第67話 兄と妹

 アサグは施薬院の館が襲撃を受けたと報告を受け、工房はともかく研究にあたる技官を失っては計画に遅れがでると眉をしかめた。また、これを機に目障りなサラ導師を排除するべきだと結論付け、権能杖を持ち単身戦場に向かう。


「アサグ様、いずこに向かわれる?」

「アヌーシャ隊か。今回、そなたたちは宿舎で待機しておけ。戦いが終わり次第、後始末を頼むことになろう」

「ですが、戦場のほうがあっしらもお役に立てるかと」

「サリーヌが心配なだけであろう。戦いで心が鈍れば待つのは失敗と死だ」


 アヌーシャ隊はその言葉を聞いて、アサグが自分達のことを気遣ってくれているのかと期待する。だが続く言葉に衝撃を受けたのだ。


「サリーヌを殺せる者だけがついてくればよい」

「ア、アサグ様はそれでいいんですかい?」

「サリーヌは自分の巣を見つけたのだ。その上でこちらの獲物を奪うというのだから、歯向かえばその巣ごと呑み尽くしてくれる」


 それが生きるということであろう、とアサグは淡々と語る。アヌーシャ隊の面々は、主人と自分達とは立っている場所が違うのだと改めて気づかされたのである。虐げ、戦い続けてきた彼らとしてはアサグの考えは分からなくはない。だが彼らはそれでも人であって獣ではないのだった。しばしの沈黙の後、アヌーシャ隊は大神殿に残ることを告げ、アサグを見送ったのだった。


 アサグは北壁に向かいながら考える。サラ導師がいくら神殿の非道を訴え、実力を行使したところで、クルケアンの支配層である神殿や軍、評議員や貴族の同意があるうちはただの謀反なのである。だが最近の彼女の背後には何か分厚い壁のようなものを感じるのだ。



「バルアダン、ダレト……彼らがサラ導師の陣営に加わってから何かがおかしい」


 細い錐が巨大な槌に、滝の流れが瀑布に変わったとでも言うべきだろうか。アサグは、自分には理解できないその力を知りたく思った。それこそ、自分が呪いで失った四百年前の記憶を取り戻すきっかけになるのだろう。精神の回廊には、輪郭が滲んだ王妃の絵が飾られている。彼女が最後に見せたヒトの力、兄が欲するその力を、サラ導師と戦うことで知ることができるかもしれない。


 その証拠に、目の前には傷だらけのヒトが自分に向けて剣を構えているではないか。まだ幼い者も、老いた者も、不利な状況にも関わらず戦意を失っていないのだ。


「ヒトよ、その力を見せるのだ。そのために私はそなたらを殺すとしよう。最後の一人になるまであがくがよい」


 サリーヌが覚悟を決めた顔でアサグに一礼し、そして剣を向けた。アサグは一瞬何かを考え、そして権能杖を高く掲げる。


「我が眷属よ、この者共を咬み殺せ」


 鉄の鱗を持った大蛇の群れが出現し、戦いが始まった。ガドとレビが飛び出し、祝福者達が魔力で攻撃するための時間を稼ぐ。だが振り下ろした剣は鱗に弾かれ、突き入れた槍は刃先が欠けてしまう。そして正面から戦わざるを得なかった騎士達とは違い、鉄蛇はその強靭な筋肉で壁を這い、その柔らかい体で通路の隙間から攻撃をしてくるのだ。


「ガド、こいつらの倒し方さ、何か思いつかない?」

「残念だが、蛇はきらいでな。弱点を知っているどころか、逃げたい気分だ」

「でもそれなら何であたいより前に出てるのよ」

「そりゃ同期のお前より、強くなりたいからに決まってる。模擬戦での勝敗を逆転するいい機会だ」


 それを聞いたレビは笑って一歩を踏み出した。訓練生の少女と少年は並んで競うように斬り込んでいく。勇ましいが無謀な彼らに文字通り水を差すように、大量の水が頭上に降り注いだ。レビはイグアルの祝福だと気づき、振りむいて苦情を言う。


