第92話 それは残酷でも慈悲でもなく

〈サラの私室にて〉


 クルケアン北壁にある物見の塔、賢者サラの私室に元老トゥグラト、教皇シャヘルに反対する大人たちが集まった。彼らはサラを上席に据え、ソディを進行役として今後の対策を話し合っていた。ソディが出席者を確認していく。


 賢者サラ

 飛竜騎士団団長兼兵学校長兼評議員、ラメド

 クルケアン総ギルド長、リベカ

 車輪のギルド長、カムディ

 評議員、イグアル

 太陽の祝福者、タファト

 車輪のギルド事務長、ソディ


「では皆さん、お揃いのようですな。今日は我らの会合に、一人の客人を招いております」


 ソディは隅で震えて立っていた、小太りの男を手で招いた。


「神殿付き薬師のシャドラパ殿です。今日、彼が相談する内容は、例の神獣騎士団にも関係するものです」


 列席者の内からどよめきが起きた。如何にクルケアンに名が響いた者たちとは言え、あのいわくつきの神獣騎士団を軽視することは出来なかったのだ。神殿との対立は、軍はその軍事力で、ギルドはその経済力で優位に立っていた。しかし、今や神殿は市民の信仰とは別に魔獣を使役する巨大な武力集団となったのだ。ソディがシャドラパを促し、彼は列席する実力者を前に大量の汗をかきながらサラの横に立った。


「私は神殿を裏切るつもりでここに来たのではありません。み、皆さま、それはお忘れなきように」

「シャドラパ殿、勿論その点は保証します。ただし、貴方もこちらの事は他言無用です。お忘れなきよう。では、続けてください」

「こ、この絵をご覧ください」


 彼が示した一枚の絵に、サラ、ラメド、イグアル、タファトが反応する。それは彼らが失ったかもしれない、大事な子供たちであった。しかし、なぜこの神官が持っているのだろう。そして、この絵は彼らの生存に関係しているというのか? 全員の疑問に対して、シャドラパは更なる困惑を彼らに投げつける。


「この絵を描いたのはシャヘル教皇です。描かれたのは即位の儀の二週間ほど前でしょうか」


 全員が立ち上がった。ギルドの関係者はシャヘルが描いたという絵に興味を持って、絵の人物を知るものはその生存を願って絵を眺めているのだ。やがて絵に描かれた人物を認めた時、一同の視線は薬師に向かった。


「シャドラパよ、詳細を、詳細を我らに! 彼らは生きているのか」


 サラにとってダレトは弟子である。妹を失い途方に暮れていた彼を弟子として教育してきたのだ。そして、彼が前に向いて人生を歩めるよう、ダレトがレビの後見をするのを認めたのも彼女だ。サラは二人に対して責任を感じていた。


「はい。生きております。が、いないともいえます」


 シャドラパは説明する。自分がその絵の女性の一人の治療をしたこと、部屋には教皇と、皆がダレトと呼ぶ男と、同じくレビという少女がいたこと。自分は少女が、ダレト、ニーナと呟いているのを聞いたこと。そして神官ナブーにより三人は連れ去られたことを。

 全員が椅子に落ちるようにして座った。神殿が彼ら三人を何らかの手段で人格を変え、操っているのは明白だった。そして、サラ導師はそのさらに奥まで洞察していく。


「魔人化による人格の変容、か。トゥグラトめ、外道なことを」

「魔人化はサラ、あなたの報告で知っていますが、人格の変容とは何かしら」


 リベカがサラに問う。


「月の祝福は変容する力だ。この力があれば人の形を保ったまま魔人化できる。体という概念ははっきりしているので加工しやすいのだ。しかし、心は違う。人格の概念なぞ形はないに等しい。故に、体と違って心は別なものに変容し、違う人格が形成されるはずだ」

 

 サラは吐き捨てるように言った。


「しかし、月の祝福は、サラ、貴方とダレト、サリーヌの三人のはず。いったい誰が魔人化を行えるというの?」

「べリアやアサグを見て気づくべきであった。恐らく数年前に魔人化したのであろう。あの時期であれば、わが師、ヤムしかあり得ぬ」


 サラの言葉に、ラメドが異を唱える。


「しかし、彼はバルアダンとダレトの両名が最下層探索をした時に、魔獣の襲撃を受けて亡くなったはずでは?」

「亡骸はなかった。火事で燃えたものと思っていたよ。なぜ師匠が神殿に与しているのか……」


 沈んだ雰囲気に場違いな明るい声が響いた。車輪のギルド、ガムディがそのギルドの特徴を示すかのように建設的な提案をしたのだ。


「俺らがすることは、嘆くことだけですか? ダルダやアルルは救えなかった。死んでしまったからな。しかし生きているというなら可能性はある。彼らに混じった魔獣の部分を除いてしまえばいいんですよ。こちらにはも祝福所有者がいるんだ」

