼女の首に地形や目印などの手書きの地図を括り付け、本隊まで届けてもらう。
「頼むぞ、タニン」
彼女はいつものように尊大に頷き、飛び立っていった。
砂塵の中、円形となって携行食を食べる。若いだけに皆まだ元気で、目を皿のようにして四方に異常がないか警戒をしている。
「中隊長、こちらに飛んでくるものがあります!」
ウェルが叫ぶ。すぐにミキトが武器を確認し、臨戦態勢をとった。こういうことは場慣れしている彼らが頼もしい。
「方角は南だな。味方の飛竜か?」
「……いえ、神獣のようです」
ウェルの報告に全員が身構える。それほどまでに軍と神殿の対立は深いのだ。
「黒騎士です。五騎で向かってきます」
サリーヌが報告する。アナトとニーナか。サリーヌにすまない、と心で謝りつつ、全員に私の後方で待機するよう伝えた。
やがて白い獅子から降りた黒騎士と女性士官が私の前に降り立った。
「失礼、バルアダン殿、こちらも偵察任務だ」
「ご苦労様です。アナト連隊長」
立場ではアナトの方が上位だ。心の中ではともかく、現実では非礼をしてはならない。必死にダレト、と叫びたい自分の心を押し殺す。部下は三アスク(約二十二メートル)ほど下がらせ、士官同士の話し合いに水を差さないようにしている。だが、本心はサリーヌを近づけさせないためだった。恐らく彼女は耐えられない。肉親ではない私でさえ耐えられるか自信がないのだから。
「しかし、貴殿程の腕を持ちながら中隊長か。惜しいな。私でさえ連隊長だ。貴殿の器量なら一軍を率いてもおかしくはあるまい」
「私にはこのくらいが丁度いいのですよ。アナト殿」
「謙遜も過ぎると嫌味となるぞ。この辺に野盗はいないのだな、ならば我々の物資をここに置いておこう。あとで神殿の輜重兵が回収する故、放置しておいてくれ」
そう言って簡単な天幕を張り、神獣から食料や水などが詰まった箱を置いていく。副官のニーナは他の団員にきびきびとその作業の指示をしていた。
「優秀な副官ですな」
「身内びいきと後ろ指を指されるかもしれんが、妹は優秀だ。兄として誇りに思う」
彼にとっては誉め言葉に対する嬉しさの発露だったかもしれない。しかし私にとってその言葉は重すぎた。後ろのサリーヌは気付いてはいないはずだ。神獣騎士団が顔の上半分を覆う兜をつけている事に感謝した。
「バルアダン、なぜ貴殿は神殿を憎む」
「私は神殿を憎むですと? 心外です。私は神殿も含めてこのクルケアンを大事に思っております」
「そうか、そうであれば私も嬉しいのだがな。しかし、軍との対立は現実に存在する。この戦いがその溝を埋めるものであることを祈っている」
「……アナト殿、魔人化という言葉を聞いたことは?」
「何を言っている? 聞いたこともないな」
「……アナト殿、神殿では貴方の月の祝福をどのように用いるつもりなのですか?」
瞬間、アナトは怒気を発した。双方の団員が彼の殺気を受けて抜剣するが、私はサリーヌ、ガドにそこから動くな、と厳命する。
「な、何故そのことを知っている」
私はアナトに詰め寄った。そして低く小さな声で質問をした。
「ここからは腹芸はなしだ。ダレト。記憶は戻っていないのか」
「ダレトという男と私は顔が似ているらしいのだ。貴殿は人違いをしている」
「貧民街、百二十層の魔獣工房、三十四層の施薬院での共闘は覚えていないのか? レビのことも!」
いつの間にか、ニーナがアナトの側にきていた。私を睨みつけ、アナトとの間に割り込む。
「失礼、バルアダン中隊長、アナトと何を揉めたか存じませぬが、我々は対立するために来たわけではありません。任務があるため失礼します」
「バルアダン、おかしなことをいう奴だ。教皇様が貴殿を警戒する理由も分かる。残念だが、やはり貴殿とは相容れぬらしい」
私は情けないことに元上官に頼ることにした。多くを語る必要はない。その名前を出すだけで何かしらの動きがあるはずだ。
「こちらこそ失礼しました。フェルネス連隊長に元部下のバルアダンがその薫育に感謝していたとお伝えください」
そう言って一礼し、私は真っすぐに部下のもとへ向かった。後ろを振り返る勇気がなかったのだ。
「中隊長、大丈夫でしたか?」
「すまない、サリーヌ。口論をしたわけじゃないんだ。昨日の試合のことで熱くなってしまった。もう大丈夫だよ、さぁ、行軍を続けよう」
〈アナト、出城への帰途にて〉
必要な物資を中継点に保管し終わった後、アナトは神獣に跨って出城への帰途についた。夕焼けが迫っている空の下でバルアダンの騎獣らしき老いた飛竜とすれ違う。その飛竜は神獣には嫌悪を示すが、アナトには挨拶をするかのように鳴き声を残して去っていったのだ。
アナトは悩んでいた。バルアダンは自分とどこかで関係があったのか。戦いぶりを見る限り、迷いはしても嘘をつく男ではない。神殿と対立しないのであれば、それこそ軍との橋渡しを期待したのだ。バルアダンと
ダレト、と澄んだ瞳で彼は言った。ダレトとは一体何者だったのか。
……フェルネス連隊長、バルアダンの元上司である彼に聞けば、何か分かるのだろうか?
「兄さん、兄さん、聞こえていて?」
「あぁ、ニーナ。すまない。考え事をしていた」
「だめよ、兄さん。まだ夜はうなされているんだから。意外と病弱なのをちゃんと自覚してよ。ナブー神官から預かっている薬があるので、それを飲んで今日は早く休みましょう。この調子でいけば三日後には大規模な戦いが始まるわ。体調を万全にしないとね」
「そうだな、余計な考え事はなしだ。心配をかけたな、ニーナ」
兄の言葉にニーナは安心したように微笑んだ。神獣の列の後ろに移動した彼女は、はるか後方を見やって、何かを呟いた。そして神獣の一団はクルケアンへと飛び去って行った。
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