「イグアルさん、何してんの!」

「陽が落ち始めた頃だ。視力が悪い蛇は匂いで得物を探す。汗も流せたし、それに薬草も混ぜておいたからあたり一面いい匂いだろう?」

「……でもまだ向かってきているんだけどさ!」

「蛇は熱も感知するからな。だがそれも大丈夫だ」


 その瞬間、タファトが放った業火が二人を横切って蛇の頭を包む。強い魔力と生命力を持つ蛇は炎にすら耐え抜いたが、鉄の鱗が熱を帯び、そのせいでヒトの位置が分からなくなってしまう。感覚器官を潰され、這いまわるだけの蛇の口中に、ガドとレビは剣を突き立てていく。


「どうよ、あたいらも役に立ったでしょう?」


 レビは仲間を見て得意げな顔を見せるも、イグアルとタファトが何かを叫んでいることに気付く。嫌な予感がして背後を振り返った時、アサグが至近の距離から自分の瞳を覗いていることに気付いた。呑まれるような恐怖に思わず助けを求めてガドを見るが、すでに彼は血だらけでアサグの足元に倒れ伏していた。


「あ、あぁ……」

「ふむ、ただの弱いヒトか。なればお主でもお前をかばったこの小僧でもないか」


 アサグの手がレビの頭に置かれ、弱者ならばその血をイルモートに捧げよ、との言葉と共に魔力が流し込まれる。皮膚が斬り裂かれ、レビはガドの横に折り重なるように倒れ込んだ。

 駆け付けたイグアルがアサグの足に巨大な水刃を叩きつけ、タファトが先ほどに倍する大きさの炎をアサグの上半身にぶつけて焼き殺そうとする。だがアサグは炎と氷を纏ったままゆっくりと二人に歩み寄り、権能杖に魔力を込めて軽く振り回した。


「タファト、壁を作れ!」


 水と炎の壁がアサグの横薙ぎの一撃を防ぐはずだった。だが祝福に依らない、原始の魔力だけを込めたその一撃は、二人の導師を北壁に強かに打ちつけたのである。アサグは苦悶する彼らに近づき、指を使って引き裂くように目を見開かせる。


「この者達も違う」


 アサグは残った者達こそ、ヒトの力を見せてくれるのかと振り向いた。そこにいた傷ついたサラとセトを魔力の一撃で吹き飛ばし、残る一人を捜し求める。


「アサグ、覚悟!」

「……やはりそなたなのかな」


 ガドとレビが時間を稼いでいる間、サラはサリーヌと共に剣に魔力を込め続けていた。二人の月の祝福者が込めたその剣は、触れた相手の魔力を変化させて無効化する。アサグが巨大な魔力で攻撃を防ごうとも易々と打ち破れるはずだった。

 サリーヌは裂帛の気合を込めてアサグに刃を振り下ろす。受け止めたアサグの権能杖が両断され、刃が首に触れた。勝利を確信した瞬間、サリーヌは僅かに躊躇った。代わりに手首を返し、中途半端な態勢からアサグの肩口を裂く。


「……その程度か。その程度なのかサリーヌ!」


 アサグは怒りの表情でサリーヌを折れた権能杖で打ち据える。だがアサグ自身、なぜ自分がこんなにも怒気を発しているのかが分からない。満身創痍のサリーヌは剣を手放し、片膝をついてアサグの両足にしがみつく。怒りのままに止めを刺そうとしたアサグは、自分の喉が剣によって貫かれていることに気付いた。


「サリーヌ、いいんだよ。育ての親を殺せるわけがないからね。だからあたいがやってあげる」


 レビがサリーヌの剣を拾い上げ、背後からアサグの頸部を突き刺したのだった。だがアサグは平然とレビを引き寄せ、羽交い絞めにする。そして喉から突き出た剣をレビに向けたまま抱擁したのだ。それは最後までヒトがどうあがくか、間近で観察をしたかったのかもしれない。


「ちくしょう、でもあたいは絶対にあきらめないんだ」


 ついにレビの頸動脈が切られ、鮮血がアサグとサリーヌに降りかかる。それでもなおレビは動く頭をアサグにぶつけて抵抗をやめない。サリーヌは震える手でアサグを掴み、よじ登るようにして立ち上がった。