「しかし、ガムディ、私の力は純粋な魔力を変化したり、二つの魔力を変容することはできるが、その分離はできない」

「ではセトはどうです? アサグの魔人化を解いたのでしょう?」


 一同の顔に希望の光が差した。そうだ、セトの印の祝福で魔人化が解かれたのだ。もとの魔力に戻す事のできる彼ならば、彼らを解放できるのではないか。

 皆の活力が戻ってきたその光景をみてシャドラパが頭を下げて懇願する。


「私はその絵を美しいと思ました。そして、その絵に記されているように彼はエラム君に自分の薬草園を託したのです。クルケアンの市民を助けるために。こういう方が、教皇になってくれればどれだけの人が助かるでしょう。彼の人格を、彼が愛した家族を助けるために、無力な私は今日ここに来たのです。重ねてお願いします。シャヘル様をお助け下さい」


 シャドラパは即位の儀でシャヘルをみて衝撃を受けたのだ。果たして自分はあそこで逃げ出してよかったのだろうか。そう自分を責めている中、エラムと出会ったのだ。これこそが神の導きだ。そう思った彼は行動を開始した。そしてそれは報われようとしている。


 ソディが一同を見渡して、提案する。


「皆さん、私たちの目標が決まったのではないですか? いまだ安定しないセト君の成長を待ち、三人を元に戻すこと。特にダレト、つまり神獣騎士団のアナトに記憶が戻れば、神殿はその力を大きく失いましょう」


 その言葉を受けてリベカがギルドの方針を伝える。


「ソディのいう通りです。彼らを救うために今少しの時間は欲しい。しかし、ただ無為に待つこともありません。ギルドはアスタルトの家を支援します。カムディ、アスタルトの家のギルド加盟は問題ありませんでしたか?」

「おお、リベカ。セトって子供は大したもんだ。エルという嬢ちゃんもな。車輪のギルドはアスタルトの家を傘下に置く」

「聞いての通りです。サラ。そしてソディが提案したことにもう一つ追加します」

「ほう、リベカ、あと一つは何をするのかい」

「上位ギルドとして、アスタルトの家に、施薬院の補修と効率的な生産態勢の確立を命じます。シャヘル殿の意思を無駄にはできないでしょう?」

「ありがとうございます。施薬院付きの薬師の立場から通常の方法でギルドに依頼を出しておきます」


 そしてシャドラパはサラ導師に問う。


「この絵をエラム君に託したい。よろしいでしょうか」

「……すまないシャドラパ。セトたちの能力が成長するまで今少し待ってくれないか。今この絵を渡せば、命の危険を冒してでも神殿と対立するだろう。エラムには私からうまく伝える。あとひと月は待ってほしい。その時まで、信頼の証にお主に預けておく」

「それではギルドとサラ導師達の協力方針がでたところで、我々はお暇します。あぁ、ギルドのアスタルトの支援ですが、事務作業をする人員を三人こちらで揃えました。彼らの工房に送り込みますので、タファト様、イグアル様、良いようにお使いください。バルアダンやダレト殿が助けた子供たちですよ」

「ソディ殿、人手はありがたいが……。子供たちだけではまだ仕事の習熟度は足りていないだろう」

「はい。イグアル殿。まったく仕方のないことです。ために、彼らの教育役としてしばらく私もお世話になります」


 ソディは楽しむようにイグアルとタファトに応えた。イグアルは仰天した。三大ギルドの事務長が、実質的に下位ギルドの事務を行うとは。彼はタファトを見た。彼女を象徴としたアスタルトの家のギルドは、いつの間にか上位勢力へと成り上がっていたらしい。

 やがてラメド、ギルドの面々やシャドラパがサラの私室を後にした。サラ、イグアル、タファトはそのまま残り、ダレトとレビ、今は神獣騎士団のアナトとニーナの情報を交換する。


「アナト連隊長は、その若さと立場に不満を持つ古参の神官兵数十人を模擬戦で叩きのめしたということだ」

「もともとダレト君は強かったが、それにしても異常すぎる。魔人化の影響のためでしょう」

「レビはどうなのです、サラ導師」

「レビは有能な副官としてアナト連隊長を支えているらしい。神殿では神が遣わした美しき兄妹として、崇拝の対象になっている。やりきれないのはな、タファト」


 サラは運命という神の残酷さ、慈悲深さを感じながらタファトにその想いを伝えた。


「本当の兄妹のように、仲良く、幸せに過ごしているとのことだ。レビはニーナとなってから、一番幸せな時間を過ごしているのかもしれない」


 我々は、彼らを元に戻した方がいいのだろうか、仮初の幸せを守る方がいいのではないか、結論が出ない命題を前に彼らはうな垂れるしかなかった。

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