第66話 空の王
〈バルアダンとフェルネス、クルケアン上空にて〉
セト達が騎士団と北壁で対峙していた頃、空中では二騎の騎士が激突していた。竜の速度と重みを乗せた槍は魔獣すらも一撃で葬り去る。それが人なら掠っただけでもその部位を奪われ死に至る。バルアダンとフェルネスは騎竜と一体となって相手への一撃を入れるべく隙を伺っていた。だが、バルアダンは対魔獣の訓練や実戦を重ねていたものの、対人に関しては全くの想定外であり、空を縦横無尽に動くフェルネスに狙いを定めることができない。それどころかタニンの翼や胴を傷つけられ、機動力を奪われていくのだった。
「飛竜による対人戦は竜の速度を殺した方の勝ちなのだ。タニンの動きが止まった時がお前の最後よ」
バルアダンは、フェルネスがなぜ対人戦に馴れているのかと不思議に思う。騎士団で習うはずもなし、それに騎士団に所属しながら独学でこの境地に達するには時間もなかったはずだ。だが、答えはすぐに思い当たる。この男は騎士団に所属する前から飛竜を駆り、人と戦ってきたに違いないと。
「……タニン、攻撃は考えなくていい。ハミルカルを振り切れるか?」
フェルネスの騎竜ハミルカルはタニンより加速と旋回力で勝っている。だがタニンは初動こそ遅いものの、持久力と最高速度は他のどの竜より抜きんでていた。バルアダンは相手に有利な戦場に付き合うつもりはなく、タニンが支配する戦場へ誘い込もうとした。
バルアダンの意を受けたタニンが低く喉を鳴らし、クルケアンを駆けるように空に向けて上昇していく。
「どうした、逃げるのかバルアダン!」
下層、中層とフェルネスはタニンの後に突き、隙あらば槍を突き出していく。タニンの金色の体が血に染まり、流れ落ちた滴がフェルネスに降り注ぐ。顔を拭ったフェルネスが再度タニンを仰ぎ見た時、最上層付近まで来ていることに気付いた。空気の密度が小さくなり、速度を維持しようとすれば竜は魔力と体力の両方を酷使せざるを得ない。中空の王はその支配領域を離れてしまったのだ。
フェルネスが舌打ちをするが、これはハミルカルにとって酷というものだろう。飛竜騎士団が百九十層に根拠地を持っているのは、飛竜が上昇できる高度がそこまでであるからなのだ。ハミルカルはそれを上回るとはいえ、タニンのように限界を軽々と超えることはできない。
溺れるように爪と羽をもがいているハミルカルを、上天の王が威厳を込めて見下している。やがてゆっくりと落下したかと思うと、巨大な羽で空気を捉え、重力と共に一気に加速していった。巨大な
「追いついたぞ、フェルネス!」
「ここからだ、バルアダン!」
高度が中層にまで下がった時、フェルネスは直線の動きを
「ここまでの技量を持ちながら、なぜ市民に仇なす行為をする」
「武の祝福を持ちながら、それを目先のことにしか使えぬお前には分かるまい」
バルアダンの槍をフェルネスは打ち払うこともなく僅かに首を傾けて躱す。無理な姿勢で攻撃をしたバルアダンが前のめりになると、フェルネスは好機を逃さず、胸甲を狙って突き入れた。本来ならば心臓を貫くその一撃は、タニンが前脚でハミルカルを打ち付けたことにより空を裂くだけに終わる。人と竜、双方が死力を尽くしていた戦いは、しかしフェルネスが急に距離を取ることで中断した。バルアダンは何かの企みかと不審に思うが、当のフェルネスは下層を見て笑っているのだ。つられて下方を見ると、騎士団が洪水に押し流されており、子供達がはしゃいでいる。そしてバルアダンも知らず笑っていた。騎士が子供の悪戯に負けるという、その滑稽な光景は命のやり取りをしていたはずの両者の憎悪を消したのだ。後は戦士としての純粋な欲求――どちらが強いかという単純で子供らしい感情だけが残ったのである。
両者は何も言わず、同じ高さでただ距離を取って向かい合う。風もなく、高さも利用せず、正面からの突撃のみによって決着をつけることを、二人の男と二匹の竜が望んだ結果であった。
「駆け抜けろ、タニン!」
「引き裂け、ハミルカル!」
飛竜が咆え、相手にぶつかることも厭わず速度を上げる。激突まで三十アス(約十八メートル)の距離になった時、バルアダンはその剛腕を持って槍を投擲する。その時、フェルネスの顔が強張ったのは恐れのためではない。避けた瞬間、致命の一撃を敵に与えるための集中であったのだ。バルアダンの細身の槍がフェルネスの兜を砕く。僅かにずれた槍の先端がフェルネスの耳を半分奪っていった時、フェルネスは竜の速度を乗せた槍をバルアダンに向けて突き出していた。
「さらばだ、バルアダン!」
フェルネスは頭から血を流しながらも自らの勝利を確信する。だがタニンがその腕を犠牲にして突撃槍を受け止めてた。巨大な爪が槍を掴むが、強く重いその一撃はその腕ごと貫き通す。そして両者が直線上ですれ違い交差する瞬間、バルアダンは長剣を抜いてフェルネスの胴を薙ぎ払った。
「さらばだ、フェルネス!」
鞍上で均衡を崩した騎士が乗騎もろとも下層へ落下していく。地上に激突する寸前、ハミルカルが翼を広げて衝撃を緩和したことを見てバルアダンは安堵の息をついた。敬愛する上官がなぜ神殿と内通したのか、生きていればそれを聞く機会もあるはずだ。だがこれでしばらくは仲間の安全が保障されたと思い、タニンを労わりつつ彼らが待つ三十三層へ向かおうとした。
次の瞬間、バルアダンは自身の目を疑った。あのアサグが戦場に現れ、小さな家であれば呑みこむほどの巨蛇に変わり、次々に仲間を打ち倒し始めたのだ。
「アサグ、私の家族と仲間に何をする!」
バルアダンは連戦による疲労の極みにあったのだが、怒りがそれを打ち消した。手綱を取り、アサグに向かって竜のような叫びをあげて突撃をする。
こうして魔獣工房に始まる一連の騒擾がついに最終局面を迎えたのである。
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