第91話 希望の園
〈エラム、施薬院にて〉
「すみません、エラムといいます。薬をもらいに来たのですが……」
セトとエルが、ギルド加盟の手続きに行っていた頃、僕は三十四層の施薬院に来ていた。僕自身の薬をもらうのと、薬草園の整備の依頼をもらうための事前調査だ。
「瘴気による気管支の炎症止めの薬ですね。少しお待ちください。もうすぐ当番の神官が来られますので、あっ、シャドラパさん、丁度良かった。こちらの坊やが薬の処方を求めています」
坊やと言われるうちは依頼をもらうのも難しいな、髭でもはやしたらいいのだろうか、そう考えて神官に向き合うと、その顔の青白さに驚いた。
「神官様、気分が悪いんですか?」
僕よりよっぽど薬を必要としているんじゃないか、それともそれが彼の生来の顔なのだろうか?
「すまない。大丈夫だ。ええと炎症止めだね。診察をするので私の医務室においで」
三十四層の小神殿から少し歩いたところに彼の医務室があった。神殿付きの薬師はそれぞれ自分の薬草園を持っており、そこで自分の専門分野の処方をするのだ。シャドラパと呼ばれた彼の薬草園はとても綺麗で、土や薬草に対してとても誠実な人のように見えた。
「君は自分の症状が分かっているんだね。なら、薬草の処方を手早く済まそう」
神官は丁寧な手つきで薬草を調合していく。その手つきがふと、恩人の神官であるその人に似ていて、思わず口に出してしまった。
「ザハの実とリドの葉、か」
「あはは、そういう高級な薬草を使えたら、君の炎症もすぐに止められるのだけどね。残念ながら私が処方できるのは市民用の安い薬草だよ。もちろん神殿にもあったんだけど、あの様子ではもう使い切っただろうな。ギルドの薬草園にいけば保存したものがまだあるのだが、家が買えるくらい高いぞ?」
「え、神殿にはもうないんですか?」
「あぁ、少し前に使い切ったようだ。……私みたいな下っ端には分からないけれどね」
「しかし、栽培をすればいいのでは? 難しいとはいえ、少量なら可能でしょう?」
「流石にザハの実とリドの葉は
思ったより機会は早くやってきた。神官はただの会話で出た言葉なのだろうが、この機会を逃してはならない。
「そうなんですか? ぜひ、薬草園の管理をしてみたいです。僕は訓練生で将来を考えるためにもぜひ、その薬草園に案内してください」
「え、そ、そうか。まぁ、訓練生というなら、いいだろう。多くの若者に薬師になってほしいからね」
シャドラパさんは薬の調合が終わると、その薬草園まで案内をしてくれた。道中、僕は彼と薬草のことについて話す。
「シャドラパさんは、ザハの実を処方したことがあるのですか」
「勿論あるとも。薬師でも処方できる人は少ないんだよ。なにせ、高価なものだからね。失敗したら目も当てられない。これでも優秀な薬師なんだよ」
彼は胸をそらして自慢する。それは偉そうというわけでもなく、褒めてほしいという、稚気というべきものだった。僕はその人柄に好意を抱きながら、質問を続ける。
「最近で処方した人は誰でしょう」
「あぁ、評議会や神殿関係の偉い人がいてね。あっこれは聞かなかったことにしてよ」
「……大丈夫です」
「名前は言えないけれど、怖い女将軍みたいな御方と、可愛い坊やだ。魔力の実験に使われたよ」
あぁ、きっとサラ導師とセトだ。貴重な薬を使って何をしているんだか。
「後は若い娘さんだ。いや、すまない、なんでもないんだ」
問いただそうとする僕をシャドラパさんは目で制した。事情がある人らしい。そこからは彼は急に無口になって歩き出した。僕は周りの様子を見ながら薬草園の観察をする。
薬草園は三十四層にあるといっても、床は魔獣石で加工しているので、水が下の層に漏れる心配はない。土に撒いた余分な水は水路に戻って、やがて下水に流れ込むのだ。太陽の代わりにその祝福を用いた魔力光で光合成を促す。水と光は十分であり、なぜ荒廃が進むのだろうか。後の要因は人と土だが……。
「お、あそこだ。すまないね。実は慣れていないんだ。ほら、あそこに荒廃した薬草園があるだろう? 前の持ち主の管理が良かったのか、まだ元のように戻る可能性もあるんだ。クルケアンにはこういう……ど、どうしたんだい、急に走って!」
彼の言葉が終わらないうちに、僕は駆け出した。あの人の薬草園だ。元の持ち主だって? もしかして亡くなったのか。僕に生きる機会をくれたあの人が。
薬草園の低い壁を飛び越え、あの人が連れられて行った小屋を目指す。しかしそこにあったはずの小屋は、もう瓦礫しか残っていなかった。
「ここの持ち主は! あの人はいったいどうなったんですか! 教えてください」
僕はシャドラパさんに詰め寄った。彼が悪いわけではない、しかし、僕は急いていたのだ。
