魔獣の工房
第40話 レビの説教
〈ダレト、サラ導師の私室にて〉
あの百層での魔獣騒ぎが終わったその日、俺は学び舎の自室にこもったように見せかけて、サラ導師に報告をするべく
「サラ導師、夜分に失礼します」
「まったく、夜中に女性を訪ねるものではない。お主、女心がわからないと友人にいわれておるだろう」
そう答えたサラ導師は夜分にも関わらず、身なりを整え机で書き物をしていた。しかし、女心とは心外な。サラ導師とは共犯者みたいな関係だが、女性というより将軍といった方がいいこの女傑にそのような配慮が必要なのか、と心の中で毒づく。
「……生憎、友人はおりません。非難されることもないので丁度いいかと存じます。実はエルシャのことで相談しに来ました」
「ほう、セトではなく、エルシャか。お主も守るべきものが増えてよかったことよ」
「もちろんセトの相談もありますが、エルシャの眼が光りました」
「何だと! セトのような赤光か?」
「いえ、青光です。夜にもかかわらず青い空の光景が顕れました。エルシャの眼が閉じられるとその世界も消えましたが、幻影ではなく現実の世界でした」
「祝福の力による幻影ではなく、現実であるとしたその理由は?」
「地上よりも大きな月、それで十分でしょう」
景色が一変した瞬間、俺は自分の魔力が沸々と湧き出でるような感覚を得た。月の満ち欠けによってある程度の魔力は増減するが、あそこまで極端な経験はない。何事かと思って空を見れば、空に大地が浮かんでいたのだ。……それが月なのだと理解した時、世界が逆転するかのような衝撃と歓喜を覚えたのだ。もしかしたら本当に神は存在するのかもしれない。であれば妹を助けなかった神を殺すことも可能なのだと。
「そのエルシャに魔獣がすり寄り、首を差し出したのです。その後は恐らく水の祝福で殺したのだと思われます」
「エルシャがのう。魔力の大きさから神殿に狙われるかもと心配していたが、ことはそれより重大か。セトとエルの力の本質は神代のそれに近いのだろう。案外、歴史の真実を調べるのが一番の早道かも知れん」
俺はエルシャとバルアダンの会話の内容までは言えなかった。言ってはならない気がしたのだ。あの時、確かにエルシャはバルアダンを王と呼びかけたのだ。それはクルケアンで禁忌とされる、過去に存在した王と同一なのだろうか。いや、そんなはずはない。
このことはまだサラ導師に報告すべきではない。無用な疑いをバルアダンまで向けることはないのだ。……バルアダンをかばっているようにも気づき、俺は少し不満げな表情を作る。
「魔獣の件はアサグの仕業でしょう。セトも含め、こちら側の力を見極めようとしたのでしょうな。それにサリーヌという神官兵をセトの護衛と称して白昼堂々と監視するとのこと」
「その者、腕が立つのか」
「アサグと現れるまで気配を掴めませんでした。あの若さを考えれば幼少から子飼いの部下だったのでしょう」
魔力の操作が苦手な俺は、魔力を手当たり次第に放出して自分とは違う波長の魔力に接すれば泡のようにはじけて感知する、という程度の使い方はできる。もちろん、相手にも感知していることがわかってしまうが、あのサリーヌには終始反応がなかったのだ。
「私だけ情報をもらうわけにもいかんな。教皇がいよいよ動き出したぞ。魔力を籠めた権能杖などの独占、それに魔道具の生産を急ぎ進めておる。まるで戦争の準備だ」
「状況がいよいよ加速しだした、と」
「そうだ。しかし、まだ表向きはクルケアンの都市生活に必要な魔力を効率化するためとしている。
「といっても座して状況を待つわけではございますまい」
「うむ。それで噂を流しておいた」
「噂とは?」
サラ導師がほほ笑む。本人は慈愛を振りまいているつもりであろうが、こちらは嫌な予感しかしない。
