第68話 人の力、獣の力
蛇はその長大な体を北壁に巻き付つかせ、ヒトを観察している。レビの回復に回った導師達を守るようにバルアダン、ダレト、サリーヌ、セトが蛇の前に立っていた。
サリーヌが北壁の魔獣石を利用して巨蛇を穿ち、ダレトが月の祝福を込めた槍で目を貫く。二人により生まれたわずかな隙をついて、タニンに騎乗したバルアダンが長剣をかざし巨蛇の首を両断すべく飛び込んだ。竜の勢いを利用したその斬撃はアサグの首を半ば切断するが、忽ちの内に傷はふさがっていく。巨蛇は鎌首をもたげ、次の瞬間にはその牙がバルアダンに迫ったのだ。だがバルアダンはタニンを立ち上がらせ、そしてしゃがむ勢いを利用して牙に向けて剣を打ち下ろした。牙と剣がぶつかり合い、しばしの均衡が生まれる。
「アサグ、お前のような人外がなぜクルケアンを支配している!」
「人外とはおかしな言葉を使う。出来損ないの獣であるヒトが自らを中心に据えるとは傲慢であろう。やはり愚かさは原始の時代と変わらぬな」
「我らを獣と言うか。ではお前らは何なのだ」
「このクルケアンの支配者だ。愚かなヒトの上に立ち、導いておる」
「傲慢なのはアサグ、貴様の方だ」
「傲慢で当たり前だ。ヒトと同じにしないでもらおう。我らと対等と言うのなら、ヒトが持つあの恐ろしい力を見せてみろ」
激烈な戦いの様子を、兵でも神官でもないセトはバルアダンからもらった短剣を握って眺めていた。眼前で広がる獣と人の戦いを何処かで見たような気がしていたのだ。その記憶は精神の内から浮かび上がるものではなく、なぜか足元から流れ込んでいるような錯覚にとらわれてしまう。
それは人のために神々と戦い、
そして人の怨みを受けて封じられた記憶であり、
愛する人や仲間と共に獣の王達と戦った記憶であり、
全てを失い絶望し、世界を消し去った記憶であった。
「バァル兄さん、エルシード……僕は、僕は――」
セトの足元が赤く光り、クルケアンが鳴動する。
大地の奥で何かが蠢動し、それがセトと精神の回廊で結び付いた。
「モレク……また僕の大事な人達を殺すの?」
その名を聞いたアサグが身を強張らせた。まだ復活をさせてはならない、こちらの準備はまだ不完全なのだと狼狽する。魔獣と魔人の軍勢を率いてでないと、この存在には勝てないのだ。
セトが短剣を振るうと、離れた場所にいるアサグの尾部が寸断された。そして赤い光が浸食し、アサグの体を蝕んでいく。やむなく浸食されていない個所から食いちぎり、アサグは自らの尾を咥え投げつけた。
サラをはじめとする導師達が魔力による結界を作るものの、建物ほどもあるその尾を防ぐには至らず、衝撃で全員が昏倒する。ただバルアダンだけがその中から立ち上がり、アサグに向けて剣を向けていた。
アサグはセトが意識を失ったことに安堵し、バルアダン一行を始末しようとする。その時、ラメド率いる大勢の兵が北壁に駆け付けたのである。そしてその先頭にはエルシャの姿があった。
この少し前、ラメドは呼びかけた兵を三十三層の広場に集め、バルアダン達を援護するよう説得をしていた。賛同するにしても上官に報告してからと誤魔化す者、持ち場を離れてまで命の危険を冒すことはないとする者など、話を聞いて多くの者が尻込みをしていた。
「なぜ正式な軍の出動ではないんだ」
「飛竜騎士団でもないのに何ができるっていうんだい」
一人、二人と離れていく中、ラメドは説得を諦めない。だが、この場を去った兵が後ろ足で戻ってきたのだ。何があったのかとラメドが視線を向けると、兵達もそれに倣う。
そこには一人の少女が立っていた。兵達はそれが誰か知っている。いや、クルケアンの市民ならだれでも彼女を知っているのだ。いつも悪戯をして自分達を困らせていたその少女は、泣きそうな目で叱咤する。
