第24話 蟻と鷹の生き方
〈エルシャ、サラの私室にて〉
夕方、わたしはセトが倒れたという連絡を受け、サラ導師の学び舎に駆け付けた。寝台に力尽きたように横たわるセトの髪をただ撫で続ける。どのくらい時間がたったのだろうか、やがてセトはうっすらと目を開けてくれた。
「僕は大丈夫だよ。だからそんな目をしないで」
「ごめんね、わたしが百層にいくことをけしかけたから……。もう少ししたら一緒に家に帰ろう」
セトが目覚める前、わたしはセトが寝ている上の階でサラ導師、イグアルさん、兵学校のラメド校長と対面していた。サラ導師の目は鋭く、早くセトの許に行こうとするわたしを椅子に縫い付けるようだ。あのイグアルさんでさえこわばった表情で床を見ており、不安と心配で胸が張り裂けそうだった。
「エルシャだね。セトが目覚める前に話がある」
「……はい、サラ導師」
わたしはやや震える声で答えた。サラ導師は夕日に染まったこの部屋の中で淡々と話しかけてくる。
……わたしは夕日の光が好きじゃない。
この光をもう少し暗くしたら、あの時のセトの目の色になるからだ。温かく優しいはずの夕日が、燃え上がる黒炎のようにわたしとサラ導師を照らし続けていく。
「おまえはセトの目のことを知っているね」
ついに大人に聞かれた。
とうとう聞かれてしまった。
だからこそわたしはこの問答の中で考え、判断しなければならない。
この人がセトの味方になってくれるかどうか……。
「サラ導師。このような返事の仕方で申し訳ありません。セトの目がどうしたというのでしょう」
怖いけれど、声が震えるけれど、わたしはサラ導師に向かって返事をぼかす。
まだ、この人のことを知ったわけではない。
話を続けて人となりを知らなければならない。
そうこれは戦いなんだ。
わたしの態度はむしろ、イグアルさんに心配をかけたらしい。慌てたように私に向かって取りなしてくる。
「エル、サラ様は大丈夫だ。怖い人ではあるが、お優しい方なんだよ」
そしてバル兄の先生でもあったラメド校長も額の汗を拭きながら安全を保障してくれた。
「そうだ、エルシャ。サラは厳格で融通が利かないこともあるが、非道をする人物ではない。それに私はセト君やバルアダンの祖父らと友人だ。友人に誓って、君達を守るつもりだ」
二人の言葉に、少しだけサラ導師が苦笑しているのが見えた。
でも、まだだ。私はこの人の言葉を聞いていない。
私の今の武器は口の祝福だけだ。
なんとかサラ導師の真意を引き出すのだ。
「サラ導師、質問をお許しください。私はあなた様のことをまず知りたく存じます。友情と愛情、どちらが大切でしょうか?」
「おかしなことをいう娘だ。よかろう、お主の思惑に乗ってやろう。二者択一なら、愛情だ」
イグアルさんとラメド校長が驚いたように見つめ合って、サラ導師を見る。
「なぜなら、友情は限定だ。否定はせんがね。しかし、愛情は家族、友人、恋人、物、民、世界と
あぁ、この人はすごい。
世界を愛し、守る人だ。
天空から世界を見ることのできる人だ。
でもそれは地面から見上げる人の気持ちを、果たしてわかってくれるのだろうか。
「サラ導師、重ねて質問です。蟻と鷹、どちらが素晴らしいとお考えで?」
「考えるまでもない。鷹さね。力あるものはその能力を広く世界に役立てることができる。エルシャよ、次が最後の質問だ。それが我々の今後の方向を示すものと心得よ」
そしてサラ導師は私もお前のことが知りたいのだと重々しく告げる。
「はい。サラ導師。クルケアンは天に近づかねばならないのでしょうか?」
言外にセトを利用するなとの意味を込めてサラ導師を睨みつける。
セトの力を、あの禍々しい赤い光を大人達に利用されたくないのだ。
わたしはセトほどではないがこのクルケアンを愛している。しかし、セトと引き換えにする程ではない。恐らくクルケアンの管理者であろうこの賢者は、その知識を、その愛を、わたしたちのような個人の小さな世界まで守ってくれるのに使ってくれるのだろうか。セトをクルケアンの為に犠牲にしようと考えないでいてくれるのだろうか。
「近づかなくともよい」
