第41話 トゥグラトの命令
〈ダレト、謁見の間にて〉
俺はサリーヌの案内、というよりも監視を受けながら大神殿の教皇の謁見室に赴く。大塔の浮遊床で最下層にある入り口へ行く間、サリーヌはずっと俺を睨んでいた。
「僕に何か含むところでも?」
「いえ、神殿に反抗的な要注意人物として疑っているだけです」
正直な返答に思わず苦笑する。悪名高いアサグ機関に属しているはずだが、存外と素直な娘だ。腹芸などできない性格ならば情報を引き出してみるか。
「僕なりに神殿のために頑張っているつもりだけどね。色々と単独任務が多くて、他の神官とは親交がないんだ。それが誤解を生んでいるのかなぁ」
「特務機関とはいえ、神官ならば知り合いぐらいはいるでしょう。他人との関りを避け、意図的に単独任務を希望しているとの噂ですが?」
「では君が知り合いだね。めでたく知人となったところで、君の出身街を聞いていいかな?」
「女性にいきなりその類の質問をするのは、神官である以前に人としてもいかがなものかと」
「まったくだ。そんな奴は最低だね」
「だからあなたが最低だと言っているのです!」
わざと怒らせて反応を見る。紅潮させたその顔も、怒る言葉すらも真っすぐで小気味よい。だがアサグの子飼いとしては純粋にすぎる。この娘はいったいどういう背景があるのだろう。もしかすると、俺はある奇跡を期待しているのかもしれない。
「最下層の貧民街に住んでいたことはないかい? 君に似た子を見たことがあるんだ」
「もしかして私は口説かれているのですか。後輩として意見しますが、ダレト神官は女性の心というものをよく理解した方がよろしいでしょう」
「……口説くつもりはないさ。でも確かに失言だった、謝罪しよう。貧民街出身の僕は家族がいなくてね。同じ生まれであれば、もしかしたら本当に知人かも、と思っただけなんだ」
「私は神殿の孤児院出身です。物心ついたときから家族の記憶などありません」
「そうか、不躾な質問で悪かった。ところでなぜ君が教皇猊下の呼び出し役なんだい?」
「上司からの命令ですので」
「猊下の目的は?」
「存じません」
さすがに情報を引き出していることに気付いたのだろう。浮遊床を降りる頃にはサリーヌは視線を俺から逸らし、礼儀正しく沈黙を守るようになる。機関の者ならばわざと会話を続けて様子を探ったり、刃を突きつけて脅したりとやりようがあるはずだ。例えるなら、大切に育てられた貴族の世慣れぬお嬢さんが、士官待遇で軍にでも入ったかのようだ。さて、貴族から神殿に立場を入れ替えて見ればどうだろう。孤児院から引き抜かれたようだが、誰ぞ神殿に後ろ盾がいるはずだ。あの残虐なアサグではない、ならば、ならば……。
「もしや、教皇のトゥグラトか?」
「ダレト神官! 猊下の名を呼び捨てにするとは不敬でありましょう!」
瞬間、サリーヌが激高する。どうやら当たりらしい。だからこそ今回の召喚が彼女を通して行われたのだ。教皇の秘蔵っ子と知己を得ることは、神殿の闇を暴く俺にとっては好都合だ。ただ、彼女が妹の面影を残しているのだけは辛く思う。できれば味方にしたいところだが、後先を考えない俺ではだめだ。バルアダンやレビあたりが陽のあたる場所へ引っ張り出してくれることを願おうか……。
神殿の謁見室に入ると、トゥグラト教皇が尊大に座っていた。俺は権能杖を両手で掲げ、跪く。
「猊下におかれましてはご機嫌麗しく――」
「心にもない儀礼など不要だ。そのような気質ではなかろう。最短の時間で要件を済まそうではないか」
教皇トゥグラト、世間的には十年前あたりからこの男の評価が分かれている。神殿長になる前は清廉潔白、公明正大、やや四面四角なものの、民から慕われる男だった。だが、神殿長となり異端審問の裁判長を兼任してからは人格が変わったように苛政を行うようになったのだ。神の名の下、神殿と自分に敵する多くの者を処刑し、その功績で十年前に教皇となった。高位の神官のほとんどが入れ替わり、全員が教皇就任に賛成したというのだから、裏でどれだけの血を流したかが容易に想像できる。
教皇となった後は神殿への物税を増やすだけでなく、クルケアン建設のための労役をも課していく。これまでも国家的事業として階段都市を建設していたのだが、この十年の拡張はすさまじいものだ。民だけでなく、評議会の怨嗟の声をも実力で押さえつけ、クルケアンの裏と表を支配している男だ。