「臆病者! クルケアンの大人達は困っている人を助けないの?」
そして大きな瞳から涙を流す。それは悲しみというより、情けなくて泣いているのだと兵達は気付く。思えばいつも彼女は人のために怒り、笑っていた。冗談では済まされない悪戯でさえ、最後には彼女の笑顔につられて笑ってしまうのだ。それが日々の活力となり、つらい世間を明るいものに変えてくれたのだった。
そして今、その少女は自分達のために怒り、泣いている。
「私の大好きなクルケアンのみんなは、いつも助け合っていた。足腰の弱ったお婆さんを背負ったり、病気の人のためにお金を出して薬草を買ったり、子供の喧嘩を止めてくれたり……。そんな素敵なみんなだったじゃない」
兵達が騒めき、そして項垂れた。やがて一人の男が手をあげ、同行を宣言する。
「俺は昔、魔獣が怖くて逃げたことがある。助けなければいけない人がいるのに門扉を閉めて逃げたんだ。……あれから毎日、扉の向こうの悲鳴が夢に出る」
男は周囲に自分の後悔を語っていく。そして後悔に沈む毎日を送るより、誰かのために感謝される日々を送ろうと訴えたのだ。そしてその誰かは家族も含まれるのだと。
「そうだな、ここで頑張ればうちの奴からも褒められるかもな。子供ができてから亭主を邪魔もの扱いしてきたあいつに、もう一度素敵と言って欲しいもんだ」
「おいおい、お前のところは仲がいいだろうに。こんなところでのろけるんじゃない」
「でも、子供に父ちゃんすごいんだって言われるのもいいな。なんでヒラの兵士なんだ、飛竜騎士団じゃないのかって詰られたばかりだしなぁ」
兵達が次々に愛する人の、大事な家族の話をし始める。全員、不満話のはずが家族の自慢をしていたと気づき、笑い合った。
「……魔人だか魔獣だか知らないが、そいつらを懲らしめにいこう。もしかすると、次は俺らの家族が殺されるかもしれないんだ」
「エル、手伝ってやるからセトと一緒に噂を広めてくれよ? この場にいる全員、お前の兄ちゃんのバルアダンと同じくらい恰好よかったってな」
兵達が向かうと知って、そしてセトとバルアダンの名前を聞いたことにより、エルの流す涙の意味が変わる。騎士団と戦い、今は化け物と戦う彼らの身を案じて無力な自分の涙へと変わったのだ。
「みんな、お願い。バル兄とセトを助けて……!」
兵達が一斉に喊声を上げ、武器を手にして学び舎に向けて駆けていく。そして彼らは見たのだ。人の想像を超える化け物を、そしてそれに立ち向かい、傷つくバルアダンと若者達を。だが彼らは恐れはしても、もはや退くことは考えてはいない。大人としての責務を果たし、子供達を守るのだと、バルアダンの許に集まった。
「これは普通の戦いではない、みんなは城内に退くんだ!」
叫び、撤退を促すバルアダンだが、兵達は聞く耳を持たない。
「バルアダン、お前さんは若いのにいつもこんな戦いをしていたのか?」
「そんでよ、いつも涼しい顔をして街のみんなに手を振ってよ。ちっとは頼ってくれてもいいんじゃないか」
兵達は自分達を恥じる。英雄ともてはやされ、自分の娘達が夢中になるこの男をすこし妬ましく思っていたのだが、影では自分達のために地獄のような戦いを続けていたと気づいたのだ。彼らの目を見たバルアダンは頭を下げ、アサグに向き直った。
「アサグ、人の力を見たいと言ったな。今こそそれを見せてやろう」
こうしてバルアダンの指示の下、身分も立場も違う兵達は巨蛇に向かい突撃を開始したのである。
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