第20話 貧民街と淑女

〈ダレト、貧民街にて〉


「神官様、誰もあの門には近づいていませんし、それに内側からは出られても外からは入れないのです」

「……そうか、手間を取らせたな」


 警備の兵に回廊内で襲撃した男達について尋ねるも、返ってくる答えは皆同じだった。ただ、ザババの実の中毒患者については増加していることもあり、彼らもその出どころを調査しているのだという。


「街の環境がそもそも良くないのです。北風が瘴気を運んでくるこの街には仕事がなく食い詰めて逃げてきた者も多い。希望を失ってザババの実に依存する気持ちも分かります」

「神殿の保護は受けられないのか? 各区の小神殿は貧窮院も兼ねているはずだが」

「神官様に言うのは気が引けるのですが、神殿は若く優秀な子を連れていくばかりなんで。そりゃその子らの衣食は保障してくれるのでしょうが、街の活気はなくなるし、残った子は僻んでしまう」


 バルアダンが子供と聞いて関心を持ったようだ。先に魔獣を討伐した時も貧民街の子供をかばったと聞く。弟妹を持つ奴にすれば他人事でもないのだろう。


「ダレト、神殿はそんなに子供らを連れていくのか?」

「あぁ、優秀な祝福持ち、魔力持ちは特にね」

「見習いの期間はまだしも、神官になれば生まれた街に戻ってくればいいだろうに」

「いや、戻ってくるはずだ。小神殿に配属されて民の生活を支えるはずだが……。失礼、今年に神官見習いになったのはこの区では五人だったと記憶していますが?」

「桁を間違えていますよ。昨年も今年も五十人近く連れていかれました。区長に聞いてごらんなさい。子供を送り込んだ見返りにたんまり金をもらっていたのですから」


 それだけの子供がこの区から選ばれるなどあり得ない。そして俺の知る限りそんな数字はどこにも記されておらず、存在もしないのだ。しかも修行に忙しいとのことで戻ってきてもないという。


「両親はさぞかし不安でしょう。よろしければ僕が家族の手紙を彼らに渡しましょうか?」

「いや、心配には及びません。神殿は捨てられたり、親が亡くなったりしている身寄りのない子を中心に引き取っていったのです」


 ふとバルアダンの横顔を見ると、唇が少し血で滲んでいた。信じていた都市に、世界に裏切られた気持ちなのだろう。悔しさも怒りも、この場では耐えるしかない。ただの神官とただの見習い騎士では目の前の敵は倒せても犠牲者は増えていくのだ。

 兵と別れ、区長に会うために貧民街を歩いていると鼻を刺すような異臭に包まれた。匂いがひどいのは魔獣の血による瘴気もそうだが、下水が機能していないからだ。恐らくその区の税収が少ないのだろう。税を払えない者、払わない者、ここではその二種類の住民しかいないのだ。ましてやその上に奪う者がいるともなれば。


「……バルアダン、君は神殿を疑っているんだろう。ならどうするつもりだ」


 それは意地悪な質問で誘導でもあった。俺自身は個人の復讐を果たせればいい。全てを背負おうとするこの男を焚きつければ、俺は鋭利な剣を、それも極上のものを手に入れることができる。だが返ってきたのは期待していた返事ではなかったのだ。


「仲間を作る」

「何?」

「軍も神殿も市民でも誰でもいい。権力に対抗するためには数が必要だろう?」

「なるほど、数の暴力で押しつぶすわけか。バル、君も案外――」

「違うぞ、クルケアン中の市民の悪戯でひっくり返してやるんだ。私の弟妹ならそれができる」

「……確かにセトなら笑顔で市民を引き連れて評議会になだれ込んできそうだな」

「だろう? クルケアンが大混乱になるとは思うが、悲劇より喜劇の方がいい」

「もう一つ道があるぞ。バル、君は権力を得てクルケアンを変えようとはしないのかい? バルアダン将軍、響きは悪くない」

「君が神殿長になるなら悪くはない取引だ」

「悪くはない?」

「立場を得て自由を失うのなら、道連れがいないと不公平というものだ」


 バルアダンの生真面目な表情に、思わず吹き出してしまう。澱んだ気持ちが少しだけ晴れたかのようだ。セトと共にクルケアンをひっくり返し、バルアダンと共に市民を守る未来か。誰も傷つかない、それでいて楽しい復讐でもある。だが、自分には眩しすぎるのだ。


「騎士様! 昨日、魔獣をやっつけた騎士様だよね!」


 その時、明るい子供の声が頭の上から降りかかってきた。見上げれば今にも崩れそうな数階建ての共同住居から子供達が身を乗り出して手を振っている。バルアダンがそれに応えて手を振ると子供たちは大歓声を上げた。


「……ダレト、神殿に連れ去られた子供達の消息を調べて置いてくれないか」

「あぁ、任せてくれ。その代わりといっては何だけど、兵学校の校長のラメド殿を味方につけたい。頼めるかな」

「それは大丈夫だが、何か理由があるのか」

「もし、捕らえられていたとして、救出した後には匿う場所が必要だ。武器を持ち、子供が多い兵学校は最適な場所だ」


 それに、兵学校ならバルアダンが様子を見に行くのも、先輩として訓練を施すのも不自然ではない。仲間を作りたいのであれば、育てるのも一つの手だ。だがそんな面倒なことは不真面目な俺ではなく、生真面目なバルアダンがすべきことだろう。


