第26話 レビの涙

〈レビ、エル達の家で〉


 魔獣に襲われた日、あたいはバル様の家に連れられてきた。

 あの時、バル様やダレトがいなければあたいも死んでいただろう。

 二人には本当に感謝してる。

 でも、あそこで死んでいてもよかったとも思う。

 だって、もうあたいには家族はいないのだから。


 ここは貧民街と違ってきれいな街だし、バル様やその家族は優しくしてくれたけど、それが逆に悔しかった。いい生活をして、いい家族がいて、役人達も守ってくれるこの街が、そこにいる人達が妬ましかったのだ。なぜ自分ばかりがつらい思いをして、なぜ周りはこんなにも恵まれているのだろう。どんなに妬んでも、あたいは生きていかなければならない。少しでも幸せになりたい。あたいはきっと欲深いのだろう。

 ……この家には同じ年齢の子がいて、女の子の方にはその顔には明らかに泣いた跡があった。あたいを見て驚いたようだが、バル様が説明すると手を差し出してきた。


「何?」


 あたいは冷たい声を出した。幸せな家でバル様と一緒に暮らしていることが気に食わなかった。もし、あたいがこの子と入れ替わっていたら素晴らしい人生を送ってきたはずだ。でもその子はあたいの態度を意に介せず、手を差し出したまま私に話しかける。


「わたしはエルシャ、エルと呼んで」

「あたいはレビ。アドニス区の長老ヤムの孫、だった……」


 エルは一歩踏み込んで無理やりあたいの手を握った。それが癇に障るのだと分からないのだろうか?


「気安く触らないで!」


 あたいは家の屋上に飛び出した。まったく、そのまま家を出ていかないのが自分ながらあさましい。

 ……ここから見上げるクルケアンは美しい。あの断崖のような北壁とは大違いだ。そして視線を下げると、家々の灯りが温かい毛布のように階段都市を支えているようにも見える。通りからは食事の匂いが漂い、笑い声も聞こえてきた。あたいは急に寒気を覚えてうずくまる。


「どこへ行けばいいんだよ……」


 明日には自分を預かってくれるという人の家にいく。そこでつらい思いをするのかもしれない。もしかしたらいい人達で、あたいの居場所があるのかもしれない。


「おじいちゃん、さみしい、さみしいよ……」


 膝を抱えてしばらく泣いていた。そのうち戸が開く音と律動的な足音が聞こえてくる。顔をあげると、そこにはエルが立っていた。


「何よ、笑いに来たの!」

「そうよ!」


 エルは笑ってそう言った。面食らったあたいは見つめることしかできない。当のエルはいきなり私の口を抓って引っ張った。


「わたしは、あなたと一緒に笑いに来たの! この家でそんな顔は似合わないんだからね!」

「え、にゃに、しゅるのほ!」

「だから、まず泣き顔を消してあげる。大丈夫、顔を抓るの得意なんだから!」


 何が得意だ、まかせてだ。

 エルはあたいの口を引っ張り、頬を抓って顔をこねていく。

 あたいの顔はパン生地か。泣くどころじゃない。


「待った、待った! もう泣いてないよ!」

「よし、任務完了! じゃぁ、レビ、改めてよろしくね」


 光り輝くクルケアンを背にして、エルは手を差し伸べる。

 私は雰囲気に流されて手を握るのだけど、悔しくて少しやり返す。


「あんただって泣いていたよね。弱虫さん」


 握られたままの手で彼女の泣き跡をなぞる。

 エルは横に座り込んで、ばれてたかと笑って頷いた。


「さっき玄関で男の子に会ったでしょ? その子に大変なことがあったんだ。もしかしたら離れ離れになる、遠いところに行くかも、と思って……」

「泣いたの?」

「ううん、そんなことじゃ泣かないよ。追いかければいいんだもんね」

「あら、惚気話? 追いかけていくなら泣く必要なんてないじゃない」

「世界が二人きりだったらそれでいいの。でも現実はそうじゃなかった。だって怖い人達が邪魔をしてくるから」

「いけ好かない神官とかそうだね。あたいもいっぱい友達を連れていかれた」

「……わたしはまだ子供で何もできない。だから誰かを頼りたかったんだ。そんな時、仲間と頼れる大人に出会えたんだ」


 ……あたいも出会えた。バル様とダレトだ。


「そうしたら、安心して泣いちゃった。でも、半分は悔しかったこともあるかな」

「悔しかった?」

「うん、わたしが弱くて何もできないのが。だから、無理に背伸びしてでもがんばろうと決めて今日は帰ってきたの」


 おじいちゃんが死んだ時、あたいは何もできず悔しくて泣いた。

 でもバル様やダレトの優しさが嬉しくて泣いてしまったのもある。


 エルはあたいと一緒だ。

 いや、やっぱり違う。

 エルは大事なものを失う前に行動し、また明日から強くなろうとしている。

 ……やっぱり一緒なんかじゃない。今度はそれが悔しくなった。

 エルが頑張ろうとしているのに、あたいはここでうずくまっているだけ?


「明日からどう頑張んのよ、あんた」

「ふふ、わたしは早く大人になる。だから、お金を稼いで店を持つの。工房もつけて、色々な人と関わって!」

「成人の儀も終わっていないのに?」

「だから結果を出すのよ。手伝ってくれる人もいるんだ! エラムやトゥイ、ガド……私の大切な仲間」

「セトは入っていないの? かわいそうに」

「あ、いや、セトはわたしといるのが当たり前だから、数に入れていないというか、何というか……」


 やっぱり惚気話じゃないかと、あたいは大笑いした。笑いすぎて涙が出た。


「じゃ、じゃぁ、いい直すね。セトと……」


 よかった、あの子も数に入ったみたいだ。


「エラム、トゥイ、ガド……それにレビ!」

「え、あたいも?」

「だってこんな奇跡ってないよ! 今日で離れ離れになるのはもったいない。だから友達になろうよ、レビ」


 突然の言葉に動転しているのだろう。あたいはきれいな青空の下にいたのだ。

 足元にはきれいな草花、目の前には青い瞳のエル。この子と一緒なら前に進めるのかなとも思えてくる。

 ……ふと我に返ると青空は消えていた。


「ま、まぁ、友達はともかく、仲間としてならいいかな。いや、仲間は友達じゃないってわけでもなくて……。その、なんだ、……よろしく」


 嬉しさと気恥ずかしさで舌が回らず、エルが握った手に力を込める。

 エルが両手で握り返してきて、ぶんぶんと大きく手を振った。


「よろしく、レビ」

「……よろしく、エル」


 おじいちゃん、

 死んじゃったおじいちゃん、聞こえていますか?

 今日は本当に辛いことがありました。

 でもそんなどん底の中で手を差し伸べてくれる人がいたんだ。


 一人は騎士様。いやおとぎ話に出てくる王子様かな。

 一人はこわばった笑顔を浮かべるお兄さん。

 そしてもう一人は、あたいの顔を思いっきり抓る変な子。


 おじいちゃん、

 あたい、何とかなりそうです。

 だってこんなにもいい人達に出会えたんだから。

 

 最初は別の世界に見えた街の灯りが、今は自分の居場所を示してくれるように温かく包み込んでいた。衝動を抑えきれず、声を押し殺して泣き始める。


 今日は悲しくて、悔しくていっぱい泣いた。

 でも最後に流した涙は、うれし涙だった。

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