「お主の最近の魔獣討伐などの功績は、セトの魔力を込めた神器によるところが大きい、とな」
「俺を問題の中心に放り込むつもりか!」
「当然さ。神殿はセトの力を分析したいと食いつくだろう。百二十層の魔道具の工房で、神殿直轄の区域に呼ばれるはずだ。お主、そこで探ってこい。もちろん持っていく神器の魔力は弱めておけ」
「サリーヌのこともあり、表立っては調査できないのでは?」
「お主と一緒に動くものがおるだろう、あの色男と一緒にいけ。魔獣討伐といい、なかなか呼吸が合っていると聞くぞ」
「……合わせているだけです。奴はなかなかよく動く」
「それにレビを助手として連れていけ。あれは兵学校と神学校に所属しておる。お主らと共に行動したとしても疑われることはないはずだ」
不満の表情が出ていたのだろう。サラ導師は低く笑い声を立てると、レビの役回りについて説明をする。
「レビに無茶をさせん。彼女は訓練生として魔道具や神器の見学に行くのだ。兵学校のラメドにはそのように体裁を整えさせる」
「三十四層の施薬院については? こちらを先に探索するものと思っておりましたが」
「私が行く。若い者だけに働かせては申し訳ないのでな。セトの訓練という名目で何かしらの理由は見繕っておく」
サラ導師の私室を辞し、
「……ニーナ」
思わず亡くなった妹の名前を口に出して月を眺める。クルケアンの伝説に、人は死せば月の都に行くという。もし妹がいたならば、月の都から俺を見ていてくれているのだろうか。それとも、そこで安らかに寝ているのだろうか。
我ながら馬鹿なことだと
……目が覚めるとなぜか毛布が掛けられていた。案外、器用な寝相をしていたらしい。まだ寝ているバルアダンの頭を足で小突いて起こす。寝言で母の名を呟いていたバルアダンは、まだまだ甘えたい盛りらしい。俺と違って良い家族に囲まれていたのだろう。
さて、数年ぶりに大勢と食事をとることになった。タファト導師が作ってくれた料理は素朴だが懐かしい味だ。そんな貴重な料理ではあったが、レビが苦手らしい野菜を俺の器に入れてくる。厳しく注意すると彼女は舌打ちをして野菜を食べだした。
「レビ、淑女はそんな下品なことはしないものです」
「あれ、バル様はともかく、ダレトの方は紳士のつもりなの?」
「失礼ですね、ここにいる男性の中で一番の紳士と自負しているのですが」
「寝相はバル様と同じで子供みたいだったけどね。……寝言も言ってたしさ」
「……まさか、冗談はやめなさい」
「へへっ、ばれたか」
俺をバルアダンと同列に扱うとは、まったく愚かな淑女だ。その後も野菜をめぐる攻防を続けていると、子供達はイグアル導師とタファト導師をからかい始めた。二人はそういう関係だったのかと小声でレビに問うと、呆れたように睨まれる。
「ダレトはタファト先生の様子を見て何も感じなかったの? まったく女心がわかっていないね」
「……バル、君は気付いていたかい?」
「……私も気付かなかった」
「はぁ、二人とも紳士としてはまだまだひよっこだね。あたいが師匠になって教えてあげようか?」
レビはそう言うが、わからないものは仕方ないではないか。バルアダンとこの点は共通認識を持てたらしく、俺達は反論もせずに料理を口に運ぶことだけに集中する。
「ダレト神官はおいでか」
その時、玄関でサリーヌの声がした。聞けば教皇直々の呼び出しだという。レビから変な説教と講義を受けるよりも、遥かに意味のある仕事が回ってきたのだ。恐らく女心とやらの講義を逃げ出したことでふくれっ面をしているレビ、講義を自分だけに押し付けられたバルアダンの恨みがましい目を無視して、俺は躍動的に玄関に向かった。
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