「……頼んだつもりが、きっちりと返ってくるものだな」

「不公平は嫌いなんだろう? 公平で良かったじゃないか」


 仕事を押し付け合い、妥協ができたところで区長の家に到着する。貧民街では場違いに大きいその家から、同じく場違いに宝石で身を飾った区長が出迎えた。


「いや、騎士様、それに神官殿、このようなところにご足労いただくとは……何かありましたか?」

「こちらの騎士は魔獣の襲撃に関して街の被害状況の確認を、そして僕は長老に聞きたいことがあり紹介をしていただきたいと参った次第でして」

「住宅の損害はわずかにありましたが、評議会からの見舞金で対応できましたのでご心配なく。それと長老に話ということですが、何か理由でも?」


 わずかに取り乱した区長が、探るような目でこちらを見てきた。恐らく見舞金をせしめたことを長老あたりにばらされたくないのだろう。


「あぁ、それは魔獣とは別でして、僕が神官として街の歴史を集めている任に当たっているため、長老に話を伺いたいのです」

「そうですか、それは良かった。いえ、良い任務でございますな。ではご紹介いたしましょう」


 この区の長老の名はヤムといい、百歳を超えているのだという。長生きをしすぎて本人も正確な年齢は分からないとのことだ。まさに生き字引だがぼけているのではという不安が表情に出ていたのだろう、区長がこちらの疑念を晴らすように笑って答える。


「ヤム殿は脚も声も達者で、街の子供達は良く怒られていますよ。捨て子を引き取り、字など教えているのでしゃんとしたものです。今、その子に案内させましょう。……おい、誰かレビを連れてこい!」


 使用人に怒鳴って指示をした区長は、よほど後ろめたいことがあるのか、すぐに来ますからといって俺達を外に追い出そうとする。だが俺達にとっては運よく、区長にとっては運悪く、そのレビという少女が飛び込んできたのだ。


「区長、この盗人め! さっさとくすねた見舞金をだしやがれ! 可哀そうに、アドル爺さんは屋根が壊れて寝る場所もないんだぞ」

「区長、どういうことか。対応はできていると私に言ったではないか」

「……これは失礼を。部下の手配が遅れていたようですな。……おい、レビ、こちらはお前の爺さんを訪ねにきたのだ。失礼のないように案内をしなさい」


 区長は別れ際に俺に袋を差し出した。持つとずしりと重い。賄賂であることは明白だが、ここはあえて頂いておく。


「さ、神官殿。些少ですが……」

「あぁ、何も言わなくて結構です。分かっておりますよ、僕も子供ではありませんから」


 睨んでくるバルアダンを軽く小突くと、俺は大声で付近の住民に呼びかけた。


「区長が見舞金を上乗せしてくれるとのことだ。それにまだ貯えから出してくれるらしいぞ!」

「そ、そんな。何を勝手に私の財産を……」

「おや、分かっていると言っただろう。慈悲深い区長様のことはしっかりと神殿に伝えておくので安心しろ」

「大神殿に訴えてやるからな。若造め、後悔しても知らんぞ!」

「結構だ。この任務が終わればシャヘル神殿長、トゥグラト猊下にも会う用事がある。よければ取り次いでやろうか?」


 青ざめた区長に、不正に蓄えた金を出せば見逃してやると脅しその場を去る。長老の家に行く途中、レビはバルアダンが魔獣を倒し、子供達を救った英雄だと知って目を輝かせて犬のようにまとわりついていた。バルアダンには尊敬の目を向けるくせに、俺には横柄な態度をとるのが納得がいかないところではある。


「あんたらありがとうな。これでみんなも雨を心配せず暮らせるよ。魔獣はバルアダン様がやっつけてくれたし、区長は優男の神官さんが懲らしめてくれた。これで少しは暮らしやすくなるってもんだ」

「レビ、僕はダレトというんだ。バルは様づけなのに僕は名すら呼んでくれないのかい」

「バルアダン、バルアダン様、バル……。うん、強くていい響きだね。気に入った! バル様、今からあたいはバル様の部下になってあげる。感謝してよね!」

「だから僕のことをだね――」

「残念ながら私はまだ見習いだ。部下の件は君がからかっているダレトが大神官になれば考えてあげよう。そうなれば私は将軍だから君を騎士に任命できるとおもうよ」


 からかうのは好きだが、からかわれるのは好きではない。俺が不機嫌になったのが分かると、バルアダンは少し不器用に話題を変えた。


「レビ、区長はいつもああなのかい?」

「あいつはいつもそうさ。反抗すれば取り巻きのごろつきが暴力を振るうんだ」

「警備の兵に言えばどうだい? 少し離れているがモレク門の兵は住民に対して同情的だった」

「同情的だったから誰も使わない門番に回されたんだ。おかげでこの辺りの兵は区長の腰巾着のクズ共だけさ、くそったれ!」

「……淑女が乱暴な言葉を使ってはいけないよ」


 その言葉を聞いて、レビはしばしきょとんと固まった。バルアダンの真面目な言葉がよほど面白かったのかお腹を抱えて笑い出す。


「あはは、私が淑女だって! でもそんなあたいがいてもいいのかも。今とは違う人生でさ、違う名でお姫様をしていて、バル様は王子様で、ダレトは使用人で……」

「誰が使用人だって?」

「じゃぁ、貧乏貴族にしておくよ。……では殿方、おじい様の館はこちらです。歓待の準備を確認してきますので、もう少しこちらの椅子でお待ちくださいませ」


 レビはお辞儀をして、ただの崩れた石壁を指す。俺とバルアダンは苦笑してそこに座り、淑女が案内してくれるのを待つことにした。目の前には二階建ての崩れかけた家があり、レビはそこに駆け込んでいった。待つことしばらくして、笑顔のレビが窓から顔を出す。


「おーい、あんたら、爺ちゃんが会ってくれるって!」


 残念だ。王子様がかけた魔法は一瞬で消し飛んだらしい。それでも未来の淑女のために俺たちは礼儀よく彼女の館に入っていくのであった。

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