「生き…て、レビ――」


 サリーヌは喉を貫く剣を引き抜き、体重をかけるように倒れ込んでアサグの片腕を切り落とす。そしてサリーヌは倒れ込んだレビの、初めてできた親友のその体に折り重なるようにして、アサグの攻撃から守っていく。


「サリー…ヌ、逃げて」

「無理にしゃべらないで、きっと助けてあげるから」

「もう、間に合わないよ。だから――」


 泣き喚くことしかできないサリーヌをアサグは失望の目で眺めていた。これ以上は見苦しいとばかりに、この場の全員を一挙に屠ろうと折れた権能杖に魔力を込めていく。だがその瞬間、男が現れアサグの両脚と残った腕を斬り飛ばしたのだ。アサグが他人事のように斬られた手足を眺め、顔を上げて斬った男を見た。その挙動は警戒や怒りではなく、観察というべきものであっただろう。


「二人とも大丈夫か!」


 アサグを倒したダレトは、サリーヌに抱きかかえられたレビを見て絶句する。


「レビ、しっかりしろ、レビ!」

「ダレト……? ごめん、もうだめかもしれない」

「いま血を止める。意識をしっかり保て!」

「迷惑をかけてごめんね、ダレト。……ううん、違う。こんなことが言いたいんじゃない――」

「レビ、死ぬな、まだ一緒にしなければいけないことがたくさんあるんだ、レビ!」

「そうだ、ありがとう、って言いたかったんだ。私を家族のように迎えてくれて、嬉し――」


 サリーヌは取り乱すダレトの、その左腕がないことに気付く。しかも魔力で傷口を焼いて止血しているのだ。想像を絶する痛みがあるはずなのに、この兄はレビを助けようと必死にもがいている。ならば自分も諦めずに、妹としてなすべきことをしなければならない。



「ダレト、レビを助けます。あなたと私の祝福があればきっと助けられる」

「何を言う、俺は祝福持ちなんかじゃない」

「いいえ、あなたは私と同じはずです。……レビの傷口に手を当ててください」


 サリーヌは自分とレビの血が適応することを確認し、ダレトの魔力を用いてレビの体内で造血を始めた。兄と妹であるダレトとサリーヌの魔力は完全に同調し、レビを死の淵から引き留めることに成功する。


「サリーヌ、お前もしかして――」

「後で話を聞きます。話したいこともいっぱいあるんです。でも今はレビのことだけを考えて……」


 悲し気なサリーヌの表情にダレトはそれ以上何も言えず、互いに名乗らない兄妹はレビに魔力を注ぎ込んでいく。やがてサラがセトに寄りかかるようにして辿り着き、未熟なダレトに指示を与えながら、心中で呟く。


「私の祝福が急に減った理由が分かったよ。ダレトとサリーヌ、お主らこそが私の後継者だ」


 そしてサラはセトの印の祝福でレビの傷口を塞ぐように命じた。セトは友人を失うまいと、強い願いと共に祝福を発動させる。セトがその魔力の全てを使い床にへたり込んだ時、ついにレビは弱々しく目を開けたのである。

 喜ぶ一同だが、頭上から声が降りかかり唖然とする。両腕と両足を失ったアサグが立って自分達を見下ろしているのだ。


「それがヒトの力か? だがそれは弱者の寄り合いだ。あの力とはまだ違う」

「馬鹿な、俺が確かに斬り飛ばしたはず――」


 ダレトはアサグの体をすばやく観察する。両腕は間違いなく存在しない。では足は――足もない。しかしその代わりに大蛇の長い胴体がそこには存在していたのだ。

 そしてダレトが再び視線を上半身に向けた時、そこには数人は呑みこめるような巨大な顎を持った蛇が自分達を見下ろしていることに気付いたのである。


 巨大な蛇が彼らを捕食しようとしても、信じられない光景に誰も動くことすらもできない。牙がダレトの頭をかみつぶそうとした時、同じく巨大な存在がそれを跳ね飛ばす。

 フェルネスに勝利したバルアダンが、タニンと共に現れたのであった。

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