第93話 飛竜と神獣

〈アナト、兵舎にて〉


「アナト兄さん、黒き大地の侵攻計画書を持ってきたわ」

「……ニーナ、兵舎では連隊長と呼べと言っただろう」


 神獣騎士団の兵舎で、俺の部下達がその様子を見て笑った。まったく、勘弁してもらいたい。経歴が浅く、若い連隊長はだたでさえ威厳というものがないのだ。妹に兄呼ばわりされるのは下宿だけで十分だ。


「失礼しました。アナト連隊長!」


 美しい敬礼をして、ニーナは書類を置いて自分の席に戻っていく。クルケアン城壁の北門に位置するこの仮兵舎では、神殿や軍の兵と軍馬が行き交い、黒き大地制圧のための活気に満ち溢れている。物資や武器を保管し、魔獣石の城壁を造り、簡易の出城として機能していた。


「シャムガル将軍より連隊長以上の将官に招集がかかりました。各自副官を連れて、会議室まで集合せよ、とのことです」


 伝令に頷き、ニーナを連れて出城の塔の会議室へ赴く。塔の入り口でフェルネス連隊長とその副官ガルディメル、またアサグ連隊長と副官エドナと合流した。


「アナト、出撃前に模擬試合でもやってみないか?」

「フェルネス殿、勘弁してもらいたい。貴方との模擬試合で勝てたためしはないのです。出撃前に自信を喪失させないでください」

「何をいうか。半分以上、引き分けに持ち込ませておいて。あと一年で俺は負け越すに違いない。だから今のうちに勝ち数を増やすんだろうが」

「お互いの騎獣を用いての試合なら兄さんは勝てるのでしょうか」

「ニーナ、失礼だぞ!」

「いいんだ、俺もその方が気楽でいいのでな。そうだな、ハミルカルとそちらの神獣とで戦えば、俺の圧倒的な勝利だ。おっと、ニーナ、不服そうな顔はよしてくれ。美人が台無しだぞ。技量の差ではない、経験の差だ。まだ一か月ほどしか神獣に乗っていないんだろう?」


 そういってフェルネス殿は私を立ててくれるが、自分の力が彼に及ばないのを身に染みて知っている。私はただ恐縮するのみであった。ニーナの評価は身内びいきというものだ。横を見ると、アサグ連隊長は孤高を持して沈黙しているが、副官達は怪訝そうな目で私とニーナを見ていた。彼らは二人ともフェルネス殿の部下だったはずだ。飛竜騎士団から、神殿の軍事力強化のために送り込まれた一団、フェルネス隊の面々はそれぞれの連隊に配置され、運営に慣れぬ神獣騎士団の指導的な立場にあった。


「ガルディメル殿、エドナ殿、何か?」

「……いえ、アナト連隊長殿、失礼しました。私たちも貴方がフェルネス連隊長と戦えばどうなるか興味がありましたもので」


 彼らは私よりニーナの方を見ていたはずだ。副官同士、対抗意識でもあるのだろうか?


「それよりな、アナト。今日の会議は、飛竜騎士団のバルアダンが来ているらしいぞ」

「シャヘル様より、特に気をつけろと言われています。飛竜騎士団出身のフェルネス殿には申し訳ないのですが」

「ほう、シャヘル殿から何といわれているか知らんが、強いぞ。奴に勝てるかな」

「フェルネス殿は勝てるので?」

「ハミルカルに乗って負けたことがある」


 衝撃だった、べリアという騎士団長亡き後、最強はフェルネス殿と考えていたのだ。シャヘル様はそういう意味でも、バルアダンが神殿にとって危険と判断されているに違いない。


「アナト、二ーナ、シャヘル殿からの命令だ。軍との会合には必ず兜をつけておけ、だと」

「主命に否やはありません。しかし、相手にとって無礼ではないのですか」

「常在戦場の心構えと、仮面越しの方が冷静に会議に参加できるだろう、そういう配慮だ。今にわかる」


 塔を上り、最上階に設けられた会議室へ足を踏み入れた。既に軍の将官は揃っており、私達の到着を以って会議の席はすべて埋まった。

 シャムガルが会議という名の、責任の押し付け合いの口火を切った。それに対抗するのはアサグ連隊長である。


「各々方、ご参加いただき、感謝する。また、今回は神殿の協力も得て始めて黒き大地への本格的な侵攻となる。今日はその指揮と編成について確認をしたい」

「神獣騎士団は未だ訓練が不十分であります。よって後方の予備戦力として配置して欲しい」

「ほう、戦う勇気がないと? まだ神殿は腰が重いと見える」

「勇気はお主達の方が不足ではないのですか。あれだけ長年、主戦論をかざしておいて今になって前線に出ぬというのでは、臆病者の誹りを免れないでしょう。我々は戦時編成や行軍に慣れる時間を欲しているのです。決戦までには貴殿ら以上の力を発揮する。安心なされるがよい」


 心温まる会議だ。シャヘル様の言った通り仮面越しでなければ軍に対して怒気を発しているのがばれていたかもしれない。

 神殿関係者ではただ一人、兜を外しているフェルネス殿が両者の中間の立場で調整をしていく。


「まぁまぁシャムガル将軍、アサグ連隊長、ここは軍にその先陣を切ってもらいましょう。黒き大地までは約五日間の行程だ。そこで神殿側が行軍に慣れれば軍との連携もしやすい。願わくば、小規模の襲撃があった方がよい訓練となりますな。最終的な布陣は黒き大地に到着する前に再度話しましょう」