「ダレト、その権能杖で魔獣を数体屠ったと聞いたぞ。あのセトの魔力を吸わしているともな。効果はどうだ」
「シャヘル様に報告済みですが」
「報告ではない、実際の感触が知りたいのだ」
サリーヌが俺から杖を奪い取り、トゥグラトに跪いて両手で杖を掲げる。トゥグラトは無造作に杖を掴むと、魔力の込め具合や質を確認する。もちろん宝石に魔力を吸わせた後で大した力は残っていない。さて、教皇はセトの力をどう見るのか。
「なるほど、量は少ないが、質はなかなかのものだ。このように破壊に特化した力はクルケアンでは珍しい。……いや、数百年を経てやっと現れたというべきか」
トゥグラトは座ったまま片手で軽く権能杖を振り下ろす。跪いた俺の横を魔力の刃が走り去り、十アス(約六メートル)程度の亀裂が魔獣石の床に走る。
俺は愕然とした。教皇だけあって自分よりはるかに魔力の操作が上手い。彼我の実力差を認めさせたかったのだろうか。恐らくこれは教皇からの警告だ。
「さすがはイルモート神の祝福の力よ。この力を神殿中の魔道具や権能杖に吸わせれば、神に逆らう愚か者もいなくなるだろう。ダレトよ、お主ならこの力をどう使う?」
「神のため、また守るべき民衆のために使いたく存じます」
「どうかな、お主ならば神を打ち倒すために使うのではないか?」
「……お戯れを。一介の神官をからかうのはお止めください」
この老人は何を知っているのだ。お主であれば、という言葉の裏に、すでに身辺を探られていたのかと背筋に冷たいものが走る。
これはきっとトゥグラトの脅しなのだろう。……軽く見られたものだ。こんな程度で俺が縛られると思うな。俺は神を地に落とすと亡き妹に誓ったのだ。教皇ごときに屈してなるものか。
「ダレト、汝に百二十層での魔道具工房にてセトの魔力の解析を命ずる。この権能杖の魔力を技官に見せ、他の魔力で再現と量産が可能か調べてこい。期限は十日とする。無論、今からだ」
「は、承りました」
「サリーヌ、聞いての通りだ。しばらくダレトはセトの指導はできぬ。アサグからも指示があったと思うが、ダレトが出向中、代わりにセトの魔力分析と印の祝福の解明を行え」
「承りました」
しまった、俺とセトとの距離を離すのが主目的であったか。教皇は反乱分子である俺の行動を制限し、かつセトを自分の直接の監視下に置くつもりか。
任務を遂行するふりをして、急ぎこの場を辞してサラ導師の許へ向かおうとする。だが急ぐ俺を呼び止めた男がいた。
「ダレトではないか、そんなに急いでどこへ行く」
「……シャヘル神殿長、申し訳ありませんが急いでいるので」
「無礼者め。お前は神殿長という職位を、その辺の店主と同じに扱うのか」
「滅相もありません」
それは店主に対して失礼と言うものだ。店主は富を得ようと欲をかくが、地位や権力を求めるほど欲張りではない。慇懃に押しのけようとすると、肩を掴まれ、説教をされる。
「セトの監視と教育係を命じておいたはずだが、それを放っておいて何をしておる」
「教育係? 表面上はそうですが、監視でしょうに」
「ま、まぁそうだが、あの子にきちんと教育をするのも神殿の務めだ。お前は案外、教師に向いていると思うのでな」
「教育でも監視でも何でもよろしいが、他の任務を命じられたのです。しばらくは無理ですな」
「神殿長である私の命よりもか? いったい誰の命令だ」
「猊下よりの命令です。撤回するよう、お話願えますか?」
教皇の腰巾着と言われている男だ。できるはずがないだろうと思っていたが、驚くことに直訴するらしい。それどころか魔道具の工房に行くことを知ると、それにも反対するのだ。
「いかん、あそこには悪い噂も多い。それに過剰な力を持つ権能杖など争いの元ではないか。さっきも言った通り、お前には違う方面で――」
「シャヘル様、もしや機関所属の俺を貴方の管轄下へ引き抜いたのは荒事から遠ざけるつもりか? いったい何を企んでおられるので?」
「な、何も企んではおらぬ」
俺を引き抜いてアサグの機関の力を弱めるためか、それとも自分の配下として力を温存させて何かをするつもりなのか。奴の考えなど分からないが、工房が怪しいこと、また高位の神官達が何かを知っているのは間違いない。いずれにしろ、真実は自分の力で探し出すまでだ。シャヘルを押しのけ、サラ導師の部屋に赴いて方針を決める。