イグアルさんとラメド校長が衝撃を受けたように椅子から立ち上がった。
部屋は暗くなりはじめ、最後の夕日の一条がサラ導師の顔に差し込んでいた。
「愛は全てのものに降り注がれるべきだ。なるほど、時には少数を犠牲にすることもある。ただ、それは政治だ。評議員や神殿がそう判断するのは問題ないし理解もしている。必要悪でもあるのさ」
「なら、やっぱりセトを……」
「慌てるな。政治は人の総体としてのものだが、それは個人の生き方まで適用されるものではない。エルシャ、私は元老も、神官も、評議員も辞めたのだ。鷹の視点と力をもって、蟻と共に生きるために。滅んでいくこのクルケアンを、個人として愛し、皆と共に生きていくために」
そしてサラ導師は決定的な言葉を投げかけてくれた。
「クルケアンは天に届かなくてもよいのだ。だが全ての人を動かすには力が足りぬ。私にはお前達が必要だ。新たなクルケアンのために協力せよ、エルシャ」
気づけばわたしは泣いていた。嬉しかった。安心していた。
この人ならセトを守ってくれる。
セト、この方はお優しい方だ。
「ありがとうございます。全てをお話しいたします」
セトを連れ帰ったその夜、バル兄が家を失くしたという女の子を連れてきた。レビと名乗った少女はわたしを軽く睨んで距離を取る。少し残念に思うが、これもきっと素晴らしい出会いになるに違いない。何せ祝福の儀を迎えてからアスタルトの家の仲間達やサラ導師達に出会え、幸運続きなのだから。
〈サラの私室にて〉
エルシャがセトを連れて家路についた時、サラは部屋に残った大人達と相談を始めていた。二人の男は上機嫌なサラをやや警戒するようにぎこちなく相槌を打つ。特にラメドは昔からサラの自由奔放な行動につき合わされており、上機嫌な時ほど大きな問題が彼だけに降りかかるのを経験から知っていた。後始末然り、謝罪然り、そして酒席での相手然り……。
「あのエルシャという娘、なかなか見どころがある。私に向かって啖呵をきるとはな。イグアル、しっかり導いてやるがよい」
「導師として訓練を施していますが、あの子の魔力は相当なものです。本人は気付いていないようですが、部屋全ての神器に魔力を満たしたほどです」
「何だと、それはまずい。神殿にばれないよう配慮はしているな?」
「もちろん、ただしいつかはばれるでしょう。それほどの才能です」
サラの脳裏に少年の叫ぶ姿が浮かぶ。巨大すぎる魔力のゆえに魔障となった妹を、恐らく神殿の魔力実験で亡くした少年の泣き声が、そして怒りの表情がサラの心を締め上げる。それは十年間、サラが忘れずに魂に刻み込んだ光景であった。
セトとエルシャを誰かの庇護下にと話は移るが、イグアルは導師としては有能でも喧嘩は弱い。エルシャの才能を引き出すことはできても、モレクのような訓練された神官兵には敵わないのである。兵学校長であり、退役軍人でもあるラメドはそれならばと自分の管轄下に置くことを提案した。
「私が部下を通して軍で引き取り、保護してしまおうか。何にせよ、教皇が出てこないうちに手を打つべきだ」
「それについては考えがある。軍となるとまた政治と関わってしまうでな。そんなものは私達で十分というものだ」
サラは二人に、子供達を車輪のギルドの保護下に置くことを提案する。訓練生がいきなり正式な構成員となるには難しいが、何か功績を立てさせて車輪のギルドの下部組織に身を置かせようというものであった。抜群の成績と才能を持つものであればその前例はあり、彼らの才能を思えば困難ではないだろうと全員が判断したのだった。イグアルやタファトといった優秀な導師が彼らの背中を押せばどこまでも飛んでいくことだろう。
「分かりました。タファトとも協力して見守っていくことにします」
「頼むぞ。子供達の良き導き手となってくれ」
そして用が終わればそそくさと部屋を辞そうとする二人をサラは呼び止める。
「おいおい、せっかく来てくれたんだ。上等の酒を用意するから飲んでいかんか」
二人はせっかくのお誘いなれど今日は失礼を、と笑顔を貼り付けて返事をするが、サラはそれを許さなかった。