「フェルネス、貴様も大変だな。評議会の決定のもと神殿に転向したとはいえ、鹿を率いて獅子と戦いに赴くのだぞ?」

「恐縮です。私は私の任務を果たすまでです。しかし、皆さんは神獣騎士団の実力を知らないので不安なのでしょうな。では出陣前の余興として軍と神殿の最強の騎士で試合をしてみるのは?」


 双方の騎士団の間で敵意の炎が揺らめいた。


「面白い。ではこちらはバルアダン、お主が代表だ」

「ではこちらの騎士はアナト連隊長、貴方にお願いしましょう」

「アサグ殿! 若輩の身で代表とは、恐れ多く」

「自信を持ちなさい。貴方は強い、そうしたのだから」


 アサグ殿の含みのある言い方は気になったが、事ここに至れば仕方ない。私は神獣騎士団の名誉をかけてバルアダンと剣を交えることになったのだ。



「試合だ、試合だ! 飛竜騎士団のバルアダンと、神獣騎士団の黒騎士アナトが戦うぞ!」


 双方の名誉をかけた試合の噂は瞬く間に全軍に伝わり、会場となる出城の中庭や城壁には多くの兵が押し寄せていた。


「バルアダン殿、お手柔らかに頼む」

「……こちらこそ。アナト殿」


 バルアダンと剣を交えるのは良い機会だ。彼は反神殿派の急先鋒と聞く。いずれ戦うのであれば今のうちに奴の実力を知って損はない。

 フェルネス殿が審判を引き受け、将兵に大声で戦意を鼓舞した。


「皆聞け! 今、クルケアンは魔獣との戦いの歴史に終止符を打つ。軍、神殿それぞれがその力を出し切り勝利するのだ。神殿は軍に、軍は神殿にその力を見せつけよ。我々が手を組めば勝利は疑いなしだ。その力の証明を、今ここで示めそう!」


 歓声が上がり、兵士は自分たちの剣を天に突き上げ、我々の名前を連呼する。自分の名前が叫ばれることに、奇妙に懐かしい感覚を覚えるものの、すぐにその感覚を捨て去った。目の前の敵に集中するために。


 バルアダンは剣を構え、ゆらりと身体を動かした。その動きは流れるように止まることを知らない。


 どちらかというと攻めを中心とした剛剣の使い手だと思っていたが、力だけでなく技も高みに達しているようだ。流石は騎士団最強といったところか。


「だが、それは飛竜騎士団に限ったことだ」


 こちらも剣を抜き、バルアダンに向かって歩き出す。お互いが間合いに入り込む寸前、円を描くように私達は一定の距離を保って歩いていた。中庭に剣気が満ち、私達を包んでいく。

 一歩、二歩、三歩と回り込み、お互いの足さばきから上半身へとその注意が移る。そしてバルアダンと目が合った瞬間、お互いの長剣がぶつかり合った。

 火花がお互いの兜の中の目を照らし出した。


「舐めるな!」


 バルアダンの目は戦意に乏しかったのだ。神殿を愚弄された気がして私は斬撃をその顔に叩きつける。バルアダンは下段から私の斬撃を跳ね飛ばし、手首を素早く返して反撃をする。斬撃と防御が繰り返されること二十合、未だ勝負はつかない。


 バルアダンが大上段に構えてこちらを挑発する。一撃で決めるつもりなのだろう。望むところだ。

 こちらも同じ構えをする。中庭が静まり返り、バルアダンの吐く息の音が感じられるくらい集中力が高まってきた。バルアダンの呼吸と、自分の呼吸の間隔が同じになった時、私達は間合いに踏み込んだ。


「神よ、我にそのご加護を!」


 長剣がお互いの頭上に振り下ろされる。双方、防御を捨て致命の一撃を放ったのだ。ニーナの悲鳴が聞こえたような気がした。


「そこまで!」


 フェルネスの長剣が私とバルアダンの剣を受け止めていた。騎士団代表の我々の斬撃を一人で受け止めたのだ。歓声が上がり、余興は終わった。


 神獣騎士団員の賞賛を受けながら兵舎に戻る私に、フェルネス殿が声をかけてくる。


「アナト、どうした。捨て身でぶつかるとは。よほど負けたくなかったのか?」

「バルアダンが私を舐めていたからです。奴の目には戦意はなかった」

「せっかく引き分けたのに、まだまだだな。この次は奴の戦意を引き出して勝つがいいさ」

「実質、私とバルアダンに勝利したのはあなたでしょう。飛竜騎士団と神獣騎士団合わせて貴方が最強だ」


 最後の歓声はフェルネス殿に向けられたものであった。両軍の支持を得る彼こそが最強の称号にふさわしい。


「すまんが、剣のみに生きていられないのでな。最強の名は欲しいが後進に譲るさ。さぁ、これからが大変な戦いだぞ」

「魔獣が攻めてきたのですか?」

「いや、ほら、捨て身で戦った兄に怒っている妹が、部屋で待っているということだ。ちゃんと俺は伝えたからな、言い訳を考えておけよ」


 俺は北風に向かう旅人のように表情を引き締め、今日一番困難な戦いになるであろう戦場に臨んだ。

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