一つは、教皇の命令を利用して俺とレビで工房に入り、情報を得ること。行方不明者の捜索や、魔力の非合法な実験などの証拠をつかんだ後、騒ぎを起こして外で巡回をしていたバルアダンが突入する。その混乱に乗じて調査すればもっと埃が出てくるだろう。
二つは、この十日間は神官学校での学びを中止し、サラ導師とセトで三十四層の施薬院の情報を集めることにする。できるだけサリーヌとセトを一緒にさせないための措置でもあるが、もし施薬院にサリーヌがセトについていく場合はその監視をサラ導師が兼ねることとする。
これらのことを手早く決めると、俺は兵学校のラメド校長にレビを借り受けるべく三十五層に向かった。
〈教皇の間にて〉
「げ、猊下、ダレトの御命令を取り下げていただきたいのですが」
「シャヘルよ、その言葉は我を不機嫌にさせるぞ。それでも良いのか」
「……」
「どうした、いつものように
「まげてお願いをいたします。十年前に奴の身受を引き受けた者としては機関だの調査だの、不穏な任務をさせたくないのです。セトの教育をし、印の祝福を解明することで神の偉大さに気付いてくれれば――」
「ならぬ。我は奴の器量を高く評価しておる。ちょうど大神官の席も空いたことであるし、将来はその席にも、と思うておるのだ」
シャヘルは御冗談を、と呻くように呟いたきり続く言葉を失った。大神官の地位は貴族に与える名ばかりの名誉職であり、平民にそれを与えるとなればまた貴族との対立が始まってしまう。大貴族はトゥグラトを恐れ、その威に服しているが、不満を持っている中小貴族は暴発する機会を待っているのだ。
「まぁその件は良い。だがなシャヘルよ。お主がしつこいようであればその職を解いても良いのだぞ。それにギルドの商人から寄付と称して多額の賄賂を受け取っておろう。高位の神官の特権として黙認しておるが、度が過ぎれば粛清の対象となるぞ」
跪くシャヘルは床に広がる巨大な亀裂を見て身を震わせた。トゥグラトは地位だけでなく実力を持ってこのクルケアンに君臨しているのだ。今ここで首を横に振り続けても解任ではなく死が待っているだけだろう。平伏し、無礼を詫びて退出する。
「我が弟よ、奴をどう見る」
「……それはシャヘルでしょうか、それともダレトでしょうか」
「そうだな、今はシャヘルの方でよい」
闇からアサグの姿が現れ、トゥグラトの横に侍る。
「なぜあのような無能で欲深い者を神殿長に引き上げたのか分かりませぬ。兄上には何か考えのあってのことで?」
「欲、悩み、不安……奴がもっともヒトらしいのでな。知っておるか、やつは賄賂の半分を取り巻きや有力者に渡したが、残りは貧民街に寄付したそうだ」
「呆れたものです。全ての方向に媚を売っているとは。弱きヒトはこれだから見苦しい」
「ヒトの善も悪も立場によって変わるもの。奴は善人になろうとしながら、全ての者に蔑みを受けておる。そこであがく奴の顔を見るのが面白いのだ」
「兄上がお喜びなら、奴の存在にも価値があるのでしょう」
「おお、価値と言えば、新しい味方の調略はなったのか」
「はい、堕ちましてございます。また例の施術も成功しております。正直、あれほどの者が味方になるとは思いませなんだ。昨日までの味方に奴は剣を向けることになるでしょう」
トゥグラトは満足げな笑みを浮かべた。シャヘルと同じく善悪の狭間でもがく者が増えたのだ。ヒトに存在価値があるのなら、それは自分を楽しませるという一点なのだろう。さて、あのダレトはどうもがいてくれるのか。
「アサグ、今日の我は機嫌が良い。共に美酒を飲もうではないか」
心得たアサグが葡萄酒の瓶を用意し、酒杯に注いでいく。だが粘度の高いその液体は明らかに葡萄が由来のものではない。そしてトゥグラトは天井の遥か上に視線を向けて杯を掲げた。
「広寒宮よ、もうすぐ我らは帰還する。地上と天を支配するその時が来るまで暫し待っておくが良い」
トゥグラトはそう宣言すると、喉を鳴らして酒を体内へ取り込んでいった。
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