「き、君は、あの人の知り合いか。と、ともかく落ち着いて話そう。私も何があったか知りたいのだ。私はあの人のためにすることがあるんだ」
僕の必死な目を見ながら、シャドラパさんは落ち着いて諭してくれた。二人で薬草園の壊れかけの長椅子に座ると、彼は荷物を取り出して、がれきの木材を使って火をおこし、お湯を沸かし始めた。そして、どんな緊急のときも、いつも通りにしようとするのが、私の生き方なんだ、といって茶を入れてくれたのだ。
「あの人もここでお茶をいれてくれました」
「薬師の趣味さ。薬草園の隅には、お茶に入れるための香草をこっそり植えていた神官は多いんだよ」
そういって彼は音を立てて茶を啜った。かれは信じてもいい人だ。僕は計算でなくそう感じた。僕は香りを楽しみつつ、ゆっくりと茶を飲んだ。あの人の茶のように甘い香りではないが、果物のような良い香りがする。シャドラパさんは、妻に飲ませたらとても喜んでくれたんだよ、言った後、照れくささを誤魔化すかのように一気に茶を飲みほした。
「君の言っていたあの人というのは、恐らくあの小屋で寝かせられていた痩せた男の人だね」
「そうだと思います。僕が訪ねた時は、病気で存在を失う可能性がある、といっていました」
「存在?」
「はい、後で命と言い直していましたが、少しだけ奇妙と感じました。あの時は家族から隔離されたという意味かと思っていたのですが」
「彼は生きてるよ。ただし、君の言った通り存在はしないんだ」
「どういうことです!」
「私が数日前にここで彼を発見した時には、生命活動は問題はないが、意識が戻っていなかった。そのまま一生を過ごすか、意識が戻ったとしても記憶に損傷があるだろう。そんな診たてを私はしたのだ」
「……どこへ連れていかれたのですか、その神官は」
「上級神官が神殿へ。さぁ今度は私が訪ねる番だ。君はなぜ薬草園に興味を持ったんだい?」
シャドラパさんは苦しそうな表情で僕に尋ねる。あぁ、彼を最初視たとき体調が悪そうだと感じたのは、今から話そうとすることなのか。それに値しうるかどうか僕を試しているのだ。
「彼が残した薬草園の手入れをするために。いつ彼が帰ってきてもいいように。そして、荒廃した薬草園を再生し、僕みたいに苦しんでいる人を救いたい、と思ったからです」
僕はそこで少し悩んだ後、シャドラパさんに向かって自分の名を告げる。
「僕はアスタルトの家のエラム。シャドラパさん、僕はあの神官の恩義に応えるために、彼と僕の夢を実現するためにここに来ました。僕はクルケアンにいる人を技術で救いたいんです」
「……エラム、そうか、君がエラムか。やっと会えた。神の導きによるものだ」
「僕を知っているのですか?」
シャドラパさんは笑った。
「星祭りの日の英雄を知らないわけはないだろう。私は君を探していたんだ。アスタルトの家のエラム、君は彼にここの管理を託されている。それは私が保証しよう」
僕がここの薬草園の管理者だって? 表情の変化を読み取ったのか、シャドラパさんが僕に説明をしてくれた。
「神殿からこの薬草園の管理は私に託された。しかし、私は君がここの管理者であるという文書、いや絵なんだがね、それを彼から受け取っている。だから私が手続きをしておいたのだ」
「その絵を見せてもらってもいいですか?」
「勿論だとも。しかし今ここにはない。後日、君を訪ねにいくとするよ」
「そんな、私から出向きます」
「アスタルトの家のエラムよ、セト君は知っているね。サラ導師もだ」
「はい。勿論です」
「その絵について、また、あの小屋で起きたことをサラ導師に話したい。私はね、ずっと知らないふりをしているつもりだった。怖かったんだ。でも見てしまった。新教皇の即位の儀で、あの御方を、あの子たちを見てしまったんだ」
シャドラパさんが震えだす。顔は青ざめ、今にも倒れそうだ。
「しかし、しかし、あの絵に心を打たれてしまったんだ。あんなに幸せを願っていた人が、利用されて良いはずがない。今日ここで君に会えたのは奇跡だ。これこそ神の思し召しだ」
だから、私は君たちに話したいんだ、とシャドラパさんは呻きながら話してくれた。僕はあの神官が生きている可能性があると喜びつつも、不安を押し隠せなかった。
その時、薬草園の畝から芽が出ているのに気付いた。
「シャドラパさん、この薬草園は生きている!」
「あぁ、そうだろうとも、エラム。あの薬師が精魂込めた薬草園だ。そして君に受け継がれたんだよ。いいね」
僕は二つ返事で了承をした。不安は相変わらずあるけれど、それでも僕はあの人が残した希望をつないでいくのだ。神を信じ、多くの人のために薬草を育てていた、あの優しい薬師の想いを受け継いで……。
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