「つれない奴らだな、私は怖い人とか、厳格ではあるがとか、融通が利かないとかいわれても全然気にしていないぞ。これまで誤解されていたのは残念だがね。まったく、私が愛を肯定したとたん、驚くような輩に、無理に酒を飲んでいけとはいえないな」
硬直した二人にサラはとどめの一言を投げかける。
「かわいそうな私に付き合って一杯飲んでいくか、それとも見捨てて帰るかね?」
一刻後、二人の男が酒瓶が散らばる床で突っ伏していた。サラは情けない男どもを横目に露台に出て、一人で酒杯を傾ける。月の女神ナンナの祝福を受けたサラにとって、月夜こそが彼女の世界であり、また変化を権能とする月の祝福にとって魂が活性化する時間でもあった。一時的とはいえ、若くみずみずしく変化していく肉体を隠すかのように壁の陰に身を寄せる。過ぎ去った日の姿を追い求めることはこの賢者の好むところではなかったのである。やがて露台の隅に別の人影が現れた時、サラは酒瓶を投げることで待っていたのだぞとその相手に伝えた。
「ダレトか。貧民街での活躍、もうすでに私の耳にも入っておる。だがあまり無茶をするなよ、不肖の弟子め」
「……サラ導師、夜分に失礼をします」
酒瓶を受け取ったダレトは酒を一気に飲み干すと露台に跪いた。サラは自分の許から飛び出していった弟子をしげしげと眺める。独立不羈を是とするこの男が膝を屈するとは、よほど追い詰められているのであろう。何があったかは知らないが、憎悪で凝り固まった魂が揺さぶられたのなら結構なことだ。
「お前から訪ねてくるとはめずらしいじゃないか。何か困ったことがあったのかい」
「少女をここで預かってほしい。俺が責任を取るべき人だが、荒事に巻き込むわけにはいかない。目的を果たすため貴女の庇護下に置いてほしいのだ」
予想外の答えにサラは思わず杯を落としそうになる。生真面目な男ほど女によって人生を変えられてしまうものだが、この弟子もその類だったのかと思うと愉快になったのだ。だが、ダレトが述べた事実は老人の邪推とは正反対の真摯な言葉だった。
「俺の踏み込んだ調査のせいで長老が魔獣に襲われてしまった。その人の養い子を俺のように鍛えてほしい。一人で生きられる力を与えてやって欲しいのだ」
サラはダレトの瞳に子供のような真摯さを見て取った。過日、雨が激しく打ちつける神殿に駆け込んで妹を助けてくれといった時の瞳と同じなのである。やはりこの男は昔から変わっていない。それは良いことなのか、それとも悪いことなのだろうか。
「わかった、まかせるがよい。その子の名は?」
「レビ。最下層アドニス区の長老ヤムの娘、レビだ」
「もしや、妹とその少女を重ねてはいないな」
「馬鹿なことをおっしゃる」
やや語気を荒くしたダレトが、サラにもう一度レビのことを頼み込み姿を消す。
月が雲に隠れ、音もない世界でサラはヤムと呼ばれた老人のことを考えていた。
「死んだ長老とはヤムのことであったか。何百年生きていたのかは知らぬが、あの男は死んで人であることを証明したのだな」
サラにとってヤムの死もそうだが、養子をとっていたことも意外であった。かつての自分の師であり、冷酷で傲慢だったヤムの想いを推し量ろうとしてサラは頭を振る。
「ニーナのように悲しい結末にはさせぬ。ダレトにとっても救いになるようにせねばな」
そう言ってサラは自嘲的な表情を作る。先刻、ダレトに対してレビを妹に重ねるなといったのに、自分がそうなのである。どうやら思い出に酔ってしまったらしいとサラは力なくうなだれた。やがて月が再び雲から現れ、露台を照らしたときにはそこには誰もおらず、かわりに何かに捧げられたような酒杯がそっと置かれていた。
夜の重みにクルケアンの街全てが静まり返っていく。人も鳥も虫でさえも動かず、朝を待ち続ける中でただ一人蠢く影があった。やがてそれは老人の姿となり、下層の城壁の上から露台を憎々し気に睨みつける。そして空を仰ぎ、月を掴むかのように手を突き出し握りしめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます